第152話 眠る男と見守る女
巨大キメラ討伐から一ヵ月。
病院に運び込まれたアッシュは治癒魔法を受けてからずっと眠ったままだった。
王都では様々な思惑が動き出しているにも拘らず、本人は未だ起きる兆しは見せていない。
毎日、医者と看護師が健康状態をチェックするのに加えて、エドガー・ベイルーナを始めとする学者達までもが彼の状態をチェックしていた。
そして、根気強く彼を見舞う者がもう一人。
「先輩、起きてますか?」
毎朝、決まった時間に訪れるのはウルカだ。彼女はアッシュが入院して以降、毎日病室を訪れては彼の傍に付き添っている。
入院から一ヵ月、一度も訪れなかった日はない。看護師達に顔を覚えられ、名前を覚えられ、果てには「毎日来ている」と囁かれても。
眠り続けるアッシュを心配しすぎているせいか、精神的な疲労で多少顔がやつれてきていても。それを医者に指摘されて「少しは休んだらどうだ」と言われても。
それでも彼女はアッシュの元を訪れ続けた。
きっと、明日は起きてくれる――と、希望に縋りながら。
「今日は体を綺麗にしましょうね」
看護師から借りてきたタオルとお湯入りの桶をサイドテーブルに置くと、彼女はアッシュの体を拭き始めた。
丁寧に彼の体を拭いて、身支度を整えたらベッド脇にある椅子へ座る。座りながらアッシュの手を握って、じっと顔を見続けた。
時より話し掛けながら、毎日毎日彼が目覚めるのを待っている。昼になっても傍にいて、夕方になってもまだ傍に居続ける。
彼の手を握ったまま、眠ってしまう事もあった。そういった時は夜の見回りに来た看護師に起こされる。
「ウルカさん、今日のお時間は過ぎましたよ」
「はい……。先輩、また明日」
病院を出た後、彼女はアッシュと暮らしていた宿の部屋に戻るのだ。一人寂しく眠って、また翌日になると病院へ向かう。
毎日、その繰り返し。
その状況をさすがに見兼ねたのはミレイだった。
「おい、ウルカ。最近ちゃんとメシ食ってるか?」
「え?」
朝、病院へ向かおうとするウルカを捕まえたミレイ。問うたものの、彼女の顔を見たミレイの眉間には皺が寄っていた。自分の知っているウルカとはまるで違うと思ったのだろう。
今のウルカはミレイを揶揄うような余裕も無く、それどころか生きる屍のような状態だった。明らかに満足な食事を摂っておらず、精神的に追い詰められた者の顔だ。
「ちょっと来い!」
さすがに見てられない、とミレイはウルカの腕を掴むと強引に引っ張って歩き始めた。
「え、ダメですよ。先輩のとこに行かなきゃ……」
腕を強引に引っ張られても、今のウルカには反抗できるほどの気力が残っていなかった。なすがまま、ミレイに連れて行かれてしまう。
「馬鹿言うな! 今のお前を見たらアッシュは自分を責めるぞ!」
ミレイが連れて行ったのは、運河沿いにあるカフェだ。
野外席に着くとモーニングを二人分頼んで、配膳されたパンにバターを塗った。バターを塗ったり、コーヒーにミルクを入れたり……お膳立てをした上でウルカに「食え」と命じる。
「急にどうしたんですか?」
今の状況を不思議に思ったのか、ウルカがミレイに問うた。すると、問われたミレイは眉間に皺を寄せたまま腕を組む。
「しばらくは好きにさせてやれって言われたから放っておいたが、もう限界だ」
アッシュが入院した直後、ウルカの精神状態は不安定だった。毎日泣き続けて、ミレイやベイルが説得してもアッシュの傍を離れようとしなかった。
しばらくは好きにさせた方が良いと仲間内で判断を下して、今までウルカを好きに行動させて来たが――日を追うごとにやつれていく姿を見て、さすがに黙り続けるのも限界を迎えたらしい。
「私達が今生きているのはアッシュのおかげだ。私やレンも責任を感じているよ。でも、今は待つしかないんだ」
こうなってしまったのは自分達にも責任がある。ベイルやロイ達だってきっと同じ気持ちだろう。
何かしてやりたいとは思うものの、今はアッシュが自力で目覚めるのを待つしかない。助けられた側からすれば、何とも歯痒い状況だと感じてしまうはずだ。
「あいつの恋人であるお前が世話をするのは分かるよ。でもな、お前が死人みたいな顔してて、あいつが喜ぶか?」
「でも、私は――」
何もできなかった。助けられなかった。一緒に死ぬとまで言っておいて、一緒の苦しみを味わう事無く助けられたままだった。
ウルカはそう言いたかったのかもしれない。
「うるせえッ!」
だが、それらの言葉はミレイの怒声で打ち消される。
「一人でウジウジしてんじゃねえ! お前が全部抱える必要なんてあるかッ! 私だって仲間なんだよッ!」
テーブルを叩きながら立ち上がって、ミレイはウルカに向かって吼えた。道を行く人達の視線なんてお構いなし。彼女は涙を流しながら訴えるように叫んだのだ。
「……なんでミレイ先輩が泣いてるんですか」
ウルカに言われて、ミレイは自身が涙を流している事に気付いた。ハッとなった彼女は、服の袖で目をごしごしと拭う。
「うるせえ。目にゴミが入ったんだ」
「……ふふ」
アッシュが入院して以降、ウルカは初めて笑った。それは決してミレイを馬鹿にしているのではなく、彼女の言葉を受けて安心したからだろう。一緒に泣いてくれる友がいると思い出したからに違いない。
「とにかく、一人で抱えんな。ちゃんとメシ食え。やつれてブスな顔を見せたらフラれちまうかもな」
「それは困ります」
ウルカは言われた通り、彼女が用意してくれたパンを口に運ぶ。一口、二口と食べたあと、ウルカは泣きながら笑った。
「ミレイ先輩って面倒見がいいですよね。自分の事を騙した後輩の面倒も見るなんてお人好しすぎませんか?」
「……良いんだよ、もう。そのおかげで出会いもあった」
過去の事は忘れた、とばかりにミレイは首を振った後でコーヒーのカップを口元に運ぶ。
「早く好きって言ってあげた方が良いですよ? レン君、優秀な魔法使いだし見た目が可愛いから協会の女連中から人気だって話ですし」
言われた途端、ミレイは口からコーヒーを噴き出しそうになった。
「……マジか?」
「はい。今は近くに怖い女の人がいるから言われてないだけでしょうね。レン君もミレイ先輩にべったりだし」
理由を聞いて、それは自分の事だと自覚したミレイ。彼女は「ああ、ちくしょう」と恥ずかしがりながら頬が赤く染まる。
「どうして同じ部屋で暮しているくせに恥ずかしがるんですか。それとももう実は……?」
「違うわ!」
いつもの調子が戻ってきたウルカに吼えたミレイの顔には自然と笑みが浮かんだ。お互いのやり取りに懐かしさを感じたのか、二人は同時に笑い合う。
この日からウルカを取り巻く環境はガラッと変わった。
毎日、アッシュの病室へ向かうこと自体は変わらない。だが、ミレイが一緒に付き添うようになった。
「病室が殺風景だし、花でも置けば? 病室には花飾るのが定番だろ?」
「ミレイ先輩って、意外に乙女ですよね」
「うっせ!」
話し相手がいれば気が滅入る事もない。より良いアドバイスだって受けられる。だから、この日は昼になるとミレイと共に花屋へ向かった。
購入した花を飾って、夕方までミレイと共に昔話を語り合った。看護師達の間では「あの部屋から笑い声が聞こえる」と良い意味で噂になったようだ。
病院に滞在できる時間を過ぎるとミレイと共に病院を後にした。一緒に夕食を食べて、部屋の前で別れた。
次の日になると、ミレイがレンを連れて来た。
「ウルカさん。兄さんにも手伝ってもらって、治癒魔法について調べました。治癒魔法を施されたあと、目覚めるまでの期間は患者の状態に因るようです。過去の事例を調べたところ、アッシュさんが負っていた怪我の度合いから見るに三ヵ月は掛かるかもしれません」
一ヵ月の間、レンは兄を頼って治癒魔法自体の詳しい概要と目覚めた後にするべき事を調べていたようだ。
「アッシュさんの場合は少し特殊です。必ずしも三ヵ月で目覚めるとは限らないでしょう。ですが、治癒魔法を受けているので目覚めるのは確実です」
体の傷は既に癒えている。だから、あとは本人次第。絶対にいつかは目覚める。だが、眠る期間については未知数だと現状で分かっている事を改めて告げた。
ウルカに現実を突き付けるような言動であるが、レンの本題はこれからだった。
「なので、今はアッシュさんが目覚めた後の事について考えませんか?」
現状を嘆くのではなく、今から未来について考えようと彼は言う。
本人も目覚めたばかりの頃は何が何だか分からず、混乱してしまうかもしれない。そういった場合、アッシュを正しく導くのはウルカの役目だと。
「何か月も眠っていたら、それに比例して筋力の衰えが現れるはずです。恐らく、すぐハンターとしては復帰できないでしょう。復帰するまではトレーニングを中心とした生活を送る事になると思います。あ、これは軍医の方から聞き込んだ復帰後のトレーニングについてです」
何らかの怪我を負って、騎士が入院していた場合は軍医による指導元でトレーニングを行ってから現場復帰するようだ。騎士団が行う復帰後のプロセスを参考にして、レンはアッシュ用のトレーニングをいくつか組んでくれたらしい。
「正確には目覚めてからになりますが、大まかな流れは変わらないと思います。あと、生活に必要な費用とかも試算しておきました。まぁ、アッシュさんは報奨金が出るので問題無いとは思いますけど」
レンはウルカが思いつかなかった細かいところまで目を向けてくれたようだ。
「絶対に目覚めます。頑張りましょう」
「ありがとう、レン君」
レンのアドバイスを受けて、ウルカはこの日から未来に向かって目を向け始めた。少しずつ色々な事を調べ始めて、アッシュが目覚めた後に行う事、一緒にやりたい事をメモしていく。
楽しい未来を想像することで、気分が落ち込むのを防ぐというレンの思惑は成功したようだ。
また次の日は、私服姿のベイルと彼の婚約者であるオーロラが病室を訪れた。
「やぁ。元気そうだね」
ベイルはウルカに向かってそう言った後に、彼女からアッシュの状態を聞く。
聞き終えると、彼もこの一ヵ月の間に動いていた結果を報告し始めた。
「病院の入院費等は全て騎士団が支払う事で決定したよ。復帰後も遠慮なく頼ってくれ。トレーニングで必要なら騎士団の施設を使っても構わないから」
レンから話を聞いていたのか、ベイルも目覚めた後の事を中心に語っていく。
「協会も援助するわ。そこで、まずはウルカさんね」
「え? 私ですか?」
オーロラに言われて、ウルカは首を傾げた。すると、オーロラはニコリと笑いながら頷く。
「今日はこの人にアッシュさんを任せるから、ウルカさんは私と女子会しましょう」
「最近、彼女も忙しかったからね。できればストレス解消に付き合ってやってくれないか?」
誘っておきつつ、あくまでもオーロラのストレス解消に付き合うという名目を与える。少々強引かもしれないが、これもウルカへの配慮なのだろう。
「さぁ、高級なお店に行きましょう。今日は婚約者の財布を空にする勢いで飲むわよ。ミレイさんとターニャさん達も誘ったから、ウルカさんもじゃんじゃん飲んでね」
オーロラは悪い顔を浮かべながらウルカに手を差し出して「今日はとことんストレス発散よ!」と意気込む。
「……少しは加減してくれよ?」
「どうしようかしら。さぁ、行きましょう!」
「え、ええ? あ、ちょっと!」
オーロラはウルカの腕を取ると、スキップしながら病室を出て行った。若干、不安そうな表情を浮かべたベイルが二人の背中を見送る。
「まったく。困ったもんだ。なぁ、アッシュ」
ベイルは眠ったままの友に笑いかけながら椅子に腰を下ろした。そして、持ち込んだ本を読み始める。しばらく本を読みながらアッシュの病室に滞在していると、病室のドアがノックされた。
「ん、来たか」
ベイルは誰かを待っていたらしい。どうぞ、と返すと入室して来たのは――
「タロン? どうしたんだい?」
「あれ? ベイル団長?」
入室してきたのは彼が待っていた人物ではなく、酒瓶を抱えたタロンだった。彼もまた私服姿であるが、片腕を失ったことで袖の片側がたらりと垂れている。
残った腕で酒瓶を抱えているあたり、既にいつもの彼自身を取り戻しているようだ。
「俺は見舞いに来たんですが、ベイル団長は?」
「僕はちょっとアッシュの件で用事があってね。ここで人を待っていたんだ。ああ、そうだ。事情聴取の件、聞いたよ。色々とありがとう」
タロンはアッシュと入れ替わるように目覚めており、二十三階の調査から戻った騎士団によって当時起きた壊滅事件による事情聴取が始まった。
二十二階で起きた壊滅事件の真相――それはゴーレムとキメラの戦闘に巻き込まれた事によって起きた悲劇であると発覚。
調査に向かった一行は、二十二階の十字路で人型ゴーレムと遭遇。そこで騎士が一人殺害されると、彼等は即座に撤退を選択した。だが、退路は人型ゴーレムに塞がれてしまって二十一階に引き返せなかった。
とにかく目の前のゴーレムから逃げようとして、彼等は一旦ダンジョンの奥へと向かう。人型ゴーレムをどこかで撒いたあと、改めて二十一階へ戻ろうとしたのだ。
だが、入り組んだ階層のせいで彼等は迷ってしまった。そして、辿り着いたのが例の広場。
そこには巨大ゴーレムの腕を武器として持ったキメラがいた。再び未知なる魔物と遭遇した調査隊は慌てて来た道を引き返そうとする。だが、そのタイミングで人型ゴーレムがシャッター内から出現。
キメラへ敵対した人型ゴーレムと抵抗するキメラの間に挟まれてしまった彼等は、戦闘に巻き込まれてしまった。その結果、調査隊は壊滅……というのが真相だった。
調査隊は二十三階で出会った巨大キメラと戦う人型ゴーレムと不運にも出くわしてしまった。
そう思われたが……。タロン曰く、ゴーレムと敵対していたキメラは二十三階に出現したキメラよりも一回り小さかったらしい。
調査隊が遭遇したキメラが巨大化する前の状態だったのか、それとも別の個体なのか。新たに浮かんだ疑惑もあって、騎士団では再び二十三階の調査が行われている最中である。
「アレをぶっ殺したって聞いた時は心底驚きましたよ。さすがはアッシュさんだ」
「それは同感だよ」
タロンは酒瓶を病室のテーブルに置いた。病院に酒を持ち込んで良いものかは別として、見舞いの品が酒だという点はタロンらしいと言える。
「……君は眠っていた時のことを覚えているのかい?」
「あー、朧気ですけどね。ずっと仲間達が死ぬシーンが繰り返されてましたね。今思えば、夢だったって理解できますけど。あとは必死に走ってる感じが続いてたような?」
あくまでも本人は現実のように感じていて、苦しい状況が繰り返し続く地獄のような時間だったと語る。
ただ、そんな地獄のような夢にもゴールはあったようだ。
「毎回、みんなが死んで終わるんですよ。んで、また最初に戻って……。その繰り返しだった。でも、目覚める前は広場に足を踏み入れる前に終わったんです。俺が皆に入るなと叫んで、皆の足が止まった。そこで夢から覚めたんですよ」
それがタロンにとっての「気持ちの整理」だったかは不明だが、自分の身に起きた不幸と皆が死んでしまった事への後悔を受け入れられた切っ掛けだったのかもしれない。
「そうか……。これからはどうするつもりなんだい?」
「この腕じゃハンターとしてやっていけるか分からんでしょう? だから、協会からのオファーを受ける事にしました。これからは新人教育の教官としてやっていきますよ」
上位ハンターだったタロンは片腕を失った。それに仲間も。
仲間が失われてしまった事もあるが、やはり片手だけでは満足に戦闘できるかどうかも怪しい。ハンターに復帰しても、今までのようにトップを走り続けるのは不可能だろう。
そこで、彼に目をつけたのは協会だった。近年でも問題になっている新人の死亡事故を減らそうと、予てより協会内で教官職を設ける動きがあったのだ。
協会はハンターを引退しようか悩んでいた彼に教官へのオファーを行い、タロンはそれを受けたようだ。
「それは良かった。何かあれば騎士団も支援するよ。遠慮なく言ってくれ」
「はは。そりゃ心強いや。その時は頼みますよ」
そう返したあと、タロンはアッシュに「また来るぜ」と言って退室して行った。再び一人になったベイルは病室で本を読んでいると、今度こそ目的の人物が現れる。
「すまない、遅れてしまったな」
「いえ」
現れたのはエドガー・ベイルーナ。彼は持ち込んだ鞄をテーブルの上に置くと、丁度目に入った酒瓶を見て「随分と上等な酒が病室にあるな」と声を漏らした。
エドガーは鞄の中から銀色のケースを取り出して、アッシュが眠るベッドの脇に立つ。
「休日に立ち合わせて悪かったな」
「いえ、構いませんよ」
一言ベイルに謝罪を告げると、エドガーはさっそく本題に取り掛かる。
「では、女王陛下命令として被験者のサンプルを回収する」
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