第143話 灰の騎士
地面に突き刺した灰燼剣を支えにしてアッシュは立ち上がった。
彼は騎士団を相手に暴れる巨大キメラと壁の穴から出現した通常個体のキメラに向かってゆっくりと歩き出す。
しかし、歩き出したアッシュの姿は非常に不安定だった。フラフラとしていて、今にも倒れそうである。
それでも彼は歩みを止めない。一歩一歩確実に、ゆっくりと近付いて行く。
「ア"ァァァ……」
彼の前に一体のキメラが立ち塞がった。キメラは両腕を伸ばし、アッシュに組み付いて肉へ喰らいつこうと試みる。
「…………」
キメラがアッシュの間合いに入った途端、彼は剣を振った。剣を両手で握ってキメラの胴体を断つ。普通であれば、一振りでは倒せない。斬っても魔石を破壊しない事には再生してしまう。
だが、今のアッシュは違う。
胴を斬られたキメラは声すら上げられないまま、体の断面から徐々に灰へと変わっていく。最後には体全体が灰に変わって、サラサラと溶けるように崩れた。残された魔石が地面に落ちて転がる。
一歩進むとまたキメラがアッシュに襲い掛かろうとした。だが、結果は先ほどと同じだ。
もう一歩。次は二体のキメラが彼に近付く。
だが、結果は同じ。
斬って、灰に。斬って、灰に。
彼の前に立ち塞がった敵は悉くが灰燼に帰す。
「アッシュ……?」
ゆっくりと巨大キメラに近付いて行く友の姿に気付いたベイル。彼はアッシュの顔を見て、更に一振りでキメラを灰に変えていく姿を見て――ベイルは彼を止める事ができなかった。
こちらの声にすら気付いていない。周囲で自分を鼓舞しながら戦う騎士達の声すら耳に届いていない。
ただただ、目の前にいる脅威を排除しようと。最愛の人を傷つけようとする敵を射殺さんとばかりに向けられる視線。
アッシュを見たベイルが感じたのは畏怖だ。彼の歩みを邪魔してはいけない、と本能的に感じ取って声を掛けられなかった。
中途半端に伸ばした腕が宙ぶらりんになったまま、ベイルは巨大キメラへと歩いて行くアッシュを無言で見送った。
しかし、見送ってからハッとなる。
「全員、アッシュを援護しろッ!」
重症を負いながらも敵へ向かって行く友を黙って見送るだけなんて許されない。そう思ったのか、ベイルは再び騎士達に指示を出し始めた。
「ベイル、我等はキメラを倒すぞ!」
「ええ!」
後ろから駆けて来たオラーノ侯爵は興奮気味に告げて、ベイルもその考えを肯定した。
オラーノ侯爵は巨大キメラに向かって行くアッシュへ通常個体を近づかせまいと戦い始め、他の騎士達もそれに続く。
「ウルカ、いつまでも泣いてんじゃねえ! お前がアッシュの為に戦わないでどうするんだ!? あいつにばっかり戦わせたくねえんだろ!?」
「う、う、はい……」
ミレイはウルカの腕を引っ張り上げて、床に落ちていた魔導弓を無理矢理握らせた。
「前で暴れてくっから援護しろよ!」
「分かってます!」
ミレイはピックハンマーを起動してキメラ達を排除するオラーノ侯爵達に加わった。ウルカはまだ涙を流しているが、それでも弓を構えて援護射撃を始める。
「どうして……」
ただ一人、レンはじっとアッシュの背中を見つめ続けていた。
どうして死にそうなのに動けるのか、どうして瀕死の状態なのにも拘らず戦おうとするのか。
恐らくレンが夢見る男の姿というヤツは、今のアッシュが一番近い。
どれだけ傷付こうとも、どれだけ死にそうになっても、最後まで足掻き続ける男の背中。子供の頃に呼んだ英雄譚に登場する主人公を思わせるような、安心できる分厚くて大きな背中。
「僕は……。いつか……」
いつか自分も彼のようになれるのか。そう思わずにはいられないのだろう。
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俺は剣を振るってキメラを斬った。肉を断つ感触を感じた後、キメラの体は灰に変わって崩れ落ちていく。それについてはあまり疑問を感じない。
しかし、それよりも体が異様に軽い。まるで自分の体とは思えないほど軽く感じる事の方が疑問に思えてしまう。
更には周囲で動いているキメラ達の動作が全部スローモーションに見える。ただでさえ鈍いキメラがいつもの二倍……いや、三倍は遅く見える。
だからこそ、斬るのは簡単。
腕を伸ばして近づかれても、掴まれる前に斬れば良い。なんて簡単な話なんだろう。
二体同時にこられても、遅くて全然脅威を感じない。優先順位を付けるなんて話の前に、ただただ斬ればいいだけだ。これほどまでにキメラって存在は単純だっただろうか?
十体以上を斬ったあと、俺の周囲にはキメラがいなくなった。
好都合だ。あとは巨大キメラを斬るだけで終わる。
俺が巨大キメラまで近づくと、向こうも俺の存在に気付いたらしい。大口を開けているが声は聞こえない。
おいおい、さっきまでは腹に響くような雄叫びを上げていたじゃないか。
「――――」
大口を開けたキメラが右腕を振り上げた。どうやら俺に拳を叩きつけようとしているらしい。
だが、遅すぎる。
落ちてきた腕に合わせて剣を振るった。拍子抜けするほど簡単に腕が切断された。切断された断面は灰に変わって、斬った腕の先は灰になりながら床に落ちた。
床に落ちた灰の腕はボロボロと崩れて消えてしまう。
今度は背中から生えた触手を振り回し始めた。でも、遅い。これも遅すぎる。
二本の触手がしなると、順に俺の頭上へと落ちて来た。一本目を斬って、二本目も掬い上げるように断ち斬った。切断された触手は腕と同じく灰に変わって、宙を待っている最中にサラサラと溶けて消える。
「――――!!」
また巨大キメラが大口を開けて何か叫んでいるが、依然として俺には聞こえなかった。
何故だろう?
まぁ、いいさ。今はとにかく、お前を殺す事だけを考えよう。
しかし、本当に体が軽い。ほら、見てくれ。お前の攻撃なんて簡単に避けられるんだ。すごいだろう? 自分でも驚きだよ。
今なら空まで飛べそうだ。
そう思った俺は思い切って実行してみた。トン、と床を蹴って上に飛んでみると、俺はいつの間にか巨大キメラを見下ろしていた。
飛べてしまったな。
まぁ、いいか。このまま終わりにしよう。
俺は空中で剣を上下反転させ、俺を見上げる巨大キメラの額に剣を突き立てた。巨大キメラを足場にしながら深く剣を突き刺すと、巨大キメラの内部に火が灯る感覚を感じた。
それを感じた直後、巨大キメラの体が徐々に灰に変わっていく。頭、首、胴体、腕、下半身……徐々に下へ向かって体が灰になっていくのだ。
完全に灰へ変わったあと、俺は剣を引き抜いて床に降りた。剣を払うと、灰と化した巨大キメラの体がボロボロに朽ちていく。
これで終わり。
そう思った途端、俺の足から力が抜けた。がくん、と膝が折れて自分の体重を支えられなくなる。
剣を杖にしながら体を支えるが、今度は腕から力が抜けた。支えを失った俺の体は完全に床へと倒れてしまい、倒れた直後から全く動けなくなった。
同時に周囲の音が徐々に聞こえ始めた。
俺の名前を呼ぶ仲間達の声が聞こえる。それと……ウルカの声。
俺はウルカの声がする方向に顔を向けようとするが、やはり動かない。
「先輩、先輩ッ!」
すまない、ウルカ。やっぱり寒くなってきた。
でも、もうキメラは倒したんだ。今度こそ、抱きしめてくれるよな……?
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その瞬間、誰もがアッシュに釘付けだった。
周囲にいたキメラを排除して、残りは巨大キメラだけとなった時。巨大キメラと対峙していたアッシュは一振り毎に相手の四肢を切断していくという芸当を見せた。
一振りで腕を斬り飛ばし、灰に変えて再生すらさせない。二本の触手もそうだ。
更には完全に相手の動きを見切っているであろう動き。上から猛スピードで落ちて来た拳をスレスレで躱し、流れるような動作で最後の腕を斬り飛ばす。
終いには人間離れした跳躍力だ。トンと軽く飛んだだけで巨大キメラの頭上まで飛び上がった。
そこから頭部に剣を突き立てて、巨大キメラを一瞬で灰に変える姿なんて――まるで英雄譚に登場する主人公のようだった。
「あ、ありえん……」
「アッシュは、一体……?」
人間離れした彼の動きに対し、オラーノ侯爵とベイルは口を半開きにしながら固まる以外リアクションが取れない。
いや、この場にいる全員が同じ状況に陥っていた。
巨大キメラを灰に変え、サラサラと朽ちていくのを見て、ようやく我に返った全員が歓喜の声を上げる。
しかし、その直後にはウルカの悲鳴が上がった。
「アッシュ!」
再びアッシュが倒れたのだ。今度もまたピクリとも動かない。しかも咳込み始めて、床に赤い血を撒き散らした。
「先輩ッ! 先輩ッ!」
「誰かポーションをありったけ持って来い! あとは担架の準備だッ! 急げッ!!」
ウルカとベイルがアッシュに駆け寄ると、状態を見たベイルはすぐさま部下に指示を出す。ミレイは遅れてやって来たロイと共にアッシュを仰向けに変えた。
届けられたポーションを受け取ったミレイとロイは、コルク栓を投げ捨てるとアッシュの口にポーションを流し込む。
「まずいな、さっきよりも酷そうだ」
ポーションを強引に飲ませたロイはアッシュの呼吸を確認してそう言った。彼が再び立ち上がる前よりも呼吸が浅い。
チラリとロイがアッシュの腕に視線を向ける。アッシュの腕の肉を突き破って生えた灰色の魔石は色が抜けて透明に変わっていた。
「担架、来ますッ!」
軍医でもある騎士が担架を持ってやってくると、ベイルとロイが急いでアッシュを担架に乗せた。
「全員、一旦地上へ戻るぞ!」
ベイルは焦りを滲ませながらも的確な指示を出した。騎士達が武器を握り締めて走り出すと――
「ベイル、私が先頭を行くッ! 無事な者は私に続けッ! 全速力で戻るぞッ!」
先頭へ躍り出たのはロイだった。彼は自慢の剣を抜いて、既に疲労困憊な騎士達を鼓舞して走らせた。
幸いにも調査隊は途中で魔物と遭遇する事はなかった。調査隊一行は無事に地上へ戻って、アッシュは騎士団本部と隣接した病院へ運び込まれる事に。
こうして、二十三階の調査は一旦の幕を閉じたのである。
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