第142話 抗うか、死か


『どちらを選ぶ?』


 そう問われても俺は意味が分からなかった。彼に対して「何を?」と問いかけると彼はゆっくりと首を振る。


『この先の事だ。分かっているんだろう? 貴殿はもうすぐ死ぬ』


 そう言われた瞬間、自覚していなかった現実がゆっくりと俺の中で蘇っていく。


 そうだ、俺は魔物の攻撃を食らった。その時に怪我を負った。体を動かすどころか、喋れないほどの重傷なのだろう。


 俺は、もうすぐ死ぬ。


『貴殿が死ねばここにいる全員が死ぬ。あの魔物に殺されてな』


 男性は俺の顔を見続けながら、後方で暴れる巨大キメラに向かって指を伸ばした。


『このまま死を受け入れて、愛する人の腕の中で死ぬかね? だが、そうすれば貴殿の最愛は殺されるだろう』


 最愛の人が殺される瞬間を見ないのは、ある意味で幸せかもしれないと彼は言う。


『もしくは、痛みを伴ってでも最愛を守るか。前者も後者も……貴殿にとっては辛い選択になるだろう』


 最愛が死ぬ。それはウルカが死ぬという事か?


 そんなのは嫌だ。俺だけが死ぬならまだしも……。いや、それも御免だ。愛する人を残して死にたくはない。俺が死んでその後に愛する人が殺されるのも嫌だ。


 だが、彼は俺が死ぬと言う。


 じゃあ、どうすれば良いんだと俺は彼に問うた。俺は死なずにウルカを守りたいと強く訴えた。


『抗え。最後まで。この先どんな事が起きようとも、抗う事を止めるな』


 抗う……。


『そうだ。最後まで、死ぬ寸前になったとしても、愛する人を守る為に抗え。たとえ自分の身に何が起きようとも、最愛と共に行く人生を諦めてはいけない』


 そう言って、彼は俺の手を掴んだ。

 

『貴殿は私のようになるな』


 貴方は……。 


 俺がそう呟くと、彼は頷く。


『私はかつて、国の為に戦った。最後まで職務を果たした。その事に悔いはないと思っていたよ。だが……。どうしても最後には家族の顔が浮かんだ。最後に愛する人と会いたいと望んだのだ』


 どこか後悔するように、男性は悲しそうな表情を浮かべて言った。


『後悔して、後悔して、果ては醜い姿で彷徨うほど……。だが、救ってくれたのは貴殿だ。後悔と絶望の化身となった私を家族の元へ届けてくれたのは貴殿だった』


 貴方は、まさか……。


 俺は目の前にいる男性の正体が分かった。彼の名を呟こうとすると、彼は俺の右手を指す。


『さすがは私を倒した騎士だ。死ぬ寸前になっても剣は離していない』


 さすがだ、と笑う彼は満足そうに頷くが、続けて「この剣は間違っている」と言った。


『これは貴殿の剣ではないな。燃え盛るような炎は貴殿に似合わんよ』


 彼は俺の握る剣の刀身に指を向けた。


『貴殿に似合うのは、小さくて静かに燃える火だ。されど、守るべき者へ危害を与えようとする者は許さない。一度振るえば信念の火によって悉くを灰に変える。そんな剣が、貴殿には似合う』


 指の先が光ると、その光は刀身に刻まれた魔導刻印を変化させていく。ぐにゃぐにゃと変わっていく刻印が伸びていき、徐々に俺の右腕の中に入り込んだ。


『抗いは苦痛を伴う。だが、決して負けるな』


 彼は俺の胸に手を置くと、俺の顔を見て告げる。彼の顔は――国に忠誠を尽くし、最後まで家族を愛した騎士の顔だった。


『負けるな。騎士よ。騎士とは、国だけに忠誠を尽くすだけではない。弱者を守り、愛する人を守る者こそが真の騎士である』


 彼に支えながら、俺は上半身を起こした。


 上半身を起こすと、先ほど感じていた寒気が無くなっていた。それどころか、体の自由さえも取り戻している。


 ああ、これなら戦える。


『そうだ。立ち上がれ、騎士よ。いや――』


 俺の体を支えてくれた男性は首を振って言い直した。


『愛しい人を守る為にけ、灰の騎士よ』



-----



「先輩ッ! 先輩ッ!」


 ウルカは泣きながら横たわるアッシュの腕を掴んで揺すった。


「だめだ! 動かすな!」


 だが、横にいたミレイがウルカを制止する。


 横たわるアッシュは何かを言いかけて、口から塊のような血を吐き出した。それを見て、再びウルカがパニック状態に陥ってしまう。


「先輩ッ!」


「ウルカさん、落ち着いて! ダメです、動かしたら悪化します!」


 パニックになったウルカを羽交い絞めするように止めたのは、ゼェゼェと苦しそうに息を吐き出すレンだった。彼も魔力切れが近いのか顔色が悪い。


「どうだ!?」


「まずいですよ! たぶん、骨も内臓もやられてる! すぐに手当しないと」


 駆け寄ってきたオラーノ侯爵の手には数本の瓶が握られていた。それをミレイに手渡して、二人で瓶のコルク栓を開けるとアッシュの口に流し込む。


 二人が飲ませたのはハイポーションだ。通常のポーションよりも二割ほど性能が向上している。


 しかし、今のアッシュにはポーションよりも早急な手術か治癒魔法が必要とされていた。


 魔物の一撃によって胴体の骨はほとんどが砕けた。内臓も損傷していて、ほとんど生きているのがやっとの状態。そんな状態でありながらまだ生きているのはポーションのおかげでもあるのだが、根本的な解決には至っていない。


「だが、どうする!? キメラが暴れている限りは入り口に辿り着けん!」


 アッシュを排除した巨大キメラは入り口を背にして、ベイルが指揮する騎士団を相手に暴れ回っていた。アッシュを地上に運ぶにはキメラの背後にある入り口を通り抜けねばならない。


 無事に運べるのかすら保証のない状況だ。下手をすれば運んでいる最中に攻撃を受けて、今度こそアッシュが死んでしまう可能性がある。


「ぼ、僕の、魔法でどうにか、動きを――」


 全力全開の魔力を込めた魔法を三度も撃ったレンは、肩で息を繰り返しながら口から出た言葉を途中で止めた。


 言葉を止めた理由は、見てしまったからだ。アッシュが触手に吹き飛ばされる寸前、当たったはずの魔法が……効果が無かった。


 その前は肩口を吹き飛ばしたのに、何故か三発目は効果が無かった。恐ろしいほどの再生能力を持つ魔物は、受け続けた魔法への耐性まで獲得したのだろうか。


 真実は定かではないが、効果が無かったからこそアッシュを助けられなかった。その事実がレンの自信を打ち砕いてしまった。自分の魔法があれば人を助けれると胸を張って言えなくなってしまった。


 レンは悔しそうに顔を歪めながら、爪が食い込むほど手を握り締める。


「閣下! 壁の穴からキメラが現れましたわ!」


 アッシュにポーションを無理矢理飲ませている最中、ターニャの声が聞こえて来た。今が最悪の頂点かと思いきや、まだまだ先があったようだ。


 彼女の声がする方向に顔を向ければ、巨大キメラがぶち抜いた壁の穴から通常個体のキメラまで現れ始めたのだ。


「クソ! こんな時に!!」


 もはや、アッシュを救うのは絶望的か。


「先輩……」


 ウルカもそう感じ取ったのだろう。彼女は涙を流しながら、生気が失せていくアッシュの顔を見つめた。


 だが、その直後に変化は起きたのだ。


「ウ……」


 ぴくん、とアッシュの体が跳ねた。それどころか、上半身を自ら起こし始めたのだ。


「せん、ぱい……?」


 アッシュは目の焦点が定まっていない。


「おい、アッシュ! 動いちゃ――」


 ミレイの制止も聞かず、自力で立ち上がろうとまでし始めた。握っていた剣を杖のようにして片膝を地面に付けながら。


「アッシュ、お主……」


 死に行く者が見せる最後の悪あがき。彼を見守っていた誰もがそう思った。


 だが、違う。


 アッシュは抗う事こそが正しい選択であると教えられた。抗う方法は既に教えてもらった。


 杖代わりにしていた人工魔導剣に刻まれた魔導刻印がオレンジ色に光り始める。


 光の色はオレンジから赤に。ボッと一瞬だけ刻印が燃えて、全体が変化していく。光り輝いた刻印は刀身の中心に小さな火を生み出した。


 刀身の芯を熱く燃やす火は、刀身を辿ってアッシュの腕にまで伸びていき――アッシュの腕は肘まで光に包まれた。


「ウ、グ、ァァァ……!」


 アッシュから苦悶の声が漏れる。光に包まれた腕から「ビキビキ」と音が鳴った。腕を包んでいた光が霧散すると、アッシュの右腕は変わり果てた状態になっていた。


 剣を握る手の甲からは肉を突き破って灰色の水晶が飛び出していた。それどころか、右腕は肘まで所々肉を突き抜けて灰色の水晶が露出していた。


 肉を突き破って生えた灰色の水晶――それはハンターや騎士なら誰もが見たことある物にそっくりだった。


「腕に、魔石が?」


 ロイが呟いた通り、アッシュの腕に生えた灰色の水晶は魔石に酷似している。


「ウ、ウルカ……」


「せんぱい……?」


 腕を変化させたアッシュは咳込むと血の塊を口から吐き出した。ビチャビチャと血が滴る中、それでも彼は最愛の名を呼ぶ。


「おれは……。君を守る……!」


 アッシュの瞳には生気が戻っていた。それどころか、凶悪な敵を前にしても決して退かない、いつもの挑戦的な目付きをしている。


 彼が抗う理由を告げると、腕に生えた灰色の魔石が淡く光った。同時に魔導刻印が変化した人工魔法剣にも変化が起きる。


 刀身の中心にあった火が一瞬だけ赤く燃えて、刀身全体には赤い火の色が透けて見えた。


 ――この剣の製造に携わったロイやエドガーは、デュラハンの使っていた刀身が燃える炎の剣を理想としていた。


 だが、それはアッシュには似合わないと剣に宿る者は言ったのだ。


 この男に似合うのは「静かに燃える火」であると。小さくとも強く、決して枯れない信念の火なのだと。


 愛する者を守る為ならば、悉くを灰に変える火。死を前にしても決して抗う事を止めないアッシュの想いと同じ、決して消えぬ火である。


 刀身の中心で静かに燃える小さな火が剣全体を変えていく。


 静かに燃える火を中心にして、銀色の刀身が灰に変わっていくのだ。刀身の大部分が微かな赤を残した燃えさしのような状態に変化した。


 剣は燃え尽きる寸前なのではない。これからもずっと灰を纏いながら燃え続ける。


 アッシュの手にした人工魔法剣は、正しく魔法剣へと至った。


 悉くを灰へ変える。いや、悉くを灰燼に帰す剣。


 騎士の魂と共に燃える、炎を越えた先に至る剣の銘は――灰燼剣。 


「ウルカ、待っていろ……」


 剣を杖代わりに立ち上がろうとすると、剣先が床に少しだけ刺さって食い込んだ。直後、剣先が刺さった床の一部は灰に変わる。


 灰が舞い上がり、腕の魔石が灰の光を放つ中、アッシュはゆっくりと立ち上がった。


 彼の目に映るのは――騎士団を相手に暴れる巨大キメラと穴から溢れたキメラ達。


 下段に構えた灰燼剣の中心で、静かな火はパチパチと燃え続ける。


 彼が排除すべき敵に狙いを定めた時、頭の中には声が響いた。


『行け、灰の騎士よ。己が信念と愛の為に、立ち塞がる敵全てを灰に変えるのだ』

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