第137話 運命の日の始まり


 今後の動きについて決定が下された後、騎士団は学者達に助言を求めた。


 しかし、回収された死体から得られる情報はまだ少ない。


 二十三階の魔物――キメラについて判明した事は「再生能力を持つこと」「比較的肉体は脆いこと」「再生を繰り返すことで俊敏性と力が増すこと」だろうか。


 討伐方法についてはまだ確定情報が少ない。レンの放った魔法のように体全体を木っ端微塵にする、という方法が唯一確定している討伐方法だ。


 ベイルーナ卿が言った「英雄譚と同じく腹が弱点」という点は次回検証する事になるだろう。


 しかし、帰り際に聞こえた鳴き声の主も気になる。あれがキメラのネームドだったとして……。戦うとなると予想がつかないのが怖いところ。


 全くの未知なる魔物であり、氾濫の可能性もまだ捨てきれない。オラーノ侯爵とベイルは「覚悟を持って挑む」と最後に締めた。


 会議が終わったあと、俺は部屋を出て行ったベイルーナ卿を追いかけた。


「閣下。少しお話が」


「ん? どうした?」


 彼の背中に声を掛けて引き留めると、俺は二十三階で目撃したレンの様子を語った。


「本人は魔素の濃度が高いからと言っていたのですが――」


「待て。二十三階は魔素濃度が高いと言ったのか?」


「え? あ、はい。本人の申告ですが……」


 魔素濃度の件を伝えると、ベイルーナ卿は黙って顎を撫で始めた。何か考えているようだが……。


「何か引っかかる事が?」


「……まだ確定ではないがな。魔法使いに関してだが、魔素濃度が高ければ高いほど魔力のが良くなる」


「魔力のノリ? ですか?」


 確か入り口でレンも同じような事を言っていたな。


「うむ。通常、魔法使いが魔法を発動させるには体内に蓄積させた魔力を必要とする。魔力の回復手段には個人差があって、食事なり睡眠なりと独特な方法を取るのだが、全ての魔法使いに共通するのは空気中に含まれた魔素を呼吸と共に吸収することである」


 レンの場合は甘い物を食べることで魔力が回復すると言っていたが、ベイルーナ卿曰くそれは個人的な「ブースト方法」に過ぎないそうだ。


「昔、魔法使い達の間では精神統一をすることで魔力が回復すると言われていた。これは精神的な疲労を瞑想によって緩和させて、安定した呼吸による魔素の吸収量を上げるという手法だ。今はもう寂れてしまったが、それと同じ意味合いを持つのが甘い物を食べる等の個人的な回復方法だ」


 簡単に言うと、心を落ち着かせる手段が個人個人の好きな方法に変わったという話らしい。


 レンの場合は甘い物を食べることで心が落ち着いて、精神的な負荷や疲労が軽減される。それによって無意識に行われている「魔素を吸収する」という行動に安定感が加わるようだ。


「で、だ。魔法使いが吸収する魔素の濃度が高くなれば回復量も比例して上がっていく。だが、既に体内魔力量の総量が最大まで回復している状態だったらどうだ?」


 そこまで言われてようやく気付いた。あの時見せたレンの状態は過剰に魔力を保有している状態だったのか。


「魔法使いにとって魔力とは密接した関係にある。魔力が急激に減れば体調が悪くなるし、最悪の場合は死ぬことだってあり得る。逆に魔力を過剰なほど体内に秘めていたら、それはそれで問題だ」


 過剰な魔力はレンに様々な影響を及ぼした。興奮状態になったり、鼻血が出たりしたのはそのせいらしい。


「では、適度に発散させた方が良いのですか?」


「そうだな。とにかく体内にある魔力を使って減らすことだ。しかし、過剰に魔力を保有した状態でも魔法の発動による精神的な疲労や負荷は変わらない。濃度が高いエリアから出たら疲労感がドッと押し寄せて来るだろう」


 この辺りは本人が自覚をもってセーブしなければ仕方がない、とベイルーナ卿は語った。


「なるほど……。分かりました。本人にも言っておきます」


「うむ。魔法使いは貴重な戦力であるからな。無理はするなと伝えてくれ」


「はい。ありがとうございました」


 ベイルーナ卿に礼を言って、俺はその場を立ち去った。


 騎士団本部の廊下を歩き出し、廊下の先にあった曲がり角を曲がる際に後方をチラリと見たのだが……。ベイルーナ卿はまだその場で何かを考えているようであった。



-----



 翌日の朝、俺は宿の部屋で準備を行っていた。


 着替えた後にしっかり朝飯を食って、ダンジョン用の装備と収納袋に入った物資の再点検を行う。


 全て準備完了となったあとは部屋で一服。


 こうしてダンジョンに向かう前に一服していると、これが最後の一本になるのかなと思うことがある。


 最近は特にだ。


 強く思うようになった理由は、身近な存在の死をこの目で見てしまったからだろう。俺も彼等のようになってしまうのか、いつかそうなる日を迎えるのかとネガティブな考えが過る。


 騎士団にいた頃もそうだったが、やはり人の死を見るとこういった考えに偏り過ぎてしまう。悪い癖なのかもしれないな。


「先輩、どうしたんですか?」


 そんな事を考えながら一服していると、ウルカが後ろから抱き着いてきた。


「ん? いや、なんでもないよ」


「もしかして、ダンジョンのことですか?」


 俺は心配かけまいと誤魔化すが、彼女にはお見通しだったようだ。


「まぁ、な。そんなところさ」


 素直な気持ちは口にせず、俺は彼女に笑いかけた。だが、俺の作った笑顔はぎこちなかったのかもしれない。


「先輩、無理しないで下さいね?」


 彼女は表情を曇らせながら俺を見上げてきた。


「大丈夫。無理はしていないよ」


「絶対に無理しちゃだめですよ? 私と約束して下さい」


 いつもは「大丈夫」と言ってくれる彼女が珍しく念を押すように言ってきた。もしかしたら、彼女も恐怖を抱えているのかもしれない。


 俺は指に挟んでいたタバコを灰皿に置くと、彼女の体を抱きしめた。


「大丈夫だ。一緒に帰って来よう」


「はい……」


 彼女とキスをして、俺達は荷物を持って宿を出た。外で待っていたミレイとレンの二人と合流したのち、ダンジョンへ向かう。


「レン、昨日言った事を忘れるなよ?」


「はい。分かってます」


 ダンジョンに向かう途中でレンに魔法についての念を押しておく。いざとなったら頼れるのはレンだ。だからこそ、無理はしないでほしい。


「今日は騎士団からかなりの数が投入されるんだろ? そこまで心配しなくても平気なんじゃねえかな?」


 ミレイの言う通り、今日から参加する騎士達の数も増える。昨日のうちにオラーノ侯爵が王都騎士団からも増援を寄越すよう連絡したらしいし、二十三階へ向かう騎士の数は二倍以上となる予定だ。


 指揮官もオラーノ侯爵だけじゃなく、第二騎士団団長であるベイルも同行する事になった。


 間違いなく、現状の最大戦力を二十三階に投入する。大人数で一気に調査して第二都市が置かれている状況を把握してしまおうというわけだ。


 氾濫の兆しがあれば今回で鎮圧させる。兆しもなく、時間に猶予があると分かれば慎重に事を進める。そういった今後の方針を決める為の調査でもあった。


「だが、油断はできないだろう? 何たって相手は魔物だからな」


 魔物は俺達の常識が通用する相手じゃない。魔物もだが、ダンジョンだってそうだ。


 何が起きるか分からない。だからこそ、気を引き締めていかなければ。


「やぁ、アッシュ」


 二十階層に到着すると、既にオラーノ侯爵とベイルが率いる騎士団が準備を始めていた。必要となるであろう物資を収納袋に収めて、各自武器や防具の点検を行っている。


「おはよう、ベイル」


 俺はベイルと挨拶を交わすと、昇降機を使って降りてきたターニャを見つけた。彼女を呼び寄せて、ベイルや隊長格の騎士達と共に調査の流れを再確認。


 全て確認を終えたあと――


「それじゃあ、行こうか」


「ああ」


 ベイルに頷きを返した後、俺は仲間達と共に騎士の後に続いた。


 

-----



 アッシュ達が二十三階へ向かい始めてから数時間後、騎士団本部に隣接する病院では――


「タロンさん、体拭きますね」


「…………」


 看護師の女性が濡れたタオルでタロンの胸を拭き始めた。三日に一度行われる定期的な作業であり、看護師の女性も「いつも通りの仕事」を行っていた。


 しかし、今日は違う。


 病室のベッドで眠ったままであったタロンの指がぴくりと反応した。ずっと眠り続ける彼が反応を起こす事自体が珍しいのだが、反応はそれだけでは済まなかった。


 眠っていたタロンの瞼が勢いよく開いて、体を拭いていた看護師の腕を掴んだのだ。


「きゃあ!?」


 突然の出来事に看護師の女性は悲鳴を上げた。


 だが、タロンは起きたばかりにも拘らず、彼の表情には焦りと恐怖が浮かんでいる。


「みんなは!?」


「え!?」


「みんなはどうした!? 騎士団は!?」


 ここはどこだ。俺はどうしていた等、自分の身に起きた事など一切聞きもせず、タロンは焦りを滲ませながら「みんなはどうした」とだけ問い続ける。


「き、騎士団、ですか?」


 まだ驚きから脱することのできない看護師の女性が問い返すと、タロンは「ああ、そうだ!」と声を張り上げた。


「き、騎士団は朝からダンジョンに向かって行くのを見ましたけど……」


 看護師が発した「ダンジョン」という単語を聞いたタロンは、余計に焦るような表情を浮かべる。


「ダメだ! ダメなんだよ!! あれを相手にしちゃ、ダメだッ!!」


「い、いたっ!? は、離して!? まずは腕を離して!」


 タロンは看護師の腕を掴んだまま、彼は何度も「ダメだ、ダメだ」と繰り返した。看護師の女性が「腕を離せ」と言うもまるで聞こえていないようだ。


「アレは手に負えない! 戦っちゃいけない! ダメだ、ダメなんだよッ!!」


 焦りと恐怖を混ぜ合わせたような声音で繰り返し続けるタロン。完全に混乱状態に陥っているようだ。


 やがて、彼の叫び声を聞きつけたのか、医者がタロンの病室に飛び込んで来た。


「タロンさん! 落ち着いて! もう安全なんです! ここは病院ですから!」


「ダメだ、ダメだ、ダメだ!! 騎士団に伝えないと、アレと戦うなって伝えないと!!」


 医者が落ち着くようタロンの体を押さえつけながら訴えるが、タロンはそれでも叫び続けた。


 一体、彼が繰り返す「アレ」とは何なのか。


 既に騎士団本隊とアッシュ達は二十三階へ突入していたこともあって、タロンが目覚めた事や錯乱した様子が伝わったのは事が全て終わってからになってしまった。


 もし、彼が数時間早く目覚めていたら――運命は大きく変わっていたのかもしれない。

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