第97話 ウルカとミレイ


「ようやく見つけたぞ! アッシュ、ウルカ!」


 そう叫びながら俺達を指差すミレイの声には、明らかな怒りが含まれているのが感じ取れた。


 突然の登場と再会に加えて、身に覚えのない怒りを向けられた事で、俺の頭の中には大量の疑問符が浮かぶ。


「なんだなんだ?」


「アッシュさんの知り合いっぽいぞ」


「ウルカちゃんの前に付き合ってた女なんじゃねえか?」


「修羅場か?」


 ミレイの声が大きかった事もあって、協会内が俄かに騒がしくなる。中には大声で否定したくなる囁き声も聞こえたが、否定する前にミレイがズンズンと俺達へと歩み寄って来た。


「アッシュは……まぁ、いいとして! いや、よくないけど! 勝手に騎士団を辞めた件は後で話すとして! まずはウルカ、お前だ!」


 ミレイが「ビシィ!」と伸ばした人差し指がウルカの鼻先に触れそうだ。ただ、ウルカは「はて? 何のことでしょう?」みたいに首を傾げている。


「テメェ! アッシュの前だからしらばっくれやがって! 私を騙した事、忘れたとは言わせないぞ!?」


 騙した、とは何事だろうか?


 彼女達の間柄は先輩後輩という仲だろう。そして、共に窮地を乗り切った戦友でもある。


 帝国騎士団時代から二人を知る俺としては、二人は決して不仲というわけじゃないと思っていた。たまにウルカがミレイをからかうようなマネはしていたが、女性同士のふざけあいの範囲に思えたが。


 もしかして、俺が騎士団を辞めてから何かあったのだろうか?


「え~? 何のことですかぁ? ミレイせんぱぁい?」


「お前、アッシュを独占したいがために私を騙しただろう!?」


 依然としてニコニコ笑いながら否定するウルカ。否定されて余計にヒートアップするミレイ。


 ただ、ミレイの言った一言が更に周囲の熱に油を注いだのは確かだった。


「やっぱり修羅場じゃねえか」


「アッシュさんの女だったのか」


「元カノと今カノのバトルか?」


 違うよ!? 俺はそんな不誠実に生きていないよ!?


 そう、大声で否定したかった。だが、次はウルカが「はいはい」とミレイをなだめ始めて、彼女の肩を掴むと協会の外を指差す。


「表、出ましょうか」


「いいぜ。望むところだ」


 とてもじゃないが話し合いという雰囲気じゃない。明らかに決闘のそれだ。


「お、おい、ウルカ、ミレイ――」


「先輩は気にしないで下さい。私達の問題なので」


 ニコッと笑ったウルカは止めようとした俺を手で制止して、二人揃って協会の外へと出て行ってしまった。


 一人残された俺には「トラブルを引き起こした悪い男」みたいな視線がバンバン飛んで来る。完全に誤解であるが、針のむしろ状態なのは間違いない。


「あの……」


 そんな状態の中、やや下の方向から声が掛かった。声の方向に顔を向けると、そこには小さな男の子がいて――


「アルバダインさん?」


 そう。声を掛けて来たのは学者のアルバダインさんだった。ただ、目の前にいる彼は先ほどと服装が全く違う。


 ダンジョン内では白衣の下に作業服のような服を着ていたが、今は完全に私服っぽい恰好だ。その私服もいつも着ているものとコーディネートも違うし、どこか違和感があった。


「え?」


「アルバダインさん、どうしたんですか? 騎士達と戻ったんじゃ? というか、どうしてミレイと一緒に?」


 気になるのは、どうして彼がミレイと共にいるかだ。他の学者さん達と共に宿へ帰る途中、ミレイに道案内でも頼まれたのだろうか?


 いや、でも学者さん達は常に騎士が護衛しているし、ミレイが道を聞いたとしても騎士が対応するような?


「は? え? 僕は貴方と初対面ですよ? というか、どうして僕の家名を?」


「え?」


 俺が内心で疑問を思い浮べていると、アルバダインさんもちょこんと首を傾げて問いかけてきた。


 しかも、問いかけてきた内容が問題だ。


 初対面ってどういう事だ? 何度も話した事があるし、最近ではオススメの食堂を教えてもらうくらいには仲良くなってきたと思っていたのだが。


 まさか……。以前の事件で受けた傷の後遺症か? 催眠魔法は掛からなかったと言っていたが、実は影響を受けていた? だから記憶が曖昧になってしまったのか?


 そう推測した瞬間、俺はゾッとしてしまった。一大事だ。これはベイルに知らせた方がいい。


 そこまで考えた時、協会入り口のスイングドアがキィと鳴った。


「あ、アッシュさん。丁度良かった。例のクロスボウについて――」


「え?」


 なんと、協会に入って来たのは「アルバダインさん」だったのだ。しかも、こっちは白衣を着ていてダンジョン内で見た格好と完全に一致する。


 だが、どういう事だ。


 アルバダインさんが俺の目の前に二人いる。似ている似ていないの問題どころか、両者は完全に瓜二つなんだが……。


「え? レン?」


「に、兄さん……?」


 二人のアルバダインさんはお互いに顔を見合せて、驚き合いながら互いの関係性を口にした。


「え"!?」


 俺はもう訳が分からなかった。



-----



 一方、表に出た二人は……。


「ウルカ、お前やりやがったな!」


 ミレイとウルカは協会前にあるメインストリート脇で相対していた。


 ミレイはウルカを睨みつけ、ウルカはミレイの表情を笑いながら軽く受け流す。だが、この二人を目撃した通行人は揃って怯えながら早足で立ち去って行くのだ。


 通行人達の目には、ゴウゴウと燃える炎を背景に竜と獅子が睨み合う姿が幻視された事は間違いなかっただろう。


「お前、アッシュと二人きりになりたいから私を騙しただろう!? しかも、二人して滅茶苦茶活躍してるそうじゃねえか!?」


 あくまでも、ミレイはアッシュに対して恋愛感情は持っていない。信頼できる戦友、気の合う男友達といった感じだろうか。


「だって……。ミレイさんが一番のライバルになると思ったから」


 しかし、ウルカにとってはそう感じられなかったようだ。


「は? ライバル?」


 怯えながら足早に去って行く通行人達など目もくれず、ミレイはウルカの目を見ながら問う。


「ミレイさんって先輩と仲が良いじゃないですか。戦う時もポジション取りが近いし、訓練の時だって一緒に模擬戦するし。プライベートでも頻繁にお酒を飲みに行ったりしてたでしょう?」


 これは事実だ。


 ミレイは槍を得意とするため、隊ではアッシュと共に最前線で戦う事が多かった。特に自ら先陣を切るアッシュをフォローするポジション取りをして、円滑に事を進める役目も自然と担っていた。


 訓練に関しては、単純にミレイがアッシュを強者と認めていたからだろう。ミレイとしても、アッシュと戦う事で成長できているとも感じられたはずだ。


 プライベートの件については、ただの飲み仲間といった意味合いが大きい。互いに愚痴を言い合いながら飲む友人といった関係だろう。


 アッシュもミレイも互いに恋愛感情は無い。皆無と言って良いかもしれない。


「ミレイさんが先輩と付き合う未来だってあり得ました」


 だが、ウルカにとってはそう見えなかったようだ。


「はぁ? 私がアッシュと? 私とアイツは――」


 ミレイ側からの言い分からすれば、アッシュの関係性を正しく表現するなら上司と部下。帝国騎士団に入団時期はアッシュの方が数年早く、ミレイにとっては少し先輩といった感じ。


 だが、実力はアッシュの方が上だった。ミレイは帝国の田舎にある村の出身なのだが、小さい頃から槍の訓練を父親から受けていた事もあって戦いには自信があった。


 にも拘らず、ミレイはアッシュに一度たりとも勝てた事がない。新米騎士時代から何度もアッシュに模擬戦を挑み、その度に負け続けて来た。


 ライバル。目指すべき相手。自分の前に立ちふさがる壁。越えなければいけない壁。理解力のある上司。上司と部下という関係性でありながらも、友人のように気楽に話せる相手――本人にとっては、そういった関係でしかない。


「でも、私からすれば脅威でしたよ。友達のように自然体でいれるって、恋愛感情に発展してもおかしくないじゃないですか!」


 逆にウルカは昔からアッシュに恋をしていて、何度も積極的にアピールし続けていた。


 だが、一時期は貴族の命令で婚約を交わしてしまう。ドロボウ猫をぶっ殺す計画を進めていると、幸いな事に婚約解消となった。


 正攻法で攻めるチャンスが再び巡って来た。だが、そこで浮上するのはミレイというライバルの存在。


 二人は決して恋愛感情を抱いていない。だが、ウルカにとっては「今は」という注釈がつく。


 婚約解消されて、心に傷を負ったアッシュが「自然体で話せる女性」「気を許せる女性」と一緒に活動していたらどうなるだろうか?


 もしかしたら、アッシュはミレイと付き合うという未来を迎えていたんじゃないだろうか?


 そこまで考えると、ウルカにとってミレイが最大の障害となるのは明らかだった。


「もう誰にも先輩を取られたくなかったんです! 私に振り向いて欲しかったんです!」


 だからこそ、ミレイに「第一ダンジョン都市」と嘘をついた。


 一人でアッシュを追いかけて、ミレイがいないうちに彼の心の隙間を埋めて、自分を受け入れて欲しかったから。


 結果、ウルカの恋は成就した。


「騙した事は謝ります。でも、先輩を独り占めした事は謝りません」


 アッシュを愛している事実だけは譲らない。絶対に彼を自分の物にしたい。昔の仲間を騙したとしても、ずる賢いと思われても、絶対に。


 ウルカはミレイの目を見つめながら強く宣言した。


「はぁ……。ったく、しょうがねえ女だな。分かった、分かったよ。これ以上は何も言わない」


 ウルカの独占欲に呆れたのか。それとも彼女の愛を聞いて、これ以上怒る気が失せたのか。ミレイは後頭部をガシガシと掻きながらため息を零した。


「でも、最初からちゃんと理由を言えよ。言ってくれたら邪魔しねえのによ」


「いや、帝国にいた頃から私が先輩の事を好きだって知ってましたよね?」


 知ってるよ? と返すミレイ。そんな彼女にウルカはニコリと笑った。


「なのに頻繁に訓練へ誘ったり、飲みに誘ったりしてたんですか? 私が誘おうとしたタイミングを潰すように」


「はぁ? 別にお前の邪魔はしてねえよ。たまたまタイミングが重なって私が一歩早かっただけだろ? それにお前は付き合ってもない相手を束縛するのか?」


 ミレイがウルカを邪魔する気がないのは事実だろう。ただ、タイミングが悪い日もあったのも事実。


 そりゃねーよ、と鼻で笑うミレイ。


 逆にウルカの笑顔がだんだんぎこちなくなっていく。 


「は、はぁ? 好きな人は独占したいでしょうが! ダメなんですか? 好きな人と四六時中、ずっと、ずーっと一緒にいたいと思うのはダメなんですか!?」


 しかし、そのタイミングの悪さも気になってしまうのはマグマのように熱い恋心故か。それともウルカの悪いところなのか。


 ウルカはぎこちない笑顔のまま、ズンズンとミレイに近付いていく。顔を至近距離にまで近づけて、ミレイをこれでもかと威嚇し始めた。


「ウッゼェ! 息苦しそう!」


 だが、ミレイも負けていない。彼女も心底嫌そうな表情を浮かべながら、ウルカの愛情表現にケチをつける。


「息苦しくない! 私の愛で先輩は癒されてるもん! 愛してるって言ってくれるもん!」


 ハッキリ言われたウルカは一瞬動揺して表情を崩した。だが、すぐに頬を膨らませて反論する。


 そのまましばらく口論(?)は続くも、流れはウルカの一言で変わった。


「ミレイさんだってパートナーを連れていたじゃないですか! あの男の子を好きになったんじゃないですか? 好きになったから連れて来たんじゃないんですか!?」


 この発言は不利的状況だったウルカが苦し紛れに放った言葉だった。


 本人も言ってから「我ながら苦し紛れすぎる」と思ったようだが……。


「ば、馬鹿言うなっ!」


 ミレイの頬は急に赤くなって、露骨に焦り始めるではないか。


「え"」


 ミレイのリアクションを見て、ウルカも口を半開きにして固まってしまったのだった。

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