第89話 敵討ちを終えて


 怪我人を運びながら二十階に戻った俺達は、待機していた騎士達に驚かれながら迎えられた。


 状況を把握したベイルはすぐ軍医を準備させ、怪我人の程度を見るよう命令を下す。腕を怪我した俺も軍医達による医療班の元へ連れて行かれた。


 怪我の程度からして騎士達の方が重傷だろう。中には足を齧られすぎて大量に血を流す者までいたのだ。他にも同じようにガントレットごと腕を齧られて骨を切断されてしまった者までいるようだし。


 比較的軽傷と思われる俺は「後回しで良い」と言ったのだが、問答無用でウルカと軍医のアイーダさんによって、医療班が張ったタープの下へと連行されてしまう。


「ポーションは飲ませました」


「はい」


 ウルカがポーションを飲んでいる事を告げる。過保護すぎないだろうか。もはや、俺の母親のようだと揶揄われてもおかしくない。


 だが、真剣な彼女の表情を見て、言うのは控えた。


「うん。この程度なら一針二針縫う程度ですね」


 やはり自分の見立ては間違っていなかったようだ。この程度ならば騎士団勤めの者からすると「軽傷」の度合いだろう。昔もよくこの程度の傷は作っていたしな。


 だが、アイーダさんはそんな俺を戒めるように傷口へ消毒液をぶっかけた。


「いっ!?」


 思わず声を上げてしまう。


 ズキズキと痛む傷口に顔を顰めていると、彼女はその上から更にポーションをぶっかけてからニコリと笑う。


「軽傷だからって油断は禁物ですよ。ダンジョンに出現する魔物の中には毒を持つ魔物もいるんですからね」


 恐らく、騎士団に所属する者にも同じ事をしているのだろう。完全に手つきと言い分が慣れていた。


「よくいるんですよね。この程度、軽傷だから放っておけば治る、ポーションを飲んでおけば治るって言う人」


 やっぱりだ。絶対そうだ。


「彼女さんを悲しませないためにも、次からは必ず医者に見せる事をオススメします」


「は、はい……」


 ニコリと笑いながら傷口をチクチク縫っていくアイーダさん。彼女の言葉にウルカは何度も頷いていた。


「毒が体内に入った場合は取り返しがつかない状態になってしまいます。最悪、腕の切断、もしくは治癒魔法の出番ですね」


 まぁ、治癒魔法を受けられる人なんて貴族くらいしかいませんが、とアイーダさんは付け加えた。


「治癒魔法ってどんなモノなんですか? 見た事はあるんですか?」


「ええ。王都の中央医療会で研修していた頃に見た事がありますよ」


 中央医療会とは、王都で一番大きな病院だ。ただ怪我人や病人を治療するだけではなく、医学的にも魔法的にも人を「癒す手段」の研究を行っている場所なんだとか。


 何だろうな。王都研究所のような、医療に関連する研究・開発を行う研究所的な意味も兼ねているといった感じなんだろうか?


「中央医療会の医院長は代々治癒魔法を使える人が就任するんですよ。研修中だった私は医院長の治癒魔法を行使する場を見学させて頂く機会がありました」


 治癒魔法をその目で見たアイーダさん曰く、治癒魔法とは「奇跡」なんだとか。


 治癒魔法を受ける事になったのは馬車の事故で腕に重傷を負った貴族の子弟だったらしい。重傷とあるように患者の腕は「繋がっていなかった」そうだ。


 だが、医院長が発動した治癒魔法を受けると千切れてしまった腕がくっついてしまう。


 それどころか、傷口や繋ぎ目さえも消えてしまったらしい。完全に腕が元通りになって、腕を動かす患者は「違和感が無い。元に戻った」と感想を漏らしていたそうだ。


 怪我をして運び込まれてから数十分後、重傷だった患者は元気に退院したという。


 ただ、治癒魔法で治せない例外もいくつかあるようだ。例外の中には病気の類があるようだが、詳しくは彼女も知らないらしい。


 まぁ、どんな魔法だって万能ではないのだろう。といっても、重傷の怪我をすぐ治せるだけでも十分「奇跡」と言えるが。


「そりゃあ……。まさに奇跡ですね」


「ええ。あれほど凄い医療行為は無いと思いました。ただ、治癒魔法を使える人って極端に少ないらしいんですよ」


 現在、ローズベル王国内で治癒魔法を行使できる人物はたったの二人だけ。中央医療会の医院長と王城勤めをしている宮廷医師だけだそうだ。


 王国上層部は積極的に治癒魔法を使える人間を国内中から探しているようだが、ここ数十年で成果は無いと言われている。


「術者の負担も大きいようなので、滅多な事では使われません。奇跡の安売りは人の為にもなりませんからね」


「でしょうね」


 基本的に治癒魔法は誰でも受けられるという事はない。先ほども言った通り、受けられるのは貴族くらいだろうか。貴族も貴族で治癒魔法を受ける為に膨大な金銭を払っているそうだ。


 そういった意味では、求められる対価を用意すれば誰でも受けられると言えるのだろうか? 金持ちな豪商でも受けられるかもしれないな。


 他に軽々しく治癒魔法を受けられる対象と言えば、王族くらいなんじゃないだろうか。


 余談だが、奇跡の安売りはしないというだけあって、対価も払わずに治癒魔法をせがむと最悪逮捕されてしまう。他にも治癒魔法を使える人間は常に騎士達によって護衛されていて、その「希少さ」は彼等を苦しませているようだ。


 中央医療会の医院長は「毎日が息苦しい」と新人研修員のアイーダさんに漏らした事もあったそうで。


「話が逸れちゃいましたが、怪我を自分で判断するのは止めて下さいね」


「はい。分かりました」


 俺の傷口を縫合し終えたアイーダさんは、腕に包帯を巻いていく。これで治療は完了だろう。終わりに、一日一本のポーションを飲むよう指示された。


 ……また毎日、高級品を飲むのか。怪我で苦労する前に、俺の胃がぶっ壊れそうな気がしてきた。


 内心で、そんな心配をしていると――


「この馬鹿者がァッ!!」


 タープの外から騎士の怒号が響く。びっくりしながら顔を向ければ、鎧を脱いだマックス氏がベテラン騎士に殴られているシーンを目撃する。


 顔を思いっきり殴られたマックス氏は地面に叩きつけられた。それを見て、殴った相手の本気度が見てとれる。


「敵討ちするのは良い! 貴様の兄は我々にとっても兄弟だったからな! だが、貴様が先走って隊を窮地に陥れるのは許されん行為だッ!!」


「申し訳ありません……」


 殴ったベテラン騎士は彼の上官なのかもしれない。


 殴られた頬を手で押さえながら謝る彼を見て、俺はどちらの気持ちも理解できてしまった。


 肉親や親しい人物を殺されて、憎む気持ちも復讐したい気持ちも理解できる。


 だが、彼の上官が言うように、騎士団という組織に属している以上は私情と感情を優先させるのもマズイ。隊を危険に晒す行為はご法度というのは痛いほど理解できる。 


 どちらが正しいかと問われれば……。きっとどちらも正しいのだ。前者は人間の感情として正しい。後者は組織に属する人間として正しい行いだと言えるだろう。


 騎士として己を殺すか否か。だが、殺し続けるのも精神的によくはないと、俺は思う。


 非常に難しい問題だ。


 上官に説教されたマックス氏は騎士の仲間に謝罪していた。そして、仲間から一言二言受けると、今度は俺達の方へと歩いて来るのが見えた。


「アッシュさん。申し訳ありませんでした」


 深く頭を下げる彼を見て、俺は怒りや文句なんて浮かばない。むしろ、敵討ちが出来た事は彼にとって良かったとさえ思えてしまった。


 だが、元騎士であり、人生の先輩である俺は……何と言えば良いのだろうか?


「謝罪は不要だよ。俺は君の兄上に救われた身だ。俺が言える立場じゃないかもしれないが、君の兄上を救えなくてすまなかった」


 迷った俺は、抱いていた気持ちをそのまま伝える事にした。


「いえ……。自分は……。アッシュさんに救って頂きました」


「それは気にしないでいい。俺は俺の贖罪をしたかっただけなんだ」


 俺は彼の言葉に対して首を振る。


「君の兄上は立派な人だ。正しく、本物の騎士だった。君の中には兄上の背中が残っているだろう? どうか、そのまま憧れる騎士を目指して欲しいと俺は思うよ」


 救われた人間が言って良い言葉なのかは分からない。だが、彼には彼らしく騎士であり続けて欲しいと思ってしまった。


「俺も元騎士として、君の兄上に最大の敬意を。ありがとう」


 最後にマックス氏と握手を交わした。


「君の兄上の為にも、俺も全力で調査に参加するよ」


「はい。ありがとうございます」


 握手を交わし終えると、彼は隊の仲間がいる方向へ去って行った。


 自分で言った通り、死んだ彼の兄の為にも二十一階の攻略に全力を注がなければ。


 余談であるが、俺の治療費は責任者であるベイルが個人的に負担する事になったようだ。これは規律を犯した部下の責任を取った意味も含まれているのだろう。


 敵討ちを許可してしまった判断についても上層部からは色々と言われてしまったようだ。それらの件を説明された後に改めて謝罪の言葉をもらい、毎日ポーションが無料で飲めるようになってしまった。


 規律違反を犯したマックス氏は減給されただけでクビは免れたようだ。同時に上官である騎士も同じく責任問題を問われて減給になったようで。


 他にも騎士団内で色々とあったようだが詳しくは聞いていない。


 しかし、今は騎士団で再教育を受けているらしい。毎日ハードな訓練を受けて、精神的に成長できるようしごかれているんだとか。


 ただ、聞いた話では吹っ切れているようだ。これからはきっと、立派な兄のようになるべく騎士の道を歩んで行くのだろう。

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