第79話 The Second


 ローズベル王国内にはダンジョンを内包した都市だけに限らず、食糧生産の要となっている街や物流の中継拠点として活躍する街も存在する。


 本日、舞台となるのはローズベル王国南西にある街だ。


 この街は地方貴族が治める土地であるが、これといって特色は無い。強いて言うのであれば、近くには背の高い山があって、肥沃の大地が広がっている事こそが特色だろうか。


 領地全体を見れば、広大な小麦畑が広がる長閑な田舎領地。農業を中心とした運営を行っている事もあって、領地中央にある街の人口も少ない。農地を管理する村が街道沿いに点々と存在していて、総人口は領地内に上手くばらけているといった状況だ。


 まぁ、一言で言えば田舎だ。第二ダンジョン都市等の発展ぶりと比べたら、田舎という表現以外他ない。ただ、魔導鉄道によって他都市と繋がっているので文化的に遅れているという事は無いのだが。


 この田舎領地の中心を担う街は普段からのんびりとした空気が流れていた。


 月に数回ある各地からの物流搬送や小麦の収穫期を終えた後の出荷時期になると、他領から魔導列車に乗ってやって来た物流作業員や王都の文官達で賑わうのだが、それ以外の日々は非常にのんびりとしている。


 街に並ぶ商店もダンジョン都市に比べて数は少ないし、総人口が少ない事もあって屋台などが常時メインストリート沿いに並んでいる事も無い。


 街の人々も朝から畑に向かって農業を行い、夕方になると街に戻って帰宅するというルーティーンワークをこなしている。毎日の楽しみと言えば、仕事終わりの一杯といったところだろうか。


 さて、のんびりとした街の西区画、住居と商店の間にある細い道を入って奥に進むと――寂れた雰囲気を醸し出す一件の家が存在する。


 家の外壁はレンガ造りで、築年数が相当立っているのか随分と汚れている。家の周りには雑草がいくつも生えていて、いくつかある窓ガラスはくすんで中が見えない状態になっていた。


 家主が家の手入れをしていない事は明白だ。それもあるが、あまりのボロさに近隣住民からはオバケ屋敷とまで言われるほど。人が住んでいるのは確実だと皆が言うが、不思議と住んでいる人間については誰も知らない。


 ただ、噂では役場に対する税金等の金銭はしっかりと払われていて、どれだけボロくても家は取り壊さないようにと忠告されているのだとか。


「本当にここなのかしら?」


 そんな謎多き家の前に立つのは、メモを片手に家を見上げる一人の女性。もう一方の手には旅行鞄が握られていて、女性は他の街からやって来た事が窺える。


 彼女はメモと家の外観を何度も見比べて、意を決するように家の玄関ドアを押した。


 キィ、と金属が擦れるような音を鳴らしながら動くドア。中に足を踏み入れると怖いくらいに静かだ。


 女性が横に視線を向けると、玄関にあった靴箱の上には大量の埃が積もっていた。他にも奥に見えるダイニングからは人が生活している様子が全く感じられない。


 ゴクリと喉を鳴らした女性がその場に立ち尽くしていると、廊下の中央にあったドアが奥を見つめる彼女の視線を遮るようにゆっくりと開き始めた。


 ビクリと肩を跳ねさせた女性だったが、覚悟を決めたような表情を浮かべてドアへ近づいて行く。開いたドアの先を覗き込むと、どうやら地下室に続いているらしい階段があった。


 女性がゆっくりと階段を降りて行くと終点には鉄のドアが一枚。恐る恐るドアを叩くと、ガゴンと何かが外れるような音が鳴った後に重厚なドアが開いた。


 ギ、ギ、ギ、と音を鳴らして開くドアの先は、一言で言うなれば研究室だろうか。


 壁沿いに並ぶ棚には瓶詰めになった『何か』が大量に並んでおり、部屋に置かれた白いテーブルの上にはフラスコや試験官がいくつも置かれている。


 一部のフラスコの中には紫色の液体がコポコポと泡立っていて、コルク栓に開けられたであろう小さな穴から細く白い湯気が天井に向かって昇って行くのが見える。


「やぁ」


 女性が上にあった家の様子からは全く想像もできない内装に呆けていると、横から籠った声で声を掛けられた。


 声の方向に慌てて顔を向けると、そこには――カラスのような人物がいた。正確に言うなれば、鳥のクチバシを模したような嘴状のマスクを被る人物だ。


 顔には嘴状のマスクを被り、頭全体は頭巾のような物で覆っていて髪の毛すら覆い隠していた。その上から黒いハットを被っていて、服は白いシャツと紳士的な茶黒のスーツにベストを着用。もちろん、両手には革の手袋がはめられていて、足には茶の革ブーツを履いていた。


 総じて言える事は、肌の露出が全く無い事だろうか。


 外気から身を守るように、体全体は服やマスク、帽子で覆われていて、容姿どころか性別すらも判断ができない。


「紹介状を受け取って来たのかい? それとも紛れ込んでしまったのかな?」


 先ほどから謎の人物の声が籠っている原因は、マスクを被っているからだろう。マスクに備わった黒いレンズの中からは女性を観察するような視線が向けられる。


 謎の人物の恰好を見て、女性の顔には恐怖心が浮かんでいた。だが、彼女は唇を震わせながらも口を開いていく。


「し、紹介で来たの。こ、これ!」


 女性は旅行鞄の中から一枚のクシャクシャになった紙を取り出した。マスクを被った人物は女性に近付き、その紙を受け取って内容を確認すると……。


「ああ、なるほど。私向けの依頼だ。さぁ、掛けてくれたまえよ」


 確かに紹介であると確認したマスクを被った人物は、女性を傍にあった一人掛け用のソファーへ座るよう促した。


 若干汚れたソファーに恐る恐る腰を下ろす女性。すると、マスクを被った人物は部屋の中にあったテーブルの一つに向かって歩いて行く。


「君は婚約者に暴力を振るわれた、と書かれているが真実かね?」


「え、ええ……」


 マスクを被った人物は手紙の内容を確認しながらも、テーブルの上にあったフラスコを手に取った。フラスコの中には黒い液体が入っていて、それを火にかけて沸騰させる。


 中身が沸騰した後、コップに黒い液体を移し替えると、女性が座るソファーの近くにあったローテーブルにカップを置いた。


「熱いから気を付けたまえ」


 女性は謎の黒い液体に警戒心を強めているようだが、どうやら香りからして液体の正体はコーヒーのようだ。


「あ、貴方は本当にあの人を殺してくれるの?」


 女性はコーヒーに手を伸ばさず、震える声で本題を口にした。


「ああ、もちろん。だって君は婚約者を殺したいほど憎んでいるんだろう?」


 だからこそ、高い仲介料を払って私を紹介してもらい、半信半疑になりながらも訪ねて来た。そうマスクを被った人物が言うと、女性は震えながらも頷いた。


「す、凄腕の暗殺者だと聞いているわ」


「それは……少し違うがね。まぁ、人を殺しているのは確かだ」


 女性の言葉にマスクを被った人物は「くっくっく」と笑う。


「わ、私はどうすれば良いの? 彼の人相や住んでいる場所を教えればいいのかしら?」


「いいや。その辺りの情報は心配しなくていい。仲介人に言われた通りの報酬を置いて、二週間ほど待っていれば良い」


 言われて、女性はすぐに旅行鞄の中身をかき混ぜ始めた。焦るように鞄の中を探り、ようやく見つけたのは小さな箱に入れられた銀色に輝く歪な物体だった。大きさにして、服に取り付けられるボタンくらいのサイズである。


「ほ、本当にこれでいいわけ?」


 掌にそれを乗せて差し出す女性。マスクを被った人物は女性から銀色の物体を受け取ると、指で摘まみながら物体の確認を行う。


「ああ。これだ」


 どうやら報酬は正しい物だったらしい。


 暗殺依頼をしたい女性が行うステップはこれで最後。あとはこの人物に「お任せ」して、結果が届くのを待つだけか。


 恐怖心に囚われ続ける女性は勢いよく立ち上がった。そのまま地下室を出て行く気だったようだが、一歩目を踏み出したタイミングで声を掛けられる。


「コーヒー」


「え?」


「コーヒーは飲まないのかね?」


 言われて、女性はローテーブルに置かれたカップを見やる。まだ湯気が残るコーヒーに目をやって……。恐らく彼女はこう考えた事だろう。


『暗殺者である人物が出した飲み物を飲んでも良いのだろうか』


 迷いに迷って、女性が出した決断は「飲む」ことだった。もう一度ソファーに座り直し、彼女は温かいカップを両手で持ちながら中身のコーヒーに口をつけた。


「……おいしい」


「それは良かった。私はコーヒーにはうるさくてね」


 どうにも先ほどよりマスクを被った人物の声が嬉しそうだ。相変わらず籠って聞こえるが、弾むような声音だったのは聞き取れた。


「皆、私を警戒して飲まない。悲しい事にね」


「……当然じゃない? だって、貴方は暗殺者なんでしょう?」


 マスクを被った人物の言葉に女性が返すと、やはり「それは違うのだがね」という返答が返ってきつつも、マスクを被った人物は更に言葉を続けた。


「誰だって信頼されたいものさ。こんな私であってもね。それに、私達のような関係は信頼が不可欠だろう?」


「……ええ」


 女性は肯定を口にするも、内心では「無茶苦茶だ」と思ったに違いない。


 ただでさえ恐怖心を煽るような恰好をしていて、尚且つ何人もの人を殺して来た凄腕の暗殺者だと聞かされているのだ。そのような冷酷非道な人物を簡単に信頼するなど自殺行為なんじゃないだろうか。


 続けて、女性は美味しいコーヒーを飲みながら、ふと思いついた考えを口にした。


「コーヒーを飲まなかったらどうなっていたの?」


「君の依頼を完遂したあと、君も殺していた」


 言われて、女性はコーヒーを吐き出しそうになった。聞かなきゃよかったと後悔しているだろう。


「だが、君は飲んでくれたじゃないか。合格だよ」


「ど、どうして?」


「言ったろう? 信頼関係だと」


 このコーヒーを飲むか飲まないかで自分を信頼・信用しているかを計っていたのだろうか。やはり無茶苦茶だ。


 余計に怖くなった女性は熱いコーヒーを無理矢理喉に流し込んだ。全て飲み切ると、ローテーブルにカップを置いて今度こそ腰を上げる。


「ご、ごちそうさま」


「ああ。結果は仲介人から聞いてくれ。それと他言無用だよ」


「も、もちろんだわ」


 信頼関係が重要。そう言われた女性は絶対にこの人物の事を他言しないだろう。裏切ればどうなるか、考えるに容易い。


 マスクを被った人物は早足で地下室を後にする女性の背を見送って、自分用のソファーに腰を下ろした。


 腰を下ろしたあと、手に取ったのは先ほどの銀色をした物体。


「この前は何やら騒がしかったせいでチープな毒しか使えなかったが……」


 マスクを被った人物は手袋越しに銀色の物体をぎゅっと握り締める。恐らく、口にした愚痴はつい最近完遂した仕事についてだろう。


 罪を被せた者達に悪いと思いながらも、己の存在を紛らす為には仕方なかった。ありきたりな毒を使い、死体を傷付けて偽装まで行わなければならなかった。


 ダンジョンの外で殺害した女性もそうだ。仲介人から「あの都市の騎士団は優秀である」と事情を聞いていたため、ができなかった。


「今回こそは新薬を試したいものだ」


 握っていた手を開くと、中にはドロドロに液状化した銀色の物体があった。


 マスクを被った人物は液状化したの上にもう一方の手を重ねる。ピタリと閉じた両手の間からは虹色の光が漏れ――手をどけると、中には血のように赤い色をした小石が出来上がっていた。

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