第78話 第三者


「神人教の工作員、ですか?」


「ああ、そうだ」


 オラーノ侯爵が告げた事実を繰り返すと、彼は真剣な表情で頷いた。


 まさか平和を説く宗教組織に工作員などという物騒な輩がいた事なんぞ初耳だ。隣にいるベイルを窺うと彼は特別驚いた表情をしていない事から、騎士団に属する上位の者であれば一度は聞いた事がある事実なのかもしれない。


「神人教とは、ただの宗教組織かと思っていました。王国と考え方は違えど、敬う対象を通じて非暴力を訴えているのかと思っていましたが」


 ローズベル王国の古代人説、神人教の神と使徒説、過去に対する考え方は違う。だが、神人教の教導者と呼ばれる者達が説く説教の根本的には「暴力は止めて平和な世界を作りましょう」という考え方があるかと思っていた。


 これら、聖王国の事情について知識が疎いのは、俺があくまでも帝都所属の騎士だったからだろう。帝国では対外国に対する問題は騎士団の中でも専門的な部署があったし、あくまでも役割分担がなされていた。


 まぁ、俺が帝都周辺の治安維持をメインとした小隊の隊長という任に就いていたせいもあって、こういった重要事項なんかは聞かされない立場だったというのが一番の理由だろうが。


 俺が素直な感想を口にするとオラーノ侯爵は顎を撫でながら「いや」と否定した。


「何と言えばいいか。彼等が説く説教が聖王国の基本的な考え方なのは間違いない。だが、聖王国と宗教という複雑な仕組みの中に思想の統一を目的とした過激な集団がいるのも間違いではないのだ」


 どうにも「表向きは平和的な組織。実は裏では悪い事をしていました」なんて簡単な話ではないようだ。


「聖王国も一枚岩じゃないと?」


「うむ。聖王国のトップである教皇は穏健派だが、中には過激な思想を持つ者もいてな。各地に赴いて説教を説く教導者の中に工作員を紛れ込ませ、各国で情報収集及び工作を行う秘密部隊が存在する」


 その秘密部隊の一員があの二人組だったようだ。


「特に我が国は考え方の違いから神人教の進出を許していない。過激な輩から見れば全体像が見えずに脅威と映るのだろう」


「神人教のやり口は賢いですからね。できれば今後も中央の方で塞き止め続けて頂きたいものです」


 神人教は各国に教導者を送り込んで神人教の教えを説く。内容としては「非暴力を訴える平和的な教え」であるようだ。


 最初は宗教の流布。これによって他国の国民から信者を獲得する。信者となった者に手伝ってもらいながら弱者を救い、同時に教会の在り方を示していく。


 ここまでは良い。健全な宗教活動と言えるだろう。


 だが、次のステップが問題だ。


「国民へ神人教が唯一の救いであると錯覚させ、国民全体を味方にする。熱心な信者を作り、信者達に過激な思想を擦り込ませていくのだ。徐々に国を侵食していき、やがては国の上層部にまで食い込んでいく」


 そうして国の根幹を成す人物達を味方にしたら、いよいよ国のトップを狙う。王族をトップから引き摺り下ろし、神人教にとって都合の良い人物へ置き換える。


 引き摺り下ろす際の手段は様々だ。王家全員を暗殺、王家の中に裏切り者を作って他を陥れる、家臣であった者を操ってクーデターを起こす……などと色々やって来たようだ。


 侵略戦争といった国際的にも目立つ手段を使わず、こうしたジワジワと腹の内から侵食していく方法を用いてゆっくりと国を染め上げていく。気付けば既に国民全員が思想侵略されていて、国のトップは対抗できずに表舞台を去るしかなくなってしまうのだとか。


「実際に侵略された国があるのですか?」


「ああ。聖王国の西にあったボレーロという小国は知っているか?」


「ええ」


 確か数十年前に聖王国へ併合された国だ。山岳地帯にあった小国なのだが、建国から百年と少し経った頃に食糧危機に陥った。友好国であった聖王国へ助力を求める形で併合されたと帝国では学んだが……。


「あの国は昔から霊山と呼ばれる特別な山を崇拝する文化があったんだけどね。今では山ではなく、遥か昔に存在していた神を信じているようだよ」


「元々霊山と呼ばれていた山からは大量の金と魔銀が採掘できる、という事実も忘れてはならんな」


「まさか……」


 肩を竦めながら言う二人だったが、隠された真実を聞いて恐ろしく感じてしまった。


 昔ながらの信仰を忘れさせ、そして宝のように守って来た物さえ差し出してしまう変化っぷりは、例の秘密部隊による暗躍が絡んでいるのだろう。


 もし、阻止できていなかったらローズベル王国は第二ダンジョン都市から侵略されていってしまっていたのかもしれない。


「特に最近は聖王国内の派閥争いも勢いが強くなっていてな。これまで聖王国において魔法使いとは神人と呼ばれ、人として尊ばれる存在であった。だが、最近になって工作員の中に魔法使いが紛れ込むようになったのだ」


 今でも聖王国内にある教会では魔法使いである人の事を「神から奇跡の業を授かった子供」として尊ばれてはいるらしい。聖王国では魔法使いの事を神人、地域によっては聖人とも呼ばれているようだ。


 だが、その一方で俺達と対峙した青年のような魔法使いが工作員として暗躍する事実も確認されているという。


「矛盾していませんか? 神人として敬われているのに他国の人間と戦わせる場合もあるんですよね?」


「うむ。それが聖王国の持つ二面性。いや、神人教内部にある二面性と言うべきだ。完全に尊ぶべき存在として置いておかず、それを利用しようと考える者もいるのだからな」


 一方では尊敬の対象に。もう一方では未知の力を利用できる駒として。矛盾した考えが渦巻き、複雑な仕組みの中で他国を飲み込もうとしているのが聖王国なのだとオラーノ侯爵は言った。


「だからこそ難しい。国同士としての外交面でも国防でもな。陛下のお考えとしては……小賢しいクソ国家、らしいが」


「陛下のお考えは随分と……。その……」


 いかん。上手く言葉に出来ない。


「いや、いい。と、とにかく話を戻そう」


 オラーノ侯爵は咳払いを一つ零す。


「これまで思想や政治を使った侵略方法を取ってきた工作員達だが、最近になって魔法使いを利用する事でやや手段が強引になってきた。今回、第二ダンジョン都市で起きた事件も魔法使いによる精神操作魔法の一種によるとこであると判明した」


 例の青年が使った魔法は対象の精神に影響を及ぼす『催眠魔法』もしくは『精神操作魔法』と呼ばれる種類のものらしい。


 相手の精神に干渉して幻覚を見せたり、感情を操作する魔法らしく、条件付けを行う事で対象の催眠状態を特定条件下において起動させる事が出来るのだとか。


 今回の事件で用いられた条件はいくつかあるようだが、主に使用されたのが「信頼している相手とダンジョン内にいる時」という条件だったようだ。


「信頼できる相手……。パーティーでダンジョンに潜った時、というわけですか」


「そうだ。対象者が犯行を犯した後は目撃者の有無を確認、そして人知れず自害するようにという命令も擦り込まれていたようだが」


 だからこそ、捜査当初にリストの中から犯人が浮かび上がらなかった。


「最初はハンターとしてダンジョン内にいた者に魔法を掛けていたようだが、より効率的にハンターと一対一になる条件を作ろうと娼婦に偽装したと吐いた」


 より事件を加速させ、騎士団や協会の目をダンジョンに向けるよう催眠を施す手段も短時間で確立していったようだ。


 確かに複数人の目に晒されやすいダンジョン内で魔法を仕込むよりも、娼婦と偽って個室内に案内した後に犯行を犯す方がより安全で確実だ。


「しかし、魔法とはそのような事まで可能にするのですか」


「うむ。だからこそ恐ろしい。王国が魔法を解き明かそうとする理由の一つでもある」


 確かにこのような恐ろしい魔法を使う魔法使いが、国家転覆を狙おうとすれば脅威以外の何ものでもない。対抗手段を確立するためにも魔法そのものの謎を解き明かすのは道理だろう。


「自分が魔法から逃れられたのは奇跡ですかね?」


「取り調べを行った学者の話によると、催眠魔法を確実に作用させるには対象へ時間を掛けねばらぬらしい。お主が魔法の束縛から抜け出せたのは、奴が使った魔法がその場凌ぎだったからかもしれん」


 相手を操作できるという強力な魔法であるが、それを可能にするには条件も必要なようだ。


「加えて、相手がまだ未熟だったというのも大きい。奴等は試験的に組織が送り込んだ人員だろう」


「となると、もっと優れた魔法使いがいる可能性も?」


「十分にある。むしろ、あの二人組は新たに編成された組織における捨て駒だろうな」


 ゾッとする話だ。稀有な存在である魔法使いを捨て駒扱いするとは。


「まさか、組織は魔法使いをしているんでしょうか?」


「……無い、とは断言できん」 


 ベイルが問うとオラーノ侯爵は首を振った。


 魔法使いだって人間である。それを量産、とはつまり……。


 いや、想像したくもないな。


 だが、侯爵の顔には危機感を感じさせるような真剣な表情が張り付いていて、それが余計に俺の心を焦らせる。


「まぁ、聖王国に関しては帝国との同盟にも関係するからな。確証があっても、そう迂闊には手を出せん」


「帝国との同盟、ですか?」


 古巣の話題が出て、俺の脳裏には苦い思い出が浮かんだ。


「うむ。我が国は帝国との同盟において、大陸北部の国々を牽制する役目がある。要は南側に位置する国の盾として存在してきた」


 侯爵の言った同盟関係の内容は、帝国にいた頃に学んだ事がある。


 昔、大陸北側は領土を巡る激しい戦争が勃発していた。南側に位置する帝国は北部がどうなってしまうのかある程度は予想をしていたようだが、万が一に備えてローズベル王国や他の国と北部からの侵略に対する同盟を結んだ、という話だ。


 ただ、近年の北部情勢を見るに今は聖王国が覇権を握りつつある……と、ここで俺はピンときた。


 激しい戦争がある時を境に落ち着きを見せたのは、聖王国による工作の結果なのではないだろうか?


「昔は北部にある脅威は聖王国だけではなかった。だが、時が進むにつれて北部の脅威とは聖王国を指す言葉になりつつある」


「帝国も聖王国は驚異と認識しているでしょうからね。まぁ、帝国は我々を守っていると思っているようですが」


 帝国はローズベル王国よりも領土が大きいし、人口も多いからな。更に南側を統一しようと侵略戦争を起こした歴史もある。大陸内でも歴史が長い国である事から、ローズベル王国を格下と見ているのは間違いない。


 そして、北側と戦争が勃発すれば王国を最初に当てて相手の力を計りつつ、いざとなれば自国の大地を傷付けないよう同盟国の土地を主戦場とし、自分達はオイシイところを……と、帝国騎士団時代に聞いた事があった。あくまでも噂程度だが。


「まぁ、同盟を結んだ当時はまだダンジョンの脅威があった。研究も進んでいなかったので、ダンジョン内の魔物を余所に逃がすなという名目もあったが」


 昔のローズベル王国はダンジョンを多く抱える厄介な土地として認識されていたのは確かだ。昔は「もし氾濫が起きて他国にまで凶悪な魔物が流れて込んで来たら」という懸念もあったのだろう。

 

 ただ、研究が進んだ今では、魔物に対する確かな知識が王国と帝国間で共有されたようだが。


「聖王国との正面衝突はまだ避けたいのもあるが、我々としては帝国と手を結んでいたい」


 そう語るオラーノ侯爵の顔には「まだ準備が整っていない」と言わんばかりの内心が現れて見えた。


 昔も今もローズベル王国は格下扱い。帝国にとっては牽制役としての捨て駒的な存在かもしれない。


 だが、今はどうだろうか。 


 ダンジョンを利用して様々な兵器や道具を開発したローズベル王国は、例え領土が大きく人口も多い帝国を相手にしても一言で『負ける』とは断言できないと思う。


 それに、恐らくは帝国上層部だってローズベル王国の持つ魔導兵器類について少しは情報を持っているに違いない。他国が考えているであろうローズベル王国の成長への懸念も帝国だって抱いているはずだ。


「まぁ、数十年前の会談で帝国の貴族から丸々と太った鳥の方が美味い、とも言われたがな!」


 はっはっはっ! と暢気に笑うオラーノ侯爵だが、とてもじゃないが俺は笑えなかった。苦笑いを浮かべるので精一杯だ。


 ただ、先ほどの言葉と今の言葉、それに侯爵自身の余裕な態度を見るに、やはり王国は帝国を大人しくさせる何らかの手段か外交カードを持ち合わせているのだろう。


 もしかしたら、輸出している魔導具類や魔石に関して何か特別待遇的なモノがあるのか? でも、帝国は魔石の輸出に関して文句を言っていたようだし……。


 いや、帝国貴族達の傲慢さを考えると元々優遇していた輸出条件を更に優遇しろと言いかねない点もあるし。


 ただ、同盟の他にも帝国にとって何らかの利点があるのは確かだろう。ローズベル王国の成長を今でも静観しているのが良い例だ。


「ああ、話が逸れてしまったな。もう一つ、お主らに報告がある」


 オラーノ侯爵はスーツの胸ポケットからシガーケースを取り出した。中にあった葉巻に火を点けて、煙を吐き出しながら俺達の間にあった空気を切り替えた。


 ただ、侯爵の口から飛び出した言葉は、俺とベイルにとって予想もしない事実だった。


「捕まえた二人組だが、犯行に使そうだ」


「「 え? 」」


 オラーノ侯爵が告げた衝撃的な事実に、俺とベイルは揃って声を漏らした。


「毒は使っていない……?」


「いや、でも、毒殺された死体が……」


 現に見つけたのは俺とウルカだ。確かに紫月花の毒で死亡した遺体を回収して、騎士団の軍医にも死因は確認してもらったのだ。


「ベイルから届いた報告書に書かれた事もあって本人を取り調べたが、奴等は毒を使っていないと言い張っている。犯行はどれも魔法しか使用していないそうだ」


 確かにあの一件以降、毒によって死んだ遺体は見つからなかった。事件が終わったと判断された以降も毒殺されたと思われる死体は見つかっていない。


 終わった今考えると、あの一件は際立って見える。


「じゃあ、誰か別の者が……?」


 もしかして、あの二人組の他に誰かいたのだろうか? ハンターを毒殺した『誰か』が紛れていたのだろうか?


 俺とベイルは顔を見合せたが、答えは出なかった。

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