第65話 巡回任務 2


「な、なんだ!?」


 いきなり狂乱し始めた男を見て、フラガさんは驚きながら数歩ほど後退った。


 それも当然だろう。殺人犯と思わしき人物がいきなり絶叫して、苦しむように暴れているのだから。


 どう見ても、目の前にいる男はおかしい。


「ア、アア……」


 少し落ち着いたと思えば、また体を痙攣させながらか細い声を上げ始めた。地面に向けられていた顔がぐりゅんと勢いよく上がって、俺達の方へと向けられる。


 相変わらず左右の眼球は外に向けられていて焦点が定まっていない。しかも、半開きになった口からは唾液がダラダラと垂れ始めて、次第に鼻や目からも体液を流し始めた。


「ヒ、ヒヒ……!」


 男は苦しみの表情から一変、今度は歪むような笑みを俺達に向けて来る。


「ヒヒッ!」


 そして、剣先を地面に擦らせながら俺とフラガさんに向かって走り出した。俺は慌てて剣を抜くと、下段から振り上げられた剣を弾く。


「ぐっ」


 辛うじて弾けたものの、男の振った剣は馬鹿みたいに強かった。男の構えや恰好からして、脱力しているように見えるが振り上げられた剣は見た目から想像もできないほど力がある。


「なんだ、こいつは!?」


 弾いた後も、男は腕を鞭のように振っては剣を振り回す。俺に何度も剣を弾き返されても動じない。それどころか、弾き返された勢いを使って体を回転させながら横に剣を振るった。


 俺はそれをバックステップで躱すと、それを予知していたかのように距離を詰めて来た。


 今度は鋭い突きが飛んで来て、体を横に反らしながら躱す。直後、俺は剣を下段からすくい上げるように振るって反撃を試みるが……男はあり得ないほどの反応速度を見せると腕を戻して俺の剣を防御してみせる。


「なんて瞬発力と馬鹿力……!」


 鍔迫り合いに突入し、相手を押して態勢を崩してやろうと剣を押し込むも、相手は地面と足が縫い付けられたかの如く動かない。


 それどころか、俺の方が相手に押されてしまうという状況に陥った。 


「ぐっ、この……!」


「ヒヒ――」


「アッシュさん!」


 鍔迫り合いで負けそうになっていると、横からフラガさんが男にショルダータックルをぶちかました。


 さすがに不意の一撃には対応できなかったのか、男はそのまま壁に激突してしまう。壁に激突した際、男の頭部が壁に設置されていたランタンにガツンと当たる。


 ランタンの中央にあったガラスが割れて飛散し、男の頭部に刺さったかのように見えた。


「ア……」


 男の体はぐらぐらと揺れて、そのまま気を失うかのように地面へ倒れ込んだ。


「…………」


「…………」


 俺とフラガさんは口を半開きにしたまま倒れた男を警戒するも、再び立ち上がる事はなかった。


 頭部に強い衝撃を受けて気絶したのだろうか? 何にせよ、殺さずに確保はできそうだ。


「一体、何がなんだか……」


 恐らく、ここにいる全員がフラガさんの零した感想と同じものを抱いているだろう。


 いきなり狂ったかのような行動を見せて、更には襲い掛かって来るなんて。こんな状態になった人間なんて初めて見た。


「違法薬物の類でしょうか?」


「どうでしょう……。私もこのような状態は初めて見ました」


 俺が問うも、長く都市の治安を守ってきた騎士達でさえ初見の症状だったようだ。


 とにかく、再び暴れ出さないよう拘束するべきだろう。俺とフラガさんは持ち込んでいた縄で男の手足を縛り上げた。


「しかし、犯人を殺さずに確保できたのは幸いでした。ありがとうございます、アッシュさん」


「いえ。しかし、事情を聞ければ良いですが」


 犯人を確保できたのは良いが、再び目を覚ました時に狂乱状態のままだったら取り調べどころじゃないだろう。出来れば犯行の動機や事件の背景を探れれば良いのだが。


「一旦、戻りますか?」 


 後方警戒を続けていたウルカがそう問うと、フラガさんは強く頷く。


「はい。まずはこの男を本部まで連れて行きましょう」


 心苦しいが、殺されたハンターの遺体は後回しだ。地上に戻って回収人に任せるしかない。


 フラガさんの部下二人が組み立て式の担架を取り出した後、手足を縛った男を乗せて担ぎ出した。


「ウルカ、警戒を頼む。魔物は俺とフラガさんで担当するよ」


「了解しました」


 帰りのフォーメーションを確認したところで、俺達は地上に向かって進み始めた。


 来た道を戻り、俺達に異変を知らせて来た二人組と出会ったT字路に差し掛かる。階段方面に向かう道を曲がり、あとは直進するだけ。


 角を曲がるまではそう思っていたのだが……。


「おいおい……」


 丁度、二人組の男と遭遇した地点。


 そこに先ほどの二人組がいた。だが、一人は地面に横たわっていて、もう一人は血濡れの剣を持って倒れている仲間を見下ろしているではないか。


 猛烈に嫌な予感がした。


 俺は自然と剣を抜いて、仲間を見下ろす男に声を掛ける。


「おい、アンタ」


 さっきと状況が同じだ。恐らく、次に起こるであろう出来事を全員が予想している。


 俺が剣先を向けながら声を掛けてから数秒後、倒れる仲間を見下ろしていた男はブツブツと小声で喋り始めた。


「……のせいじゃ……ない。俺の……じゃ……ない」


 声が小さすぎて何を言っているのは聞き取れなかった。俺は再び声を掛けると、今度はゆっくり俺達の方へと顔を向けて来る。


 顔を向けて来た男の表情はやはり捕縛した男と同じだった。目の焦点が合っておらず、眼球は左右に向けられている。口からは既に唾液を垂らし始めていて、それでもまだ何かブツブツと呟いていた。


「ああああッ!! 俺のせいじゃないッ!! 俺のせいじゃないんだッ!! 頭の、頭のォォォッ!!」


 やはり男は狂乱状態に陥って、手に持っていた剣の柄頭で自身の頭部を何度も殴打し始めた。ガツン、ガツンと自傷行為を続けた男の頭部からは血が流れ始める。


「お、おい! 止めろ! 止めろ!」


 俺は慌てて男に向かって叫ぶが、男は自分の頭を殴る手を緩めない。


 数発頭部を殴打し続けた男の手が止まると、フラフラと体を揺らし始めた。そして、彼の目がギョロッと動く。先ほど同様に焦点は定まっていない。だが、どうにも俺は「見られた」という感覚に襲われる。


「違う、違うチがうチガウゥゥゥッ!!」


 そして、意味不明な言葉を口走りながらも剣を振り上げて突撃してくる。


「ああ、クソッ!」


 俺は上段から落ちて来た剣を剣で受け止めるが、やはりこの男のパワーも凄まじかった。何とか受け止められたものの、膝を押し込まれそうになってしまう。


「こ、このッ! 野郎ッ!」


 俺は耐えながらもなんとか相手の腹に蹴りをお見舞いして、強制的に間合いを作った。俺に蹴られた男は背中から勢いよく地面に倒れるが、すぐに立ち上がったところを見るにダメージは期待できなさそうだ。


「チガウ、チガアアアア!!」


 立ち上がった男は無茶苦茶に剣を振り回しながら突進して来た。俺が大きく男の突進を避けると、ぎゅるんと体を曲げて再び俺に襲い掛かって来る。


 どうにか先ほどと同じように無力化できれば良いのだが。


 俺は意を決して、男が振り回す剣の軌道に集中する。頭の中で無力化するためのプランを組み立てて――


「ここだッ!」


 相手の剣が大きく下へ落ちた瞬間を狙い、俺は男の腕に突きを見舞った。俺の剣は相手の腕に突き刺さり、その勢いで男の体がやや後ろに流れた。


 俺は再び男が腕を振り回す前に剣を放して、顔面におもいっきりパンチを叩き込んだ。


「――――!」


 拳に伝わったのは相手の鼻を粉砕した感触。男は鼻から血を噴き出しつつも、体は後方へ仰け反った。


「押さえつけろ!」


 殴った後、俺は未だ剣を放さない相手の手首を掴む。俺の叫び声に反応したフラガさんが反対側の腕を押さえ、男二人掛かりで壁に押し込んだ。


「この、暴れるなッ!」


 壁に押し込むが、男は俺達の拘束を解こうと暴れ回る。両足をばたつかせ、フラガさんに噛み付こうと首まで伸ばしてきた。


 どうにか鎮める方法はないのか、と思っているとウルカがファイティングポーズを取って間合いを詰めてくるのが横目に見えた。


「大人しく、しなさいって!」


 ウルカは男との間合いに入ると、足にブレーキを掛けると同時に腰を捻る。瞬間、鋭くも強烈な右フックが男の顎に叩き込まれた。


 男の首が壊れたオモチャみたいにぐわんぐわんと揺れて、体からはガクッと力が抜ける。


 どうやら気絶したようだ。


「フゥー。大人しくなりましたね」


「あ、ああ……」


 あまりにも見事な一撃だった。相手の意識を刈り取ってくれたのも有難いと確かに思う。


 だが、俺の頭には「今後、ウルカと喧嘩になったらすぐ謝ろう」という考えも同時に浮かんでいた。

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