第40話 十八階調査
俺が近寄ったリザードマンの死体は、槍で喉元を貫かれて死亡した個体だった。
べったりと地面に張り付くようにうつ伏せになった死体から流れ出る血の色は
「どうしました、先輩?」
背後からウルカの声が聞こえ、振り返ると彼女が覗き込むように俺とリザードマンの死体を見比べていた。
「いや、何かおかしいと思ってさ」
「何がです?」
「血の色だ。魔物ってのは紫色の血を流すだろう? だが、このリザードマンは赤色だ」
首を傾げるウルカに俺は違和感の答えを告げた。
通常、魔物が流す血の色は紫だ。四階層にいる動物の牛にそっくりな魔物だって紫色の血を流すし、ブルーエイプだって同じ。一つ上の階層にいたワニ頭のリザードマンだって血の色は紫色だった。
なのに、この階層に出現したリザードマンの血は赤。俺達、人間と同じ色をしている。
「ふむ。気付いたかね?」
また背後から声を掛けられ、振り返るとベイルーナ卿が立っていた。彼はリザードマンの死体をうつ伏せから仰向けへとひっくり返すと、喉元にある傷口を警棒のような物で指し示した。
「この階層に出現するリザードマンの血は赤い。研究所でも話題になった」
やはり、と一瞬思ったが「当然か」と考えを改めた。魔物を研究している学者達が、俺でも気付く違いに気付かぬはずもない。
「魔物には紫色の血が流れており、それは人間に対して毒であると判明している」
俺の隣でしゃがみ込んだベイルーナ卿は、ポケットから取り出した灰色の手袋を両手に装着。装着した上で、死体の傷口を触り始めた。
「紫色の血が染み込んだ肉を食らうと人は死ぬ。まだ収納袋が開発されていなかった頃の話になるが、ダンジョンで食糧が尽きたハンターが魔物の肉を食らって死んだという話は有名だ」
聞いた事があるかね? と問われて、俺とウルカは黙って頷いた。
「毒性を持つ紫色の血は今でも研究対象だ。過去には動物を使って実験もした事がある」
結果は人と同じ。肉を食らった動物は死んでしまったという。
「加えて、魔物は地上に出ると、おおよそ一ヵ月程度の活動期間を経て死亡する。死亡した魔物がどうなるかは知っているか?」
「確か、肉がすぐに腐るんでしたか」
ただ、あくまでも魔物の体全てが腐るわけじゃない。ブルーエイプの毛皮や一部の臓物だったり、腐らずに残る部位だって存在する。 だが、ほとんどの肉は腐って液状化してしまうというのが共通の認識だ。
「そうだ。死亡した魔物の肉はドロドロに溶けて紫色の水たまりを作る。これはどのダンジョンから氾濫した魔物も同じであった」
過去に起きた氾濫から得たデータが示しているのだろう。過去に起きた氾濫に苦しめられてきた王国ならではの経験値と言える。
「だが、この階層に出現するリザードマンは違うのだよ」
「違う、ですか?」
「ああ。サンドール家の娘がおるだろう? 彼女が十八階に到達したと報告が来た時、研究所は彼女達にリザードマンの死体を出来る限り持ち替えるよう指示を出した。そうして回収された死体は研究所に運び込まれたのだが――」
ベイルーナ卿は手袋越しにリザードマンの赤い血に触れ、指を擦り合わせながら言葉を続ける。
「十八階にいるリザードマンの肉は腐らなかった」
「それは……。死亡した際の状況に関係しているのではないのですか?」
「いいや。外傷だろうが何だろうが、死亡した魔物の肉は死後一時間以内に腐敗が始まる。だからこそ、協会を通して肉は集めていないのだ。だが、このリザードマンの肉は一日どころか一週間経っても腐敗しなかった。いや、腐敗して液状化が始まらなかったと言うべきだな」
ベイルーナ卿曰く、紫色の血を流す魔物の肉は地上に出て一ヵ月経過した魔物が勝手に死んだ場合でも、ダンジョン内でハンターに狩られた場合でも大体同じ時間で腐る。腐敗を防ごうと冷凍室へ入れても絶対に腐敗が始まって液状化してしまうらしい。
だが、十八階にいるリザードマンの肉はそれが無い。数ヵ月前にターニャが狩って、研究所に届いたリザードマンの肉は未だ冷凍室で肉の状態が保たれたまま保管されているのだとか。
「その理由がこの赤い血だと?」
「うむ」
頷いた後、ベイルーナ卿は更に言葉を続けた。
「この赤い血を動物に与える実験をしてみたが、動物は死ななかった。この赤い血には毒性が無いのだ。加えて、このリザードマンは人間と同じ形をした臓器をいくつか備えている事も分かった」
他の魔物を解体中、体内に臓器らしき物があるのは知っているが……。それについて悩む前に、彼は今回の調査で更に研究が進むだろうと言う。
だからこそ、今回の調査は丁度良いのだとも。最深部を調べるついでに、他の魔物とは違うリザードマンの死体を回収して研究するようだ。
「こういった違いを解き明かす事が重要だ。些細な事であっても、重要な謎に繋がるかもしれん。目の前にあるモノを一つ一つ紐解いていく事こそが、研究においての大事な行動だ」
どうしてリザードマンの血が赤なのか。どうして他の魔物は紫色の血が流れているのか。
どうしてダンジョンにはネームドという存在が稀に出現するのか。どうしてダンジョンは変動を起こして階層を変えてしまうのか。どうして魔素という存在がダンジョン内にあるのか。
人間が解明できていない謎はまだまだたくさんある。それらを一つ一つ解明していくことで、いつかはダンジョンそのものの謎や魔法の謎も解き明かされるかもしれない。
「私が生きている間に、少しは謎が解けると良いがね」
そう言って、ベイルーナ卿は腰を叩きながら立ち上がった。
「さて。今回の調査目的は最深部の調査となっているが、他にも見るべき物はたくさんある。出来れば十九階も見て周りたいものだ。君達の力にも期待しているよ」
そう言い残して、ベイルーナ卿は後方にいた部下を呼んだ。どうやらこの死体を回収させるらしい。
部下である若い学者はハンター達が使う収納袋よりもサイズの大きい物を持って歩み寄って来た。その中にリザードマンの死体を入れて、再び別の場所に放置されている死体の回収へ向かって行く。
「収納袋って別のサイズもあるんですね」
魔物の死体を切断もせずに収納できるとは。俺達が使っているサイズでは、口は狭くて無理な芸当だ。
「あれは研究所用の特別製なんじゃないか? 俺達が使っているサイズよりも大きい物は売っていなかったし」
魔導兵器やらサイズの大きい収納袋やら、きっと平民達が思いもよらない魔導具がまだまだ他にもありそうだ。といっても、国の機密情報扱いになってそうだが。
さて、次はベイルが最も懸念する十九階だ。俺も戦力として期待されているようだし、その期待に少しでも応えられればいいのだが。
向かう前に少し腹の中へ何かを入れておくべきか。それとも控えておくべきか。
「ところで、ベイルーナ様のお話。私達が聞いてもよかったんですかね?」
悩みながら立ち上がると、横にいたウルカが小さな声で問いかけてきた。
「…………」
「先輩」
俺は無言で首を振った。
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アッシュとウルカが休憩している頃、エドガー・ベイルーナ侯爵は部下や護衛の騎士と共に十八階を調査していた。
「今回こそは詳しく調査できそうだな」
「そうですね」
過去、調査隊として十八階に降りた騎士と学者達は十七、十八、十九階を詳しく調査する余力など無かった。
理由としては、対魔物戦においての技術不足とされている。現在のように高性能な合金は開発されていなかったし、剣や槍などに魔導効果を付与させた武器なども開発されていなかった。
あったのは大型の魔導兵器――バリスタや大砲のような物――のみで、携帯性も耐久性も皆無。とりあえず威力を追求しました、といった物ばかり。それらも道中で破損してしまい、最深部近くでは数も少なくなっていた。
結果的には人的損害を出しながらの近接戦闘で最深部までは到達したが、出発前は五百人もいた調査隊が五十人以下まで減ってしまうという事態に陥る。
生き残った五十人も怪我人ばかりであったし、酷い体験をして発狂寸前な者までいたと報告書に残っている。当時は収納袋といった便利な魔導具も開発されておらず、食料や水不足といった事態もあって最深部に到達しても早々に引き返す事になってしまう。
よって、調査隊は「最深部には魔物が出現しない。暗い広場があるだけ」といった簡単な調査内容しか得られなかった。
ただ、当時はダンジョンの最深部まで到達したとあって、それなりの価値はあったのだ。次代に繋ぐ成果として国も「良し」とした。
「だが、今回はそうもいかん」
あれから魔導技術は飛躍的に進歩した。魔物を簡単に斬り倒せる武器も作られた。軍行を楽にする魔導具だってたくさん作られた。
それらを用意しておきながら、二度目の調査と変わらぬ成果しか持ち帰れなかったとなれば、騎士団も王都研究所にも恥じとなろう。
せめて、他の魔物とは違った生体構造を持つ十八階のリザードマンにおける調査結果くらいは出来るだけ持ち帰りたい、とエドガーは部下に零した。
「そうですね。しかし、今回はサンプルをたくさん入手できました」
「うむ。地上に戻ったらすぐに死体を研究所に送るぞ。解剖させて生体調査と……。
「勿論です」
エドガーが数名の学者を引き連れながら歩いていると、奥で腕を振る者が目に映った。
「室長。見て下さい」
腕を振りながらエドガーを呼んだのは若い学者だった。彼がエドガーを呼んだ理由はリザードマンが暮らしていた『家』で興味深い発見があったようだ。
「この草は奴等の寝床か?」
テントのような形をした家の中には草を積んだ寝床があった。しかも、寝床は二つあって複数匹による共同生活を送っていた様子が窺える。
「それと、これを」
そして、家の外には石で作られたであろう鉄床――いや、石床があった。傍には縄と木の棒が落ちていて、鋭利に削った小石まで用意されている。
「これ、リザードマンが使っていた石槍を作る作業場ではありませんか?」
「ああ、確か一部のリザードマンは石槍を使っていたと騎士達から報告があったな」
十八階のリザードマンが使っていた武器は剣や槍といった人間が使う武器種と同じ物だった。動きの早いリザードマンが持っていたのは、鉄や鋼で作られた剣や槍であり、それらは騎士やハンター達の遺品を使っていたのだろうと推測される。
しかし、それ以外にも原始的な造りをした石槍を使っている個体も見られたと報告されている。
「我々人間が残した武器を模倣して作っていたのではないでしょうか?」
過去、自分達を殺した人間達が残した武器を回収し、刃物を見て同じ物を作ろうとしたのか。十八階のリザードマンはそれだけの知恵を持っているということだろうか。
エドガーは腕を組みながら石床を見下ろす。
「……過去の調査記録で十八階はどうなっていたか、記録が残っているか?」
部下に問うと、問われた学者は手に持っていた紙の束から記述を探し始めた。
「いえ、記録はされていませんね。元々こうだったのか、それとも最近になって家を作り出したのかは不明です」
「…………」
過去の調査隊が必死だったのは理解している。だが、過去の様子と現在を比較できないのは残念だ。
「室長。こちらを見て下さい」
次に見つけたのは枝と縄で組まれた簡易的な箱。箱の中には輪切りになったリザードマンの尻尾が入っていた。
「それと、この家の中も」
箱の中身を見せられた後、エドガーは家の中を覗くよう言われる。
顔を突っ込むと、家の中には食い千切られたであろう尻尾の輪切り肉が放置されていた。
「これは奴等の食糧か?」
「と、思われます」
「自分達の尻尾を食らっていたと? だが、死体には尻尾があっただろう?」
回収したリザードマンの死体にはしっかりと尻尾が生えていたはずだ。しかし、脇から別の学者が声を上げた。
「一部のリザードマンには尻尾がありませんでした。これは、私の推測なのですが、人間と同じように身分や序列があるのではないでしょうか?」
「……ふむ。続けよ」
「戦士であったり、リーダーであったり、人間でいうところの貴族のような身分が上位に存在していて、それよりも下の身分のリザードマンは尻尾を食われる……とか?」
真相は分からぬが、大胆で面白い仮説だ。実際、エドガーは面白いと真剣な顔で頷いた。
「十八階のリザードマンが他の階層に出現する魔物とは違う事は確かだろう。まったくもって面白いな」
好奇心に満ちた表情で笑うエドガーは、そう言った後に十九階へ続く階段へと顔を向けた。
「さて。十九階はどうなっているのかな?」
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