第38話 沼地に生きる者


 十六階でキャンプとなった調査隊は、一夜明けて再び最深部を目指して動き出そうとしていた。


 ただ、ここで一部のメンバーは本隊から別れる事となる。万が一に備え、連絡要員や救出部隊として選出された組が十六階に残る予定だ。


 第二ダンジョン都市騎士団からは十人の騎士が。ハンター組からは黄金の夜が選出された。


 彼等を十六階に残し、本隊は十七階へ。


 ここから先は俺とウルカにとって初見の階層だ。


 階段を降りて行くと、広がっていたのは沼地であった。


「上は荒野で下は沼地か」


 赤土が広がる荒野から一変。今度は泥の地面が広がって、泥水の沼が至る所に存在していた。入り口付近にある小さな沼をよく見ると、沼の底からボコボコと泡が浮かんで来てはパチンと泡が弾ける様子が映る。


「ある意味、こっからが本番だぜ」


 隣に立つタロンがそう言ってきて、俺は彼に顔を向けた。タロンは眉間に皺を寄せながら先にあった大きな沼を指差す。


「あの沼は底なし沼だ。気を付けろよ。それと……。おいでなすった」


 彼の指差す先、奥にあった大きな沼がボコボコと泡立つ。そして、沼の中から勢いよく飛び出して姿を現わしたのは、ワニのような外見をもつ二足歩行の魔物。


 長い口と鋭利な牙、体中には鱗があって、尻尾が生えている。二本の太い脚で立つ立ち姿は、やや前のめりになっている。そのせいで、大きさは二メートルよりも少し低いくらいだろうか。


「あれがリザードマンだ。十七階層に出現する魔物だが、最悪なのはこれからだぜ」


「クロロロロッ!」


 タロンがそう言った途端、沼から姿を見せたリザードマンが天に向かって鳴き声を上げた。すると、十七階層にある全ての沼がボコボコと激しく泡立ち始め、次々とリザードマンが飛び出して来るではないか。


 現れたリザードマンの数はざっと見ても三十以上。まだ増え続ける。続々と増え続け、前方にはリザードマンの群れが出来上がった。


「ダンジョン内で小さな氾濫が起きたようなもんさ! 構えろ! すぐに来るぞ!」


「全員、戦闘準備! 沼には絶対近づかぬように! 弓兵はとにかくリザードマンの数を減らして!」


 タロンが剣を抜いたあと、前方にいたターニャが本隊全員に指示を出した。その瞬間、リザードマンの一部が前進を開始する。


「とにかく矢を放て! 近づかれるな! 厄介な事になるぞ!」


 ベイルも騎士達に激を飛ばし、弓を構えた騎士とハンターがリザードマンに向かって矢を放つ。放たれた矢に対し、リザードマンは鱗の生える腕で矢を防御した。


 魔導兵器である弓から放たれた風の矢はリザードマンの腕に突き刺さった。鱗を突き破って、下にある肉へ到達したようだが千切り飛ばすには威力が足りなかった。ウルカの放った合金製の矢も同様に腕へと突き刺さって紫色の血を滴らせる。


 しかし、リザードマンに痛覚という概念は無いのか、腕を射られても大した反応を見せない。グワッと大きな口を開けながら俺達へと向かって来る個体や、合金矢が突き刺さったままの腕を振り上げる個体まで見られる。


「魔導兵器の矢でもダメなのか!?」


「野郎共、鱗のおかげで防御力が無茶苦茶高いんだ! 弱点は心臓と首だ! 狙え、狙え!」


 鱗を纏う皮膚はとにかく硬くて厚いようだ。女神の剣に所属する男性ハンターが叫ぶように、弱点を的確に破壊せねば止まらないらしい。


 しかし、ダメージを恐れず淡々と向かって来るだけでも恐怖を感じるが、リザードマンの恐ろしさはそれだけじゃなかった。


「潜った! 潜ったぞ!」


「沼に引きずり込まれるな! 警戒!」


 一部のリザードマンは再び沼の中にざぶりと潜り込んだ。ターニャのパーティーメンバーが叫ぶ警告内容を聞くに、全ての沼の水底が繋がっているようだ。リザードマンは沼の中を潜航しながら沼から沼へと移動して獲物に近づいて来るらしい。


 人間が沼の近くに立っていたら大口を開けたリザードマンに奇襲され、体を口で挟み込まれながら沼に引きずり込まれてしまう。そうなったら最後だ。


 力強い顎に体を食い千切られるか、抜け出せなくて沼の中で窒息死もあり得る。一度引き摺り込まれてしまえば、どう転んでも助かる見込みは少ない。


「下がれ! 下がれ!」


「沼から下がれ! 近づくな!」


 弓を扱う騎士やハンター達が懸命にリザードマンの襲撃を押し返そうとするも、俺達は次第に入り口付近の狭い範囲に押し込まれてしまった。


 更に潜航しながら接近して来たリザードマンが陸に上がって来てしまう。気付けば本隊の前にはリザードマンが五十匹以上、無傷の状態で立ち塞がる。


「チッ! 弓じゃダメか! ウルカ、援護してくれ!」


 こうなってしまっては近接戦闘も止む無し。最悪、非戦闘員である学者達が上層階へ戻る時間くらいは確保せねば。


 そう考えつつ、俺は剣を抜いて最前列に飛び出す。同時に俺の横へ立ったのは魔導剣を抜いたベイルだった。


「ベイル、右を頼む!」


「ああ!」


「喉元を狙え! そこが一番柔らかい!」


 遅れて追いかけて来たのはターニャと彼女の仲間達。彼女達に左を任せ、俺は中央で吼えていたリザードマンに走り込む。


 幸いにして、リザードマンの腕や足の反応速度は遅い。のそのそと動きながら太い腕を振るって、手の先にある鋭い爪で攻撃をしてくるが難無く回避。


 ただ、奴等の攻撃方法は爪だけじゃなかった。回避した途端、大きな口を開けて近づけてバクンと噛み付こうとしてくる。しかも、口を回避した後は、尻尾を鞭のように振るって来るのだ。


「チッ! さすがは最深部に近いだけはあるッ!」


 ブルーエイプや骨戦士とは比べ物にならないほどバリエーション豊かな攻撃だ。


 魔物としてのスペック自体が高いのもあるが、獲物を狩ろうとする魔物の捕食本能も桁違い。あの手この手で餌を確保しようと考えている素振りが垣間見えた。


「全員、槍と盾は持ったな!? 三位一体で掛かれ!」


 俺達三人が最前列にいたリザードマン達をなんとか押し留めていると、後方からオラーノ侯爵の指示が聞こえて来た。次の瞬間には魔導兵器である槍を持った騎士達が雄叫びを上げながら突撃を開始。


「三人共! 一旦下がられよ!」


 背中で騎士達の雄叫びを聞きつつ、王都騎士団長の指示に合わせてバックステップ。槍を構えた騎士達が俺達の脇をすり抜け、槍のリーチを武器にリザードマンの体へ刺突を開始した。


「効果アリ! 効果アリです!」


 一本目の槍がリザードマンの腕を貫通し、紫色の血を飛散させた。二本目の槍は喉元を突き、弱点を突かれたリザードマンの体から力が抜けるて地面へと崩れ落ちる。


「連続刺突にて撃滅せよ!」


 王都騎士団長の攻撃命令が下され、騎士達は盾で反撃を防御しながら懸命に槍を突き出し続けた。彼等を援護するように弓兵の矢が放たれ、続々とリザードマンを殲滅していくが……。


 俺の視界の端に沼からブクブクと泡立つ様子が映る。その傍には騎士がいて、足元で泡立つ沼の様子に気付いていない。


「危ないッ!」


 俺が叫んだ瞬間、泡立っていた沼からは大口を開けたリザードマンが騎士の足に喰い付こうと飛び出して来る。


 咄嗟に持っていた剣をリザードマンの口目掛けて投擲。俺の投げた剣は口の中に刺さり、リザードマンは口から紫色の血を噴き出しながら沼の中へと沈んで行った。


「すまない! 助かった!」


 助けた騎士から礼を言われ、手を上げて返答を返す。すぐにリュックの収納袋から予備の剣を取り出し、更なる襲撃に備えたが――


「……もう来ないか?」


「いや……」


 身構える騎士達の呟きに反し、ターニャはリザードマンに折られた槍を拾って沼に投げた。


 すると、ざばりと波を立ててリザードマンが飛び出して来る。


「油断させて沼に引きずり込む気だ。まだいるぞ!」


 本当に知恵の回る魔物だ。


 上層階と違って、十七階は完全に魔物が支配するテリトリーだな。いや、ここまで到達している人間が少なすぎて対策が未熟なだけか。


 陸に飛び出して来たリザードマンは槍で対処したが……。何にせよ、俺達は沼に近付けない。先ほどの戦闘で少なくとも数人には被害が出ているし、沼に引きずり込まれたら救いようが無いからな。


「ふむ。ここで使うか?」


「エドガー、いいのか?」


 迷っていると、ベイルーナ卿と騎士団長オラーノ侯爵が話し合う声が聞こえて来た。


「構わんとも」


 そう言って、二人は最前列まで歩み出る。オラーノ侯爵がベイルーナ卿を護衛するように立ち、ベイルーナ卿が人差し指をピンと立てた。


「それ」


 人差し指を沼に向けると、指先から紫電が放たれる。ドカンと雷が落ちたような爆発音が響き、沼の中に電撃が走った。


 放たれた電撃は沼から沼へと飛び散っていき、沼の中に潜んでいたリザードマンが絶叫に似た鳴き声を上げながら姿を現わす。水面に飛び出して来たリザードマンは沼の中で溺れるように両手をばたつかせ、最終的にはピクリとも動かなくなってしまう。


 魔法の電撃で感電死したのか、姿を隠していたリザードマンの死体が続々と沼の水面に浮かび上がってきた。


「フゥー……。さすがに高出力の魔法は堪えるわい」


 電撃を放ったベイルーナ卿は肩で息をしつつ、顔中脂汗塗れになっていた。慌ててセルジオ氏がタオルと水の入った水筒を渡しており、それを受け取ったベイルーナ卿は喉を鳴らしながら水を飲み始める。


「す、凄まじいな……」


「これが魔法の力か」


 後方より見守っていた俺とタロンは魔法の威力に驚くばかり。これが神の奇跡とも言われる世界最強の業か。


 確かにこの力を誰でも使えるようになれば魔物など怖くも無くなるだろう。むしろ、魔物どころか人間に対しても敵などいなくなるのではないか。


「魔法使いってのは、本当におっかねえな」


 真剣な顔を浮かべながら言うタロンの言葉に、俺は心の中で同意せざるを得なかった。


 あれが人間に向けられたら……。敵うはずもない。気付いた時にはあの世行きだ。


 一見、好奇心旺盛な研究好きの老人に見えるベイルーナ卿だって、中身は最強の業を使う魔法使い。彼が激怒すれば、相手は沼に浮かぶリザードマンと同じ運命を辿るだろう。


 俺はあの老人に逆らわず、素直に要望を聞いておいて良かったと心底思ってしまった。


 同時に魔法使いには絶対に逆らわないようにしようと心に決めるのであった。

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