第36話 大規模調査前の息抜き
十四階層の調査から一週間と半分が経過した。
あれからベイルーナ卿は都市の高級宿に閉じ籠って研究レポートや考察を繰り返しているらしい。
おかげで平和だ。十四階の再調査が嘘だと思えるほど平和である。
「先輩、見て下さい」
本日は休暇として割り当てた日とあって、俺とウルカは私服姿で買い物へと繰り出していた。
相変わらずウルカと腕を組みながら都市のメインストリートを歩いていると、ウルカが指差した先には木箱を満載した帆馬車がゆっくりと走っていた。
「調査で使う道具を運んでいるんじゃないか? 調査開始まであと三日だろう?」
帆馬車の後に続くのは馬に乗った騎士達だ。馬車の御者台にも騎士が座っているし、王都から運び込まれた調査用の道具や物資が積載されているのだろう。
王都研究所から運び込まれる道具は貴重な物が多いと聞く。万が一にも事故が無いよう、厳重な警備体制の元で運ばれているようだ。
「王都から騎士団も来るんですよね? 大丈夫でしょうか?」
彼女が言う「大丈夫か?」の意味は、きっと態度や指示内容についてだろう。
帝国では平民よりも平民出身の騎士の方が身分は上である。そして、その上に貴族家の者達――貴族家出身の騎士を含む――が君臨する。帝国は厳しく絶対的な格差があって、その格差によって態度や対応が違う。
そういった中で長く暮らしてきた俺達にとっては、王国騎士とハンターとの間にある身分格差や温度差が気になってしまうところ。
「ベイル曰く、身分格差は無いって聞いているよ」
王国も貴族という身分は確かにあるが、帝国ほど上からの圧力は掛からない。これは騎士であろうが平民であろうが変わらないようだ。
貴族であっても平民に無理難題を言ったり、ましてや殺人を犯して無罪放免となったり……そのような身分による理不尽な事件は起こらない。しっかりとした法律によって平民の生活も保証されている。
この辺りが帝国との違いだ。帝国は完全に身分格差が社会に浸透してしまっている。貴族家の子弟が罪を犯しても家の力で事件を握り潰すケースは何度かあったからな。
といっても、王国だってそういった貴族絡みの事件が皆無とは言えない。そういった意味では、貴族に対してあまり近づかない方が良いのは確かだろう。
「あの方は良いですよ。先輩と仲良しですし」
そう言ったウルカだが、少しばかり頬を膨らませながら胸元に俺の腕を引っ張った。
「どうした?」
理由は分かっている。それでも聞いてしまうのは照れ隠しだ。
「別にー。最近、ずっとベイルさんと喋っていますよね。私とゆっくりお喋りしてくれるのは宿に帰ってからか、今日みたいな休暇の日だけだなー、なんて思ってませんよー」
本格的に頬を膨らませたウルカは、心の声を漏らしながら顔を背ける。
まぁ、確かに最近はベイルと大規模調査についての打ち合わせや世間話も多かったが。
彼だって大変なんだ。主に王都からやって来たご老人に振り回されたり、王都騎士団の要請で板挟みになっていたり……。
そうだ。ベイルとの打ち合わせ中、彼から愚痴のように聞かされて驚いた事がある。
例のご老人――ベイルーナ卿は元々王都研究所の
ただ、所長の座に座っていたのは僅か一年程度。どうして王都研究所統合管理室長という役職に降格したのかというと、所長だと会議や書類作業ばかりで研究が全くできなかったかららしい。
ダンジョン研究をしたいが為に役職を下の者に押し付けて、自由の利く役職に自ら降格したようだ。最初はただの学者に戻る気だったようだが、周囲の必死な説得で室長の座に収まったとのこと。
研究への熱意が凄まじいのは理解できるが、それにしても本当にとんでもない方だ。
正直、今回の件が始まってからベイルがすごく痩せたように見える。大規模調査が終わればのんびりできそうだ、とも言っていたが。
「わかった。じゃあ、今日はウルカに集中するよ」
調査の件はさておき、かわいい後輩を構ってやれなかったのも事実。俺はウルカに抱き寄せられた腕を解消して、改めて彼女の手を握った。
「あら。積極的」
「言ったろう。俺は君を大事にしているって」
真正面から言うと、ウルカの顔は真っ赤に染まった。
「あ、う。そ、外で言われると照れますね」
普段は余裕そうな顔をして挑発してきたり、誘うような仕草を取るのにも拘らず、こういった態度を見せてくれるのも彼女に惹かれる理由だろう。
「せ、先輩! あそこ! あそこでお茶しましょう!」
「はは、わかったよ」
俺達は中央区にあるカフェに入って、一旦休憩する事にした。
外に並べられたテラス席を確保してメニューを見る。俺はコーヒーを注文し、ウルカはケーキと紅茶のセットを注文。それらが配膳されると、ウルカは小さな銀のフォークでケーキを一口サイズに切った。
「はい、先輩。あーん」
先ほどのお返しか。他にも客が大勢いる前でケーキを差し出してきた。
だが、臆するのは逆効果だ。俺は気にしていないフリをして、差し出されたケーキを食べる。
「うん。美味いな」
「よかった」
ニコリと笑う彼女の笑顔を見つつ、コーヒーを一口。うん、こちらも美味い。
「ところで先輩。結構、お金貯まってきていますよね?」
話題はハンター稼業による稼ぎについて。
俺はウルカと組んでから積極的に協会からの依頼をこなしているし、特別報酬を受け取る機会も増えてきた。それに今は十三階から十五階までを、ほぼ独占状態で往復し続けているので素材提出による報酬も結構な額になる。ダンジョンに潜る際の経費を抜いても十分なほど黒字続きだ。
まぁ、貯金のほとんどはデュラハン討伐による協会からの多額な報酬が占めているのだが。
それら報酬は一括で俺の口座に振り込まれるようになっているのだが、基本的にはウルカと等分する決まりになっている。彼女が受け取る金額を抜きにしても口座には結構な額が積み上がっていた。
「何かに使うんですか?」
「うーん。そうだなぁ。来年の税金もあるし、生活費もあるし……」
使い道を問われたら、基本的には王国で暮らす為の資金となるだろう。税金や生活費、酒やタバコ代……。あとはそうだな。
「この調子で金が貯まったら家を買おうかと思っている」
王国の宿暮らしは快適だし、料金も安い。だが、やはり一度は自分の家を持ってみたいという想いもある。
「家、ですか?」
「ああ。人生一度は自分の家を持ってみたい。庭付きの大きな家だ」
それこそ、貴族が住むような大きな家。平民用として小さな平屋はよく売りに出されているようだが、十分な稼ぎを得られるのであれば小さいより大きい方が良いだろう?
「家に部屋がいっぱいあればダンジョン用の道具も置けるし、ウルカだって自分用の部屋で一人になりたい時があるだろう?」
今は一緒の部屋だからな。宿には一部屋しかないし、プライベートは皆無だ。彼女だって一人でゆっくりしたい時だってあるだろう。
そう言って彼女の顔を見たのだが……。
「私の、部屋?」
「ん? あ……」
顔を真っ赤にする彼女を見て、俺は自分が何を言ったのかようやく気付いた。
家を買うという夢の中にウルカの存在まで含ませていたのだ。無意識に彼女と一緒に暮らす事を前提としてしまった。
今、一緒に暮らしているからだろうか。共にハンターとなって、四六時中一緒にいるせいだろうか。
……いや、違うな。俺自身が彼女と一緒にいたいからだ。
「嫌か?」
「嫌じゃないですよ。嬉しいです」
そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべてくれた。
「じゃあ、早く叶えましょうね。私もお金を出しますから」
「ああ」
家の話題が終わってからも、ウルカはずっとご機嫌だった。腕を組みながらニコニコと笑い、俺に意識させる為かは分からないが、時より「お嫁さん」なんて単語が小さく聞こえてくる。
俺もその意味は理解しているが……。その前にこの関係性を正しくするのが先だろう。
いつ言おうかと考え、俺は心の中で大規模調査が終わってからと結論付けた。
一区切りついたら、彼女に伝えよう。
だからこそ、ダンジョンで何事も起きないよう気を引き締めなければ。
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