第17話 かわいいこうはい 2


 ちゅんちゅんと鳴く鳥の鳴き声で目が覚めた。


 瞼を開けて、ぼやける視界が徐々に定まっていくと――目の前には可愛い寝顔があった。


「ホワァ!?」


 思わず声を上げてしまったが、隣で眠るウルカはまだスヤスヤと寝息を立てている。


 彼女の可愛い寝顔、それにYシャツ一枚と下着だけというパジャマ姿――パジャマ代わりにしたいと昨晩要求された――をじっくりと見てしまって、俺の心臓は「エイシャオイシャエイシャー!」と体中に大量の血液を送り出す……ような気がした。


 誤解がないよう予め言っておくが、手は出していない。出していないぞ! 耐えきったんだ、俺はよォ!


「んん……」


 しかし、彼女の寝顔を眺めていると……。


 横になった顔の頬には金色の綺麗な髪が少しだけかかっていて色気を感じてしまう。ぷっくりとした唇も胸元の開いたYシャツ姿も下着一枚の下半身も……全てが俺の理性を破壊しようとしてくるのだ。


 もはや、眠る凶器である。男の理性を破壊する大量破壊兵器だ。


 思わず彼女の寝顔に手が伸びてしまった。俺の手が彼女の頬に触れるか触れないかの距離で「やはりマズイ」と自制心が働く。


 伸ばした手を引っ込めようとするが……ガシィ! とウルカが俺の手首を掴んだ。


「んふふ。触ってくれていいんですよ?」


 そして、強制的に俺の手を頬に触れさせる。こ、こいつ! 起きていやがった!


「お、起きてたのか」


「ふふ」


 うっすらと目を開けたウルカは、俺の腕を操作しながら自分の頬を撫でさせる。


「……準備して朝食を食べよう。今日は協会でライセンス取得するんだろう?」


「はい。取得した後は一緒に観光ですよ?」


 分かったよ、と言って俺はベッドからテーブルへと移動する。飲みかけだった水筒の水を飲んで、寝起き一発目のタバコに火を点けた。


「先輩、タバコまた吸い始めたんですか?」


 ウルカの声に顔を向けると裸Yシャツ姿のウルカが上半身をぐぐぐと伸ばしていた。セクシーすぎる。


「ああ。うん。もう節約する意味も無いしな」


 そう言ってタバコの灰を灰皿に落とすと、ベッドから移動してきたウルカが俺の首筋に鼻を近づけて匂いをくんくんと嗅ぎ始める。


「私はこっちの方が先輩っぽくて好きです」


「そ、そうか……」


 ニマッと笑う彼女の表情に歳甲斐もなく顔に熱を感じた。


 騎士団にいた時よりもスキンシップが激しくて調子が狂う。昔はもっと先輩らしい態度を取れていたと思うんだけどな。


 このままじゃ時間の問題な気がしないでもない……。早くもウルカに陥落しそうな俺の弱い心を認めそうになりつつも、俺はタバコを咥えながら着替えを始めた。


「着替えましたよ」


「ああ」


 着替え終わったあと、吸い終わったタバコを揉み消していると背後から声が掛かる。振り向けば、着替え終わったウルカが立っていた。


 今日の装いはノースリーブの白いシャツに黒のスカートか。シャツの襟には弛んだネクタイが垂れ下がっていて、外で羽織るためのジャケットが腕に掛かっていた。


 シンプルだがそれが良い。スタイルが良い彼女にはとても似合っていた。昨日と同じく長い髪が結ばれていないのも新鮮だ。


「どうですか?」


「ああ、可愛いと思う」


「良かった」


 俺が素直な感想を告げると、彼女は満面の笑みを浮かべた。


 その笑顔は騎士団にいた時に見せていた笑顔と同じもので、とても懐かしさを覚えると同時に「本当にウルカがいるんだ」と再認識させてくる。


「よし、行くか」


「はい!」



-----



 宿の食堂で朝食を摂ったあと、俺達は都市を散歩ついでにゆっくりとハンター協会へ向かっていた。


「先輩、あのお店は?」


「ああ、あそこはパン屋だ。アップルパイがおすすめって話を聞いたな」


「へぇ~。じゃあ、今度一緒に買いに行きましょうね」


 るんるん気分のウルカは都市にある店を指差しては俺に聞いてくる。騎士団では見られなかった年相応の女性らしい態度に最初は驚いたが、次第に心地よくなっていく自分がいたのも確かだ。


 うん、なんだろうな。貴族のご令嬢と付き合っていた頃よりずっと楽で楽しく感じる。まぁ、ウルカも貴族のご令嬢なのだが。いや、今は「だった」か。


 しかし、この違いはお互いをよく理解しているからなんだろう。それに規則や使命感に囚われない自由な生活を送っているからか。


 帝国にいた頃は……今思えばずっと息苦しかったように思える。あの頃の俺は必死過ぎたのかもしれない。そういった意味では、ラフィ嬢にもつまらない思いをさせてしまっていたのかもしれないな。


「しかし、ずっと腕を組んでいるのはどうなんだ?」


「え? 嫌ですか?」


「…………」


 正直、嫌じゃない。俺だって男なんだ。


 可愛い女の子と腕組んで都市を歩けるなんてサイコー! 元後輩が追っかけて来てくれるなんてサイコー! と叫びたいに決まっている。


 しかし、叫ばないのは先輩としての矜持があるからだ。みっともない姿が見せたくないという、ちっぽけな意地があるからだ。


 ただ、この絶妙に近い距離感を失いたくないとも思う。


「フフ」


 だが、どうにも見透かされているように思える。彼女が浮かべている幼い子供を見るかのような表情がその証拠だろう。


「あ、協会が見えてきましたね」


「ああ」


 組まれた腕を解消しようとしても、彼女は女性とは思えぬパワーでそれを阻止してきた。


 俺は諦めた。このパワーで御父上をボコボコにしたのか?


 ウルカと腕を組んだまま協会に入って行くと、入り口付近にいたハンター達から一斉に顔を向けられる。俺の存在に気付いたハンターが声を掛けてきたのだが……。


「あ、アッシュさ――ヒッ!?」


「き、昨日の女……!?」


 一体どういうわけか、皆が俺の腕を組むウルカを見て顔を引きつらせるのだ。しかし、彼女に顔を向けても大したリアクションは無い。相変わらず俺の腕を抱き寄せたままニコニコとしているだけだった。


「……ライセンス取得しようか」


「はい!」


 カウンターに向かうと、今日の受付担当はメイさんだった。彼女に挨拶しようと片手を上げたのだが、どうにも彼女の表情がおかしい。


「ぐ、ぐうううう!!」


 彼女は下唇を噛み締めながら、持っていた鉛筆をバキリと握り砕く。彼女の視線はウルカに向けられているようだが。


「ライセンスの取得にきました~☆」


「ぐ、くううううッ! お待ちになって、下さいねッ!」


 俺と組んでいる腕を見せつけるようにしながらメイさんに用件を伝えるウルカ。


 歯軋りしながらカウンターの下より用紙を取り出して、その用紙をカウンターへ叩きつけるメイさん。


 二人の間に一体何があったのか。


 用紙に個人情報を記入している最中、ウルカは「親しい人、もしくは親族の連絡先」の項目を指差しながら俺の顔を見た。


「先輩。この項目は先輩の名前で良いですよね? だって、私は先輩のお嫁さんになるんですし」


 ウルカは『先輩』の部分と『お嫁さん』のところを随分と強調しながら言ってきた。


「宿も同じだし~。部屋も同じだし~。んふふ」


 俺に同意を求めていながら、俺の答えは聞かないようだ。周りに聞こえるよう、やや大きめの独り言を発しながら項目を記入していく。


『やっぱり、アッシュさんの女じゃねえか』


『タロン達の言ってた事は本当だったんだ』


『昨日だってナンパしてきた野郎を全員グーパンでぶっ飛ばしてただろ。あと、アッシュさん狙いの女にメンチ切りまくってたよな』


『メイちゃんなんざ、ほぼゼロ距離でメンチ切られながら殺すぞって言われてたよな』


 俺は気合で聴覚をシャットアウトした。聞かなかった事にしよう。


「できました。どうぞ」


 メイさんはウルカが記入し終わった用紙を荒々しく回収。


「はい、カードッ!」


 そして、出来立てホヤホヤのライセンスをカウンターにバシィィッ! っと叩きつけた。


「これで先輩と一緒にダンジョンへ入れますね!」


「あ、ああ……」


 カードを叩きつけられた本人は全く気にしていない様子。それが余計に腹立つのか、メイさんはヤバイ顔でウルカを睨みつけていた。


「さぁ、先輩。お買い物行きましょ。ダンジョン用の服とか買わなきゃ!」


 ぐいぐいと腕を引っ張られて、俺は協会から連れ出されていった。


 背中越しにメイさんの「クソがよォォォッ!」という叫び声が聞こえてきたが、俺は聞かなかった事にした。

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