第14話 帝国と王国


 帝国帝都にある騎士団本部にて。


 帝国騎士団副団長――リュードリヒは執務室で大きなため息を吐いていた。


「まさか、彼がクビにされてしまうとは」


 リュードリヒの頭を悩ませるのは、第十三隊の件だ。十三隊には騎士として有能な男がいた。


 名はアッシュという者であるが、リュードリヒが遠征で本部を空けている間に馬鹿な伯爵家のお坊ちゃんがクビにしてしまった。


 その事実を聞いたのが、数時間前の出来事である。


 追いかけようにももう遅い。既にアッシュは王城へ爵位の返上と身辺整理を済ませて帝都にあった自宅まで引き払ってしまったとか。


「クソ、ふざけやがって」


 伯爵家の威光をチラつかせた愚行のせいで、有望な男が一人減ってしまった。代わりに残ったのは実戦経験が一度もないボンクラのお坊ちゃんだ。


「これからの時代、あの男のような存在が必要だったというのに」


 リュードリヒは机に拳を叩きつけた。


 彼がアッシュを重要視していたのにはワケがある。


 一言で言うなれば、野心。己の野心を達成させるための道具としてアッシュを使いたかったからだ。


 彼の上司である騎士団長は、もういい歳だ。あと数年もすれば団長の席を君に譲るとまで言って、間近に迫る引退を公言していた。


 となれば、騎士団全体の統括と責任問題がリュードリヒの肩にのしかかる。それはまだ良い。


「これからの時代、帝国もダンジョン経済を重視する日が来るだろうに!」


 世界で一番潤っている国。それはダンジョンを経済の一部として取り込んだローズベル王国だ。その発展と繁栄は著しく、周辺諸国もローズベル王国を倣おうと躍起になっている。


 帝国だって例外じゃない。


 帝国は元々、国内にダンジョンが一ヵ所しか無い事もあって、ダンジョンや魔物に対する意識は薄かった。それよりも他国との国境を守り、対侵略戦争に向けての国防意識が高かった。


 しかし、ここ数年になって帝国上層部の風向きが変わりつつあった。


 これまではローズベル王国の支援によって導入された魔導列車を利用するだけに留まっていたが、最近では続々と輸入される小型魔導具の便利さに皇帝や上位貴族達が気付き始めた。


 それら魔導具を使用する為の燃料である魔石の確保を早急に安定させねば、と上層部は常に口にしているのだ。


 ――財政省より、ローズベル王国からの魔石輸入の金額に悲鳴が上がっているとの噂もあるが。


 このまま魔石確保が急務と判断されれば、帝国も自前で魔石を確保するべくダンジョンを利用する日が来るだろう。そうなったら、魔物と戦うのは帝国騎士団だ。


 ローズベル王国内に設立されたダンジョンハンター協会に似た民間組織を結成させるとは思えない。何故なら、帝国にはダンジョンが一ヵ所しか無いからだ。


 騎士団で事足りると上層部は判断するだろう。むしろ、貴族主義が常識的な帝国で民間組織など結成させるはずもない。


 魔石を貴族達で独占し、いくつかのお零れだけが平民へと渡る。それが帝国という国だ。


 その未来が容易に想像できるからこそ、対魔物戦で活躍したアッシュという人物がリュードリヒには重要だった。


 上司である騎士団長に進言してアッシュを準貴族に押し上げて、自分が団長に出世した際に訪れるであろう変化に備えた布石でもあったのだが……。


「ああ、クソ……」


 そして、彼が率いる十三隊の存在も消え失せた。


 リュードリヒが視線を向けるのは、ここ最近で除隊した者のリストである。


 中にはアッシュの名前と十三隊に所属していた三名の騎士達の名も加わっていた。アッシュの部下は、恐らくは指揮官が変わった事に不満を持ったのだろう。


 しかも、騎士団を去った者達の名はどれもアッシュと共に例の氾濫を阻止した、十三隊再編成時当初から所属する強者達ばかりだ。リュードリヒが団長になった際、アッシュと共に今後の要にしようとしていた者達である。


 騎士団を辞めたのはアッシュを含めて四人。一人はまだ帝国にいるようだが、残り二人は既に帝国からも出て行ってしまったと調査結果が届いていた。


「嘆いていても仕方ないか」


 過ぎた事は仕方がない、とリュードリヒはアッシュ達を諦めた。彼がここまで簡単に諦められたのは、あくまでもアッシュという人間が『ただの騎士』にすぎなかったからだ。


 帝国では、という話だが。


 ――恐らく、帝国の歴史上で見ればアッシュの離脱は些細な出来事だっただろう。


 伯爵家の坊ちゃんがアッシュの功績をよく思わず、彼の婚約者にチョッカイを掛けて、それを利用しながらクビに追い込んだのも些細な出来事に過ぎない。


 仮に彼がクビにならない未来があったとしても、帝国の歴史上にただの騎士であったアッシュの名が刻まれる事などまずあり得なかった。


 だが、歴史上に大きな変化は無くとも、今を生きる人間達の人生には多少なりとも影響を及ぼしていく事になる。



-----



 同日。


 ローズベル王国第二ダンジョン都市北区に聳え立つ城では、ダンジョン都市管理人の任を任された貴族の親子が数か月振りの食事を楽しんでいた。


「ベイル。この前の氾濫阻止は見事だったね」


 そう息子を褒めるのは優しそうな顔をした老紳士。きっと、この場にいないアッシュが老紳士の顔を見れば「駅で出会った老紳士だ」と言うに違いない。


 そして、その老紳士がまさか友であるベイルの父親――ダイル・バローネ伯爵である事にも驚きを隠せないだろう。


「はい。有能な友がこの都市に来てくれたおかげで、想像以上の成果を上げる事ができました」


 肉厚なステーキをナイフでカットしながら、ベイルは帝国からやって来た友の事を口にした。


 あの氾濫で怪我人が出なかったのはアッシュのおかげだ。彼とベイルが揃っていなければ、騎士団やハンター達に多少は損害が出ていただろう。


「ほう。どんな友人なんだい?」


「前々から報告していた帝国の騎士です。二年に一度の交流試合で戦っていた男ですよ」


「ああ、お前と互角の実力を持つという騎士か」


 合点がいったのか、老紳士は「良き人材が流れてきたものだ」と嬉しそうに頷いた。


「彼のように基本と基礎に忠実でありながら、魔物に対しても度胸があって臆せず前に出れる人間はそういません。本当に良い男が来てくれました」


「しかし、それほどの騎士であれば……。どうして我が国に来たのかね?」


「どうにも貴族から嫉妬を買ったようですね」


 ベイルは飲みの席でアッシュから聞いた事を父親に話した。すると、老紳士は「なるほど」と頷く。


「帝国は貴族主義だからね。全く、馬鹿なものだ」

 

 帝国の貴族主義をか、それともアッシュを手放したことにか。どちらに対して馬鹿と言ったのかは不明であるが、老紳士の関心はアッシュへと向けられる。


 恐らく、彼は駅で出会った男とアッシュを同一人物とは思っていないだろう。それでも王国貴族の頭の中に『アッシュ』という名が刻まれたのは確かだ。


「彼はハンターになりました。出来るのであれば、このまま騎士団と連携していきたいと思っています」


「有能なのだろう? 良いじゃないか。研究所からも、そろそろ二十階の調査を進めたいと突っつかれているからね」


 王国上層部、研究所共に関心は数十年前からずっとダンジョンに向けられている。


 それはもちろん、魔法の秘密を解く鍵として注目され、国を潤す魔導具開発に必要な材料が採れる場所として認識されているからだ。


 しかし、現場を管理する貴族にとって上からの催促には二の足を踏んでしまう。


 その理由は調査に掛かる人員の確保だろう。


 第二ダンジョン都市に設立された騎士団が、地下二十階まで到達した回数はたったの一回。それも多くの犠牲を出しながら到達し、二十階層の調査もそれほど長く時間は掛けられなかった。


 最下層まで到達した回数がたった一回だけなのは、最下層付近に出没する魔物が単純に強く、それに対抗できる人間が少ないからだ。ローズベル王国国内では常にハンターの人数は不足している状態だし、騎士団だって同じようなものだ。


 さらには、二十階層へ向かうのは人間である。食う物も必要だし飲み物も必要になる。最下層に長く滞在するためにも物資は多く持って行かなければならない。例え収納袋という便利な魔導具があったとしても、収納袋に収められない物は自力で持って行くしかない。


 騎士団と共に戦う人間は勿論事、物資を運ぶダンジョンポーターまで必要なのだ。場合によっては学者が同行する事もあるので、学者を守る護衛も必要になることだってある。


 だからこそ、アッシュのような人間はローズベル王国に歓迎されるのだろう。一人でも多くの強者がいれば、それだけ国が進める研究も捗るし、他国を突き放すほどの経済成長をより加速させるからだ。


「調査計画は立ててみますよ」


「頼んだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る