私と少女とフルーツタルト

本条サクマ

第1話

本当なら彼女――神崎百合は高島屋で売られている幻のフルーツタルトを買いたい。しかし、それはできない。なぜならば今日に限って所持金が500円しかないからだ。仮に幻のフルーツタルトを買ってしまうと帰りの電車賃がなくなってしまう。


なぜ今日に限って懐が寂しいのかと言うと今朝は寝坊してしまい焦るあまり定期券を忘れてしまったからだ。幸い財布の中には1000円あった。それはフルーツタルトを購入するために常備していたお金だったが大学へ行き学ぶのは学生としての本分。そのため泣く泣く500円を電車賃に使ってしまった。

それにフルーツタルトはめったに販売されることがないのでたぶん今日も販売されることはないだろうと百合は思っていた。


講義が終わった後、所持金は500円しかなかったが毎日の日課のため百合は高島屋に立ち寄った。

百合は一度だけこのフルーツタルトを食べたことがあった。そのあまりのおいしさに百合はこのフルーツタルトの虜になってしまった。それ以来大学の帰りには必ず高島屋に立ち寄りフルーツタルトが売られているか確認するのが百合の日課となっていた。

高島屋に通いだして約半年、百合は未だにフルーツタルトを購入できたためしはなったが、その時は急に訪れる。


店のドアを開け店内にあるショーケースの中に視線を向けると幻のフルーツタルトがただ一つだけそこにはあった。百合にとってそのフルーツタルトは海賊が大海を渡りやっとのことで見つけ出した金銀財宝のようなものだった。


百合は急いでカバンから財布を取り出す。しかし、その中にはきらりと光る500円玉があるだけだった。


そうだった。私今日所持金500円しかなかったんだ。


忘れていた悲しい現実が一気にのしかかる。所持金が少ないときに限ってなぜフルーツタルトが売っているのか。百合は己の運のなさを恨んだ。


もしフルーツタルトを買ってしまえば電車に乗れず片2時間の道のりを歩かなければならない。そんなことは絶対避けたい百合だったがかといって高島屋のフルーツタルトはあまりの人気に販売されれば即完売。また販売されるのは不定期のため巷では幻のフルーツタルトなんて呼ばれている。そのような物この期を逃せばまたいつ購入できるか分からない。


刻々と時間が過ぎていく。自分は一体どうすればいいのか。


よりにもよって所持金が500円の時に売っているなんてタイミングが悪すぎる!


百合が悩んでいると周囲が騒ぎ始めだした。


「もしかしてあれは幻のフルーツタルトじゃない?」


「ほんとだ!しかもあと一つだよ!どうしよう。これも買っちゃおうかな」


やばい、このままでは他の人にフルーツタルトを取られてしまう。


百合は決めた。


たとえ電車に乗れず片道2時間の道のりを歩いて家に帰ることになろうともかまわない。


百合は急いで店主になけなしの500円を渡す。


百合はフルーツタルトが入れられた箱を生まれたばかりの赤子を抱くような優しい手つきで店主から受け取る。

店主から箱を受け取ると嬉しさのあまり百合はニヤケ顔を抑えられなかった。それもそのはず半年間店に通いやっとのことで手に入れたのだから。百合は今までの苦労を思い返す。そしてニヤケ顔を抑えられぬまま店を出ようと振り向くとそこには小さな少女がいた。小学生くらいだろうか。クリッとした二重の瞳に黒髪のツインテール。可愛らしい真っ赤なワンピースを着ていた。


少女の瞳には溢れんばかりの涙が蓄えられ目は真っ赤に腫れていた。少女の手元をよく見てみるとカエルのガマ財布を持っていた。


この様子から推測するに少女は百合と同じでこの店のスイーツを目当てに買いに来たのだろう。しかし百合が最後の一つを買ってしまったせいで今にも泣きだしそうだった。


しかし、この世は弱肉強食。いくら自分より小さな子供でもこのフルーツタルトを譲る気は百合にはなかった。


百合は少女を無視して歩き出す。少女を横切る寸前ちらっと百合の視界に入ってしまったその姿は人前では泣いてたまるかと言わんばかりに歯を食いしばり涙を堪えていた。しかし、少女の意に反して涙がボロボロとこぼれ出す。


はたから見たら百合が少女を泣かしたように見えるこの状況。周りの客の視線が百合の方へと向かう。


百合は周りの圧力に負け鞄から出したハンカチで少女の涙を拭く。


百合は少女をなだめしばらくすると落ち着いてきたので優しく話しかける。


「私の名前は神崎百合。あなたの名前は?」


涙を堪えしゃくり上げながら必死に少女は応える。


「さくら」


百合はなるべくさくらを緊張させないように自分に出来る限りの笑顔をつくる。


「さくらちゃんはケーキを買いに来たんだよね。もしかしてお目当てはこれかな?」


箱を指さすとさくらは頷く。


さくらは緊張のせいか顔を紅潮させモジモジしていた。涙で潤んでいる可愛らしい瞳にプリンのように柔らかそうなほっぺ、ぷっくりと膨らんだ唇はまるで熟したリンゴのように真っ赤だった。また恥ずかしそうに頬を赤らめモジモジしているそのしぐさがさくらの可愛さをより一層引き立てていた。


あまりの可愛さに百合は一瞬この子は天使だろうかと錯覚した。そのくらいさくらの可愛さは群を抜いていた。


「あの・・・そのフルーツタルトを私に譲ってほしいの!」


さくらの瞳は涙ぐんでいたせいか黒曜石のように鋭く光輝いていた。


「お金はちゃんと払うから!」


そう言うとカエルのガマ財布を百合に見せつける。


「ごめんね。これは譲れない」


先程まで恥ずかしそうにモジモジしていた少女が勇気を振り絞るその姿に少し心動かされたが、百合の考えは変わらなかった。それもそのはず。半年間もの間、足しげく店に通いやっとのことでフルーツタルトを手に入れたのだ。そう簡単に譲ることはできない。


その返答を聞いてさくらは肩を落とす。


するとさくらの枯れていたはずの涙が再び溢れ始め百合は慌てる。


「待って待って泣かないで。そ、そうだよね。さくらちゃんもこれ食べたかったよね」


なだめようとする百合に対してさくらは大きく首を横に振る。


「違うの。私が食べるために買おうとしたわけじゃないの!」


さくらの予想外の返答に百合は少し戸惑う。


「実は・・・」


さくらは泣きながら全てを話始めた。さくらの母親はシングルマザーでさくらと妹の二人の子供を育てていた。しかし働きすぎて過労で職場で倒れてしまったらしい。だからそんな母親を元気付けるために母親の大好きなフルーツタルトを自分のお小遣いで買いに来たという。 


百合は考える。自分はこんな出来事の後に美味しくフルーツタルトを味合うことができるだろうか。一口一口食べるたびにさくらの泣いている顔が浮かぶのではないか。百合は自分が楽しくフルーツタルトを食べている光景を思い浮かべることができなかった。それに百合の場合フルーツタルトはまた今まで通り店に通えばいつかは買うことができる。しかし、さくらにとっていつかではダメなのだ。今まさに苦しんでいる母親を助けるために。


「さくらちゃんはお母さん好き?」


百合の問に対してさくらは屈託のない笑顔で答える。


「うん!ママ大好き!」


その迷いのない返事と可愛らしい笑顔は百合が最後まで踏み出せなかった一歩を踏み出すための後押しをする。


「だったら早く元気になってもらわないとね」


百合はさくらに箱を差し出す。


「これあげる」


先程とは真逆のことを言っている百合にさくらは驚きを隠せないようだった。


「本当に貰っていいの?」


さくらは恐る恐る聞くと百合は満面の笑みでうなずく。


するとその返事を聞いたさくらはハッ、と何か思い出したのか慌てて百合にカエルのガマ財布を差し出す。


百合はその行動の意図を察しカエルのガマ財布を受け取らなかった。


「お金はいらないわ」


「でも・・・・・」


さくらは申し訳なさそうな表情になる。


「その代わりお母さんが元気になるまでしっかりとお家のことを手伝うのよ。約束できる?」


さくらは大きく頷き、百合からフルーツタルトの入った箱を弾けんばかりの笑顔で受け取る。


「お姉ちゃんありがとう!」


さくらは子猫を抱くような優しい手つきで大事に箱を抱きしめ店から出ていった。


あんなに欲しかったフルーツタルトをあっけなく譲ってしまったが百合は不思議と後悔はなかった。


百合は満足げな笑みを浮かべ我が家へ帰るために駅へ向かおうとするが、


そういえば私、一文なしだったわ。


いつもの百合ならこの状況を嘆くのだろうが今はなぜか歩いて帰るのも悪くはないなと前向きな気持ちになれた。おそらく先ほどさくらの笑顔を見たせいだろう。そんなことを思いながら百合はお金がなくなった分少し軽くなった鞄を背負い我が家へ向かうのだった。


ーーーーーーー


店を小走りで出たさくらは段々と減速していく。


「あーあ。案外簡単でがっかりしちゃったわ」


その顔は無邪気な小学生の弾ける笑顔というより小悪魔のような笑みだった。


「あのおばさん、即席で考えた話を鵜呑みにして呆気なくこれを手放すなんてお人好しすぎね」


そう、先程百合に話した話は全てフルーツタルトを手に入れるためのさくらの作り話だったのである。


「急にフルーツタルトが食べたくなって店に来てみたらちょうど最後の一つ買われてて焦ったけど私のこの可愛さと演技力にかかればお茶の子さいさいね」


少女が浮かべるその笑みは誰もが惑わされるほどの魔性を帯びておりとても魅惑的だった。

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私と少女とフルーツタルト 本条サクマ @akebi46397

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