第57話 とある使用人の独り言

 俺は公爵家の使用人の中では新参の方で、まだイルヴィス様に近しい仕事は任せて貰えない。先輩たちは口をそろえてイルヴィス様を厳しいが優しい人だと言う、けど。

 俺はあの方の目がいつも笑っていないように思えて少し苦手だった。


 ――少し前までは。



 そもそも、イルヴィス様はその外見や人当たりの良さから考えられない程色っぽい話を聞かない。時折どこどこのご令嬢と親密だ、あの哀愁漂う未亡人と良い仲だ、という噂は立つけど、それも数日でぱたりと消え失せる。

 俺はてっきり女に興味がないものだと勝手に思っていたが、そんなところに降ってわいてきた婚約者の存在に我が耳を疑ったさ。



(イルヴィス様が妄想上の嫁を連れて着たらどうしよう!?何もない空間に向かって「こちらが私の婚約者です」って紹介されたらなんて反応すればいい??)



 そんな俺の驚きとは裏腹に、紹介されたのはいたって普通の令嬢だった。

 彼女はアマリア・ローズベリーで伯爵家の長女らしい。可愛らしいけど、とびぬけて顔が整っているわけではない。少しやつれているのは気になったが、特に目につくところもない……まあ、普通の令嬢だ。


 こう言っちゃアレなんだが、結婚を催促する周りを誤魔化すためにイルヴィス様が適当に選んだ相手かと思った。まあ、その予想は大きく裏切られることになったけど。



(あの一に仕事二に公務三、四がなくて五に仕事のイルヴィス様が、アマリア様との時間を作るために仕事をしている……!)



 天変地異である。最初は庭でワインを嗜む二人を見て何度も目をこすったものだ。



(うへえ、イルヴィス様もあんな顔ができたんだな)



 しかもイルヴィス様の方が惚れ込んでるときた。あんなに熱を孕んだまなざしを一身に浴びておきながら、彼女はよく勘違いで来たものだ。あの方があの顔で社交界に出た日には、一体何人の乙女が息絶えることだろう。



(にしても、意外だったな)



 最初こそあのイルヴィス様を落とすとはどんなやり手かと思ったが、何度かアマリア様と話せばすぐにその考えは消え去った。優しくて穏やかで、イルヴィス様に集る女と真逆の存在だ。


 難点と言えばアマリア様と話すたびにイルヴィス様の視線が突き刺さることくらいだ。いつも微笑みえを浮かべている人の真顔怖すぎるんだが。俺は普通に手紙を届けただけです!



「おや、その紋章は……」

「はい、久しぶりのセバスからの近況報告です!」

「ふふ、パーティーの招待状しか届かないと嘆いていましたね」

「そ、それは忘れてください!」



 ころころ表情を変えるアマリア様を見つめるイルヴィス様の口元は優しく綻んでおり、甘く垂れ下がった目尻に熱が点る。自分の表情を完璧にコントロールしている公爵ではなく、愛にまっすぐなただ一人の男がそこにいた。

 そしてイルヴィス様はそのまま自然とアマリア様の手を取り、庭の方に向かった。うーん、ここはできる使用人としてもワインを用意していくべきだろうか。



(俺、完全に空気だったなあ……)



 愛は人を変えるというが、それにしたって変わり過ぎだと思う。でも、イルヴィス様が以前よりずっと接しやすくなったのは喜ばしいことである。

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