6 雨に還るよ
「シンゴ店長……」
昼休憩時間、一緒に食べようと誘われた。
ツナキとクルミが付き合い始めてひと月が経つ頃だ。
断る気だったが、店長は色々察した顔をしていたので断り切れなかった。
ショッピングモール内のイートインコーナーに向かい合わせに座った。
「水田さん、元気?」
「はい、まあまあです。
あっ、ツナキとクルミさん、仕事続けてくれそうですね」
こんな会話ができるのは二人がいないからだ。
「そうだね。前の前の子は三か月で辞めちゃったからねえ……」
「ですね、意外と大変ですもんねこの仕事。でも後輩が育ってくの嬉しいもんですね」
無難な会話……無難な会話……。
ハスミは反射でアイスクリームの店舗を指差した。
「あの人、三カップ」
ハスミがこっそり指し示した、列に並ぶ若い女性はアイスクリームを三つ購入した。
「おおー何でわかるの?」
「あっちのテーブルに三人連れでいたの、実は見てました」
「すごい! 観察眼!」
急遽アイスクリーム当てゲームの勝敗を店長と競う。
二人で大外れした後に「ああー」とひと通り残念がってからハスミはオチをつける。
「ま、女性はみんな二カップですが」
「人類みんな二カップですが」
げらげら、げらげら。
気持ちだけ周囲の目を気にしながらバカ笑いする大人二名……。下世話なので以下割愛。
休憩時間の終わりが近づいてきた。
ハスミは知らず口の中が渇いていて、逆につい口が滑った。
「店長、恋愛バイアスってあるじゃないですか?」
「ん? 恋愛してると相手のすべてが素晴らしくよく見える、とかそんなんだっけ?」
「えっと、そっちじゃなくて、男女でいる人たち見ると『あっ、恋人なんだなー』って思っちゃうじゃないですか? でも、それ以外のペアだとそうは見えない、みたいな」
「ふむふむ。わからんでもない」
ハスミはカフェオレの残りを飲み干して、口を湿らせた。ますます口が滑る。
「例えばなんですけど、もし蛙と一緒にいる人を見かけて『あっ、蛙と夫婦なんだな』って思います?」
「………………ちょっと、質問の意図がわかんない、けど、」
ハスミの頬が熱くなった。
自分の発言の奇怪さに慌てたのではなく、シンゴ店長にどんな答えをもらいたかったのか気づいてしまったからだ。
ハスミはこう続けたかった。
例えば、蛙の奥さんがいる人がいたら、その人は人間を好きになれるわけないって、無意識で偏見を持ってもおかしくないですよね?
私、ツナキに恋人ができたって聞いてショック受けても変じゃないですよね?
……きっと自分は最低だ。
店長がハスミの顔色の変化に気づいて心配顔になった。
が、次の業務開始が差し迫っていることに顔を顰めた。そして、早口でつけ足した。
「……水田さん、なんか後悔してることあるのかもしれないけど。
取り返しがつくことなら、その
相手の価値観も、自分の気持ちも途切れないうちは変えていけるんだし」
店長の励ましは、ハスミの相談が抽象的だっただけにめちゃくちゃ抽象的だった。
それでもふっと肩の力が抜けてハスミは「はい!」と笑っていた。
ツナキとクルミの交際は順調らしい。
小憎らしいことに毎度、弟分は直接ハスミに近況報告してくれる。
最近、ツナキがなにやら休憩時間に書き物をしている姿を見かける。
ひょいっと彼のノートパソコンを覗きこんだ。
――――――――――――――――――
そり
さよなら おたまじゃくしが
――――――――――――――――――
ツナキの詩? 短歌? を覗きこんで一言。
「意味わからん」
「じゃあ見んなよな!」
ツナキが、パシッと二の腕を叩いたのをハスミは笑って受け流した。
強い姉貴分でいられることは、感情が落ち着いた今ではそう悪くない。
ツナキはぽそっと呟いた。
「これ、『きみへかえるよ』って書いたのハスミ先輩のことだから」
「んん? どういう……」
「ハスミ先輩が、俺に、違う生き方の選択肢をくれた気がするから」
キザなやつだな、と茶化そうとして屈託ない目に毒気を抜かれた。
心の素直な部分をふっと後押しされて、ハスミは尋ねた。
「……少しは、励ましになった?」
「うん、超なった。
……境遇は理解されなくても、わかろうとしてくれる人はいる。
……まだクルミには打ち明けてないけど、あの、わかってもらえる自信がなくてまだ言い方考えてる段階なんだけど。
バレるのそんなに怖くないのはハスミ先輩のおかげ。
最初、俺の話をバカみたいに信じてくれてマジで嬉しかった」
「もっとリスペクトこめてお礼言いなさいな」
ハスミは勝手に微笑み出す口元を誤魔化すために、パシパシ、とツナキの二の腕を叩き返した。
盛夏に向かうにつれ涼雨もやんだ。蛙の合唱もすっかり聞かなくなった。
ハスミが「それなに?」とツナキ持参のタッパーを覗くと、「こおろぎスナック」と返ってきた。
「うえっ」「なに食べても俺の勝手でしょ」
この暑さが落ち着けば、次は鈴虫が鳴き始めるのだろう。
巡る季節を共に味わえる小さな高揚を、ハスミはそっと噛み締めた。
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