5 遠ざかってく

 その翌日の退勤後である。


 ツナキがかつてないほど喜び勇んで駆け寄ってきた。


「先輩ヤバい、ヤバい先輩」


「どうどう、なになに? 落ち着け、どした?」


「俺さ好きな子、できた、かも」


「――マジ?」


 ハスミの膝枕で愚痴を零した昨日の今日でか?


「聞いて、俺の話」


「えっと、うん」


「クルミさんに告られた!」


「あのクルミさん⁉」


 クルミは、確かにツナキと同じく新入社員だからか、よく二人で話しているイメージはあった。


「そう! でさ俺、今までグラビアとかなにがいいのかさっぱりわかんなかったんだけど、だから人間なんて……って思っちゃってたけど、今日わかった。


 腕ぎゅって、こう抱きしめられてさ、こういうの庇護欲っていうの?

 好きになったらもう、存在そのものが愛しいんだ」


 絶大な感動が伝わってくる。価値観が百八十度変われば相当な衝撃なのだろう。


 しかし、そうは言ってもツナキのこの喜び様はまるで、


「初恋を知った男子中学生か」


「偏見!」


「世の中の九割が偏見でできてんのよ」


「え? あー……」


「それよりもあんた、人間の女の子好きになれたんじゃん」


 ツナキははにかんだ。晴れやかな、安堵の顔で。


 ハスミは髪を搔き上げた。


 つい昨日、ツナキの指先で遊ばれた髪の毛が肩から滑り落ちた。



 ――そして、「やったじゃん」と、にっこり笑った。



「手のかかる弟が巣立っていった気分」


「誰が、手がかかるって?」


 ハスミは今度はにんまり、唇の端を上げた。


 しまった、「弟」のほうにツッコミ入れるべきだった、という後悔がツナキの顔に広がるが、もう遅い。


「仕方ないなあ、可愛い弟の恋を応援しますか!」


 赤くなったり顔を顰めたり、ちょっと笑ったり、ツナキの顔は忙しかった。


 ハスミは徐々に冷えていく指先を悟られぬよう、両手を背中に回して弟分をからかった。


 ――勘違いしたのはハスミが悪いのだ。


 一緒に風呂に入って、膝枕して、弱ったところを自分にだけ見せてくれて。


 普通は先輩後輩以上の、もしくは姉弟以上の情を見出すものじゃないか、なんて常識を振りかざして責めるべきじゃない。


 とりわけツナキは、ずっと人間の常識にそぐえないことで苦悩してきたのだから。





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