4 帰る家だけ

 その日以降、ツナキに考えこむような素振りが目立った。

 仕事中はさすがにないが、休憩時間になると大抵一人でいた。


 これまでと一変、周囲に見えない防御壁を築いていた。


 歓迎会でシンゴ店長に言われた言葉がふと蘇った。


 ――水田さん、気にかけてやってね。


 ここは先輩として頑張りどころなのでは?


 ハスミは丁度、バックヤードで一人になったツナキを発見した。


 ――よし。


「あたしね、カフェオレ飲む前に納豆食べることにしてんのね。甘さが引き立つから!」


「気色悪っ」


 ツナキの反応のキレは普段通り。


「固まりかけの水のりもちゃんと使うし、手についても平気だし」


「だから?」


「あたしがどんだけヌメリに抵抗がないか説明してやってんでしょうが! 長芋のねばねばも好きだし」


「蛙と長芋は同義か」


「ち、違うわよ。励まそうとしてんの」


「別に俺、落ちこんでないし」


 呆れ顔がツナキのデフォルトに思えてきた。


 こうなるとハスミは白状するしかない。


「……ツナキさ、あたしに打ち明けたこと、後悔してんじゃないかと思って。違うならいいの。

 でもあたしは、聞けてよかったと思ってるから、あんたの事情」


 ツナキはわずかに目を見開いた。


「じゃ、そんだけ!」


 それだけ捨て台詞のように言って、バックヤードから出た。

 根っこが引っ込み思案のハスミの勇気はこれが限界だった。




 帰り梅雨が彼を打ちつけていた。


 ハスミの帰路、駅の出口付近にツナキが途方に暮れたように立ち尽くしていた。

 彼はこちらに気づくと、後ろめたそうに目を伏せた。


 ハスミを待っていたのか。

 半ば期待せずに、それでも誰かに見つけてもらいたいとかすかな期待を捨て切れずにいたのか。


「――ほら、おいで」


 ハスミが姉貴ぶってハンドタオルを差し出すと、ツナキは迷いながら受け取った。


 ぱっと近づいて傘に入れてやる。


 ハスミが傘を高めに揚げて、振り返り振り返り歩き出すと、狙い通りツナキは傘からはみ出さないようについてきた。


 駅の待合室で電車を待つ間、ようやくツナキが口を開いた。


「……先輩はさ、トノサマガエルの寿命ってどんくらいかわかる?」


「えっと……」


「三年~五年、って言われてる。俺の体感的には三年もない、気がする。

 二か月で卵からもう大人になるからさ、人間には信じらんないくらいの周期の速さで一回の人生が終わる。

 それを、俺は毎回、見送る」


 ツナキが言葉に詰まった。


 ハスミは隣に座る彼のかすかに蒼褪めた横顔を見上げた。


「さっき、俺の子供が死んでるの見つけた。駅の、あの、しげみのとこ」


 ああ、そうか。

 彼はきっと何回も何年も、そんなことを経験してきたのだ。


「ハスミ先輩、子供いたことある?」


「……ないよ」


「自分の奥さんにも子供にも、どんどん先立たれてく気持ち、わかる?」


 わからない。でも正直にわからないと言って、この可愛くない後輩は、大丈夫、なんだろうか……。


 気がつけば口から飛び出していた。


「お風呂入ろ。この辺、銭湯ないからあたしんちで」


 電車から降り、半強制的にびしょ濡れの後輩を自宅に連行した。


 ツナキの服を引っぺがし、自分も脱ぎ捨てた。


 今は風呂場だ。


 ツナキの背には緑の縦線が三本。濃い斑紋が背と二の腕と太腿まで広がっていた。

 彼の正体を知った今は、それが刺青いれずみではないとわかる。


 石鹸を泡立てて触れれば、ひんやり冷たかった。溶けた保冷剤くらいの体温。


 風呂から上がるとツナキは「帰る」と言い出した。


「……泊ってってもいいけど。ふらふらしてホームに落ちても怖いし」


 ツナキの家は一番近い駅から乗って、三駅先だ。


「いや、帰ります。こういう、こんなぐずぐずな、甘え方は嫌なんで」


 ツナキは頑なにハスミと目を合わせなかった。

 この様子ではハスミのそばでは逆に休めないだろう。

 ハスミは無理に引きとめようとは思わなかった。


 が、それが不服だったのか玄関先でツナキが初めてハスミを覗き見た。


「……あの、あと三十分だけいてもいいすか?」


 なにを隠そうツナキは膝枕をしてほしいらしかった。


 ベッドに座ったハスミの太腿に、彼は耳を押しつけた。


「熱い……人間の体温って、やっぱ俺には合わない」


「大丈夫? 火傷、しない?」


 ツナキは横になったまま「平気っす」と首を縦に振った。


 ハスミは彼のスキンヘッドに指を触れて、慌てて離した。

 蛙の頭部そのものに思えてしまった。


 彼は掠れ声で呟いた。


「……俺、髪の毛、生えないんすよ。

 でも、こんなに人間と違ってても俺、今は人間を、好きになりたいです。


 もう見送るの疲れた。

 子供がどんどん成長するのを見れるのは、嬉しいけど、俺より絶対、先にし……死んじゃうってわかりながら、子供を作るのって、たまらなくしんどくて。


 ……一緒に、同じくらいのペースで、生きてくれる相手を探そうとすると、やっぱり人間しかいないから。

 だから、俺、人間同士の恋愛を、してみたい」


 痛切な響きだった。


「……よこしまっすかね、こんな動機」


 ツナキは腕を伸ばして、ハスミの髪の生え際をつついた。

 まるで初めて人間の髪の毛に触れたというように。


 指に髪の束をおそるおそる絡めて、滑り落とした。

 彼はそんな風に、しばらく髪を触っていた。


 ハスミはされるがままにしながら、微笑んだ。


「どんな動機でもいいんだよ。

 ツナキがちゃんと相手を、もし子供ができたら子供も、大切にできるならね。

 でもあたしは、ツナキが一方的に我慢して人間に合わせることはしなくていいと思う」


「え?」


「だって、恋愛とか結婚とか、人間社会じゃ義務じゃないんだし」


 圧力はあるけどねぇ、とハスミは内心でつけ加えた。


「………………そっか。

 俺、常に恋愛してないといけない気ぃしてけど、自然界だと冬眠期間除けばそうなんで、けど別にカップルいない人間珍しくないっすもんね……」


「そうね、あたしとかね」


「あ。すんません」


「ちょっとちょっとツナキくん、なーんでそこで謝ったのかな?」


 ツナキは膝の上でけたけた笑い出した。


 ……蛙の笑い声はゲコゲコではないらしい。





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