3 気取るので
ツナキと帰りがかぶった。
ハスミもツナキも電車通勤なので同じ駅に向かうことになる。
ちょうど陽が沈んだところのようで、夕空と夜空の境目にいた。
上空に静止するもつれ雲の影。
「疲れたねー」「そうっすね」と言い合った後は無言が続いた。
ツナキは数歩後ろからついてくる。
湿り気のある夜風が肩口に乗り上げ、背後に過ぎていった。悪くない沈黙だった。
道路端、ハスミが蹴飛ばしかけたエノコログサに似た長い葉の雑草の隙間に、なにか跳ねた。
「あ、蛙じゃん」
確かこの道沿いの住宅地の奥に田んぼがあった。そこから出張してきた蛙だろう。
ハスミは出来心でしゃがんで、蛙に話しかけた。
「ねえきみ、道路入ってきちゃダメだよー。ひかれちゃうからね」
蛙を見つけて郷愁にかられたり、梅雨だなあと季節を感じるのは日本人だけなのかな。
雑草を握る蛙はなかなか愛嬌がある。
「ちょっと!」
必死さの滲む声でハスミを制したのはツナキだった。
理髪店のネオン看板に照らされた目元が若干赤らんでいる。
――まるで、恋を、している目だ……。
そういえばハスミは今、完全にツナキの外に意識を追いやっていた。
……ちょっと待って。え? 嫉妬? 蛙に……? うそん。いくらあたしのことが好きだからって。
えー、そんな、そこまで……?
やがて、そうではないことを知った。
「その子、俺の奥さんだからさ、あんまベタベタ触んないでよ。てか、ちょっとも触んないでください」
「あ、ごめん。野性動物に人間の匂いがつくのはよくないんだっけ?
……って、は? 奥さん?」
ツナキは神妙に頷いて、口をぱかっと開けた。
ピンクの舌がうにょーん、と彼の胸元まで垂れた。チューインガムみたい。
「俺、蛙の化身なんだ」
混乱したハスミの口から飛び出た本音。
「あたし……」
「そうっすよね、気持ち悪いっすねこんな……」
「……あたし、河童がよかったぁ……!」
彼は
「……いや、知らんがな」
「河童のお皿が、
「ますます知らんがな」
彼が咄嗟に取り繕おうとしたのか、つけ加えた。
「蛙は変温動物だから、あんまり素手で触ると弱ります」
「はい。ごめんなさい、気をつけます」
ハスミは改めて、ツナキの妻だという蛙を観察する。
背中の模様を見るにトノサマガエルだ。
メスだから緑色ではない。体長五センチ以上ある、と思う。
艶めく
手足と背を賑やかすまだら模様を分割する、鼻先から背中心を通る線と、両目をそれぞれ横切る二本の線。それら蒸栗色の三本の筋が野生とは反するメカニックな気配を与えている。
それは車のヘッドライトより車体を伝う継ぎ目を思わせるからかもしれない。あえて哲学的に言うなら、車の格好良さはトノサマガエルを起源としているのだろう、うん。
蛙は前脚を曲げ、後脚は雑草の上で突っ張っている。柔く見える脚が不意に曲げ伸ばしをすると、筋肉に確かな息吹が巡ったかに思えた。
健気に葉を握りこむ、ふくりと丸い指先。
鳴くと両頬にシャボン玉のような袋ができ、下顎が膨らんだ。グググ、と響く振動と共に鳴き声がその意思を伝播させる。
でっぷりと張った胴。ネオンに閃いた堂々たる居住まい。
「てきれきってなんすか?」
「ああ、あざやかに白く光り輝くって意味」
「小難しいなあ。よくある例えってなんだっけ……あ、
「白磁は、磁器の白さだからなあ。ちょっと人工的な白をイメージしちゃわない? 的皪は白磁より自然とか野性な感じするんだよね。
あとね、的皪には真っ白って意味も、透き通ってるって意味もあるの。ってことは、ご想像にお任せできる幅が広がるわけ。
いいでしょう? 古きよき素敵さある単語でしょう?
あなたの思う一番美しい蛙をご想像ください、なんちゃって。
てかツナキ! あたしの心の声に横槍入れんな!」
ひょいとツナキは肩を竦めた。
読心術でもあるのだろうか。いやそれは河童か。いや妖怪なら
「そんなことより、ハスミ先輩は俺が蛙の化身って言ったの信じるんすか?」
ハスミは数秒沈黙した。
冷静さが舞い戻ってくる。
そして、
「――うん。信じる。あたしが信じても信じなくても状況何も変わんないんでしょ?
なら、ツナキが信じてほしそうな顔してる以上、信じるよ」
「俺、そんな顔してない」
「してる」
ツナキは歯痒そうな焦っているような。
「どっちかっていうと、ツナキに奥さんがいたことに驚いてる」
「や、でも蛙だし……」
「……うん、蛙だね」
ハスミは、ツナキの妻のトノサマガエルに「またね」と手を振って歩き出した。
ツナキも喉を鳴らして妻になにかしら挨拶をして、ハスミについてきた。
「……ってあのさ、もし、あたしが言い触らすんじゃないかって心配してるなら大丈夫よ?
『内緒にして』って頼まれなくても、言ってほしくなさそうなことくらいわかるから」
「ちがっ……、そんなことくらい短い付き合いでもわかるって! ハスミ先輩が俺を虐めようとか、絶対しないでしょ」
一体どこにあたしを信用できる要素を見出したんだろう? と疑問に思いながらも、その近すぎるような距離感が心地良くて、「そっか」とだけ返して後は無言で歩いた。
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