野営 4

 朝──

 

 カキーン! と剣がかち合う音で、啼義ナギは目が覚めた。

 イルギネスとしらかげが打ち合っている。しかも二人して、鞘から剣を引き抜き、鬼気迫る勢いで生の剣身を振り回しているではないか。

 あまりの光景に一瞬思考が止まった啼義だったが、イルギネスの剣身が炎を帯びたのを見た瞬間、眠気が吹っ飛び、咄嗟とっさに体を起こして声を上げた。

「何やってるんだ!」

 二人がピタッと動きを止めて、こちらを見る。緊迫した表情の啼義を見つめ──二人の空気が、彼の緊張感とは真逆に、ふわりと緩んだ。

 イルギネスが朗らかに笑う。

「ははは! 起こして悪かったな。おはよう」

 驃も笑顔で続いた。「おはよう。ぐっすりだったな」

 あっけに取られている啼義の前で、イルギネスが剣を鞘に収めながら、「いいところだったのに、残念だ」と呟く。

 すると、驃が同じように鞘に剣を戻しながら、イルギネスを小憎らしげに睨んだ。

「今、火の気を纏わせただろう。魔術剣士め、油断ならねえな」

「それが、俺の本来の戦い方だからな。それに、発動速度を確かめたかったんだ」イルギネスは悪びれもなく返した。驃は迷惑そうに顔をしかめる。「俺相手に確認するなよな」

「……何だよ、練習か」今のが単なる朝稽古だったと分かり、啼義は気が抜けたと同時に、腿の傷の痛みを思い出して心の中で呻いた。急に動いたので、少しばかり傷に響いたようだ。昨晩に比べたら、だいぶ痛みは引いているが。

<本気の喧嘩かと思ったじゃねえか>

 とは言え、稽古で本物の剣を振り回すのはいかがなものだろうか。ましてや友人相手に。

「普通、こういうのって、本物の剣で打ち合うものなのか?」

 啼義が恐る恐る尋ねると、二人はケラケラと笑った。驃が、イルギネスに確認するように視線を投げて答える。

「うーん。あんまりやらないよな」

「今朝は木刀がなかったからさ」

「ちゃんと、危なくない程度には抑えてるぜ」

 なんでもないように言い合う二人に、啼義は言葉を失った。

<あの雰囲気の、どこが抑えてるんだ?>

 やっぱりこの二人は、どこか一本基準がずれているのかも知れない。啼義は深く考えないことにした。



 ほどなくして、三人は残っていたわずかな食糧を分け合って食べると、野営地を片づけ帰路に着いた。起きた時にどんよりしていた雲は、いつの間にか去り、澄んだ青空が広がっている。

 出発してすぐ、啼義が大型の魔物と遭遇した場所に差し掛かったところで、「それにしても」と驃が口を開いた。

「こんな街の近くに、あの大きさの魔物が出るってのは、ちょっと深刻さが増してるな」

 丈夫な木の枝を杖代わりに進む啼義をそっと支えながら、イルギネスも頷く。

「ああ。状況が悪い方へ進んでいるのは、間違いない」

 一方で啼義は、昨晩の恐ろしい記憶が蘇って、ぶるりと身を震わせた。実際は風が吹いているせいなのだが、辺りの繁みが、魔物を隠してそよいでいるように見える。今となっては、よく一人でこんなところを抜けようとしたなと、自分の無謀さに呆れるばかりだ。

 しかし、二人の会話に様子から察するに、そういう危険な状況が増大しているの要因は──啼義は顔を曇らせた。

「竜の加護の継承者が、不在だったから?」

 イルギネスが、どことなく渋い顔で肯定する。

「まあ、そういうことだな」

「──」

 啼義は、黙ったまま俯いた。

 竜の加護の継承者──それは今、自分のことを指すのだろうが、魔物を抑える役割を果たしていないどころか、竜の加護をほとんど操ることができない。加えて、ダリュスカインとのこともある。自分の命が、先に続くのかも保証がないのだ。

 イルギネスが柔らかく微笑んで、啼義の肩を軽く叩く。

「そんな顔するな」

「え?」

「また、皺が寄ってるぞ」

 眉間をつつかれた。どうやら無意識に、眉根を寄せていたようだ。啼義は、指でゴリゴリとそこをほぐした。イルギネスが笑う。

「ここに頼もしい護衛が二人も揃っているんだ。なんとかなる。安心しろ」

 驃もグッと親指を立てて、歯を見せて笑った。

「そうだぜ。まかせとけ!」

 心強い二人の言葉に、啼義は胸の奥が熱くなるのを感じた。身体の内側から、本当になんとかなりそうな気持ちが湧いてくる。思えばイルギネスに助けられてから、自分は何度、こんなふうに胸の奥を震わせただろう。自分の立たされた苦境の重さも吹き飛ばすほどの、前向きな熱い思いに。

 啼義はふと、昨夜の彼との会話を思い出し、自分も何か、気持ちを返したい思いが頭をもたげた。とは言え、気持ちを言葉にして伝えたことなど、ないに等しい。イルギネスのように上手く言葉にできるだろうか。だけど、ここで伝えなければ、機会を逃してしまいそうな気がした。

「イルギネス」

 啼義は心を決め、自分を穏やかに見つめる、彼より少し背の高い銀髪の青年を見上げた。

「ん?」

 澄んだ青い瞳が、凪いだ海のような光を湛えて啼義の黒い瞳を見返す。しかし呼びかけたものの、どう切り出したらいいか見当がつかない。

「色々……ありがとう」

 結局、なんとか出た言葉はそれだけだった。少しばかり照れながら素直に礼を告げた啼義に、イルギネスが笑いかける。

「おう」

 屈託のない笑顔を向けられ、啼義はやっぱりもう少し何か言おうと、頑張って言葉を探した。

「俺、これからもまだ、心が揺らぐことや、こういう……間違った判断をするかも知れない。そういう時は、遠慮なく叱って欲しい。たとえ──竜の加護の継承者が云々みたいな立場になってもさ」

 羅沙ラージャにいた頃のように、周囲が継承付きで呼ぶような身分の差が、出来たとしても。

「大丈夫さ」イルギネスは当たり前のように答えた。「そう思っている時点で、お前は良い主君になる」

 躊躇ためらいもなく言われ、何の根拠だよ、と啼義は心の中で返したが、そう言われれば満更でもない。あえて突っ込まずに、自分の自信の足しにすることにした。

 驃が「本当にな。イルギネスが拾ったのが、お前で良かった」と、啼義の背に手を添える。

「脇はしっかり固めるから、あとは頼むぜ、未来の主人あるじ殿」

 その背を軽く叩いた驃の手は優しく、文字通り背中を押されたような気がした。

「うん」

 啼義は、二人の顔を見て頷いた。

 ふと、イルギネスが啼義から離れ、ぐっと身体を伸ばす。

「さて、仕切り直しだ」

 端正な顔に強気な笑みを浮かべ、彼はいつかと同じ言葉を、前よりも意気揚々と言った。

「しっかり全部カタをつけて、みんなで堂々とイリユスへ帰ろうじゃないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る