野営 3

 夜の間の見張りには、啼義ナギも加わると申し出たものの、「その怪我じゃ無理だろう」と二人に一蹴された。

「まあそれに、結界があるからな。あくまで念の為と、火加減を見るためさ」としらかげ

 そう言われれば啼義もいくらか安心して、自分が持参した寝具を広げて身体を横たえると、ほどなくして疲れが勝り、あっという間に眠りに落ちた。



 啼義はふと、目が覚めた。

 辺りはまだ暗く、パチパチと薪が焼ける音がしている。

 すぐ目の前で、赤いマントにくるまって膝を抱えたイルギネスが、焚き火に向かって薪を放りこんでいた。野宿するような出立いでたちではない彼は、さすがに少し寒そうだ。

<外で一泊ぐらい、大したことないって言ってたけど……>

 夜気に耐えるようにしっかりと身体を抱え込んで座っている姿を見て、啼義は急に、申し訳なさがこみ上げてきた。声をかける気もなれずに、再び瞼を閉じようとした時──イルギネスがおもむろに口を開いた。

「どうして、一人で行こうとした?」

 啼義は驚いて目を開けた。こちらに一瞥もくれていないのに、なぜ起きたのが分かったのだろう。イルギネスが、啼義の方へ顔だけ向ける。青い瞳に暖かな橙が反射して、彼が心の内に抱えた熱い炎が見えるような、いつもと違う雰囲気を醸し出していた。

「本気で、一人で行けると思ったのか?」

 彼にしては棘のある声音に、啼義は身を横たえたまま肩をすくめた。怒っているのだろう。自分のしでかした行動を思えば、あまりに当たり前の感情だ。

「ダリュカインと、話がしたいと思ったんだ」啼義は、ぼそぼそと答えた。

「話?」

 イルギネスが、意外そうな顔で聞き返す。

「うん」

 イルギネスは、手にした薪を焚き火に投げ入れると、身体ごと啼義の方に向けた。

「お前をあんな目に遭わせた奴なのに、話せる相手なのか?」

「分かんねえけど……ただ、戦って仇をとればいいってことじゃ、ねえ気がするんだよ」

 啼義は、言葉を選びながら続けた。

「でも話すなら、あいつが知らない人間と一緒じゃなく、俺一人で行かないと、対等にはならないっていうか──」

 声がしぼんだ。それにしても無謀な行動だったことは、充分に骨身に染みている。それでもあの時は、思い立ったら気持ちが焦り、それしか方法がないような気がしたのだ。

「ダリュスカインとは十年も一緒にいたけど、俺、あいつのこと、あんまり分かってなかった気がする。だから──いきなり剣を向けるんじゃなく、話したい」

 イルギネスはしばらく啼義の顔を眺め、「ふむ」と顎に手をやった。

「分からなくもないが……相手がそれを受け入れるかは分からんだろう。そんな状況で、一人で行かせるわけにはいかん。俺の立場もあるし、それ以上に──」彼は一瞬、唇をきゅっと締め、「もう、言わせるな」憮然と言った。

「……うん」

 イルギネスの言いたいことは、痛いほど分かっている。分かっていたのに、浅はかな判断で、またしても彼に大変な思いをさせてしまった。

 啼義が何も言えずに、黙ったままイルギネスの端正な横顔を見つめていると、やがて彼は小さく息を吐き、やっと口元を緩めた。

「まあ、お前の置かれた状況を思えば、いろんな考えが錯綜するのは当然だろう。ましてや、確実に正しい判断ができる歳でもない。俺が十七の頃は、お前よりずっと恵まれた環境にいても、無茶苦茶だったしな」

 どんな無茶苦茶だ──啼義は想像し、聞かない方がいいと判断を下した。彼のことだ。見た目の端正さを裏切る事件ばかりだろう。

 その時、イルギネスが小さく鼻を啜って、わずかに体を丸めた。

「大丈夫か?」啼義は身を起こそうとして、足の痛みに顔をしかめる。イルギネスが、「お前こそ」と呆れ顔になった。

「治りが早いって言っても、結構な怪我だ。俺はこういうのは慣れてるから、お前はおとなしく寝てろ」

「う……」

 反論する余地もない。イルギネスは木の枝で薪の位置を調整しながら、再び口を開いた。

「まあ、あれだ。お前がそう思うなら、ダリュスカインとお前が対峙する時は、俺たちは下がる。だけど、その場所の近くまでは着いて行くし、何か危険を察知したらすぐに出る。それでいいか?」

「うん」

 頷くしかない。迷惑をかけたくないという気持ちだけはあるものの、自分の思いと現実はかけ離れすぎていて、描いた場所まですら、一人で辿り着けないのが現状だ。

「なんか俺、自分のことがどんどん嫌いになってくる……」

 啼義は悲観的な気分で呟く。すると、イルギネスがおどけた顔で返した。

「俺だって、自分が嫌いだったことぐらい、いくらでもある」

「えっ?」ひどく驚いた啼義に、イルギネスの眉が上がった。

「なんだその顔は」

「だって──あんたみたいな……その、いつも全然、そんなふうに見えねえのに」

「失礼だな。まあ確かに、お気楽者の方には入るだろうが」認めつつも、彼は続けた。「自分を嫌いな自分なんて、それこそ嫌だから、戻るまいと必死なだけさ」

「……自分を、嫌いな自分」

 確かに今、自分に失望するばかりの自分にも、嫌気がさしている。

「でも、どうしたらいいか分かんねえや」

 寝具の中に身を沈めた自分を見つめるイルギネスの目に、なんとも愛しげな色が浮かんでいることに、啼義は気づいていない。

「まあ、お前は自分を好きじゃないかもしれんが、俺は、お前を好きだよ」

「はっ?」唐突な言葉に、啼義の声が上ずった。彼の黒い瞳が、イルギネスを見上げて瞬きを繰り返す。

「ど、どういう意味……」

 今まで、こんなにストレートに好意を示す言葉を向けられたことなどない。それにどこかで、そういう言葉は異性間でしか存在しないような気すらしていたのだ。

「どういう意味って、そのまんまさ」片やイルギネスは、啼義の困惑ぶりを理解していないようだ。

「心根が真っ直ぐだし、気骨もある。そういうお前が、俺は好きだ」

「ちょ、ちょっと待て。それ以上好き好き言うな」

 啼義は混乱して彼を止めた。イルギネスはケラケラと笑って、軽く啼義の頭に手を置くと、くしゃくしゃと撫でる。

「あ! やめろって」

 全身の毛が逆立つ猫のような気分になりながらも、実際はされるままになった。そんなふうに撫でられた経験が、ほとんどないせいかも知れない。

「おやすみ」手が、離れた。

<なんだよ>

 啼義は、頭の上にほんのり残る温もりに心の中で毒づいたが、意識は知らず安堵し、再びゆっくりと眠りの中に吸い込まれて行った。

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