それぞれの決意 1
「啼義様っ!」
玄関に現れた血だらけの啼義の姿を見て、アディーヌは一瞬顔面蒼白になったが、それが魔物の返り血と分かると、ほっと胸を撫で下ろした。
「左の腿を少し深く切ってますが、おおむね元気です」
イルギネスが説明する。
「本当に……ご無事で良かった」
声を震わせたアディーヌに、啼義はあらためて、ことの重大さを感じ取り、何も言えずに俯いた。
「あなたたちも、大変だったでしょう? 野宿の支度などしていなかったのですから」
アディーヌがイルギネスと驃を気遣うと、二人は軽く首を振り、「このくらい、どうってことありませんよ」と顔を見合わせて笑った。しかし真ん中では、啼義が居心地悪そうに縮こまるばかりだ。
その時、奥の間仕切りカーテンが揺れて、リナが顔を出した。彼女も、返り血で酷い状態の啼義を見て目を見開き、凍りついたように歩を止める。
「大丈夫だ、リナ。魔物の返り血だよ」
イルギネスが安心させようと再度説明したが、リナは逆に、啼義に批難めいた眼差しを投げ、きゅっと口元を閉じると、踵を返してカーテンの向こうへ消えてしまった。
啼義が、反射的にあとを追おうと足を踏み出したものの、途端に「痛っ!」と顔を
「こら、急に動くな」
イルギネスが支えたので、倒れるのは免れたが、左の太腿に走った痛みが余韻を引いて、啼義は苦しげに息をついた。「あいててて……」
と、顔を上げた彼は目を瞬いた。リナがまた、間仕切りカーテンから顔を出している。
「……」
言葉もなく自分を見つめる啼義を、彼女もまた黙って見返した。二人の雰囲気に、周りにも沈黙が落ちる。やがて──
「怪我、してるの?」
リナが、おずおずと口を開いた。
「あ、うん……ちょっとだけ」
啼義が狼狽気味に返す。彼女は気の進まない顔で彼の前までやってくると、布を巻かれた太腿を見やり、「足?」と尋ねた。
「うん」啼義は頷く。「でも、もうだいぶ回復してるから、大丈夫」なぜか、
<別に、笑顔で迎えてほしいとか、思ってたわけじゃねぇけど>
とは言え、明らかにぎくしゃくしているこの空気は耐え難い。どうにかこの場を離れたいと思い始めたところで、アディーヌが言った。
「啼義様、とにかく一度、上のお部屋でお休みください。階段を上がるのが辛ければ、居間を整えますし」
「あ、ああ。大丈夫。階段は上がれる」
とりあえずここからは解放されそうだと、ほっとしたのも束の間だった。
「リナ、怪我の様子を診て差し上げて」
言われたリナは眉根を寄せ、「──はい」と渋々答える。
<ちょっと、なんか……すげえ嫌な感じだけど>
啼義はさらに気が滅入った。この態度の矛先は明らかに自分に向いている。イルギネスや驃を巻き込んで、日を跨ぐ騒ぎになったことを思えば、それも仕方がないだろう。けれど自分だって、死にそうな目に遭って、こんな怪我をして帰ってきているのだ。
<もう少し、柔らかく迎えてくれてもいいんじゃねえのか>
今までのリナと打って変わった様子に、無自覚にショックを受けた啼義は、心の中で悪態をついた。
「服を脱いで、ベッドに横になってちょうだい」
二階に上がって
「へっ?」
一緒に上がってきたイルギネスと
「アディーヌ様に言われたから診てあげるけど、私も忙しいの。早くして」
リナの態度に
「え、うん。脱ぐって──全部?」
見下ろすリナの瞳が、言外に「は?」という心の声を浮かべている。啼義はますます追い詰められた。
「足の怪我を診るだけよ」
昨日、ここを出るまでの朗らかで優しい彼女とは、別人のようだ。啼義は途端に、ひどく辛い気持ちになった。
<雰囲気が悪すぎる>
イルギネスたちに助けを求めようと視線を向けたが、二人は「とりあえず、水浴びしてさっぱりしたいな。ちょっと下に行ってくる」と、まるで啼義の乞うような視線など目に入っていない様子で、速やかに出て行ってしまった。
「あ、ちょっ……」
<ちょっと待ってくれ>
間もなく残された二人の間の空気は硬く、啼義は
「もうほとんど治ってるから、いいよ。竜の加護のおかげか知らねえけど、怪我の回復は普通よりだいぶ早いんだ」
気まずい状況を回避しようと、言い訳がましく説明した啼義に、リナがまた、批難的な視線を向けた。明らかな反論の意思を感じて、啼義も無意識に苛立った表情で見返す。どんどんあからさまになる彼女の不服そうな態度に、ショックを通り越して、今度は腹が立ってきた。
大変な思いをして、やっとの思いで戻って来たのに。そんなに邪険にされる必要があるだろうか。
「なんだよ」啼義は思わず言った。
「なによ」リナも言い返す。見たことのない、彼女の生意気とも言える眼差しは、啼義の気持ちを逆撫でした。
「いいって言ってるだろ。忙しいんなら、さっさと戻れよ!」
自分で思った以上にその語気が強くなったのを感じ、啼義はしまったと思った。が、もう遅かった。
「分かった」
リナが一歩、進み出た。その瞳と、唇も震えている。
「なによ。みんながどれだけ心配したと思ってるの? さんざん迷惑かけておいて、そんな言い方ないじゃない!」
言いながら彼女は、紫水晶のような綺麗な瞳から、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。啼義は驚いて、何か言おうと口を開けたが、何をどう言ったらいいのか皆目見当がつかない。
「もう勝手にしたらいいわ」
リナは泣きながら乱暴に扉を開けて走り去り、次の瞬間、唖然としている啼義を拒絶するように大きな音を立てて、扉が閉まった。
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