解放 4
大きい。
四つん這いの状態で、自分の背よりも高さがありそうな魔物と遭遇するのは初めてだった。獰猛さを隠しもしない目は、明らかに
<斬り込んだところで、かえって飲まれちまうかも知れない>
魔物を刺激しないよう慎重にザックを傍に下ろすと、剣を引き抜き、出来るだけ距離を取りながら策を巡らす。他にどんな手があるか必死に頭を回転させたところで、先ほど武器屋で購入したナイフがあることを思い出した。右の腰元に隠し持っているそれに、左手で触れて確認する。
<目を狙うんだ>
啼義は魔物と睨み合い、慎重にタイミングを探った。相手の知力はわからないが、視力を奪えば勝機もあるだろう。
緊迫した空気が突如、動く。
「──!」
身体の大きさを心得てか、魔物は真正面から突っ込んできた。啼義は瞬間的に伏せて横に転がり、すかさず体勢を立て直すと、剣先を魔物に向けたまま、振り返った魔物に左手でナイフを放つ。それは的確に魔物の右目に突き立った。魔物が、地を揺るがすほどの声量で吠える。一瞬遅れて、音圧が衝撃波のように啼義の体を打った。
<なんだっ?>
どうやら魔物は、音波を発する手の能力を持っているらしい。脳を直接刺激する不快な振動が、わずかに啼義の動きを鈍らせた。気づいた時にはもう、魔物がこちらへ飛びかかって来ていた。咄嗟に剣を握り直す。
ガチッ──!
前脚が、左手を添えて水平に突き出した剣を踏み潰す勢いで乗っかってきて、腕に痺れが走った。剣は取り落とさずに済んだが、鋭い爪が眼前に迫る。もう片方の前脚が、自分めがけて振り下ろされてきた。
「させるか!」
間一髪、渾身の力で剣を押し出して魔物を跳ね除け、後方へ飛んで距離を稼ぐ。牽制の意味も込めて、剣先の照準を合わせ、魔物を見据えた。
<どうしたらいい>
魔物は、ナイフが刺さった右目からダラダラと血を流しながらも、ほとんどダメージを受けているようには見えない。片や自分は息が上がり、脂汗が全身から噴き出すようだ。気丈に剣を構えてはいるが、本心は、出来ることならなんとかしてこの場から逃れたかった。剣先が、微かに震えている。
<逃げられるわけも、ねえけどな>
だったら自分は、ここで終わるのか? イルギネスが見つける自分は、今度こそ骸となるのか──そんな。
「そんなわけに……いかねえよ」
思わず声に出た。
「いかねえんだよ!」
それがまるで合図のように、魔物の太い足が勢いよく大地を蹴った。応えるように、啼義の足が動く。
『ご自身の鼓動に、意識を重ねてみてください』
アディーヌの声が、脳内にこだました。
無意識に目を閉じた瞬間、身体が沈むような感覚を覚える。あたりの音が一斉に掻き消え、心臓の音だけが耳の奥に響いた。身体の奥底から、いつか感じた衝動が湧き上がり、啼義は目を開けた。
漆黒の瞳がピタリと魔物を捉え、あたかもスローモーションのように魔物の動きを追う。
その動きに吸いつくように、自らの剣が美しく弧を描き、眩しいほどの火花が舞った。
ブワッ──!
あまりに鮮やかに、白い毛並みが真っ二つに割れ、赤が散る。
返り血に目を瞑った啼義の前に、魔物が、地面が揺れるような轟音とともに倒れた。
「や……やった」
ふらふらと尻餅をつき、肩で大きく息をしながら、啼義は安堵のため息を漏らした。全身の緊張が解け、今にも地面に転がりそうになる。しかし──
ガサガサ……
嫌な音を耳が拾い、啼義は身を強ばらせた。気のせいだろうか。息を潜めて、耳を澄ます。
──ガサッ。
聞こえた。
<あそこだ>
先ほど魔物がいた場所と同じ茂みに、何かいる。啼義は身体が凍りつきそうになった。
瞬きするのも恐ろしいような気持ちで目を凝らしていると、のっそりと、同じ種類と見られる魔物がもう一体、茂みを割って現れた。
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