港町ミルファ 4

 同じ頃、反対側に位置する裏庭では、イルギネスとしらかげの鬼気迫る戦いが繰り広げられていた。


 ガツン──!


 木刀同士がぶつかり合って、そのまま互いが譲らずに睨み合う。形を崩したのは驃だ。素早く身を引き、目にも止まらぬ速さで突きを繰り出した。イルギネスがそれを鮮やかに受け流し、すぐさま反撃に転じる──が、振り下ろした木刀の鍔を、瞬間的に翻した驃の木刀が下から捉え、跳ね上げた衝撃でイルギネスの木刀が飛んだ。


「勝負あり!」

 驃がにんまりと笑った。

「畜生」イルギネスは毒づいたが、その顔は笑っている。

「魔術の付与が出来んと、どうにも不利だ」

「そう簡単に魔術剣士に抜かれてたまるか。こっちは剣一本でやってるんだからな」

 とは言え、驃とこれだけ互角に近く打ち合える相手は、そうはいない。神殿内の警護隊では、二人共にトップクラスの腕の持ち主なのだ。それ故、魔物が多く出るドラガーナ山脈竜の背付近の捜索に駆り出されたわけだが。

「なあ」驃が木刀を持ったまま、壁際の背もたれのない簡素な木の長椅子に腰掛け、置いてあった手拭いで汗を拭きながら、口を開いた。

「あいつ──啼義ナギは、何者なんだ?」

 イルギネスは文で、怪我人を拾ったとしか記していなかった。昨晩一緒に酒を飲み交わし、北の出身であることと年齢は分かったが、細かい話は全くしていない。ただ、何か複雑な状況にあることは、驃にも察しがついた。

 イルギネスは飛ばされた木刀を拾うと隣に腰を下ろし、そこにあった自分の手拭いを首にかけて「うん」と手を顎の下に当てる。そしてちょっと言葉を探してから、答えた。

「俺たちの、将来の主君だ」

「──え?」

 思わず聞き返した驃に向き直り、彼は続けた。

「啼義は、ディアード様の息子なんだよ」

 一瞬の間が開いた。

「ディアード様の……息子?」

 理解が追いつかずに訊ねると、イルギネスの穏やかな青い瞳に、少しの翳りが浮かんだ。

「今の『竜の加護』は、啼義にある……らしい」

「なんだって?」

 驃はややうわずった声を出し、頭に手を当てて唸る。

「ちょっと待て。混乱してきた」

 彼は彼で、ダムスと山を隔てた西に位置する、カルムの街へ情報を集めに行っていたのだ。二つの街への道がこのミルファの先で分かれているので、ここを拠点にイルギネスとは別行動を取っていた。しかし──

「俺も、ディアード様たちに、子供が生まれた話までは辿り着いたんだ」

 驃の言葉に、今度はイルギネスが驚いた。

「えっ?」

「だけど、残念だが……生きているはずがない。ドラグ・デルタの噴火で壊滅した、ディアード様たちがいた集落出身だという人物に、カルムで会えたんだ──その人物は、たまたま噴火時に出稼ぎで山を下りていて命拾いしたそうだが、間違いなく、あの時集落にいた人間は、誰も助からなかっただろうって……少し後に故郷に帰ろうとしたけれど、山の中腹から先は行ける状態じゃなくて諦めたんだって、泣きながら話された」

 驃は、木刀と手拭いを横に置いて両膝の間で手を組み、そこに視線を落とした。

「それに」

 彼は、丁寧に自分の記憶を辿る。

「ディアード様たちは、その子に違う名前を付けている。確か──翔樹トキだ」

「翔樹?」

「ああ。その子は燈翔祭とうしょうさいの日に生まれたらしい」

 燈翔祭は秋、とうの月に、主には山岳地帯の集落で行われる収穫祭だ。啼義がレキに拾われたのは、春のしゅの月だったと聞いている。つまり── イルギネスは思い当たった。

「時期が一致するな」

「一致する?」

 イルギネスが、彼にしては興奮気味に「ああ」と頷く。

「あいつは、朱の月に山の麓のやしろかしらに拾われたんだそうだ。その時、生後半年くらいだろうと言われてたらしい。啼義の名は、その頭が与えたものなんだ。だから、ディアード様たちが付けた名前ではない」

「そんな……」驃の声が動揺に揺れた。「でも──それなら有り得るか」

 驃は、昨晩会ったばかりの啼義の顔を思い浮かべた。言われてみれば、彼の持つ雰囲気は、神殿に飾ってあるディアードの肖像画に、どことなく似てはいなかったか。

 二人が黙って互いの顔を見合ったその時──

 どんよりとした雲間から、音もなく雨が落ち、イルギネスの手の甲を打った。この雨粒と同じように、ひと粒ずつ謎の答えが舞い降りて、今ここで繋がり、真実を映す水鏡になろうとしている。イルギネスは、そんな気がした。

「啼義と話す前に、俺たちの情報を擦り合わせた方が良さそうだな」

 厚い雲が流れる空を見上げながら、彼は言った。


 片や啼義は、案内された風呂場で簡単にだが身体をさっぱりと洗い流し、居間に戻って、少しだけ焦げのついた目玉焼きを頬張っていた。リナが、再度フライパンで温めてくれたのだ。起き抜けに心に落ちた闇が消えるわけではないが、腹が満たされてきた事もあってか、気持ちはひとまず浮上していた。

 だがまさか、謎に包まれた自分の出生が、すぐ裏の庭先で解き明かされようとしているなど、思うはずもない。それだけではなく──啼義はこの街で、自分がどんな事実に遭遇するのか、全く予想だにしていなかった。

 

 落ちてくる雨粒の間隔はだんだんと縮まり、やがてまとまった雨になって、地面を濡らし始めた。

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