南へ 6
確かなものなど何一つない。あの祠を抜けられる可能性は、いくらもないのだ。だが、今となってはそれは恐れることではなかった。生に執着する自分と、いつ手放しても構わぬ自分──どちらでも良いという自棄的な気持ちも、知らず彼の内に同居していた。
生き続けたとて、
道は暗く、歩行の均衡の取り方にだいぶ慣れたとは言え、長く歩き続けるのは、まだこの身体には厳しい。東側に山並みが見える道の中腹で、何度目かの休憩をとった。革に蝋を塗って作られた水筒の水を、口に含んでひと息つき、顔を上げると、空の向こうはうっすらと光を宿し始めている。もしかしたら、これが最期に見る夜明けになるのかも知れない。漠然と思い、山の稜線が徐々に明るくなるのをじっと見つめていた。たとえ死であっても、解放されたなら、楽になれるだろうか。
その時──
自分が来た道を、人影が辿ってくるのに気づいた。
「結迦」
思わず名を口にして、立ち上がった。少し息を切らしながら、結迦が道を登ってくる。ダリュスカインは、その場に立ちすくんだ。
彼の元に辿り着いた結迦は、彼が言葉を発する前に、その手に何かを押し付けるように乗せる。
「これは──?」
手のひらに乗った深い紫色の勾玉を見つめ、ダリュスカインが問うたが、無論、返事はない。どこかで鳥の鳴き声がする。
「大事な物なのだろう。受け取るわけにはいかない。俺は──死にに行く人間だ」
彼はそれを返そうと、結迦に向けて石を乗せた手のひらを突き出したが、彼女は首を横に振った。その瞳には、絶対に譲らないという強い意志が浮かんでいる。ダリュスカインは小さく嘆息した。この瞳を、長く見つめてはいられない。
「──分かった」
諦めて、腰に結んだ巾着の中にしまう。すると、結迦が不意に彼の金の髪に手をかけ、その背に流した。突然のことに身をこわばらせて反応できずにいるうちに、彼女は後ろに回って、手にしていた紐で、彼の髪を括った。
動揺を悟られぬようゆっくりと振り返ると、深緋色を湛えた紅い瞳が自分を見上げていた。結迦の指先がそっと彼の胸元に触れ、互いの視線が絡み合う。ダリュスカインの中で固まっていた感情が動き出し、今にも思いが口をついて出そうな気がした。しかし、何を言ったところで苦しめるだけだと、言葉を飲み込んだ。
それでも──
ダリュスカインは一瞬、固く目を瞑った。そして結迦を胸元に引き寄せ、ただ一度だけ、左手に覚えさせるように黒髪を撫でると、すぐにその身体を離した。
「……お帰りを──」
驚いて歩を止めたダリュスカインが、顔半分だけで振り向く。結迦が、真っ直ぐにこちらを見ている。
「お待ちしています」
今度はしっかりと、凛とした涼やかな声が、耳を打った。初めて聞く、結迦の声だった。
だが、彼は答えることなく向き直ると、今度こそ振り返らずに、朝陽に照らされた道の向こうへと消えていった。
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