第2話


 新居に越して来てから、一週間程が経過した。

 各部屋を埋め尽くしていた段ボール群は徐々に姿を消し始め、代わりに見覚えのある本や雑貨やソファやベッドが、ちらほらと目につくようになった。だけど、時折目に映る、美沙希の持ち込んだ物が私には目障りだった。中でも一番目障りだったのは、パパが持って来た私の愛用のソファに図々しくも寝ている、ソラである。

「ちょっと、起きなさいよ」

 寝ている奴の頭をべしべしと叩く。何度か叩いた所で、ソラは薄眼を開け、寝ぼけ眼のままだるそうな声を出した。

「何だよ、今いいとこだったのにぃ」

 とろんとした声がムカつく。

「そこどきなさいよ。私の定位置なんだから」

「おお、このソファめちゃめちゃ気持ちいいなぁ。ついうとうとしちゃうぜ」

「だから、どきなさいって言ってんでしょうが」

「おう、一緒に寝るか?」

「馬鹿言ってんじゃないわよ。あんたは美沙希のベッドででも寝ればいいでしょ?」

「ママのベッドは、ここに来る時に捨てちまったんだよ。幸一のベッドがあるから必要無いって」

「そんなのは私には関係無いわよ。いいからどきなさいよ」

 更にべしべしと叩いてやると、ソラはうつらうつらとしたまま、漸く立ち上がった。

「ふわぁあ、ったく~」

 思いっきり伸びと欠伸をするソラを無視してソファに登る。ようやくいつもの定位置に収まる事が出来た。

「そんじゃ、お休みなさ~い」

「なぁなぁ、折角だからこの辺散歩しねぇ?」

「はぁ? 嫌よ、面倒くさい。私は眠たいのよ」

「そう言うなよ。俺達来たばっかりで、この辺の事まだよく分かんねえだろ?」

「それにしたって、あんたと一緒なんて嫌よ」

「なぁ、行こうぜ~」

「あー、うるっさいわね。一人で行ってくればいいでしょ?」

「ちぇっ、つまんねぇなぁ。そうだ、ママと幸一に遊んで貰おうっと」

 聞き捨てならない言葉を吐きながら、ソラは意気揚々と部屋を出て行こうとした。ソファを飛び出し、急いで追いかける。

「待ちなさいよ」

「何だよ?」

「美沙希はいいけど、パパは起こしちゃ駄目」

「なんでだよ?」

「今日は日曜日なんだから。日曜日は、いっつもお仕事で疲れてるパパを休ませてあげる日なの」

 二人で暮らしていた時も、パパはいつも、「日曜日だけはゆっくり寝かせてくれ」と泣きそうな声で言っていた。だから、日曜日だけはパパを寝かせてあげる事に決めているのだ。ゆっくり寝られない辛さは、痛い程分かるもの。

「だって退屈なんだよ。それに腹も減ったし」

「お腹が空いてるのは我慢しなさい。どうしてもって言うなら、美沙希だけをこっそり起こしなさい。パパは寝かしといてあげて」

「分かった分かった」

 軽い返事をして、ソラは二人の寝室へと向かった。その後ろ姿を見ていると、何だか心配になってきたので、ついて行く事にした。

 寝室のドアの隙間から、そーっと中へと入る。

「結局来たのかよ」

「いいから、静かにして」

「へいへい」

 軽口を叩きながら、ソラはベッドの周りを回り始めた。追いかけるように反対側に回ると、ベッドから飛び出して床に付きそうになっている、美沙希の手を発見した。

 ソラはこっそりと近づいて行き、静かに、音も無く、そーっと美沙希の手を、

「痛ったぁあ!」

 噛んだ。

「あんた何やってんのよ!」

「でかい声出すなよ。幸一起きるぞ」

「もう美沙希が出してるでしょ! 静かに起こすって事を知らないの?」

「何だよ、噛んだら一発で起きるだろ?」

「あんたと美沙希はどう言う生活をしてたのよ」

 言い争いをしてると、手を噛まれた美沙希は起き上がり、ベッドの上から私達を見て溜息をついた。

「もう、ソラったら、寝てる時噛まないでって言ってるでしょ?」

「だって、ママはこうしないと起きないだろ?」

「お腹空いたの?」

「それもある」

 美沙希は枕元にあった目覚まし時計を手元に引き寄せ、「うわぁ、まだ7時じゃない」とぼやいた。

 その時、最悪な事態が起こる。

「ん、どうした?」

 パパが起きてしまった。

「ちょっと、パパが起きちゃったじゃないの!」

 即座にソラを怒鳴り散らす。

「俺のせいじゃねぇだろ。ママが大声出したんだよ」

「出させたのはあんたでしょうが!」

 ソラを無視して、パパの顔を覗きこむ。

「パパ、日曜日なのに起こしちゃってごめんね」

 怒られるかと思ったけど、パパは優しい顔をして、私の頭を撫でてくれた。

「ヒメ、おはよう。今日も可愛いな」

 本当はそんな状況では無いのだが、褒められながら頭を撫でられると、思わず「えへへへ」と言う気分になってしまう。

「パパ、まだ寝てていいよ?」

「美沙希さん。折角この子達が起こしに来てくれた事だし、早めに朝飯にしようか」

「そうね。もう、ソラったら、噛まないでって言ってるでしょ?」

「おう、次から気を付けるよ」

 ――絶対あいつ気を付けない。

 ソラの適当っぷりに心の内側だけで毒を吐く。

 だけど、日曜日なのに、こんなに早い時間にパパとご飯が食べられる事になった。その一点だけにおいては、感謝してもいいかもしれない、とも思った。

「どうだよヒメ。色々あったけど、結果オーライだったろ。俺に感謝しろよ?」

「前言撤回」

「何がだよ?」

「何でもないわよ!」

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