第62話「崑崙仙界」

「何か面白そうな事を言っているのは誰かと思ったけど。

 女神二柱ふたりと天使一柱ひとりとは、変な組み合わせですね」



空間の向こうから一人の女性が現れた。

人懐こそうな笑顔は、私達の緊張を解くに十分だった。



「誰じゃ?」


「私は何仙姑かせんこと呼ばれてます」


さんですか」


「ヒルト、崑崙仙界、八仙の一人、神仙ですよ」


「いぃぃ! そんなに偉い方が」



私とジブリールは驚いた。



「皆さん、そんな所にいて暑くないですか?

 何だったら、こっちで休めば良いですよ」



何仙姑かせんこに連れられて入った空間は仙境と言うしかない世界だった。

緑あふれる深山幽谷の中にあって、庵と言えるような小さな建物が点在している。

空気は綺麗だし、先ほどの暑さとは無縁の世界といった感じだ。



「ほえー、ここはまるで天国の様じゃの」



砂漠の民の守護天使ジブリールの目にはそう映るようだ。


山中の僻地と言うには、どこにも畑は見えない。

都会や農村と違い、仕事をしている人はいなさそうに思える。

点在している庵はあるけど、村落という風情じゃない。

沢の奥には川が流れているようで、水音が微かに聞こえる。

心地良い風が肌を撫でて行く。



「ここは崑崙仙界?」


「まだ入り口といった所ですけどね」


「実に素敵な所なのじゃ」


「ごく稀ですが、戦火や飢饉に追われて避難民が逃げ込んで来る事があるんですよ」


「そうなんですか」



疎らに見える庵は寝泊りは出来そうだけど、雨露を防ぐ程度の規模にしか見えない。

とてもじゃないけど、一家で暮らしていくような建物じゃない。

そんな風景に違和感を感じているのは私だけじゃないだろう。




私達は何仙姑かせんこに連れられ、一つの庵に案内された。



「ここが何仙姑かせんこの住居?」


「中は広いですよ、ひとまず寛いでいて下さいね」



庵の扉を潜ると、信じられないほど大きな邸宅の中に見える。

明らかに別空間に違いない。

私達は中国服のメイド? に部屋に案内される。



「何で中がこんなに広くて煌びやかなのじゃ?」


「きっと別空間なんだろうね」


「別空間に住んでる何仙姑かせんこって神なのか?」


何仙姑かせんこは神仙の紅一点ですよ」


「神仙?」


「長い修行の末神に匹敵するか、それ以上の力を持った人間ですね」


「なぬ? 人間が神を超える? 何と不遜な」



チャンディードゥルガー様の説明によれば、インドにも仙人はいるらしい。

しかし、一つの世界を構築しているのは、崑崙仙界だけらしい。

中国神界と言わず、崑崙仙界と言うらしい。

そこは神々と仙人の世界で、住人は修行する仙人も多いと言う。


仙人は唯物主義で、究極の自由人の様だ。

物質的や空間的制約に囚われず、飲食の必要もなくなった者が、不老不死の神仙になれるらしい。

そのために道士は修行に明け暮れている。



「人間が不老不死の神仙に⁈ まるで我等と変わらないのじゃ」



確かに神族や天使達は不老不死とも言えるだろう。

だって、悠久の年月を生きて来たんだもの。

でも、人間でも修行次第では同じ事が出来るのかぁ。



「道士が修行によって神仙を目指すんですよね?

 その修行ってどんなものなんでしょうね」


「それらの疑問に私がお答えしましょうか?」



着替えた何仙姑かせんこ入って来た。

仙人って聞いてたから、爺ちゃんしかいないと思ってた。

私の思い過ごしだったようで、彼女も元人間で仙人になった一人だ。

経験者だから、細かく説明が出来るだろうと太上老君から遣わされたらしい。


ジブリールより背は高いけど、私やチャンディードゥルガー様に比べると小柄かな。


何仙姑かせんこによれば、仙人になる事を願う神仙思想を追及する過程で、

体操法や漢方薬などが研究され、中国の医学や化学が発達したらしい。

タオと一体となる修行のために錬丹術を用いて、体内で不老不死の霊薬、丹を錬り、

仙人となる事を究極の目標とすると説明を受けた。


不老不死の霊薬という物を人体内で作れると言う。

どうやって作るかと言えば、呼吸で『気』を体内に取り込み、凝縮させていくのだとか。

凝縮しまくると『気』は流動体を経て物質化して行くと言う。

物質化が可能となれば、第二の体を創り出し、精神体をその体に移行させる。

その体こそが不老不死の体だと言う。



「へぇー、不老不死の体ってそうやって創れるんだ」



神族からして不死だから、どうにもピンとこない。



「ヒルトさんは勘違いをしておられますよ」


「え? 勘違い?」


「神だって死ぬ事はあるのです」


「えええ? 私達神族って不死じゃなかったの?」



考えてみれば、チャンディードゥルガー様は敵神族であるアスラ神族を全滅させたんだ。

つまり、神殺しの女神だったって事なのか。


「ヒルト、神にだって寿命らしきものはありますよ」


「えええ? そうなんですかぁ?」


神族は自らの寿命を決められるらしい。

正確には、神の肉体を捨てて、より高次元に上がる事だと言う。

その際、今までの経験や技術を弟子にd全て受け渡して逝くらしい。



「高次元ですかぁ」



最終的には世界そのもの、根源神に溶け込んでしまう。

全てのものである根源神は意識レベルが違い過ぎるから、非人格なのだと聞かされた。

何だか解らなくて理解しようがないよ。


不死の体の件にしても、科学的に説明が付くとチャンディードゥルガー様は言う。

微粒子の世界にまで目を向けると、全ては波動で出来ている。

波動同士が干渉し合って原子核や電子、中性子という姿を取り始める。

それらの密度が高くなれば物質になると言う。


小さく軽いコイン一枚の中にはとんでもないエネルギーが凝集されているらしい。

逆に言えば、とんでもない量のエネルギーを凝集させれば物質になるという事だ。

それがどれ程の物かと言えば、1グラムのコインを100%完全に電気エネルギーへと変換出来れば、90兆ジュールになる。


それほどのエネルギーは何処にあるかと言えば、空間に満ちている『気』がそうであり、

『気』を凝縮させれば物質になる。

物質は元の『気』に還元する事も可能なようだ。



「あ、そうか、解ったのじゃ、神人の方々の体はそうやって創ったのじゃな」



今回の授業でジブリールは理解がいったようだ。

とはいえ、神が創り給うた天使は何で出来てるか知らないけど。

少なくとも土を捏ねて造った訳じゃない事は解る。



「老荘思想の根本は、無為自然を尊ぶものなのです」



何仙姑かせんこの説明は続く。


①全ての事は自然に則っている。春夏秋冬の移り変わりの様に、人間の行うべき道も自然に則るのが良い

②煌びやかな才知などの光はぼかして、目立たないよう俗世間の中に同化するのが良い

③自分の本当の心に適したものを求めるべきであり、自適という事が真人の姿である。

④声なき声を聞く事は、政治に携わるにも、人と交際するにも、大切な心得である。

⑤世界は全ては我が家にしてどこで寝ようと自由なのである。


そんな五か条のようなものを旨としているらしい。

所謂いわゆる自然と調和してという事なのかも。


陰陽五行説の中の呪術的な要素を日本は「陰陽道」と発展させ政治や生活習慣に大きな影響を与えている。

さらに、日本の山岳信仰や、修験道などにも道教の神仙思想などの影響が色濃く反映され、民間信仰の中に溶け込む形で、それとは認識されずに道教は日本に根付いているのだとか。


「道教」は老荘思想や神仙思想、陰陽五行説など、様々な要素が集まった代表的な宗教との事。



「うーん、何仙姑かせんこから説明されて理解は出来て来たけど、先生が二人になった気分だよ」



初めて聞く事で全てを理解しきるなんて事は誰にだって無理だろう。

10を聞いて10を知るなんて事は、最初からそこそこ知っていなけりゃ。

誰にだって理解深度というものがあるのだから。

説明聞いて、はい解りましたというのは、まだ理解が浅いと思った方が良い。



「でも、考えを変えれば神秘の技の宝庫だと思うのじゃ。

 我には此処はまるで天国のような所じゃ」



砂漠の地で自然は過酷なものでしかない。

ムスリムは神の戒律を守り、死後神の下、天国で生きるのだと教えられる。

考えの違いは自然の形態にあるかもしれない。

緑や水が豊かな地では、そうはならないのだから。



「天国で幸せには良いけど、その先は?

 仙人達はその答えの一つだろうと思うけど」



私達も敢えて食べる必要は無いけど、人から肉体に起因する生存維持のための三大欲求からの解放されたらどうなるんだろうね、人類から争いの根源は無くなるとは思うけど。



「私達仙人は自らの探求にのみ存在するのですよ」



全ての興味が無くなると仙人はタオに返るのだとか。

うーん、やっぱり私には哲学云々うんぬん言われると難しいなぁ。


旅行ルートとしては、この先中華圏に入っていくけどどうなんだろ。

その辺りはジモピーの何仙姑かせんこに聞いてみた方が良さそうかな。


何仙姑かせんこの言うには、CCP中国共産党の台頭で宗教は排斥されたという。

だから崑崙仙界はこんな辺境にあるのかな。

今の中華圏は鉄とプラスチックの鎮撫な世界で汚染された大地らしい。

人の世界では汚職官僚で腐敗し、賄賂の世界になっていて治安も良いとは言い難いそうだ。


そんな所に観光に行かなくても構わないか。

崑崙仙界の観光が終わったら、一足飛びに豊葦原瑞穂の国に行っちゃう方が良さそうだ。

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