第58話「ラホールのジブリール」

私達はムガル帝国の旧都ラホールまでやって来た。

パキスタン北部のパンジャーブ地方、ラーヴィー川の岸辺に位置するインドとの国境付近にある都市。

ラホールの語源「loha(鉄)」に由来する古代鉄壁な防御を誇る町があったと言われているらしい。

中世にはアフガニスタンのガズニ朝の都とななった都市らしい。


インド側からすれば、敵対している国で良く言われない。

ヒンズー教に対し、お隣のパキスタンはイスラム教の国だから。

宗教対立にチャンディードゥルガー様は意外と無関心だったりする。



「そんなの人間同士の利害対立ですからね、私には関係無い事」



インド領と違って以外と道路の舗装が行き届いていて綺麗な印象を受ける。

それでも細い道に入ればゴミゴミとしているのは大差無いかも。


三輪タクシーリキシャがバタバタ走り去るのが見えた。

両側にドアが無く開放感が楽しめるかも。


私達も三輪タクシーリキシャに乗って観光に出る。

両側が開けっ放しだからホコリが酷かった。

こういう乗り物だったのかと少々後悔した。


街中にも結構ラクダがいるのが見える。

ラクダなんてエジプト以来かな。


私達はラホール城塞、バドシャヒ モスク、シャリマー庭園で森林の散策。

バーゲ ジンナーでは湖畔の散策を楽しんだ。

ムスリムのモスクもあって、インドとイスラムの二つの文化が融合した景色も異国情緒を満喫する。


ここの地域も結構暑いから、露店でジュースを買って飲む。



「むう、常温ジュースですか、冷えてた方が美味しいと思うのに」


「世界中見渡せば、冷やして出す方が珍しいですよ」



そうなんだ、チャンディードゥルガー様は平然と飲んでいる。

まぁ、水分補給に常温かどうかは関係無いのかも。


そんな時だった。

現地の人? から声を掛けられた。



「ナマステ、お嬢さん方は旅行者なんですかい?」



男の名はイブリス。

初対面の印象は小男で品性があまり宜しくないという感じ。



「イブリスって事は、あなた悪魔ですか?」



チャンディードゥルガー様は一目で見破った。

傍らにいるドゥンもすかさず臨戦態勢に入る。


イブリスはアダムに伏するのを拒否し、天国から追放された堕天使で、アッラーの権限の元で甘言を使って人間を神の道から惑わす詐欺師のような奴らしい。



「詐欺師とはひでぇ偏見ですぜ。

 あっしはただ観光の案内に来ただけで」



まぁ、私もチャンディードゥルガー様も神族だから、アッラーの傘下に入るつもりは無い。

他国の神族という立場では、対等と言っても良いだろう。

イブリスが何を言おうがアッラーの道から惑わそうと言うのは最初から無理な話。



「100ルピーで美味しい料理を出す店に案内出来ますぜ?

 如何でしょう?」


「レストランですか」

「まぁ、少々小腹が減ったというか」


「なら丁度良い、さっそく案内致しやす。

 どうぞ、こちらです、さあ、遠慮は無用ですぜ」



そのレストランでは各種酒類も用意してあって冷えたビールもある。


ビールと言えばチョリソーがあれば最高だよね。

あれ? チャンディードゥルガー様は豚肉が駄目なのかな。

どうやら牛肉も駄目らしい。

なら鶏肉かマトン位しかお出し出来ないね。

意外と好き嫌いあったんだ。


私は久しぶりのエールとチョリソーを堪能した。

チャンディードゥルガー様は鶏肉料理とビールを楽しむ。


傍らではニヤニヤ笑うイブリスがいる。



「何ですか?」


「ああ、いや、アッラーの戒律では豚肉も酒も禁止なんでさぁ」


「ふーん、そうだったの、私達には関係無いけど」



何でアッラーは戒律で縛りたがるかな。

豚肉の生食は駄目なのは知ってるけど、調理されたら大丈夫なはず。

豚肉に含まれる栄養素は夏バテに有効だったりするから悪い物では無い。

酒だって百薬の長って位だから、適度に飲んでいれば良い物だ。



「あ――――――、お前ら何飲食してんじゃ」



突如女のちびっ子が大声を張り上げる。



「やべ、ジブリールじゃねぇか」


「ジブリール? 誰?」

「ジブリールは大天使の一人ですね」


「なんだ、天使か」


「なんだ天使かとは何事じゃ! 我は大天使ジブリールなるぞ」


「天使って神に仕えてるんでしょ? なら私達より下位存在じゃないの」




神からすれば精霊も妖精も下位存在になる。

そういうヒエラルキーの見地から妖精女王も妖精騎士クーフーリンも緊張した事があった。



「へ?」


「私はアース神族のヒルト。

 そちらはデーヴァ神族のチャンディードゥルガー様よ」



神と悪魔は元々同類の存在ともいえる。

神の元から解雇を言い渡され追放された者がほとんどだろう。

そんな存在は人の都合で『神』とも『悪魔』とも『妖怪』とも区別される事がある。


対して天使は神に仕える者として創造された存在。

神でいう眷属や童子とも少し違う立場かもしれない。

下僕(しもべ)と言うより、単なる労働力に過ぎないと思われている。

堕天使も非人間的な行状で悪魔とも称される。


ロボットとまでは行かないが、人とは別種な存在。

人としての生を送った事が無いから、尚更人の心が通じない者達でもある。

人の心は通じないが、神の定めたものを何時までも守り通し忠実に実行しようとする。



「神族である私達が、好きな物食べてて何がいけないというの?」


「あ、いえ、それは」


「独善の押し付けは良くないですね」



かつて原理主義者のタリバンは、教義に反するという理由で歴史遺物を破壊した事が有る。

そのために世界から激しく非難された。

歴史遺物は世界中の人々の遺産ともいえる。

一部の人達の思惑で、過去の記録遺産を消し去る方が害悪だろう。



「流石ですぜ、姐さん方」


「あなたはもういいわ」


「え? 何故ですかい?」


「たぶん、この先トラブルを引き込む事しかしなさそうだから」

「このレストランだって何かの腹積もりがあったんじゃ?」

「ガウガウガウガウ」



詐欺師くさいイブリスは、100ルピーを受け取って退散した。

怪しい者に付き纏われても、良い事無さそうに思うのは誰だってそうだろう。



「悪魔は退いた。

 で、お前達はなぜ食事を続けてるのじゃ。

 この世界では戒律で禁じられてるのは判ったであろうが。

 郷に入れば郷に従えという諺があるのを知らないのか」


「煩いチビッ子ですね」


「私、あんたの上司のアッラーに苦情を言ってやろうか」


「偉大なるアッラー様は誰の目の前にもお姿は現さないのじゃ」


「ふふふ、そうでしょうね、今この世界に主神はいないのだから」


「え?」


「え?」



チャンディードゥルガー様は爆弾発言をぶっこんだ。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の主神は別々の存在ではない。

すべて一柱ひとりの思惑でこの地域は混乱が起きている。

全知全能の神がどうして即座に混乱を収められないという事だろうか。


「偉大なるアッラー様は今この世界にいない?

 では一体どこに……」


チャンディードゥルガー様は知っているのですか?」


「もちろん知ってますよ」


「何処じゃ? 偉大なるアッラー様は今何処におられると言うのじゃ」


「アッラー事ヤーベは今、豊葦原瑞穂の国の伊勢神宮の外宮にいます」


「ええええぇぇぇぇ⁉

 唯一絶対神であられる偉大なるアッラー様が豊葦原瑞穂の国に?」


「それ、本当ですか? チャンディードゥルガー様」


「私は豊葦原瑞穂の国の者でもあると教えたでしょう?」


「え、ええ、それは聞いています」


「世界の神々は、世界の東の果ての国に流れ着いているという事も教えましたよね?」


「ええ」


「ヒルトは最終的に豊葦原瑞穂の国を目指すのですよね?

 その目で観て来れば良いじゃありませんか」


「そ、そうですね」


「わ、我もその国に連れて行ってたもれ、アッラー様に会いたいのじゃ」



ジブリールもとんでもない事を言い出した。

縋るような眼ですり寄って来る。



「何だか面倒臭そうな子でイヤだなぁ」


「お、お願いじゃ女神様方。

 この通り、この通り平伏します故、何卒、何卒お願いしますじゃー」


「どうします? チャンディードゥルガー様」


「連れてってくれないと、ここで泣くのじゃ~~~~、ああぁぁ~~~~ん」


「なんて面倒な」


「私の旅はまだまだ続くから、一直線に豊葦原瑞穂の国には行かないよ?」


「連れてってくれるなら、それでも良いのじゃ。

 大天使の我が同行すれば、悪魔だって退けてあげられるのじゃ」


「いや、悪魔なんてそんなに困らないし」


「嘘じゃ、今だって騙されようとしてたのじゃ」



私とチャンディードゥルガー様は顔を見合わせた。

実際に小悪魔なんかチャンディードゥルガー様にとって、どうって事の無い輩に過ぎない。

私には少々骨が折れる相手かもしれないけど、対処出来ない訳じゃない。


ジブリールが来て騒がしくなったけど、チャンディードゥルガー様とドゥンは人の目に触れないようにしているから、店内は子供が騒いでいるように感じている事だろう。


私達は食事を終えると代金を払い外に出る。



「じゃあね、私達は次の地に行くから」


「あ、待つのじゃ、宜しければラクダを用意致しますのじゃ」



ジブリールはナア・アッラーというラクダを用意すると言う。



「ガウガウガウ」


「ドゥンはそんなの要らないと言っていますね」



ドゥンはチャンディードゥルガー様を背に乗せ戦場を駆け回って来た相棒でもある。

俺を差し置いて何する気だと怒ったようだ。

ましてやナア・アッラーは不信者を試すために送り込む雌駱駝らしい。

私がラクダに近づくと唾を飛ばされそうで、何か嫌だ。



「あー、不信心者の私達じゃ、そのラクダに乗るのは無理そうだわー」


「ああ、お待ち下さい女神様方、何とかしますから、何とか」



その時、ジブリールに声を掛ける者がいた。



「ジブリール、お前は一体何をしているのだ」


「あ、メタトロン。

 我は異国の女神様方に」


「異国の女神様方? 

 莫迦者が、我らが主は天上におわすアッラーのみ。

 いと高きお方は天上に在っての神性であろう。

 神や女神が地に在ってどうする。

 異教の輩は悪魔か妖怪、所詮そんなもの。

 我等が排除すべき対象であろうが、忘れたのか。

 そんなものにたぶらかされおって、恥を知れい!」


「メタトロン、そうは言うけどな」


「我等大天使が悪魔にたぶらかされてどうする、しっかりしするのだ!」


「なら、ザバニーヤを遣わせれば良いのかや?」


「地獄の火刑を司る天使か、そのようにするのだ」


「わ、解ったのじゃ……」



ジブリールが振り向いた先には、ヒルト達の姿はもう無かった。

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