第56話「チャンディー様といっしょ」

私は今、チャンディードゥルガー様と陸路を歩き中国へ向かっている。

なに、急ぐ旅ではないのだ。

なぜ徒歩の旅かと言えば、このルートはかつて三蔵法師がインドから中国に向かった道だから。






私は失敗したかもしれない。


インドのデーヴァ神界まで来たのだから、中国神界を覗いて豊葦原瑞穂の国に行こうと思った。

ルートを考えると、西遊記で有名な三蔵法師がインドから中国に向かった道が思い浮かんだ。

だから、その道を通って豊葦原瑞穂の国に向かっている。


かつて三蔵法師がインドから中国に向かった道って仏教遺跡がやたらと多いんだよね。

確かに観光遺跡だろうけど、私仏教なんか興味無かったし。

でも東の最果ての国、観光で有名な豊葦原瑞穂の国には行きたいし。


せっかくの観光旅行なんだから、それも悪くないと言えばその通り。

しかも観音様もやっているチャンディードゥルガー様と一緒なのだ。


どことなく修学旅行臭い感じがしてならないの。

とても偉い先生に連れられて、授業を受けながら旅するみたいな。


途中、変な妖怪が出たりするけど、チャンディードゥルガー様と神獣ドゥンがすぐに倒してしまう。



チャンディードゥルガー様、私に付き合ってもらって嬉しいんですけど、地元の方は大丈夫なんですか?」


「大きな祭りも終わったし、分御霊を置いてるから大丈夫でしょう」



分御霊と言うのは分身体のような物らしい。

どうせ移転で瞬時に行き来が出来るから構わないのか。


何でもチャンディードゥルガー様は日本で准胝観音じゅんていかんのんとも呼ばれているとか。

見た目が腕が十本もある多腕でアレだけど、観音様でもあるんだぁ。


観音様というのは、世の苦しみの音を観て、救いの手を差し伸べると言われる菩薩様だ。

うーん、それって仏様って神様の概念とあまり変わらないような。

あ、チャンディードゥルガー様は女神そのものだっけ。

准胝観音じゅんていかんのん菩薩って肩書の一つかもしれない。


菩薩面のチャンディードゥルガー様は、実に面倒見が良くて優しい。

きっと旅する私に手を差し伸べてくれてるんだろうな。


あれだね、敵に回せば恐ろしいけど、味方に回れば頼もしいタイプ。

私は敵に回せば心強いが、味方に回れば心細いってか、うっせえわ。


そもそも神として大先輩でもある。

立場的に私が下級職員だとして、あちらは支店長か社長の一人くらい違う。



「そういえば三蔵法師が伝えたのは仏教というものらしいけど、どんなものなんでしょうかね」


「それは人がこの世の真理を識るための教えですね」


「真理? また何だか難しい事を。

 他の宗教と何が違うんだろう」


「そうですねぇ、奥が深いから歩きながら語れるものでは無いですよ」



チャンディードゥルガー様が言うには『苦からの解脱』を目指す修行法が在るらしい。

その修行法はゴータマ・シッダルタさんによって体系的に纏め上げられているという。

修行者は真理に目覚め、輪廻転生の籠の中から出て行く事を目標とするらしい。


決して「幸せになるから、これを拝みなさい」という物ではないと言う。

その大事な修行法などは、東の果ての地に流れ着いているらしい。



「う~ん、凄く哲学的というか、何というか」


「実は行法自体シンプルなんですけどね」



東の果ての国に流れ着いた秘法を護っているのがデーヴァ神界の神々らしい。

半帰化とはそういう事なのか。



「秘法ですか、そんな事言われると興味わいちゃうじゃないですかぁ」


「ふふふ、それもまた良しですね」



そして、その秘法は誰にでも開かれているという。

辿り着けぬ者は、所詮縁無き衆生と切り捨ててしまうらしい。

そして辿り着ける者は、ごく少数という事も。



「何でしょうね、それ」


「まあ、東の果ての国に案内するまで、御預けという事で」


「はぁ」



今、西欧、中東、中国を結ぶ交易路、所謂(いわゆる)シルクロードに出るために、

巨大山脈ヒマラヤを西方迂回するルートを歩いている。


ルート上の観光地点は、チャンディガール→アジャンタ→(これよりパキスタン)カラチ→ モヘンジョダロ→ラホール→ カシュガル→(これより中国) ホータン→ ニヤ→ 楼蘭→ 敦煌→ 莫高窟→玉門関の順に行く事を私達は計画した。





そして第一の観光地アジャンタ。


チャンディガールより南に行った所にある。

資料だとカルカッタから始まるルートらしいけど、東に行って戻って来る事になるから、そんなのパス。


ここアジャンタには、アジャンタ石窟とエローラ石窟の2つの歴史遺産が残されているらしい。


私は別に歴女じゃないけど、異国の観光名所くらいは観てみたい。



「歴史遺産ですか、ちょっと見物みものかも」


「修行僧はもういませんけどね」



つまり遺跡ってくらいだから、廃墟って事だね。

まぁ、どこでも遺跡ってそんな物だろうけど。



その石窟は小高い丘の中腹辺りに、修行僧たちが穴掘って住んでいたらしい。

大勢で長年利用していたらしく、大小いろいろある。

入り口が結構装飾された石窟や礼拝堂のように広い石窟もあった。

柱や断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓や、回廊が造られ一大寺院の様相を醸し出している。



「小山の中を繰り抜いているって面白いですね」


「平地に建物を建てるより、安定して良かったのかも知れませんね」



チャンディードゥルガー様の説明は続く。

チャイティヤ窟はブッダを象徴する「聖なるもの」として仏塔などが据えられたそうだ。


ヴィハーラ窟は、奥壁中央に仏殿が設けられたという。

仏像は説法印を結んだ仏陀座像が脇侍菩薩を従えていたらしい。


聖なる存在としての仏陀に永久に残る住居である窟院を捧げる事に功徳を見い出すという目的で石窟を寄進者は築いたそうだ。


うん、全部を僧侶が掘るのは無理だよね。


ヴィハーラ窟の壁面にはジャータカなどの説話図が描かれた。

悟りを開いたものとしてのブッダが送った模範的生涯を表現する絵解きで、より一層の信仰心を持つよう巡礼に来た人々を教育する目的ももっていたらしい。


当時の人達って文盲率が多かったはずだよね。

だから絵を見せてお坊さんが語って聞かせる。

昔からどこの宗教も同じ事をやって来た訳だ。


アジャンター石窟寺院の美術的価値は、後期窟に集中しているらしい。

第1,2,16,17窟は、入口柱や天井にミトゥナ像や飛天、蓮華や鳥獣の画像が描かれたり、レリーフとして刻まれたりしているのを観た。



「そういえば、どこぞの宗教は偶像崇拝禁止って言ってるよね」


「仏教だって開祖のゴータマ・シッダルタは自分の姿を残すなと言っていましたよ」


「えぇ? そうだったんですか」



開祖ゴータマ・シッダルタにとって、自分の姿を拝んでもらっても何にもならないと考えていたそうだ。


うーんんんん、私が何かの先生だったら、私を拝むより、教えた知識を大事にして欲しいかな。

そう考えると開祖ゴータマ・シッダルタさんの気持ちも良く解る。


でも、後世の人達にとって、偉大な先生はどんな人だったのだろうとも思うよね。

だから造るなと言われても、尊敬のあまり像を造っちゃう。

その気持ちも解る気がする。

でも像を拝みだすと本末転倒になっちゃうか。


逸話で仏像なんか誰も救わない。

せめて薪にすれば暖が取れる。

仏像が救えるのはその程度ってのを聞いた事があるね。


他の宗教の神の事情は知らないけど。

例えば勝手に私自身のフィギアを作られて、アルレースにスリスリされてたら何か嫌だな。

きっとゴータマ・シッダルタさんもそう思った違いない。





エローラの方にも石窟寺院があるそうだ。


チャンディードゥルガー様の説明によれば、

エローラ石窟寺院群は南西方向に面した崖に掘られているらしい。

東に掘られているものほど古く、西に行くほど新しくなるよいう。


旅行ガイドを覗いてみれば、

東の物は殆ど仏教石窟で、中央付近の物はヒンドゥー教、西の物はジャイナ教の石窟寺院となっている。

年代も、仏教の石窟がもっとも古く、次にヒンドゥー教、ジャイナ教の順で新しくなっていく。

仏教の石窟寺院はまさに石窟で、狭い導入部と広い奥の空間という構造のものが多い。


ヒンドゥー教の石窟寺院は、初期の物は仏教石窟と同じような構造をしている。

中期の物は複数の入り口や窓が設けられ、いくらか開放的になっている。

さらに後期のものになると、完全に掘り下げられて広間が中庭状になっていたりする。

カイラーサナータ石窟寺院にいたっては神殿そのものが完全に外部に露出してしまっている。



「うーん、そういう事になってるのか。

 説明の中に在ったジャイナ教って、どんなものなんだろ」


「ジャイナ教とは「ジナの教え」という事で、ジナは勝者という意味で使われますね。

 ヴェーダの権威を否定するので、インドでは正統と見なされません。

 ヒンドゥーから見れば、仏教と同じ外道なので枠外の集団として扱われた教団の一つです。

 仏教の一派と理解されていたようですね」


「そうなんですか。

 この世界も身分制度がガッチガチのようだから、アルレースには肌で解るかも。

 チャンディードゥルガー様も仏教を外道と見るんですよね?」


「私達は仏教の守護神として扱われているから、そうでもないのですが」


「あ、そういえば、そんな事言ってましたっけ」



色んな事を知ったけど、これじゃぁホント、先生と一緒の修学旅行だよね。

そもそも真理って、やんやっちゅーねん。

それって美味しいの?


最近では『聖なるもの』の意味が解らない。

神に由来するものなら、私だって神族の内だし。

仮に私がアルレースに日用品を渡したら、それが聖なる物になるのかな。

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