第4話 侍一匹仁王と対峙す

 ……Everywhere upon your body the holy texts had been written—except upon your ears……


 クラスメイトの英文音読の声をBGMに、愛子はひとり今後の作戦を練っていた。

 教師から指名された生徒が、英語教科書のページを段落毎に音読しているわけだが、特定の座席列を前から順番に指しているので、そこから三つほど離れた列に座る愛子には、絶対に指されることはないという確信があった。

 授業中に余計なことを考えていると決まって教師に指され慌てるあまり教科書をさかさまに持って立ち上がる、などという“学園コメディあるある”は実際の現場ではあり得ないフィクションなのだ、と愛子はひとり勝ち誇った顔をしながら机の上のノートに目を落とす。

 開いた教科書によって巧妙にカモフラージュされたノートの端には、五人の女子生徒の名前が記されており、それぞれの右側にはひとりづつクラス名も書かれていた。

 ――う〜ん、会長はやっぱやめといたほうがいいかなあ……

 ノートに記載されている名前は、昨日の放課後に大田原富之から教えてもらったデザートの五人だった。

 愛子は大田原と別れたその足で職員室へと向かい、その場にいた顔見知りの教師に生徒ふたりのクラスを聞き出していた。残り三人は校内の有名人&友達なので聞かずとも知っている。


 ちなみにその友達――小梅からは朝メッセージが届いていて、風邪で今日は学校を休むとのことだった。本当は一緒に協力してくれたら心強かったのだけど、こればっかりは仕方がない。

 メッセージには「同好会の件については秘策あり。詳細は次会ったときに」とも書かれていたので、スクールアイドルの実現に一歩近づいたと信じて、愛子は希望に胸を膨らませた。

 また、「例のアニメ観た。そのせいで熱が上がった」ともあった。これはどう捉えればいいのだろうか。あのアニメを観ると風邪が悪化するということ?そうではないだろう。きっとアイドルを目指す女子高生たちに熱く共感してテンションが上がり、体温も一緒に上昇してしまったに違いない、と愛子は小梅のメッセージを都合よく解釈した。


 この授業のあとは昼休みなので、愛子は時間内でのもっとも効率の良い行動計画を考えている。

 ――おにぎりをダッシュで食べたら、あそこに行って……

「ミスイワキ」

 「へ?」とばかりノートから顔を上げると、教師が何か含んだような微笑みを浮かべてこちらを見ている。

 愛子は慌てふためき、教科書をさかさまに持って立ち上がった。


* * * * * * 


 中庭の一画に、芝生のないコンクリートの敷かれた場所があり、そこが“おにぎりダッシュ”後の愛子の目的地だった。

 天気の良い昼休みであれば、そこにはダンス同好会のメンバーが集まり、軽くダンスの練習をするのが最近の習慣であることは分かっていた。

 シュールな造形物や仏像などが脈絡なく立ち並ぶ広場を、愛子が歩みを進めていると、やがてその場所が姿をあらわす。

 そこでは数人がトラップ系のビートに合わせて踊っており、そのそばにある巨大でカラフルな抽象的オブジェには、まるで鳥が宿るようにして三人の女子生徒が昼食をとっている模様だった。

 オブジェ寄生組のひとりが愛子のターゲット――鳥原薫である。

 薫は2mほどの高さに横たわる赤い丸太へと腰を掛け、一方の手を丸太の上に置き、もう一方で昼食のサンドウィッチを持っては、まるで下界を見下ろしているかのような風格を醸していた。カールした長い茶髪を後ろで束ね、さすがデザコンでの準グランプリというべきか、人形のように整った美しい目鼻立ちを備えており、高みからスラリと下ろした脚からもそのスタイルの良さをうかがわせる。一方で、長いまつ毛に囲まれたその眼が宿す光とどこかしら毅然とした居住まいからは、彼女の気の強さとプライドの高さも感じさせた。

 薫から向かって右下にあるバナナのように湾曲した、それこそ黄色く塗られたオブジェには、そこに寝そべるようにして紙パックの牛乳をストローで飲んでいる女子がいた。彼女は片側の前髪をコーンロウ風に編み上げており、その肌は真っ黒に日焼けしている。

 もう一方の左側にある斜めに倒れたJ字型の造形部分には、背もたれを前に向けた椅子にまたがるようにして、ショートの金髪に丸顔の真っ白な肌の女子がいた。彼女はJ字の先端の平たいところに顎を乗せるという少し無理な体勢で、焼きそばパンを頬張っている。

 左右にいるふたりが、まるで薫を守護する――かつて愛子が中学の修学旅行で見た――仁王像のように周囲へ睨みを利かせている気がして、愛子は心持ち怖気づいた。


「なんか用?」

 右側の“黒光くろびかり”のほうが声をかけてきた。

 巻き舌気味で若干威嚇するようなトーンだ。

 なお、その時愛子は自分の中で、右の女子を“黒光”、左を“白玉”と勝手に名付けていた。

 愛子は“黒光”の言葉に一瞬怯むも、自分を落ち着かせようと呼吸を整える。

「鳥原さんにお話があって――あのー鳥原さん、ちょっといい?」

「あー?何の話よ?」

 不機嫌そうに問いかけたのは、薫でなく左の“白玉”だった。

 薫自身は愛子の声が聞こえているのかいないのか、どこか遠くを見ながらサンドウィッチを頬張っている。

 愛子が薫の反応を待っていると、しびれを切らしたように“黒光”が再び口を出す。

「だから何?って訊いてんだよ」

「それは本人に……鳥原さん!」

 愛子がそう呼びかけて薫を見上げるも、彼女はどこ吹く風といった様子で遥か高みでの優雅なランチを堪能していた。

 何だか鼻息が荒い取り巻きふたりを経由してでなく、薫本人へ直接伝えたほうが得策と愛子は考えて、白と黒のプレッシャーに耐え気丈にその場に立っている。

 ここでまた“白玉”が噛みついてきた。

「アンタさあ、カオルに話があるんならまず用件を先に言いなよ」

「いや、だから直接鳥原さんに――」

「あ゛あ゛?すぉぬぉ前にぬぁんぬぉ用くぁうぉ――」

「あ、話聞くよ」

 愛子に掴みかからんばかりにすごむ“黒光”を、薫のひとことがあっさり止めた。

「サンド食べてたからさ。ほら咀嚼って大事じゃん」

 薫が喋りだした途端、停止ボタンを押されたみたいに“仁王像”のふたりは押し黙った。

 なんか食べてても返事ぐらいはできるはず、と愛子は思ったが、薫がまとう雰囲気には、誰にも文句を言わせないような威圧感があった。

「で、何なの?」

「あの、それで――」

「最初は自分が誰か名乗るよね?ふつう」

 薫は落ち着いた口調で淡々と主導権を握ってみせる。

 愛子は圧迫面接を受ける就職希望の学生のように、この対話にいつになく緊張を感じた。

「えーと、あの、2年E組の岩鬼愛子と申す」

 愛子が緊張のあまりヘンな言い回しをすると、“黒光”と“白玉”が爆笑した。

 ふたりは「『申す』ってwww」「サムライかよwww」と腹を抱えて笑っているが、薫は真顔のまま愛子を見つめている。

「それで、私に何の用なの?岩鬼さん」

 薫が言葉を発した途端、ふたりの笑いはピタリと止んだ。

 再び空気が張り詰める。重いキック音を伴うトラックのビートと、ダンサーたちのコンクリート床に擦れる靴底の音だけが、その場にいる者たちの耳へと流れ込む。

 愛子は前置きなどすっ飛ばして率直に希望を伝えようと心を決めた。


「鳥原さん、アイドルにならない?」

 ブホッとばかり“黒光”が吹き出し、「アイドルぅ?www」と“白玉”が身をよじらせて笑っている。今度ばかりは薫も不可解な顔で愛子を見ていた。

「それっていうのは、いわゆる歌いながら踊ったりするアイドルのこと?」

「うん。スクールアイドルのグループを作ろうと思ってるの。来年の一月に全国大会があるからそこに向けて。鳥原さんはルックスも抜群だし、ダンスもうまいから絶対いいと思うんだ」

 “黒光”と“白玉”が会話に割って入る。

「アイドルなんてワックだろ。カオルがそんなチャラついた、男に媚びたようなことやるわけねえじゃん」

「アイドルってあれだろ?所詮ジジイの操り人形だろ?そんなん超ワックだぜえ〜」

 愛子は彼女らの言う“ワック”の意味は知らないが、恐らくいい意味でないことは分かる。

「まあ、アイドルについては色々思うことがあるとしても――」

 しかしまた薫が話しだすと、白黒はふたり共一斉に口を閉ざした。

「その前に――」

 そこで薫は丸太より飛び降り、着地と同時にターンしつつ華麗にダンスポーズを決めた。

 身体をひねり右脚を軽く曲げて膝を突き出しつつ、右手を腰に当て左手で髪をかき上げるようにしながら愛子を見据える。

「ダンス同好会に専念してるからどっちみち無理だよ。十二月にコンテストもあるしね」

 愛子はさらに食い下がろうと一瞬口を尖らせたものの、“黒光”と“白玉”のニヤニヤした顔が目に入ると、何故か急速にその気が失せた。


 こうして愛子は薫にあっさりと振られ、すごすごと校舎へ戻る道すがら、あれこれと考えを巡らせていた。

 もうちょっと粘って説得しても良かったかなと少し後悔してもみたが、取り巻きのふたりがいる状況ではそれも厳しかったと愛子は感じていた。

 ――邪魔なんだよなあ。“白光しろびかり”と“ 黒玉くろたま“――

 自分がつけたあだ名をもう取り違えてしまっているが、愛子はこの後彼女らに“おさむらい”と呼ばれるようになったことを知らない。


 愛子がデザート入賞者を知ろうとした意図は、これから作るアイドルグループへの勧誘目的だった。

 愛子から見て魅力的に映る女子は何人もいたが、アイドルとして成立させるためには、彼女にとって未知の角度である“男目線”での評価も必要ではないかと考えたのである。

 さらに言えば、愛子の観測範囲の外にいる逸材を知ることができるというメリットもあった。今回のデザートは有名人ふたりを除けば、校内でも――少なくとも女子の間では――あまり知名度のないメンツである。ひとりは友達だったが。


 愛子の心の中の運動部のベンチの人からの「切り替えていこう」というエールにより、次の候補者との接触に向けて彼女は気持ちをシフトチェンジさせた。ありがとう心の中の運動部のベンチの人。

 なお、次なるターゲットは2年C組の漆間花梨と決めていた。

 昼休みは残り20分、あまり話す時間はないだろうが、せめてそのお姿をば拝見したく候、と愛子は考えている。まだ彼女のことを見たことがないからだ。


 目的の教室に着くと愛子は「頼もう」とばかり中に入り、早速そばにいた女子生徒に「漆間花梨さんっている?」と尋ねた。

 その生徒は「え?」と意表を突かれたような反応を示すと教室内をキョロキョロと見回し、隣りにいた女子に「漆間さんって今日いたっけ?」と訊いている。問われたほうの生徒も同じように教室を確認したあと「さあ?」と少し困ったような顔してみせた。

「もしかして、今日はお休みとか?」

 愛子が彼女らの反応に不審を感じつつ尋ねると、今日の欠席者はひとりもいないはずとのことである。じゃあ間違いなく漆間花梨はここで授業を受けていたということだ。まだ教室に戻ってきてないだけだろう、と愛子も教室を見渡す。顔も知らないのに。

 ひとりの女子生徒が怪訝そうな表情で愛子に問いかけた。

「あのね……このあいだも他のクラスの男子が、漆間さんを探しにきたりしてたみたいなんだけど、あなたも同じ理由?」

「えーと、男子はなんか言ってた?」

「それが……別に漆間さんに会いにきたわけじゃないって言うの。でも私、男子がコソコソ話してるのを偶然きいちゃったから。どれが漆間さんなんだ、とか……」

 恐らくはデザートがらみで男子たちは漆間花梨を確認しにきたのだろう。ゆえに彼らはその理由を女子には言えないのかも知れない。

 ここに及んで、勉強では一切使わない愛子の頭脳が高速回転する。

 漆間花梨がひと目で分かる美少女であれば、男子たちの行動に眉をひそめることはあっても、それを不審に感じることはないはずだ。

 つまりはパッと見ではその可愛さが分からない、少なくとも女子の間ではその認識が共有されていない生徒なのだ。漆間花梨は。

 男子たちは何か彼女の秘密を握っているに違いない。

 大田原トミーに訊けばそれが分かるとも思ったのだが、デザートの詳細についてはもう確認しないことを昨日約束させられたばかりだった……

 花梨を探す理由を尋ねた女子生徒が、答えを待つように愛子を見ている。何か答えなくては……

「男子のことは知らないけど、新しく同好会を作る話があって、その件で漆間さんに話があったの」

「何の同好会?」

「いや、まだホントにやるかどうか決まってないから、今んとこ言えないっていうか」

「ふうん……」

 その生徒は訝しげに愛子を見たが、少なくとも嘘は言ってない、はず……と、愛子はニッコリと笑顔を返した。

 アイドル同好会のことを明らかにしないのは、なぜ漆間花梨に声をかけるのかについて、デザート選出の理由が分からない以上説明がつかないからだ。

 休み時間が終わりそうになっても花梨は一向に戻ってくる気配がなかったので、彼女の席の場所を教えてもらい、そこに付箋紙で簡単なメモを残した。


 自分の教室に戻ってからも、愛子は午後の授業の間中、漆間花梨のこと、デザートのことを考え続けていた。

 花梨に残したメモは、放課後に行くから帰らずに待っててほしいという内容で、そこに愛子のクラスと名前を書き添えている。

 どうして校内でも目立たない存在と思われる花梨がデザートに選出されたのか、本人に会って話をすれば謎は解けるかも知れない。

 そもそも男子というものは、割と分かりやすいカワイイとかキレイに飛びつくものだろう、とそれまで愛子は考えていた。会長や鳥原薫がその例である。

 しかしデザートに小梅が選ばれたように、男子たちにそのポテンシャルを評価する視点があったことは意外であり、漆間花梨もまたその角度から選定されたのかも知れない、と愛子は大田原富之の嘘情報をベースに男の審美眼を脳内で論じていた。


 放課後のチャイムが鳴るやいなや、愛子はフライング気味に教室を出て、ふたつ隣の花梨のいる教室へとまるで滑るような勢いで向かった。

 教室に入ると教師がまだ黒板を消している状況だったが、花梨の席を見ても彼女の姿はすでになく、机の上にはポツンと付箋紙が貼られていた。


“ごめんなさい。急用があるので今日は帰ります”


 愛子は付箋紙の文面を読んで愕然とした。

 ――愛子って避けられてるのかも……

 さすがのおめでたい方向性での思考の持ち主も、それは感じとったようだ。

 机の上の付箋紙を勢いよく剥がし、それを手でグシャッと握り潰したものの、皆が見ている前で投げ捨てるわけにもいかず、愛子は仕方なくそれをブラウスの胸ポケットに入れた。

 すでに漆間花梨は帰ったので今日のうちに見るはずもないのだが、「また明日来ます」と付箋紙に書いてはそれを机の上に叩きつけ、周囲の物珍しいものでも見るような視線の中、愛子は歯噛みするような気持ちを隠そうと、あえて悠々とした態度でその場を後にした。


 自分の教室に戻るなり愛子は、“マジョガリ”なる謎のゲームをやっていた同級生たちに巻き込まれ、意味の分からない火刑裁判の法廷に立たされるなどしたが、ようやく脱出して次のターゲットである一年生の純浦美瑠の教室に着いた頃には、当然と言うべきか彼女はすでに帰った後だった。

 一年生の教室は校舎の三階にあり、愛子はひとりトボトボとすっかりひと気のなくなった廊下を歩いていた。

 ふと前を見ると、愛子の数十m先に見える廊下の端にある部屋へ、遠目からでも分かる派手な雰囲気の女子生徒が入っていくのが見える。

 ――あれは……生徒会長かな?あの部屋は、そうか生徒会室だ――

 生徒会長も生徒会の仕事をすることがあるんだなあ、と愛子は当たり前の感想を持つが、これはひとえに小梅から彼女の実態を耳にしていたせいである。

 デザートに選ばれているにもかかわらず、愛子は会長をアイドル候補から外していた。

 それは、三年生は受験などで忙しいだろうという配慮もあったが、それ以上に、同じ役員である小梅から聞いた生徒会長の女王様っぷりが、とてもじゃないが一緒にやっていけるとは思えなかったからだ。

 なお、愛子に多大な影響を与えた例のスクールアイドルアニメでは、シリーズに渡って必ず生徒会長がグループに加入するという設定があった。

 あれはどういうことなんだろう。人前に立ちたいという思いがアイドルと生徒会長で共通しているとかだろうか、と愛子は雑に考察してみる。

 だが、積極的に件のアニメを真似していこうという思いの愛子ではあったが、会長のグループ加入だけは必ず避けることを決めていた。

 ワガママ放題で他人に仕事を押し付け、それでいてオイシイところだけは自分が全部持っていく高慢で見栄っ張りでナルシストな女。さらに言えば傲慢にして強欲、嫉妬深くすぐに憤怒し、色欲にまみれ暴食を繰り返し、ひたすら怠惰を重ねる。そんな七つの大罪みたいな人と同じグループで活動できるわけがないと愛子は考えたのだ。多分小梅も嫌がるだろう。

 しかしそんな会長でも男子からの人気はトップなのである。

 愛子は釈然としない思いを抱えつつ、今日の収穫が結局ゼロだった事実も噛みしめつつ、家に帰るために校舎の階段を一歩一歩降りていくのだった。

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