第2話 人形遣いは夕闇に嗤う
小部屋の一角にあるスチール製の書棚を、窓から差し込む少し赤みがかった西日が照らしている。
部屋の中心には折り畳み式の長机が据えられ、高校制服を身につけたふたりの少女が向かい合って座り、黙々とノートPCを操作していた。
その場に聞こえるのはキーボードを叩く音とマウスのクリック音、そして外からのかすかな放課後の喧騒のみで、時折溜め息とも深呼吸ともとれる息づかいが彼女たちから遠慮がちに発せられる。
やがて一方の少女――千輪小梅が少し強めにエンターキーを叩いた後、対面にいる眼鏡をかけた少女に声をかけた。
「天水さん、予算の内訳資料、生徒会共有のクラウドに置いたんで確認してもらえますか?」
対面の少女は、初めはその声に無反応だったが、キーボードを叩く指のスピードを徐々に落としていき、最後の打鍵をゆっくりと終えたのちに満を辞すかのように小梅へと顔を向けた。
「うん、分かった」
彼女の名は
資料の確認を終えた公佳が満足気にうなずく。
「うん……大丈夫じゃない?さすが千輪さんね。しっかりまとまってる――じゃ、これを都倉先生にメールしといて。CCに私と正木君をつけてね」
正木とは生徒会副会長である三年生の
公佳のメール依頼に、小梅は少し戸惑う様子で彼女を見ている。
「あの……会長にCCは……」
「ん?私今、名前言わなかった?」小梅が黙ってうなずくのを見て「そう……一応送っといて。どうせ見ないと思うけど」
小梅は早々にメールの送付を終えると、再び公佳に声をかけた。
「天水さん、昨日もここで作業してたんですか?」
「うん、仕事が溜まっちゃってね」
「あたし何か手伝いましょうか?受験勉強で大変ですよね?」
「この程度なら大丈夫。心配しないで。千輪さんにはあんまり負担かけたくないよ。元々は――」そう言ってチラリと小梅の背後を見る「あの人の仕事だし」
小梅が座る背中側の壁にはB2サイズのポスターが貼られている。
そこには明るい茶髪を派手にカールさせた満面の笑顔の女子高生が映っており、全体にキラキラしたエフェクトまでかかっている。一見かなり華やかな印象だが、悪く言えばとてもケバい。
さらに、そのポスターにはまるでアニメのタイトルみたいなフォントで名前が大きく書かれていた。
生徒会室の壁にデカデカと貼られている会長のポスターは、某国の指導者やホテルチェーンの女社長を思わせ、常日頃より小梅はそれに趣味の悪さを感じていた。
しかし、選挙で使われたこのポスターを会長自身がいたく気に入っているようで、さらには副会長も絶賛していたために、小梅には何も言えなかった。なお、書記である公佳も決してそれを好ましくは思っていない雰囲気だったが、そのポスターに関して何か口にしているのを少なくとも小梅は耳にしたことがなかった。
「結局……天水さんと正木さんだけでこの生徒会回してますよね?」
小梅の苦言めいた言葉を聞いた公佳は、キーボードの手を止め軽く溜め息をつく。
「そんなことないよ。千輪さんよくやってくれるし。助かってるよ」
「いえ、あたしは別に……」
会長である車田夢彩は、ファッション誌の読者モデルをやっているらしく、今日は雑誌の仕事ということで生徒会室には来なかった。
夢彩のそういった不在は会長就任当初からたびたび繰り返されており、生徒会の仕事は他の役員に任せる、というよりも丸投げされている状態だった。
なお、小梅がコンビニで当のファッション誌を確認したところ、夢彩が写っているページを見つけることができなかった。公佳によれば、一度だけその雑誌に載ったことはあり、彼女の実態としては“読モ研究生見習い”といったところらしい。雑誌の仕事に赴いているというよりも、その周辺に入り浸って仕事のチャンスをうかがっている、というのが本当のところのようだ。
それでも、校内のオシャレに関心のある女子たちと一部の男子からはカリスマ的な人気を博しており、去年の生徒会長選挙ではその層からの支持が大きく影響したのだった。
ひとときの休憩なのか、公佳はふと眼鏡を外し、それを眼鏡拭きで拭き始めた。眼鏡を掛けている状態では分かりにくかったが、濃い墨汁に浸した筆で一気に描かれたようなキリッとした眉毛から、彼女の意志の強さのようなものを小梅は感じ取っていた。
小梅にじっと見られているのに気づいて、公佳は恥ずかしそうに慌てて眼鏡を掛け直し、話題を逸らすかのように言葉を口にする。
「あ、でも、もうすぐこの執行部も解散だね」
十一月初めには新生徒会長の選挙があり、二ヶ月後には新しい体制での生徒会がスタートする予定となる。現執行部ではそのための準備もおこなう必要があり、さらに十月には文化祭も控えていて、基本的には実行委員会が中心にはなるのだが、今日の副会長のように何かと駆り出されることも多かった。
「いやー、そう考えると何だかさびしいですね」
小梅の少し感傷的な発言に対し、公佳がからかうような口ぶりで返す。
「あれ?生徒会イヤじゃなかったの?」
「イヤじゃないですよ。そりゃ最初の頃は――」
そのとき生徒会室のドアをノックする者があった。
返事をすると、ドアを少しだけ開いて隙間から顔を覗かせる。
「ども」
副会長の正木だった。西日に丸顔が照らされて、あんパンのようにテカっている。
彼はドアをゆっくりと開けると、のそりのそりと部屋へ足を踏み入れた。
男子としてはさほど身長は高くないが、やはりすぐに目につく特徴は彼のその小太りな体型である。
顔の汗を拭き拭き部屋へと入ってくる姿に、小梅は室内の気温が一気に上昇したような気がした。
「いやあ、実行委員会の段取りが悪くてさー、これから委員長と先生交えて話し合いだよ。あ、天ちゃん、この間作ってくれた文化祭準備の分担案、あれプリントできる?」
「うん……何部印刷すればいいの?」
「えーとね、とりあえず3部あればいいかな。足りなかったらこっちでコピーするから」
「分かった」
公佳がプリントの準備を進めている間、それが印刷物を待つポーズだと言わんばかりに、正木はプリンターのはじに肘を乗せ、もたれるようにして脚を組んで立っている。
スーパーのチラシで見かける衣料品のモデルみたいな、体型にそぐわないポーズを彼がとっているのをよく見るが、今はただプリンターが壊れそうなのでやめてほしいと小梅は内心思っていた。
「ねえ小梅ちゃん、今度の日曜、おじさんに釣りに誘われたんだけどさ。小梅ちゃんも行く?」
「行きません」
「だよねー。女子って釣りとか興味ないからねー」
正木の言う“おじさん”とは、小梅の父親のことである。
正木と小梅の家はごく近所にあり、両家はふたりが小さい頃から家族ぐるみの付き合いがあった。
小梅の父親は自分に男の子供がいないせいか(小梅は現在地方の大学へ通うために家を出ている姉とのふたり姉妹である)、正木のことをやたら可愛がっていた。
なお、小梅が釣りの誘いを断ったのは、釣りに興味がないというよりも、父親と正木と三人で出かけるなどということは、想像しただけでも鬼ツライからである。
そうこうしているうちに印刷が終わり、正木は「ども」と礼を言いその紙を携えて部屋を出ようとするも、ふと何かに気づいたように足を止めた。
彼は一点を見つめているが、その目線の先には――壁のポスターがあった。
「最近ゆあふぃと会ってないけど……明日は来るかな?選挙の準備について打合せしようって決めたよね?きっと来るよね?」
正木の言う“ゆあふぃ”とは会長の夢彩のことである。
元々彼は、夢彩の熱心なファンのひとりであり、去年の生徒会長選挙で彼女の参謀を務め、その手腕を買われて副会長に就任したのだった。
正木の問いかけに、公佳は「さあ」とすげなく答えるだけだったが、彼はさらに食い下がる。
「読モの仕事忙しいのかな?今日学校来てた?僕のクラス、ゆあふぃのクラスから離れてるんで確認できなかったんだけど」
公佳は顔を少ししかめると、PCの画面を見ながら面倒そうに答える。
「……私、彼女の隣のクラスだけど、来てる気配はあったよ」
「そうなんだ。気配が……ゆあふぃの気配最高!」
正木はどこか歪んだ安堵の気持ちを大声で表明すると、ドアを開き汎用的な挨拶「ども」を口にして部屋を出て行った。
再び生徒会室がふたりだけになり、小梅はこの部屋が、静けさと共に涼しさも取り戻したような気がした。
正木の登場のせいで作業が寸断されたのか、公佳がPCの脇に置いた資料をペラペラとめくりつつ、おもむろに口を開く。
「千輪さんって正木君の親戚なんだっけ?」
「いや違いますよ。家が近所ってだけです」
先程の正木の“おじさん”発言がきっと公佳の誤解を生んでいるのだろう。
小梅が生徒会執行部に入ったきっかけは、正木の誘いだった。
正木と公佳については、直接夢彩によって勧誘された形だが、会計担当については正木がふさわしい人材を探すよう会長から依頼されたのである。
「そういえばさっきさ、千輪さん言いかけなかった?」
「え、何をですか?」
公佳は何が楽しいのか、ニコリと微笑む。
「最初の頃はこの生徒会がイヤだったって」
小梅は初め正木の誘いを固く断っていた。
帰宅部の彼女ではあったが、生徒会の仕事に興味はなかったし、とにかく面倒なことに時間を取られることが煩わしかったのだ。
他に人材がいないのか、正木は小梅を二度も熱心に誘い、しかしそのたびに彼女は強く拒絶していた。
小梅はその時点でもう正木が諦めてくれたものと考えていたのだが、ついに彼は禁じ手を用いて“三顧の礼”を行使することになる。
正木が自分の両親を引き連れて小梅宅に乗り込んできたのだ。
必然的に正木家VS千輪家の対決になるかと思いきや、次第に小梅の両親も正木に味方するようになり、小梅は最終的に五人の圧力に耐え切れず屈してしまった。わずかばかりの小遣いアップと引き換えに役員就任を呑まされたのだ。
のちに小梅は正木に対して、自分の勧誘に固執した理由を訊いたところ、顔見知りで頭が良さそうな生徒が他にいなかった、とのことだった。小梅はそれを聞いて、「ロクな友達いないじゃん」と思ったが、もう一方で、自分も他人のことは言えないかも知れないと脳内に愛子の笑顔を浮かべた。
「初めはやっぱり強引に役員にさせられたんで、結構不満があったっていうか……でもやってくうちに段々やりがいみたいなのを感じてきて……」
小梅が公佳に語ったことも一片の事実ではあるのだが、彼女が生徒会の仕事に対し当初よりも前向きになったのは、正木へ抱く感情の変化も関係していた。
初めに言っておくが、彼に恋愛感情を持つようになったとかそういうことではない。
当初は不当な圧力によって役に就かされたことを小梅は恨みがましく思っていたが、自ら望んだ立場だとしても、会長にあれこれと仕事を押し付けられる幼馴染の姿を見るにつけ、恨みよりも正木を不憫に思う気持ちのほうが高まっていったのである。
小梅のこの感情は生真面目に仕事をこなす公佳に対しても抱いていて、その一方でシーソーのように会長への人望はストップ安に向かって下落していった。
だけど――
小梅はふと思う。現執行部の発足当初に不服を感じていたのは、自分だけではなかったと。
「あの……天水さん、最初の頃は会長と結構言い争ってましたよね?それがいつの間にか……」
去年の冬頃、全く自分では何もしようとせず他人に仕事を押し付けてばかりの夢彩に対し、公佳が直接クレームをぶつけるシーンが多々見られた。
そういった場合、正木が間に入ってなだめることになるのだが、彼は結局は会長の味方であり、書記が会長の方針に異を唱えるのはおかしい、という公佳にとって不本意な形で決着させられることがたびたびであった。
小梅から見ても公佳の意見のほうに正当性があると感じていたが、当時の小梅はまだ生徒会の仕事にやる気がなく、その言い争いに対しても他人事のような態度で、頼まれた仕事が終われば周りを気にすることなくサッサと帰っていた。
だが、年が開けると、会長と公佳の言い争いはパッタリと止んだ。
公佳が会長を難詰するということが一切なくなったのだ。
公佳は、遠くを見る目つきで、キリスト教のお祈りのように両手を結んだまま、静かに語りだした。
「私ね、よく考えてみたの。なんだかんだ車田さんに文句言ってたけど、結局はやりたいことをやれてるんじゃないかって」
「え、そうなんですか?」
「うん、ハタから見たらそうは思えないよね?」
公佳はそう言って小さく鼻を鳴らした。
そもそもは去年の生徒会長選挙において、公佳は車田夢彩の対立候補のひとりだったのだ。
そして結果は歴史が示すとおり、公佳は夢彩に僅差で敗北する。
その後生徒たちから意外に思われたのは、夢彩が対立候補である公佳を役員として任命したことだった。
これには実は裏取引があって、選挙の際に公佳が挙げた公約を全て呑むという条件が提示されていたのだ。
元々夢彩の公約は「学校を楽しくする」等のフワッとしていて中身が無いものであったため、公約の整合については全く支障がなかった。
公佳も初めは役員就任を固辞していたが、そこは正木が公約の全面受け入れを条件に粘り強く説得したのだった。さすがに公佳相手に両親を引き連れていくことはなかったが。
「結局、生徒会は私が考えた公約を遂行してるんだよね。車田さんは普段いないけど、イベントだけは絶対外さなくて、私が書いた原稿どおりに喋ってくれる。正木君は私の描いたシナリオどおりに行動してくれる。千輪さんは雑務を真面目にこなしてくれる。そうなの。私思ったの。今の状況に何の不満があるの?って」
そう笑顔で語る公佳に、小梅は少しだけゾッとしていた。
実質的に公佳が生徒会をコントロールしているということは、当然知らなかったわけではない。
しかしその動機が「私がやらなきゃ生徒会が成り立たない」といった使命感や義務感ではなく、何か野心のようなものに裏打ちされていると考えると、何だかちょっと怖くなる小梅だった。
「何故車田さんが私や千輪さんを役員に任命したのか分かる?彼女には取り巻きが沢山いるけど、正木君以外はみ〜んな役立たずだったんだよね。これはさすがのお姫様も選挙運動の時に痛感したみたい。みんな結局『プチ車田』とか『劣化コピー車田』みたいな連中だったの。だから正木のヤツ以外は取り巻きの外から引っ張ってくる必要があったってわけ」
小梅は徐々に公佳の口が悪くなってきているのを感じて、彼女に対し少しづつ怯えの感情が芽生えだしていた。
まさに漆黒の闇を纏いし邪気眼鏡の黒天水公佳がこの聖屠界室に誕生せんとしているのかも知れない、と。
「私が言いたかったことは、この生徒会執行部では誰もが利益を得ているということなの。私は結果的に好きなように操り人形たちを動かしてる。自称読モ女は目立ちたい、チヤホヤされたい、楽していいカッコしたいっていう下劣な欲求を満たしている。小太りアンパン男は、傲慢にして横暴な女王様へ忠実なるしもべとして仕えることに変態的な喜びを見いだしている。それぞれが互いに喰らい合うことなく、そのかつえた胃の腑を満たすことが可能な世界。バランスの取れたシステムだと思わない?……でも、心配だったのは唯一あなただったけど――」
「あ、あたしは、だ大丈夫っす……」
「そう?それならよかった」
公佳がニコリと笑顔を返す。だが、眼鏡の奥が笑っていないようにも感じる。
完全に怯えきった小梅は、本来行きたいわけでもないトイレへ向かうことを公佳に告げて、ひとまずは生徒会室から外に出た。
生徒会室は校舎の三階端にあり、トイレは反対側の端に位置するため、真っ直ぐ伸びる廊下をひとしきり歩く必要がある。
本当のところは催してなどいないのだが、所要時間が短か過ぎて公佳から要らぬ詮索を受けるのも嫌なので、小梅は実際にトイレに向かって手でも洗って帰ってこようと思っていた。
何より一旦落ち着いて考える時間が小梅は欲しかったのだ。
教室の反対側にある、廊下に接した窓からは、学校の中庭を臨むことができる。
中庭にはいくつもの彫像やオブジェが点在していて、庭を囲むようにして学食や部室棟が連なり、そこをまばらに生徒たちが往来するのが見えた。
廊下を歩きながら、小梅は先程の公佳との会話を思い出す。
公佳の様子は少し怖かったが、あんな風に本音をぶちまける彼女を見るのは初めてだった。
知り合ってから一年近く経つのに、自分は何も分かってなかった、という悔いのような気持ちが小梅を覆う。
だけど――それが分かっていたとして、自分に何ができたのだろう?
そもそも何かする必要があったのか?
公佳が語るとおり、皆がウィンウィンの関係だ。そこに対し余計な振舞いをして、その関係性を壊したりするのは得策ではない。
でも――小梅は心に何かモヤモヤしたものを抱えつつ、女子トイレへと入っていった。
トイレからの帰り道、小梅はあれこれ考えた挙句、結論としては「生徒会残りふた月頑張ろう」という薄口前向き川柳みたいな心持ちに達していた。
――何だか少し寒気がする。風邪でもひいたのかな――
小梅は自分の顔に熱っぽさも感じて、とりあえず今日のところは早めに帰ろうと、放課後の静かな廊下をひとり生徒会室へと向かっていた。
ふと窓の外を見下ろすと、中庭に小梅の見知った顔があることに気がついた。
愛子である。
駅前のファストフード店で昨日話をして以来、小梅はまだ愛子と言葉を交わせていない。
彼女は男子生徒と話している様子だった。
――あれはあたしと同じクラスの……そういえば愛子の勧めてきたアニメ、まだ観てないや。帰ったら観ないと――
小梅がそんなことを思いだしていると、彼女の脳裏に、忘れていたとある
――そうだ、愛子と約束したんだっけ。戻ったらやらなきゃ――
生徒会室のドアを恐る恐る開けると、公佳が淡々とキーボードを叩いている姿が見えた。どうやら黒天水は降臨していないようだ、と小梅は推測する。
――いや、見た目だけでは判断できないかも知れない――
小梅は普通に歩いているけれども気分的には忍び足で自分の席に戻る。
いざPCにログインしようとしたところで――
「千輪さん」
公佳の呼びかけに小梅はビクッと身体を震わせる。
「さっきはごめんなさいね」
「はい?」
公佳の顔を見ると、いつものような無表情だ。
ダークモードの発動は、公佳が笑顔の時に起きる現象に違いない、と小梅は勝手に仮説を立て、彼女の今の表情に勝手に安心した。
「私ちょっと言い過ぎたみたい。たまに止まらなくなることがあって……今は反省してる」
「いや、そんな――」
小梅は妙に殊勝な公佳に対し反射的にフォローの言葉をかけようとするも、二の句が思いつかずに思考が束の間アイドリングする。
今の時点でこの会話は有耶無耶にして終わらせてもいいような気がしていた小梅だったが、公佳は小梅をじっと見つめ、続くセンテンスを待っている様子に見えた。
小梅はそのプレッシャーに耐えかね、意を決して思いつきの言葉を紡ぐ。
「えーと、でも……天水さんのホントの気持ちが聞けて良かったです」
「ホントの……気持ち?」
公佳の眼鏡がキラリと光り、念を押すように小梅の発言を繰り返した。
言葉のチョイスを間違えたかも知れない……地雷を踏んでしまったのかも知れない……と小梅の内心はひたすらあたふたしたが、外からは全く悟られないような涼しい顔でさらなる取り繕いワードを口にした。
「ええ、いい意味で」
ほんの一瞬、ふたりの間を沈黙がよぎる。
さらに深い墓穴を掘ったのかも知れない、と小梅は胸の内で焦るが――
「いい意味で、ね。それは良かった。ありがとう」
公佳がニコリともせずに礼を述べた。
小梅は会話の決着にホッと胸を撫でおろすも、その一方で、今の返しが正解というわけではなかったのでは?とも考える。
きっとこれは公佳による手打ちなのだ。今日のところはこの辺で手を退いてやろうという。
「いい意味って?」などと返されたら、また苦し紛れに答えるしかない。そしてさらにその答えに対して……その先に待っているのはただただ不毛なモラハラ的スパイラルなのだ。
――いや、もうやめよう。あたしの考え過ぎかも知れないし……
しれっとした顔で再びキーボードを叩きだす公佳を見て、とりあえずは若干理不尽ともいえる精神的重圧から解放されたことにホッとした。
――そうだ、あれを調べないと――
小梅はようやく自分に課した使命を思いだし、やおらパイプ椅子から立ち上がると、部屋の一角にある書棚へと向かった。
少し風邪気味な気がするが、これだけは片付けてから帰ろうと彼女は考えたのだった。
書棚はスチール製で小梅の身長より少し高さがあり、上下ふたつの引戸に分かれているが、上の引戸はガラスが張られていて、外から資料の背表紙が見えるようになっている。幅1m程のそんな書類ケースが二台、生徒会室の壁に沿って並べられていた。
――たしかここにあったはずなんだけど……
お目当ての資料が見つからず、小梅は書棚のガラス戸を開けて、書類の間にそれが埋もれてたりしてないか、かき分けるようにして確認していく。
「何か探してるの?」
後ろから公佳が声をかけてきた。
別に後ろ暗いことをしているわけでもないが、小梅はいたずらが見つかった子供のようにバツが悪そうに振り返る。
「いや、その、生徒会会則を――」
公佳が手元にある資料を掲げてみせた。
その表紙には“生徒会会則”と記されている。
「これが何か?」
小梅は自分の注意力不足、考えの浅さについて、必要以上に悔いていた。
生徒会会則がいつもの場所にないとすれば、誰かがそれを持ち出したと初めに考えるのが定石ではないか、と。
だけど――
小梅は思い出す。
今日生徒会室に来たのは、公佳よりも小梅のほうが10分ほど早かった。
公佳がPCの傍に置いた資料も自分のカバンから取り出したものであり、そのままずっと椅子に座りっ放しで、書棚に向かうことはなかった。
とすれば答えは単純である。
小梅がトイレに行っている間に公佳は書棚から生徒会会則を持ち出したのだ。
それが偶然としても、小梅は廊下を歩いている時の思考を読まれたような気がして、少し動揺しながらもその目的を正直に答えた。
「同好会の規約を確認しようとしてたんです」
「同好会?どうして?」
「友達が新しく発足させようとしてて――」
公佳の疑問に答えながら、小梅にひとつのアイデアが浮かんだ。
ここはいっそ公佳に相談してみるのはどうだろう?
彼女は生徒会の影の支配者であり、特別予算でのノートPC購入を教師に認めさせたチートスキルの持ち主である。正当な手続きを踏んでるので、チートは言い過ぎかも知れない。
ともあれ、そんな公佳であれば同好会を発足させる裏技を知っているかも、と小梅は彼女の技量に期待を抱いたのだ。
小梅は、昨日の愛子とのやり取り――愛子がスクールアイドルの同好会を発足させ、全国大会への出場を目指している――を公佳に伝えた。
公佳はさして興味などなさそうに、フンフンとうなずきながら小梅の話を聞いていた。
やがて小梅が話し終えると、公佳は手元に置いた生徒会会則をパラパラとめくり、恐らくは同好会規約の箇所を確認しているようだった。
それからおもむろに顔を上げ、小梅を見据える。
「そうね。千輪さんが言うとおり今の部長勢では同好会発足を認めてもらうのは無理でしょうね。アイドルという活動内容自体が不興を買うだろうっていうのもあるけど、今は部室が不足してるって問題があって、なかなか新規に発足させるのは厳しい状況だからね。仮に部長の誰かが気まぐれに賛成したとしてもせいぜい2〜3人、会長・副会長を加えても到底過半数には及ばないと思う」
部長会議においては、書記と会計に投票権はない。二人共に会議には出席はしているが、それぞれ公佳が議事録の作成、小梅がプロジェクターによる資料の映写という役割を担っている。
なお、司会進行は副会長の役割であり、会長はといえば思いつきで言いたいことを言って会議を脱線させる係である。
会長の実態は部長たちにはとっくにバレており、彼女の人望のなさが彼らの態度を硬化させている一因でもあった。
「ただ、多数決以外で同好会の発足を認めさせる方法があるにはあるんだけど……」
「あ、そんな方法があるんですか?」
「特例で校長の承認があればって規約はあるけど、部長たちの多数決より難易度高いんじゃないかな。その同好会が学校にとって大事な意義があるとか、すでに校外から高い評価を受けているグループとか、そういうのがないと認められないと思うよ。だって校長も承認理由の説明が要るしね」
校長の弱味を握ればもしかして……などと小梅の頭に一瞬不埒な考えが浮かんだが、あの“鋼鉄の女”とも呼ばれる校長がそんな奸計に屈するはずがない、と邪念は瞬時にして消え去った。
校長の
とすると――
もはや打つ手がないのではないか、そう小梅は考えるに至った。
もう同好会の新規発足計画は、あらかじめ詰んでいるのだ。
愛子に“悲しいお知らせ”を持っていくことを考えると、小梅は少し気が滅入った。
その時――小梅のPCの画面右下に、チャットの通知メッセージが表示された。
送付元は、公佳だった。
メッセージにはURLのみが記載されており、それが下線つきのリンクとなっている。
小梅が「これは何ですか?」という顔で公佳を見ると、彼女は「まあ開いてみなさい」という顔でうなずいたので、リンクをクリックしてみた。
すると、ブラウザ上に表示されたのは、10件ほど行が並んだリストだった。
内容を見ると、どうやらそれは同好会の一覧表のようだ。
公佳の意図が分からず、小梅は再び彼女へ顔を向ける。
「あの……これは?」
「レッドリスト」
公佳によれば、次回の部長会議で廃部が決定する同好会の一覧なのだそうだ。
「活動内容が発足時に届け出たものと異なっていたり、人数が5人に満たない同好会が対象になってるの」
これまで会議で廃部が決定した同好会はないこともなかったが、一度に十もの団体が対象になったことはない。
「部室不足が深刻化しているから、この辺で手を打たなきゃいけなかったの。大体の同好会はこれまで幽霊部員でメンバーを水増しして報告してたから、今回実態を調査したってわけ」
「全部の同好会をですか?」
「うん、そうだよ」
「天水さんが調べたんですか?」
「いや、違うよ。私の知り合いでそういうのを調べてくれる人たちがいるの」
――この人は校内にスパイ集団みたいなのを飼ってるのか!――
公佳のことはますます敵に回してはいけない、と小梅は改めて肝に銘じたのだった。
「いきなりあなたたちの同好会は終了です、ってなるのも酷だから明日には通達する予定だったけどね。どうせ文句を言ってくる人たちがいるから、正木君に対応してもらうために彼に言い含めてから通達しようと思ってたの」
クレーム処理などという厄介ごとは、副会長に全て押しつけようとしているようだ。
――この人は本当は会長よりヤバい人かも知れない――
天水公佳の恐るべき正体――何故それに十ヶ月もの間気付けなかったのか。
小梅は自分に問いかけてみる。
考えてみれば、今までも公佳は生徒会を裏で仕切ってきたし、小梅はそばでそれを見てもきたのだ。
恐らくは公佳のぶっちゃけ発言をきっかけに、小梅の彼女に対する見方が変わってしまったのかも知れない。まるでだまし絵のルビンの壷のように。
ところで、何故この“レッドリスト”を自分に見せたのか、小梅にとってそれが今現在一番に気になるところだった。
「あの……どうしてこのリストをあたしに?」
「同好会を新規に作るのは難しくても、すでにあるところに加入するなら問題ないんじゃないの?」
「えーと、でもこれってもう潰れる同好会ですよね?」
「部長会議まであと二週間あるから、それまでに人数を揃えれば助かる可能性はあるわけ。事前通達はそのための温情措置って側面もあるから」
“温情措置”とは言うものの、生き残るために二週間の間必死にあがく人たちを高みからニヤニヤ笑いながら見下ろしている公佳の姿が、小梅の脳内に浮かんだ。
そんな責苦を受ける不憫な生贄たちの中に、ひっそりとアイドルの同好会が含まれていたのか。
しかし――
リストに挙がっている同好会を見ても、アイドル活動にふさわしいと思えるものは見つからなかった。
「あの、この中にそれっぽいのは……他の同好会ではダメなんですか?例えばダンス同好会とか軽音楽とか」
公佳は軽く溜め息をつくと、そんな質問は予想してましたよ風な微笑みを浮かべた。
――天水さんが笑っている……怖い……寒気がする……いやこれは風邪かも……
「まずダンス同好会は、今ヒップホップ系のダンスに全員一丸となって取り組んでいる。何かのコンテストに出場するみたい。そこに加わるのは難しそうね。次に軽音楽同好会は偏屈な部長なせいで、随分偏った団体になってるの。ヘヴィーメタルしか認めないっていうね……メタルバンドをバックに歌うアイドルっていうのもいたけど、部長が硬派メタル雑誌の愛読者でね、そこの編集方針と同じように、アイドルとか十万年生きてる悪魔のバンドとか、そういうものを排除しがちなの」
どうして公佳は軽音楽同好会部長の愛読誌まで知っているのか。それもスパイの調査結果なのだろうか、と小梅は少し震える。
「レッドリストに挙がっている同好会であれば、当然新規部員ウェルカムなわけ。だからこれは同好会側にもスクールアイドルをやりたい側にも双方にメリットが――」
――またウィンウィン――
公佳の価値基準は常にそこにあるのかも知れない、と小梅は考える。
――まあ、全ての取引はそうあるべきなんだろうけど――
「で、上から三番目とかどう?」
公佳に唐突に言われて、小梅は急ぎリストを確認する。
「……あの、これですか?ここは……」
公佳が示したのは、およそアイドルとは関係の無さそうな同好会だった。
彼女の意図が読めずに小梅の熱っぽい頭にはただ疑問符だけが浮かぶ。
真意を問おうと顔を上げると、もはや日も暮れかけてすっかり薄暗くなった小部屋の中で、公佳はうっすらと微笑みを浮かべていた。
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