第29話 酒場のお仕事⑦ 料理本
「う……うぅぅ……」
「お……おい、大丈夫かアーロウ……」
臭い空気に耐えかねて、今にも吐きそうになっているアーロウの背中を擦って、ガイラはまいったなと頭を抱える。
知ってはいたが、まさかこれほどに敏感な奴だとは……。これじゃ美味い料理を食わせるどころじゃなくなりそうだ。
と、そこへカウンターの向こうから可愛らしい声がかけられる。
「あらあら大丈夫ですか? ……ちょっと待ってくださいな」
ライカである。
彼女はなにやらゴソゴソと引き出しを漁ると、そこから妙な道具を取り出した。
「と、ライカちゃんそれは何だい?」
ガイラが聞くと、
「霧吹きですわ」
と彼女が答える。
そして真鍮で出来たその道具の頭をポンと押すと、くちばしのような棒の先からシュッっと霧状になった液が吹き出した。
「な、なんだいその液は!??」
「これは近所の魔法具屋さんが作ったニオイ消しですの。植物の汁から抽出したいい香りの油と、え~~と……クエンなんとかという魔法の粉をあわせた水で、これをお部屋に撒くと嫌な匂いが取れるんですよ」
ニコニコと笑いながらシュ、シュっとアーロウの周囲にそれを散布するライカ。
「うわ、ちょっとっ!??」
得体の知れない液体に顔を歪めて不快感を出すアーロウだが、
「――――ん、……アレ??」
すぐに異変に気がついた。
「スンスン……スンスン……。――――匂いが……匂いがしなくなった……?」
さっきまで感じていた周囲の悪臭がまったく感じなくなったのだ。
代わりに森の木々が発する爽やかでほんのり甘い香りが広がってくる。
信じられないといったようすでアーロウはライカを見上げる。
「お~~確かに、なんか俺達のまわりだけ空気が澄んだような感じがするな、いやこりゃ気分がいい」
ガイラも鼻を鳴らして表情を明るくする。
「霧吹きはここに置いておきますから、気になったらまたご自由に振りまいて下さいね。ちなみに体にかけても問題ありませんよ」
それを聞いてアーロウはすかさず霧吹きを手にとってガイラに向けて連射する。
「――――ぶお、止めろっ!! 俺はそんなに臭くないだろっ!!」
「いや、最近、加齢臭がしている。このさいこれで徹底的に消臭した方が良い!!」
「マジか!? いや、だからってちょっと待て!! ぶはっ酸っぱいっ!!」
ひとしきり液をガイラに浴びせ、匂いをチェックするアーロウ。
「……すごい、ほんとに匂いが消えている」
そして目を輝かせ、
「お、おい!! これを譲ってくれないか!? か、金は払うから、いくらだ、言ってくれ!!」
霧吹きを握りしめてライカに迫った。
すかさずギロリと女将さんの視線が飛んでくるが、それをやんわりと手で制してライカは言った。
「それはウチじゃなくて、この通りの中にある『デネブ魔法書店』ってお店で売っていますのよ。……お値段はえ~~と、霧吹き込みで銀2枚で、中身だけなら銅10枚で売ってますわよ。……ちなみに――――、」
コト……と、もう一つ、今度は妙な小瓶を取り出してそれもカウンターに置いた。
その瓶の中には白い砂が入っていて、これからもほんのりと果物の香りが広がってきていた。
「これもニオイ消しの一種でして、こちらは振りかけずとも置いておくだけで嫌な臭いを押さえてくれる魔法具ですわ。これも同じ店で買えますのよ」
「おお、ほんとかっ!!」
良いことを聞いたと喜ぶアーロウ。
そのようすを見ていたウエイトレスは呆れた声で、
「ライカさん、他の店の宣伝なんかやっていないでウチの商売もしてくださいよ」
と、ガチャガチャと食器を持ってやってくる。
「三番テーブル、ポトフのおかわりとポテトサラダ。五番テーブル、チーズリゾットとホイコウロウ入りました!!」
ガチャンとカウンター奥の流しに食器を置くと、注文をライカに告げる。
「は~~い。……あらあら喋っている場合じゃなかったですわね」
と舌を出して手際よく料理に取り掛かるライカ。
「ひとまずこちら、ご予約していただいてた『ポトフ』ですわ。追加注文ありましたら、あちらのメニューをご覧になって言ってくださいね」
と、ホカホカ湯気の上がったポトフを二人の前に出すライカ。
「おお、これこれ!! これが美味いんだよ!!」
お目当てのポトフを前にして小躍りするガイラ。
昼も同じのを食べたというのに、随分と気に入ったらしい。
「アーロン、お前も一口でいいから食ってみろよ!! これ、マジで美味いから絶対後悔はさせねぇぞ!!」
言うガイラに、
「う~~~~~~んむむむ……」
アーロウは難しい顔で料理を見つめている。
――――ジャガイモ、玉ねぎ、人参、葉野菜、腸詰めの肉……見た目は普通。
しかし、それぞれの野菜が煮崩れしないよう丁寧にカット処理され、ごちゃまぜにせずにきちんと具材ごとにわけて盛り付けられていて、清潔感は確かにある。
食器も嫌な臭いが染み付いていることなどなく、ポトフの醸し出す甘く暖かな香りを一切邪魔していない。
――――これは……たしかに美味そう……かもしれない。
アーロウは密かに喉を鳴らす。
……うまそう……うまそうなのだが……。
しかし、彼は昔から母親以外の他人が作った料理を口にしたことがなかった。
いや、正確にはあるにはあるが、その時の苦い経験が原因で食べられなくなったと言ったほうがいいかもしれない。ともかく子供の頃からもうずっと、アーロウは自分の作った料理しか口にしていない。
だからたとえこの料理がどんなに美味そうに見えても、口に入れようなどとはとても思えなかった。
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