第30話 酒場のお仕事⑧ 料理本
「おや、どうした? 食わないのかい?」
小さな木のコップを二つ手に持った女将が声をかけてくる。
コトンとそれを目の前に置くと、
「まぁ、お前さんのことは聞いているから悪くは思わないけどね。先に酒でも入れたらどうだい? 勢いが出るってもんだよ」
ニカっと笑い「こいつはおごりだ」と言って去っていく女将。
ウエイトレスが「もう、女将さんすぐそんなサービスして!!」と怒るが、女将は余裕の笑みを浮かべて、
「なぁに、このくらいすぐ元が取れるさ」
と、ライカを見て言った。
置かれたコップには茶色い液体が入っていた。
アーロウはその匂いを嗅いですぐに上等な蒸留酒だと気づいたが、しかしそれよりもコップにまったく嫌な臭いがついていないことに感動した。
「……こ、これは……このコップは随分清潔に保たれているんだな」
「ああ、これはな『洗剤』っていう、これまた不思議な道具で洗っているんだよ。おかげでこの店の食器はみんな汚れ無し匂い無しのピカピカ状態なんだよ」
そう言って泡ぶくになっている流しと、その横に立てかけられている洗浄済みのピカピカ光る食器類を指さして得意げに笑うガイラ。
それらはみな、ただの水で擦っただけのものと違って、まるで新品のような輝きを放ち、食べかすどころか油汚れ一つ付いてはいなかった。
「ちなみにこれもデネブ魔法書店で売っていますよ」
「よし、今すぐ買いに行ってくる!!」
ライカの言葉に反射的に立ち上がり、すぐにでもその店に行こうとするアーロウの裾をガイラが慌てて掴む。
「おおい、ちょ、ちょっと待てってっ!! 料理だよ、料理を食っていけよ!!」
「いまは腹ごしらえより衛生対策だ!! いいぞ……この消臭剤と洗剤があれば俺たちの旅はもっと清潔でもっと健康的でもっと快適なものになるぞ!!」
「それでもお前がメシを作るんならすべてが台無しなんだよ!! 俺は家畜じゃねぇんだ、いくら衛生的でも毎日毎日、味が無いか、あってもクソマズイものしか出てこないんじゃ辛いんだよ!!」
「しかしそのお陰で腹も壊さず風邪にもならず、元気に旅が出来ているんだろうが」
「お前、虚弱体質になってんじゃないかよ!! もっと料理のバリエーションを増やせ、毎回毎回、決まった食材、決まった調理、決まった味付け、少ないレシピの繰り返し!! これじゃお前いまに体動かなくなるからなっ!!!!」
「腐りにくく、殺菌効果が強く、匂いが少ない食材となると数が限られてくる。調理法だって同じだ、これだけはどうしようもない事だろう!??」
「それはお前が世間を知らんだけで――――」
ヒートアップしてくる二人の言い争いを、ライカはやんわりと止めに入る。
「まぁまぁ……お二人とも落ち着いてください。それにいまの時間だったらデネブのお店は閉まっていますよ? 行くとしても明日がいいと思います」
「う……うぬぬ、そうか……なら、仕方がないな……」
残念そうに唸り、大人しく席に座り直すアーロウ。
「まったく……こいつは綺麗好きすぎて嫌になるぜ……」
ガイラの呟きに、ジロリと苛ついた視線を向けるアーロウ。
「俺は……親父みたいな死に方をする人間をもう見たくないだけだよ」
「お父様……ですか?」
アーロウの呟きに首をかしげるライカ。
「こいつの親父も冒険者でな、こいつがまだ小さい頃に旅の途中で食い物に当たっちまって死んじまったんだよ」
ガイラが説明する。
「……それはお気の毒です」
「モンスターや野盗に襲われて死んじまうんならまだ、冒険者冥利ってなもんがあるかもしれんが……食あたりってのは死んでも死にきれねぇ……でもよう」
言ってガイラは女将のくれた酒をぐいっと傾けた。
「~~~~……くぅ~~……。……実際、冒険者が食い物に当って命を落とすって話は珍しいもんじゃない。いや、むしろ多いぐらいだな」
「そうなんですか……」
「携帯食なんて言っても、せいぜいが二、三日持つか持たないかで、それが過ぎればあとは現地調達だ。運良く食える草や動物が近くにいればいいけどよ。自然界には安全と見せかけて実は毒持ちとか、そういう騙しが多くてな……。運の悪いやつはそういう食材に当って死ぬか……死ななくても衰弱したところをモンスターに狙われて、あっという間にお陀仏よ。……だからこいつが異常なほどメシに警戒して潔癖症の偏食になるのもわかるんだが……」
「……それだけじゃない」
ガイラの話にアーロウは持った酒を見つめたまま話を続けた。
「腹を壊して死ぬとか……人はかっこ悪いって笑うけどな。……実際はそんな笑っていられるほど生易しい死に方じゃないんだ。……下痢や嘔吐はもちろん、ケツから血を流したり、肌がイボガエルみたいに腫れ上がったり……何日も高熱と痛みでもがき苦しんだ末、最後はやせ細って……家族が見ても誰だかわからないくらいに変わり果てて死んじまうんだ。……俺は、もうそんな死に方をするやつを見たくないんだよ」
言うと、勢いのまま、アーロウは手にした酒を一気にあおった。
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