第10話 魔術師のお仕事② 魔法具

 ところが入ってきたお客は――――


「いょう、デネブちゃん。ワシだよ肉屋のムートだよ」

「ずこーーーーっ!! あっちい、あっちいっっっ!!!!」


 ひっくり返り、その拍子に煮えた薬液を服に引っ掛けるデネブ。

 せっかく準備して迎えたのに、やってきたのは近所の知り合いのおっさんだったから思わずズッコケてしまった。


「……だ、大丈夫かい? デネブちゃん……なんかそれ凄い煙上げてるけど……」

 床材を溶かしている怪しげな液体を指差し、ムートさんが汗を流す。


「ああ、あかんあかんってっ!!!!」

 慌てて中和剤を取り出し洗い流す、ついでに服にもかけ回す。


「……ふう……何とか収まったで」

 びちょびちょに服を濡らしながら一息つくデネブ。


「だ、大丈夫かい?」

「大丈夫やないがなまったく……あ~~あ、玉のお肌が赤くなってしもたわ。はぁ~~~~……で、おっちゃん何か用事なんか?」


 魔術師定番衣装の黒いワンピースを捲し上げ、太もものやけど具合を確認しながらデネブは尋ねた。


「お……おおぉ~~……いやねぇ、うちの店にまたネズミが出始めてさ、それでこの前の魔法具をまた売ってもらおうかと……」


 少し細いが、年相応の肉付きを見せるデネブの太ももに視線を持っていかれながらムートは答えた。


「ああ、あれかいな。あれならまだストックがあったからすぐ用意出来るわ」

 そう言ってデネブは机の下をゴソゴソ探す。


「あったで、これやろ」

 取り出したのは円柱型の木製筒。


 これはデネブが開発した対ネズミ撃退用発煙薬剤で、蓋を開けて火を入れるとモクモクと煙が立ち込めて、その匂いが苦手なネズミはとたんに家から出ていってしまうという優れもの。欠点は使用する時にはきちんと役所に連絡しておかないと火事と間違われて水浸しにされてしまう所である。


「はい。ほな一個、銀1枚ね」

「高っ!! この間は銅80枚だっただろ!??」

「材料費が上がっとるんや、これでも赤字覚悟の大サービスや言うねん!!」

「……あのなぁ、いまネアリちゃんとこでふっかけられたばかりだよ?」

「知らんがな、とにかく銀1枚。それ以上はまからんで?」

「う~~~~ん……せめて銅90枚だなあ。それ以上はウチも出せないね」


 毅然と言い返してくるムートさんだが、


「ウチの太ももに鼻の下伸ばしてたこと奥さんに伝えたろか?」

 と、片眉を上げつつニヤケ顔でデネブは見返してやった。


「わかった!! 言い値で買おう、持ってけドロボーーーーっ!!」


 ――――ばんっ!!

 そう叫ぶとムートさんは銀貨を机に叩きつけた。


「まいど~~~~♪ あ、おっちゃん火、忘れてるで」

 筒を持って帰ろうとするムートさんをデネブは呼び止める。


「まったく……ちゃっかりしてるな……て、おっと本当だ、魔法の火じゃないと効果が出ないんだっけか?」

「そうやで、それだけ持って帰っても意味あらへんよ」


 言ってデネブは小さなランプを取り出す。

 そして――――、


「炎の精霊よ、我が呼びかけにその力で応えよ――――」

 ごにょごにょと短い呪文を唱える。


 と――――、

 ポンッ!!


 気持ちいい音がしてデネブの指先に小さな火が現れた。


「やあ、いつ見ても魔法っていうのは不思議なもんだなぁ。どういう仕掛けで火が出るんだい?」


 感心して、その火をまじまじと見つめるムートさん。


「わからんねぇ……。それが解ったら、アタイはいまごろ王宮魔術師や。こんな狭い店でチマチマ小銭なんて稼いでへんわ」


 苦笑いしながらその火をランプに移し替えるデネブ。


「さ、これでええで。ただし今日中に使わんと火の中の魔力が消えてしまうさかいな、お早めに、や」

「おう、じゃあさっそく帰って使ってみるかな。今日は朝から店じまい店じまい」

「真面目に働かんかい。なんやまた奥の通りの怪しげな店で綺麗どころのねーちゃんと飲んだくれる気かいな?」

「人聞きの悪いことを言わんでくれよ、それにこんな時間からそんな店は開いてないよ?」

「……最近、夜勤の衛兵さん相手にした飲み屋が開店したって聞いたで?」

「……ぎく」

「まぁ、ええけどな。あんまり奥さん泣かせたらあかんで?」

「お……おうよ、デネブちゃんも俺みたいな旦那はやめときなよ」

「そこは心配せんでええわwww」


 軽い会話を楽しんでムートさんは店を出ていった。


「……さて、アタイもそろそろお昼にしますか」


 ノビをして昼食の準備に取り掛かる。

 といっても作り置きのシチューを温めて、パンを浸して食べるだけの簡単なものだが。

 携帯型コンロに火を灯し、そこに五徳を設置する。

 冷めたシチューが入った手鍋を置いて後は待つだけ。

 カチカチの黒パンは正直得意ではないのだが、こうして食べると意外と美味しい。


「――――ふんふんふん~~~~♪」

 鼻歌交じりにシチューが煮えるのを待っていると、


『き……貴様っ!! 俺に対してそこまでの大口を叩くとは覚悟は出来ているんだろうなっ!!』


 と、外から怒鳴り声が聞こえてきた。


「……なんや、うっさいのう」

 窓から顔を出して見てみると、また武器屋のネアリが今度は別の客とモメている。


「……あのバカ女、どんだけ喧嘩好きやねん……」


 徐々に集まってくる野次馬。

 やがて賭け事が始まる。

 シチューに浸したパンをかじりながら、その喧騒を見物することにするデネブ。


「……今日もいつもどおり平和やな」


 余裕の笑みを浮かべながら大男を翻弄する幼馴染の勇姿を眺めながら、あくび混じりにそう呟く彼女であった。

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