第42話 閑話:2人の日常

サードミッション開始5日前


柔軟、ランニング、筋トレのメニューを消化したリョウタは休憩していた。今日ようやく途中で途切れることなくトレーニングを終わらせることができ、達成感に包まれていた。


ただ一般的に見ると、その成長速度は異常に速い。たった10日で普通のアスリート並みの訓練をこなせるようになったのだ。【自己治癒】による超回復の促進がそれを可能にしていた。今や筋肉痛も起こらないくらいにトレーニングに適応している。


リョウタの格好は黒のスラックスに無地の白Tシャツ。


以前のひょろひょろの棒のような痩せ型ではなくなり、しなやかな筋肉に覆われている。特に上腕三頭筋や広背筋などのヒッティングマッスルが発達していた。試合前のボクサーのような体つきに早くも変貌しかけている。


「やるじゃない。メニューが物足りなくなっているんじゃない?」


カルラがコタローに猫じゃらしを上下しながら聞いてくる。


「いや、今日やっとメニューを消化できるようになったばかりなんだけど…」


そんなリョウタの呟きもどこ吹く風。カルラは楽しそうにコタローと遊んでいる。聞けばカルラはまだ18歳。高校を1年前に中退したらしい。コタローと触れ合っている時のカルラは年相応の少女に見えた。こちらの方が素顔なのかもしれない。


だが一方のコタローはカルラにほぼ無反応である。猫じゃらしをチラリと見るだけで、ペロペロと毛づくろいをしている。そんなコタローのことを数日前カルラは、自慢げにこう表現した。


『コタローは野良猫だったからね。人と馴れ合うことを良しとしないのよ。そんなところも、あたしと気が合うの。孤高の生き様よね』


親バカというか、飼い主バカというか。

とにかくカルラはコタローを溺愛していた。


だがここ数日でカルラの発言をあざ笑うような事態になっている。


「ンナオ~」


鳴き声とともにコタローは伸びをした。

そのままトコトコとリョウタの足元に近づいてくる。


そして胡坐(あぐら)をかいているリョウタの足の中に潜り込み丸くなると、気持ち良さそうに目を閉じてしまった。


そう、コタローは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたり、遊ぼうとして気を引こうとしているカルラのことは基本無視しているのに、明らかにリョウタに懐いているのだ。


ミシリッ…


カルラの拳から嫌な音が聞こえた。

美しいシルバーブロンドの髪が重力に逆らって揺らめく。


うつむいているせいで表情は窺えないが、わずかに身体が震えている。


最初はリョウタも焦ったが、連日繰り返されたおかげで流石に慣れた。


「はぁ…。落ち着けってカルラ。しょうがないだろ、コタローから来たんだから。俺は悪くないぞ」


「ええ、リョウタはなーんも悪くないわ。気にしないでちょうだい。あたしも何とも思ってないしっ」


顔を上げたカルラは笑顔だった。

こめかみに青筋が浮かび、ピクピクしていたが。


(こわ~…。めちゃめちゃ根に持ってるやん)


出会ったときに比べ、カルラは感情豊かになっている。それは2人の距離が近づいたからに他ならない。カルラが誰かに気を許すのは珍しい。クールで毒舌家。それは彼女の元からの性格でもあるが、他人と距離を置くためのバリアでもある。


カルラがニコニコしながら言った。青筋を浮かべたまま。


「リョウタ、いつまで休憩しているの?」


「あ、ああ、正拳突きだよな。今からやるよ」


「それもあるけど、もうちょっと体力と筋力の増強をしないとね。ということで、リュックを背負って湖を5周しなさい。それと拳立て300回、今日から追加ね」


「はあ!?ハードすぎるだろ!!ちょっとコタローが俺に懐いてるからと…。うっ」


抗議しかけたリョウタを視線だけで殺しかねない勢いでカルラが睨んだ。


「ん?文句ある?師匠の言葉は絶対よ。さあコタロー、お昼寝はあたしと一緒にしましょうねぇ」


「ニャーッ!」


昼寝を邪魔されてコタローはご立腹だ。


そんなコタローを連れてカルラは自分のテントに入って行った。



「ゼェゼェー…。し、死ぬっ……」


2時間後、精魂尽き果てたリョウタがいた。理不尽な追加トレーニングを何とか終わらせたのだ。カルラに文句を言ってやりたいが、またメニューを追加されるのがオチだ。体中汗だくのリョウタはフラフラと湖に向かう。


テントから少し離れた場所になるが、岩場に囲まれた湖の一角がある。ここを風呂場として活用しているのだ。水深は腰くらいまでであり、水は少し冷たいが火照った体には丁度いい。


歩きながら服を脱ぐ。全裸になり、飛び込もうと思った瞬間だった。


ザバアッという音とともに水面からカルラが飛び出してきた。

こちらも全裸。大きな胸がプルプルと揺れている。


「…え?」


「あ…」


お見合いしながら2人とも固まった。


次の瞬間、甲高い悲鳴が水面を揺らした。


「この変態ッッ!!の、覗いていたのね!その両目を潰してやるわッ!」


胸と股間を手で隠しながらカルラが叫ぶ。


「…いや、事故だよ。仮に覗いていたとして、両目を潰すって…」


興奮しきっているカルラと対照的に冷静なリョウタ。

疲労困憊なので、言い訳する気力も湧かなかった。


(でも眼福だったな。いつも大きめのパーカー着ているから分からなかったけど、あんなに大きいとは…。あっ、まずいッ!!)


リョウタが瞬時に180度向きを変えた。

男の生理現象を見られたら、流石に恥ずかしくて死ねる。


「はあはあ…。あーもう!パパ以外の裸、初めて見ちゃった。どーしてくれんのよ!」


(え?おいおい、それって…)


口に出すほどリョウタも野暮ではない。


「いいから早く服を着てよっ、リョウタ!」


リョウタには見えないが、カルラは顔から胸元にかけて真っ赤になっている。


「いや、今は無理!」


「なんでっ!?」


女性には分からない物理的な問題があるのだ。


本能に逆らうべく、リョウタは宇宙に思いを馳せた。

無限に続く宇宙、開闢(かいびゃく)から138億年の悠久さを。それに比べれば自分は取るに足りない塵芥(ちりあくた)にすぎない…。更には世界の様々な問題についても考えてみる。戦争、飢え、貧困、温暖化。人間こそが地球にとっての寄生獣、とは誰のセリフだったか―――。


そこまで考えて、ようやく煩悩を追い払うことができた。

身体もノーマルに戻っている。


何も言わずリョウタは服を着て立ち去った。


それを湖に体を沈めながらカルラはガン見していた。


「…ああぁッ!見られたし、見ちゃった…。ううぅ~~~…」



その後、リョウタは謝り倒し、なんとか許しをもらった。


お互いを変に意識してしまうのは治らなかったが。

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