第2話 詰んだ人生

妹のルナをタンデムシートに乗せ、リョウタがバイクを走らせている。

ルナがバイトで遅くなる日は、仕事帰りにいつも迎えに行っていた。


通いなれた道。いつもと変わらない日常。

家に帰ればルナが晩御飯を作ってくれる。

今やたった2人の家族なのだ―――。


突然のことだった。

大型のワゴン車が対向車線からはみ出し、こちらに向かってくる。


(ヤバいッ!)と思った瞬間、とんでもない衝撃が襲う。

空中に投げ出される体。回転する景色はスローモーションだった。

何十秒にも感じられたが実際には一瞬。


強かに体が地面に激突し、意識がブラックアウトした。


サイレンの音で意識が覚醒していく。

目を開けるとパトカーと救急車が向かってきている。

自分の体を見回してみると、服はボロボロなのに奇跡的に傷は無かった。


(ルナ?ルナは!?)


5メートルほど先に妹の倒れている姿があった。


体を起こしてみるが、動くのに支障はなさそうだ。


「おい、ルナ!大丈夫か?」


ふらつきながらも妹に近づく。

抱き寄せて顔を見ると、チューブを口の中に入れられた植物状態の姿だった―――。






「はっ!?」


リョウタは飛び起きた。


(またあの夢か)


何度見ても慣れない。

息は荒く、不快な汗が顔を流れ落ちていく。

顔を上げると夜が明け、太陽が昇ってくるところだった。


昨晩の事件の後、リョウタは寝泊まりしている公園のベンチに戻った。

骨折などの大怪我が無かったのが不幸中の幸いか。


(いや、不幸ばかりじゃないか)


今のリョウタは住所不定無職。所謂ホームレスだ。

もちろん好んでホームレスになったわけじゃない。


リョウタは警察官を父とする家庭で育った。

家族は父と母、年の離れた妹ルナの4人。

運動神経は悪いが、成績は中の上で何の疑問もなく大学へ進学。


大学2年の時、父親が急逝した。

白昼の通り魔の犯行。

後から聞いた話では犯人を取り押さえようとしたらしい。


「誰かを守れる男になれ」


父親が度々リョウタに言っていた言葉だ。

その言葉の通り、誰かを守ろうとした。そして死んだ。

父親の言葉と行動は、リョウタの胸に深く刻まれることになる。


後を追うように母親も病気で亡くなった。

もともと病気がちだったが、病状が急変したのだ。

あっという間に家族は妹と2人だけになってしまった。


この時、ルナはまだ中学生。頼れる親戚もいない。

リョウタは大学を中退して職を探さざるをえなかった。

とある中小企業のメーカーが採用してくれ、2人の生活が始まった。


楽な生活ではなかったが、ルナが心の支えだった。両親を失って悲しんではいたが、ルナはその天真爛漫さと上達した家事でリョウタを支えた。


「しょうがないお兄ちゃんだねぇ」と笑う姿。


「わたしもバイトするから生活費の足しにしてよー」と意気込む姿。


そんな妹はもういない。


衝突事故によりルナは危篤状態になった。

ワゴン車は現場から逃走し捕まってない。

だがリョウタにとって、犯人捜しよりも妹の容態の方が遥かに重要だった。


半年近くもルナの意識は戻らず、植物状態であった。

命を維持するための入院費はリョウタの給料では賄えない。

やむなくリョウタは借金を重ねることになる。


全ては妹を守りたい、その一心だった。


ルナへのお見舞いはリョウタの日課になっていた。

そんなある日、ルナの意識が戻った。

ルナはリョウタの姿を見ると、微笑んだ。


奇跡はその一瞬だけ。

微笑みを浮かべたまま、ルナは生涯を終えた。


そこからの記憶は曖昧で断片的だ。

泣き崩れたことは覚えている。

一番強い思いは「俺はルナを守れなかった」だ。


悲劇はまだ終わらない。

借金したのがヤクザ系列の企業だったのだ。

苛烈を極める取り立てであり、何度も会社にまで嫌がらせの電話が来る日々。リョウタは会社を辞めざるをえなかった。


賃貸の家も追い出され、気付いたらスーツ姿のホームレスになっていた。

ヤクザの捜索はまだ続いている。

いつかは見つかり、内臓を売らされるのだろうか。

いや、今の自分に生きる意味はあるんだろうか。


出勤する人々を見ながら、そんなことを思っていた時、知らない男が目の前に立っていた。スーツを上品に着こなしたオールバックの男だった。笑顔を浮かべている。


「失礼ですが、話しかけてもよろしいですか」


無視するわけにもいかない。胡散臭そうに返答する。


「…なんですか?」


「失礼、わたくしはこういう者でして」


名刺を渡してくる。それにはこう書かれていた。


【厚生労働省 救済局 特別査察官 鈴木ハジメ】


「厚生労働省…?なんでまた私のところへ?」


「ご存知ないようですね。最近制定された法案があるからですよ」


ホームレスになって以来、リョウタは世の中のニュースを知らない。

黙って男の続きを待った。


「社会的弱者及び違反者救済法。世間ではアウトロー救済法なんて呼ばれ方もされてますがね。その名の通り、社会的な弱者や違反者を救済することになったんですよ。あるプログラムを受けてもらう必要がありますが」


(本当か?)


リョウタの猜疑心は消えてない。

落ちぶれたとしても30歳であり、それなりの社会経験は積んできたのだ。


「救済するって。具体的には?」


「あなたの場合はそうですねぇ。借金がなくなります」


「え?」


「何故借金のことが分かったか、ですか?こちらも国の機関でしてね。救済者の選定にあたっては、それなりに調べてるんですよ。城戸リョウタさん」


個人情報を知っている。


(なんなんだ、こいつは…)


「信じられないなら、この新聞をお読みください」


一面に【社会的弱者及び違反者救済法 制定】とでかでかと書かれた新聞を渡される。


「プログラムに参加するかは、あくまであなたの意志です。参加されるなら名刺の裏に載ってる場所に時間厳守でお越しください」


そう言うと、男は立ち去った。


名刺の裏を見る。そこには地図と集合の日時が記載されている。

場所は東京湾の近くの施設。日時は明後日の21時。


改めて周囲を見回すと、出勤する社会人や通学する学生の姿が目に入る。

あの人たちは行くべき場所と帰る居場所がある。リョウタには無いものが。


「もう失うものはないんだ。なら行ってみるか」


そうリョウタは呟いた。

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