一章-03 ――悪い夢を、見たのだ。
――悪い夢を、見たのだ。
翌朝、ベッドから見慣れた天井を見上げながら、いつきは思った。
明かりを消し忘れて寝てしまったらしく、つきっぱなしの蛍光灯が一度だけ点滅する。そろそろ替えどきだろうか、と頭の隅で考えた。
のろのろとした動きで体を起こす。ベッドサイドの時計を見れば、ゆっくり準備しても十分学校に間に合う時間だ。
――悪い夢を、見たのだ。
もう一度、今度は意識して考えを思い浮かべる。猫も、男も、いつきの勘違いなのだ、と。
そうでもしなければ、不安でどうにかなってしまいそうだった。
ただでさえ、仕事で忙しい両親は家を留守にしがちなのだ。頼れるものは自分しかいない。
今日も、家には戻っていないらしい。もしくはいつきが寝てから帰って、起きる前に出て行ったのか。
物音のしない家の気配を探りながら、いつきはベッドから抜け出した。足が無造作に転がるボールを蹴る。
ぼんやりとボールを見送った。見慣れたバレーボールだ。
はたと、いつきは思い出した。
「――あっ! 部活……」
そうだ、昨日も部活があったはずなのだ。いつものことなのに忘れているだなんて、どうしたのだろう。
もう一度、時計を確認した。学校には余裕で間に合うけれど、部活にはとっくに遅刻の時間だった。
「やばいっ」
勉強机に置かれたスポーツバッグを慌てて掴んだ。今日もスポーツバッグは軽い。
昨日の不可思議な出来事も頭から抜けて、一も二もなくいつきは家から飛び出した。
すぐに、嫌でも思い出すことになったのだけれど。
――眼の前に、男が立っている。
いつきの家から学校まで、歩けば十五分。走れば十分もかからない。
走って行こうと、通学用にしているスニーカーの紐を結び直して、家から出た直後だった。
歩道のど真ん中に、一人の男が立っていた。
何の変哲もない、大人の男だった。いつきに男性の年齢なんて判らないけれど、四十歳間近の父よりは若いだろうか。
それだけならば、いつきは男の隣をすり抜けて走り出すだけだっただろう。だというのに、なぜ足を止めたのか。
印象に残る顔ではない。スーツ姿で、ただの通勤途中の男にしか見えないのに。
けれど、見たことがある気がした。
男は、いつきを見ていた。家から飛び出してきたいつきに驚いた様子もなく、まるで待ち構えていたみたいに。
見上げる。男はにこにこと笑っている。
人畜無害な笑みに、表情に、雰囲気に、これほど不気味なものを感じるのはなぜだろう。
口を開く。口角の上がり方に、既視感を覚えた。
「美味しそうだね」
「――!」
何のことだろう。判らない。判らないのに。
ただ、理解できない何かが恐くて、いつきは甲高い悲鳴を上げた。
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