第145話 栄光への道

 33-4という数字がある。

 セ・リーグにとってはあまりにも不吉な呪いの数字であるので、なかなか簡単に文字にも出来ないという数字である。

 これと似たようなことを言うのであれば、いやこれを上回りさえするのが、今年の数字である。

 8-1とは何か。

 日本シリーズ第三戦までの、レックスとコンコルズの総得点である。


 第三戦までで一点しか取れていないコンコルズは言うまでもないが、レックスの八点というのも極端に少ない。

 投手戦と言うよりは、もう両方が単なる貧打なのでは。

 そう言われても全くおかしくない、ロースコアゲームの連続である。

 レックスの方は史上最強レベルの投手陣と言われているから、まだ分かる。

 ……いや、分かりたくないのだが、分かってしまう。

 しかしコンコルズ相手に、レギュラーシーズンではもっと点を取っていたレックスが、どうして点を取れないのか。


 エースが投げると援護が少なくなる。

 都市伝説のように言われるこの法則は、レックスのピッチャーにはほぼ完全に当てはまっている。

 直史は平均して最も援護点が少なく、その次が武史。

 佐竹と金原の間も、わずかに金原が援護点が少ない。

 そのため防御率では佐竹よりもいい数字なのだが、勝ち星では上回れている。


 金原はレックスでは佐竹と並び、第三のエースの座を争っているが、リーグ全体でも五指に入るかもしれないピッチャーだ。

 つまりそれだけレックスのピッチャーがあまりにも潤沢だということでもあるが。

 先発のエースクラス三人だけではなく、リリーフ陣も三枚が強力。

 とにかくロースコアで勝つという、地味な強さがレックスの持ち味である。

 勝利優先主義のため、樋口でもフルスイングとアベレージのスイングは意識して変えている。

 それで本当に勝ってしまうのだから、レックスの強さは計り知れない。ちょっとどころではなく異常である。




 この試合の展開は、やはりピッチャーをどう打ち崩すかが問題となった。

 レックスの金原に対し、コンコルズの寺内は、わずかながら格下と言っていい。

 そしてレックスは爆発力こそ少ないが、チャンスにセットプレイで点を取る。

 また上位打線のアベレージで言えば、一点は確実に取ってしまうぐらいの力がある。

 これを無失点に抑えた真田の方が、むしろおかしかったのだ。


 コンコルズの打線も、まさか最悪の記録を更新してしまうわけにはいかない。

 五回までで2-2と、互角の展開。

 金原はまだ体力は充分と感じられたが、六回の裏には豊田を投入。

 まだ早いだろうと思われたが、これが布施監督のえげつない作戦であった。


 両チームまだ点は入らず、七回の裏。

 前の回を抑えて回またぎでも充分と思えた豊田を、利根に代える。

 利根もブルペンの調整をしっかりとしていたので、ここでも打線を抑える。

 しっかりと三人で抑えて、リリーフ陣は六連続でアウトを取る。


 八回の表、まだレックスには得点がない。

 だがその裏には、レックスは鴨池を投入。

 クローザーを八回の裏に使うということは、つまりそれ以上のピッチャーを九回の裏には使うということ。

 絶望への道が見えてきて、福岡ドームにざわめきが満ちる。


 ここも三人でしっかりと抑える鴨池。

 リリーフ陣はこれで、九連続アウトのパーフェクトリリーフ。

 そして次に誰が出てくるか、観客も視聴者も、おおよその予想がついていた。


 だがまだ、同点なのだ。

 コンコルズも助っ人外国人のリリーフを出してきて、敗北をなんとしてでも回避する。

 四タテなど冗談ではない。

 そこまで圧倒的な戦力差が、レックスとの間にあるはずがないのだ。


 全体的な戦力は、確かに充実した育成体制を持つコンコルズの方が上だったのかもしれない。

 だが短期決戦は、突出した戦力がものを言う。

 そしてレックスはその突出した戦力が、まさにものを言うのだ。


 五番のモーリスのバットが一閃。

 ソロアーチがライトスタンドに飛び込んだ瞬間、布施は優勝を確信した。

「ブルペンの準備は出来ているか」

「はい」

 そして九回の裏、最強のエースが守護神として降臨した。




 便利に使われてるな、と直史は思っている。

 だがこれが終われば、今年はもう試合終了だ。

 ファンへのイベントなどで少しは投げることがあるかもしれないが、あくまでもそれはおまけのようなもの。

 ここから自分はポスティング申請をして、面倒な交渉などに入る。

 もっとも既に契約はしてあるので、ポスティング自体は面倒はない。

 セイバーから色々と聞いているので、アメリカに行く覚悟も準備もしてある。


 これがフィクションならいきなり怪我や故障になって、次週どうなる!?という展開になるのかもしれないが、直史はそこまで無理をするタイプではない。

 残り三人、確実に投げて確実に打ち取ろう。

 そんな直史がグラウンドに現れると、絶望的などよめきがドームに満ちる。

 どうせ一点負けているだろうに、そこまでさらに悲観的になる必要はないだろう。

「お仕事開始だ」

 これが国内で投げるのは最後になるのかな、と直史は少しだけ感傷的になった。


 ここまで三人のリリーフが、三人ずつで片付けてきている。

 直史もそれに対抗するわけではないが、流れ的にそうした方が美しいだろう。

 スライダーやシンカーで横に動かした後、カーブかスプリットで縦に動かして空振りさせる。

 なんとか食らいついていっても、内野ゴロを打つのが精一杯。


 もう、何も起こらない。

 何も起こさせない。

 それが佐藤直史のピッチングである。


 代打に対して投げた最後のボールは、スルーでもストレートでもなく、またカーブでもなくスライダー。

 バットの頭に当たったボールをファーストが処理してスリーアウト。

 ゲームセット。

 日本一である。

 日本シリーズ四戦、全てを合わせた得点が、11-3という、歴史に残る貧打のシリーズであった。




 今年一年間だけの監督、布施が胴上げで宙に舞った。

 日本一になった監督の名前に、彼も連なることになる。

 ほとんどは前年までにそろっていた戦力のおかげだが、それを二軍で鍛えていたのが布施なのだ。

 

 イベントが色々と行われて、その中では日本シリーズMVPが選ばれる。

 ピッチャーとして一勝2セーブの直史が、二年連続で受賞。

 少し後のことだがペナントレースのMVPも連続受賞したため、上杉、大介に次ぐ史上三人目の、ペナントレース日本シリーズ連続同時受賞である。

 むしろ去年は三年分ぐらいの活躍をした気がするが、そういうものは評価のしようがない。

 今年は月間MVPも離脱した九月を除いて五ヶ月受賞。

 上杉と大介が抜けると、ここまでひどい結果になるとは思わなかった。

 ただ上杉と違い、自力援護はほとんど期待できない。

 その意味ではまさに、プロのピッチャーらしいピッチャーだったと言えよう。


 クラブハウスで沸き立つ選手たちの前に、フロントの人間が訪れた。

 にっこり笑ってひどいことを告げることが出来る、セイバーである。

「一応皆さん、11月30日までは契約の範囲ですからね」

 秋季キャンプというものがある。

 もっとも優勝しているチームで、それもベテラン選手は、もう来年に備えて体をメンテナンスしてくださいと、休みに入る。

 だが若手は特に選別されて、また短い期間のキャンプを送る。


 そして球団側としては、エキシビションマッチを予定していた。

 韓国か台湾か、おそらく台湾の方のリーグのチャンピオンと、あちらの球場で一試合を。

 詳細はまだ詰めていないが、一試合は確実に行うと。

 台湾は沖縄より南にあるため、この季節でも普通に野球が出来るのは当たり前である。

 また二週間ほどは、ハワイ旅行に連れて行くので、家族の方も一緒でよろしいですよとのこと。これは去年もあった。


 ただしチームの中で直史だけ、そう、樋口やそして監督の布施にすらも告げず、直史だけに告げられたことがある。

「また難しいことを」

 セイバーの無茶振りにはなれている。

 そしてコネと伝手と金の力で、どうにかしてしまうのがセイバーだ。


 ただチームとしてはともかく直史としては、ポスティングの公示の問題がある。

 球団と選手の契約期間は、正確には二月の一日から11月の末日までだ。

 12月と一月は、完全に選手としてはフリーになる。

 もっとも金になることなら、自営業者である選手は働くことになるが。


 若手や二軍の選手はここから、秋季キャンプがあったり他国のリーグに参加したりする。

 ベテランは選手による。もう30代の半ばを超えると、現在の技術を維持しながら、どれだけ肉体を回復させるかが重要になる。

 怪我をしないように、しかし体力を維持して。

 西片などはプロ20年目まではなんとかやりたいと言っている。

 彼は高卒から社会人経由でプロ入りした。




 ポスティングについては、本来ならば11月1日から公示が始まる。

 MLBのチームも来年のチーム構想に入れるためには、出来るだけ早くそういった情報もほしい。

 直史はだが、完全にタンパリングながらアナハイムへの移籍は決めている。

 だから少し遅れてもいい。


 日本シリーズを終えて、レックスの選手は多くが気を抜いていた。

 これまで球団史上になかった、二年連続の日本一である。

 それは誰だって、気が抜きたくなるのは当たり前のことである。

 だがエキシビションマッチとはいえ、台湾の優勝チームとの試合である。

 ここはアジアの王者として、恥ずかしくない程度に仕上げておかないといけない。


 樋口はまだ貪欲に、己の技術向上を目指している。

 来年は直史がいなくなるから、打撃力の向上と、さらにピッチャー運用を考えなくてはいけない。

 直史が抜けるというのは、単純に先発の柱が抜けるというのとは違う。

 リリーフの必要ない、つまりリリーフを休ませることが出来るピッチャーが抜けるのだ。

 単なる勝ち星と、完投での勝ち星には価値に差がある。

 先発を一枚、あとはリリーフも一枚、使えるようにしなければいけない。


 そんな中ではレックス投手陣最高の便利屋、星が引退することを言い出した。

 首脳陣やフロントにではなく、大学からの戦友である直史と樋口にだ。

 なんでも股関節を痛めたらしい。

 シーズン中はそんな様子は見せなかったが、かなり無理をしていたのだとか。

 野球選手として続けていくには手術が必要で、しかもそこから復帰するのは難しい。


 星は元々、大学でまで野球を続けていたのは、教師になるのが目的だったのだ。

 そして高校野球の監督になる。

 尊敬する国立と、同じ道を歩みたい。

 だから教職も取っていた。

 プロになることなど、大学の三年になるまでは、これっぽっちも思っていなかった。


 だがレックスからの誘いには揺れた。

 関東の在京球団で、しかも支配下契約。

 将来のためにプロの生活を体験しておくというのは、間違いなく有用であったはずだ。

「肩も肘も大丈夫なのに、股関節か……」

 樋口には仕方がないな、という気持ちが強い。

 星は先発で投げることはなく、勝っている時に投げるにしても、大量点差がついていた場合などが多い。

 一番多いのは先発が序盤で炎上し、そこからのロングリリーフというものだ。


 肩肘への疲労は、確かに気をつけていた。

 だがアンダースローの星は、球速で勝負するタイプではない。

 低い位置からぴゃっと投げられ、それが思ったよりも遅い。 

 投げる球全てがチェンジアップということで、かなり打ちにくいピッチャーだったのだ。


 中継ぎとしては異例ながら、100イニング以上を投げる年もあった。

 勝敗はもちろんホールドやセーブもなかなかつかなかったが、この六年で200登板超え。

 登板数なら下手な先発ローテよりも、よほど多いのだ。

「これ以上やると、将来的に人工関節とか必要になるかもとか言われて」

 星が抜けるのは、かなり痛いなと思う樋口である。


 先発が炎上し、次のピッチャーの肩がまだ出来ていない時。

 ビハインド展開が続いて、もう敗戦処理かなと思った時。

 勝ちパターンのピッチャーが連投で、どうにか休ませないといけない時。

 多くのパターンで星は使えるピッチャーで、なくてはならない戦力の一人であった。

 フロントもそれが分かっていたし、樋口が強く進言していたため、ローテでもなく勝ちパターンのリリーフでもないのに、それなりの年俸はもらっていたのだが。


 故障は仕方がない。

 それにもう、次の舞台を考えているのだ。

「実は俺もな」

 星が告げたことに対するように、直史もMLB移籍を告げた。

 直史は年齢としてはベテランだが、プロとしてはまだ二年目。

 FAにしてもだいぶ先のことであるが、それは入団時の契約に含めておいたのだ。


 驚いた星であったが、またこの大学の同期三人は、別の道を行く。

「でも向こうのキャッチャーは大丈夫なの?」

「瑞雲の坂本っていただろ? あいつがキャッチャーやってる球団に行く予定なんだ」

 星も坂本のことは憶えている。

 瑞雲のピッチャーで、甲子園でも白富東と対戦していた。

 その後名前を聞かなかったが、海外のMLBニュースで流れてきて驚いたものだ。


 もう入る球団まで根回しされている。

 つくづく直史の人生というのは、裏での動きが大きい。

 レックスの単独一位指名の時も、多くの人間が驚いた。

 同時に実戦から離れていて、まだ通用するのかとも思われたが。

 それは完全な杞憂であった。


 MLBという舞台。

 世界最高のリーグということで、華やかな印象がある。

 だが実際のところは不人気球団であれば、日本の一番の不人気球団よりも、観客動員数は少なかったりする。




 エキシビションマッチは台湾にて行われることが決定した。

 正直なところ台湾のプロ野球は、日本よりもレベルは低い。

 日本では通用しなくなった選手が、台湾のリーグで活躍した例というのがそれなりにある。

 そしてそこで活躍してから、日本のリーグに戻ってきて、活躍した者はいない。

 MLBとNPBのレベル差に、ある程度は似ているか。

 もちろん中にはNPBはおろか、MLBにさえ通用する選手も、出てこないわけではない。

 社会的地位も低いが、それでも台湾から日本や、MLBに行って活躍した選手もいるのだ。

 とりあえず経済的にはあまり、恵まれていないのは確かだが。


 先発ピッチャーは武史で、スタメンもシーズン中のレギュラーで固める。

 ただ西片はまた、ベンチスタート。

 直史は投げずに、終盤に展開次第では投げる。

 エキシビションなのだから、無理はしなくてもいいだろう。

 そう布施は考えていたのだが、直史はまた別のことを考えている。


 球団の金で台湾に来て、数日はこちらで観光もする。

 その後は優勝したチームに恒例の、ハワイ旅行となる。

 もっともこちらも、強制というわけではない。

 金のあるベテランなどは、自分の金でハワイに来て、そこから自由に行動したりもする。


 日本シリーズで一試合しか投げていない武史は、完全に体力に余裕があった。

 序盤からストレートを中心に、三振の山を築いていく。

 ライジングサンなどと呼ばれているが、レックス打線はやはり、あまり打ててはいない。

 そもそも樋口が、データがないとあまり打てないタイプなのだ。

 さすがにこの一戦のために、わざわざピッチャーのデータを多く入れようとは思わなかった。


 結果は2-0でレックスの勝利。

 武史は完封して、一安打一失策と、ほぼ完璧な内容であった。

 暖かいと言うよりは、暑いぐらいの気温差。

 その中で165km/hオーバーのストレートをポンポンと投げられていては、それは打つのも難しいというものだ。

「よっしゃ、じゃあハワイだ」

 のんきにそう述べている武史であるが、今年のシーズンはまだストーブリーグには入らない。

 11月に入ろうという、日本ならば秋から冬になろうという季節。

 まだ熱い、野球の季節が終わらない。



   第七章 了  第八章 太平洋戦争 に続く

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