第130話 常勝
※イベント的に飛翔編102話のささやかなネタバレがこちらにあります。気にする方はあちらを先にお読みください。
×××
幾つかの仮定がある。
あの年、WBCなどがなく、佐藤直史が普通に開幕投手になっていれば。
弟が離脱したとき、すぐにスクランブル体制にしていれば。
だいたいが首脳陣を批難というか、ああすればこうだった、というものである。
人は全て、終わってからでしか評価をしない。
だがそれらの言説全てを、覆してしまう方法がある。
全ての試合に勝ってしまえばいいのだ。
「インセンティブのために投げている」
直史は樋口に対しては、ほとんどのことを隠さない。
「20登板は果たして、これで3000万ゲットしたからな」
「俺も今年はだいたい行けそうだ」
樋口もまた、金のために働いている。
キャッチャーだがバッティングもいい樋口は、とにかく試合に出てほしい。
なので規定打席によって、インセンティブが発生する。
問題になるのは樋口の場合、レックスが優勝したら、自動的に直史がMVPなどに選ばれることである。
三冠王にでもなれば、まだしも比較はされるのかもしれないが、樋口は勝負どころに強いアベレージヒッターである。
現在打率ではリーグ二位、打点ではリーグ一位と、打点王を西郷と争っている。
もっともホームランはさすがに、西郷には及ばないが。
樋口にとってはタイトルよりも、高いレベルでの総合力が求められている。
トリプルスリーの達成に、3000万円のインセンティブが発生するのだ。
ただキャッチャーである樋口に、走ってもらって怪我でもされたら、チームとしてはおおいに困る、
なのでここは来年からは、除外されるかもしれない。
甲子園で高校野球の熱戦が行われている中、直史は今季21度目の先発。
神宮で投げた球数は90球で完封勝利。
前回の登板からは、完全に中四日。
集中が切れることなく、21勝目。
異常事態が常態化してきた。
エースが投げれば勝つのだ。
それはもう理屈とか技術とか気迫とか、そういうものではない。
信仰だ。
本場アメリカにおいては、野球の神様と言えばベーブ・ルースである。
ならば直史は信仰を受けた神なのか。
もちろん対戦相手にとっては、完全に悪魔である。
だがその圧倒的にマウンドにて相手を蹂躙する様は、まさに傲慢なる神のようにも見える。
投げれば常に勝つ。
去年はなんだかんだ言いながら、一試合だけ勝つことが出来なかった。
その相手は上杉で、どちらのピッチャーも延長限界まで投げてパーフェクトと、この二人でなければ成し得なかった快記録だ。
ただ一人の傑出したピッチャーでは足りない。
圧倒的なピッチャーが、二人いてようやく成立するのだ。
神宮球場だけに、拝みながら試合を観戦する老人がいる。
さすがに拝んでも、何も利益はないだろうが、それでも拝みたくなってしまう。
神ではないが、少なくとも奇跡は起こせる。
それは即ち神の力だろう。
直史がもう一試合を自分ひとりの力だけで終わらせてしまっても、既に誰も驚かなくなっている。
だが驚愕はなくても、そこに感動はある。
ドラッグのように、癖になるピッチング。
かつてイリヤの憧れた、人間の生み出す芸術だ。
中四日という無茶が良かったのだろう。
直史を見に来て、他の選手も目に入るようになる。
露出が多ければそれだけ、ファンがつきやすくもなる。
一人のスーパースターが、それだけの影響を発揮している。
上杉にもあったことだし、大介にもあったことだ。
だが直史のこれは、野球とは違ったスポーツをしているような異常さがある。
22先発目。
フェニックス相手にレックスは、やはり普段どおりの得点力は発揮できない。
だが普段通りでなくていい。
一点取ればそれでいいという、間違った認識がスタジアムを包んでいる。
いやさすがに三点ぐらいはほしいな、と直史はいつも思うのだが、またまたご冗談を、と流されてしまうのが悲しい。
野球は一発で四点が入るゲームだというのに。
それでも勝つ。
ヒット一本にエラー二つと、16奪三振。
止まらない。何をやっても止まらない。
直史が投げればニュースになって、投げない時は海の向こうの大介がニュースになる。
直史は中四日で投げていても、なおのんびりと過ごすことが出来る。
そんな直史が見ていてしらけるのが、MLBでの大介対策だ。
三試合の中で、申告敬遠八つを含めれば10四球。
三試合連続で大介にヒットもホームランも打たれなかったという点では、大介対策としてだけは優秀だったのだろう。
だが塁に出た大介が六回もホームを踏んでいるし、四つも盗塁を決めている。
ただ確かに大介のホームラン量産ペースは、日本時代よりも早い。
本来の大介のポテンシャルは、四月の成績なのだろうな、と直史は思う。
相手が大介のことを舐めていて、正面から対決するピッチャーが多かった。
敬遠の数にしても一桁と、評価が出来ていない。
どれだけ数字を見せても、直接対決しないと分からないのか。
だが大介が敬遠されまくったクリーブランドとの試合は、初対決となったのだ。
成績を完全に数字で記録している瑞希は、そういった試合を見ていてため息をつく。
大介のホームラン数は69本に達していて、もうその更新は確実になったと言っていい。
それこそ全打席敬遠などの、極端な手段を取らない限りは。
あと丸々九月は試合が残っているのだ。
30試合もあれば大介なら、確実に五本は打てる。
そしてそれで、シーズン記録は更新できる。
直史としても複雑な気分だ。
色々な状況があった末のこととはいえ、大介は手強い敵との勝負を求めて海を渡ったはずだ。
しかし本場のはずのアメリカで、あんな仕打ちを受けているとは。
大介のような体格の選手との勝負を、避けるという恥辱。
だがそれは大介に打たれるよりはまだマシだということだろうか。
そう思うと野球というスポーツは、常にピッチャーに主導権がある。
守備の側に主導権があるというのもおかしなものだが、まずピッチャーが投げないと勝負は始まらないのだ。
つまり勝負するか避けるかすら、ピッチャーの側にまず選択肢がある。
バッターは攻撃側でありながら、ピッチャーが勝負を選択しなければ、点を取りに行くことが出来ない。
主導権争いがあやふやなスポーツとは、野球は完全に違う。
大介がどうやったら勝負してもらえるか。
直史は常に勝負していたため、そこを考えたことはない。
確かに大介との勝負は、かなり危険なものだ。
だがせめて単打に抑えることさえ、MLBのピッチャーには出来ないのか。
「一応、相手が地区優勝を狙っているチームということもあるし、勝負してくるピッチャーもいるんだけど」
野球は確率のスポーツだとしたら、大介とは勝負しないが方が、確率的に良くなってしまうというわけか。
自分は絶対に逃げない。
だから、そこで待っていろ。
西片がチームに復帰してきた。
ただスタメンはそのまま山中で、バックアップとしてベンチの中にいる予定らしい。
その西片が、直史に頼んできたのは、ピッチング練習中に、バッターボックスの中に入らせてほしいというものだった。
プロのキャンプで仕上がりが早いのはピッチャーと言われるが、野手が仕上がらないのは大きく一点。
目がボールのスピードについていかないのだ。
西片も怪我をしたのは膝だけに、他の部分はある程度鍛えていた。
だが本職のピッチャーの、本物のボールを体験することは難しい。
二軍で数試合調整したが、一軍に上がってもなお、他のピッチャーにも頼んで目を慣らしていく。
特に直史の場合は、変化球の種類が多いし、ストレートのスピン量も多いため、対策としてはちょうどいいらしい。
ただ現在の中四日の直史は、さすがに消耗しないよう、そして回復するように、全力投球はかなり避けているが。
また炎症を起こしていた利根も、復帰してきていた。
こちらは様子を見るため、もう少し二軍の試合で試すという。
これであとは主力としては、武史が戻ってきたら全員がそろう。
その武史にしても、骨折自体は当初予定よりもかなり早めに治癒していた。
リハビリと調整が、まだ少しかかる。
だがブルペンで投げられる程度には、もう仕上げてきている。
こちらもやはり治療中でも、鍛えるべきところは鍛えている。
特に重点的に鍛えたのは、インナーマッスル。
パワーピッチャーであれば、自分自身の筋力に、腱や靭帯、骨が耐えられなくなることがある。
上杉の故障にしても、その一つではある。
あとは柔軟性だろう。
元々武史も体は柔らかいのだが、全身の力をさらに上手くボールに伝えられるようにするのだ。
力を使う部分を、全身に分散する。
より肉体全部を、パワーを出すために使う。
ちなみに直史はこれをやっていて、最初に大きくフォームを作ったあと、その最大値を保ったままで、フォームを小さくしていくことを意識した。
スピード自体は武史は、ほとんど落ちていない。
落ちているのはコントロールで、それは片足に体重をかけられなかった、骨折の期間が影響している。
体幹も鍛えているので、あとはバランス感覚だ。
これがなかなか難しくなっている。
武史の力が本当に必要になってくるのは、ポストシーズンからだ。
去年はバカなマスコミのせいで、直史が一人で投げぬくこととなった。
もっとも影響度からすると、樋口の離脱の方が大きかったろうが。
復帰してくる選手だけではなく、これから故障するかもしれない選手も考え泣ければいけない。
直史に故障されたら、一番の打撃である。
二番目には樋口だ。
なのでチームとしては単純に優勝のためには、これだけ二位との差があるのであれば、直史をもう使う必要もない。
布施はかなり直史の様子に注意を払っているが、それでも故障の兆候はない。
直史は調子が悪ければ、自分でちゃんと言い出すタイプである。
そこを無理して投げるピッチャーはいまだに多いのだが、直史は情熱や気迫よりも、計算が上回る。
樋口に関してはあれは事故であったので、肉体のメンテナンスとは関係がない。
あとは登板数的には、豊田がやや多めだろうか。
八月も中旬に入り、暑い日が続く。
直史は空調のきいた室内練習場で、調整の日々を送る。
ただそんな中でも、甲子園の動静は気にしていたりするが。
母校は負けているが、縁のあるチームが勝ち進んでいる。
帝都姫路、つまりジンが監督をしている学校である。
帝都一で数年コーチをした後、帝都姫路の監督になったジンは、初年度からそれなりの成績を収めた。
二年前の夏に甲子園に出場してから、ずっと連続出場を果たしている。
去年はベスト8までの残り、今年は優勝候補。
チームを構成する選手の素質は、それほど優れてもいないであろうに。
色々な舞台で、高校時代の仲間は活躍している。
大介はMLBで記録を更新し続け、ジンは高校野球へ。
母校では北村が、さほどの素材もいない中で、甲子園出場を目指している。
他には瑞希の執筆活動が、ずっと利益を生み続けている。
ロングセラーになるというのは、それだけすごいことなのだ。
彼女の執筆したノンフィクションは、現実の世界にも影響を与えている。
強豪私立の多い都道府県でも、公立の健闘が目立つようになってきたのだ。
もちろん白富東は、偶然に才能の集まったことが、多いチームである。
だがそれでもセイバーの考えた、平均的にチームを強くする練習。
とにかく効率と合理性に優れた思考は、高校野球を変革していっている。
直史は周囲を見ているが、周囲は直史を見ている。
海の向こうならば話は別だが、国内では最も注目を集めている。
芸能人に近いような感覚であるが、直史の芸能人だのと違うのは、彼が社会的に守られていることである。
法律という、国家においては行政よりも強固なものが、直史のプライバシーの侵害を防いでいる。
個人情報を拡散した人間に対しては、それに応じて訴訟。
佐倉法律事務所だけでは足りずに、他の弁護士事務所にも声がかかる。
スポーツのプレイヤーについては、芸能人などとはまた違った基準がある。
芸能人はそのキャラクター性を売りにするが、スポーツ選手はそのパフォーマンスが価値を生む。
とは言っても大介と上杉がいない今、直史に集中してくるのは仕方がないことなのだろう。
直史としては変に飛び火して、樋口の女癖の悪さが明らかにならないように気をつける限りである。
あとは甲子園について、というインタビューも受けることがある。
確かに直史は甲子園で優勝しているが、今更それをどう思うのか。
だいたいそういう質問に対しては、直史は高校野球全体を否定する立場である。
お前がそれを言っちゃうのか、と多くの者に思われるかもしれないが、純粋に法律の使徒としては、高校野球も大学野球も否定するしかない。
特に商業主義に走っている高校野球は、今の立場からしても批判の対象だ。
これは現役高校生の頃から否定的で、だいたい高野連は悪者にされるが、直史が本当の問題だと思うのは、これで利益を出している新聞社とテレビ局である。
薮蛇としか言いようがないが、直史は論理が明確であり、弁舌にも長けている。
そのくせ変なインタビューがある時は、自分でも証拠を残しておく主義である。
自業自得ではあるが、これで黙らされたマスコミの記者も多い。
そもそも現在の直史は、一応芸能事務所に所属している。
なのでマスコミを使ってマスコミを叩くという、ごく自然の戦略も取れるのだ。
関西で甲子園が行われている時期の終盤、レックスはライガースを神宮に迎えて、三連戦を行う。
残念と言うべきなのかは分からないが、直史はここでの登板機会はない。
あまり現実的な数字ではないが、既にマジックは点灯している。
ここからライガースに勝っていけば、すぐにレックスの優勝となるのだが、なんと今季初めて、レックスは三連敗を喫する。
おそらくは前回の対戦で、直史がパーフェクトに抑えていたため、なんとしてでもここは勝つという気迫があったのだろう。
ピッチャーも強いところが当たったということはあるが、まさかのレックス三連敗。
変な空気が満ちたような気もするが、次は直史の登板である。
舞台は敵地の東京ドーム。
エースが投げれば打たれない。
エースはチームの流れを変える。
そんなオカルトは信じなくても、普通に士気の建て直しは考える直史だ。
タイタンズ戦において、いつも通りにプレイすることを考える。
三連敗したレックスは、多少なりとも勢いは落ちているだろう。
ここで勝てないのであれば、もう今年は直史が負けることはないのではないか。
タイタンズは中身はバラバラであるが、ここ数試合は落ち着いた試合で順位を上げている。
そうは言っても高が知れているだろうが。
敵地とはいっても、場所は同じ東京。
レックスの応援団が大きな一角を占めて、大声援を送ってくる。
マウンドに立つのは、常勝の存在。
常勝にして不敗という、もうどうすればいいんだこれは、というものである。
一回の表に一点を取れば、それで勝てるだろう。
そんな無茶を思わせるのがレックスである。今の直史である。
今年は既に一点取られているのだが、それは忘れられているのだろうか。
忘れられているのだろうな、と深いため息をつく直史である。
「今日はどうする?」
試合前のミーティングで、樋口が最後の確認をする。
「ちなみに今月はまだ、ノーヒットノーランもパーフェクトをしてないわけだが」
「そんなもん毎月目指すようなもんじゃないだろ」
毎月やっている男が、何か変なことを言っている。
樋口は直史の代わりと言ってはなんだが、やれやれといった顔をした。
今日はしっかりと投げてもらって、また記録を達成してもらおう。
武史が復帰してくるまでは、まだ少しだけ時間がかかりそうなのだから。
大観衆の中で、試合は始まる。
そして一回の表にレックスが先取点を取った瞬間、タイタンズの応援スタンドは完全に戦意喪失していた。
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