第129話 灼熱の季節

 ある日、誰かが突然に気がついた。

 あるいは、今月もだったな、と誰かが思った。

 佐藤直史が月に一度以上のペースで、ノーヒットノーランかパーフェクトをしていることを。

「狙ってるのか?」

 誰かが問うたかもしれない。それに対する直史の答えは、常にシンプルだ。

「重要なことは確実に勝つことと、継戦能力を維持することだ」

 無理に狙っても後に響く。

 完封を狙っていくなら、そして他のピッチャーでも大丈夫なら、完投さえも狙っていく必要はない。

 だが直史は他のピッチャーの能力に関しては、ほんのごく一部を除いて懐疑的であるため、傲慢に完封を狙っていく。


 傲慢なる暴虐。

 あるいは冷徹なる蹂躙。

 なんと言ってもいいが、直史は完全に相手打線を封じていく。

 それは対決と言うよりは、作業に近い。

 圧倒的に一方が有利なゲームは、単純作業に近くなる。

 しかしそれは周囲からそう見えるだけで、実際のところはそう簡単なものではない。

 まぐれ当たりでも一発が出れば、それで点を取られる。

 

 まぐれ当たりさえないような配球も、やろうと思えばやれる。

 三振を取っていくための配球がそれだ。

 それで実際に25個の三振を奪ったが、129球も使っていては、疲労度とのコスパが合わない気もする。

 よって本日の、ゴロを打たせることを主体に、追い詰めたら速球系。

 わざと真ん中に変化させることは、相手の心理を見抜いていないと出来ないことだ。


 難しい球を打つより、簡単な球を打つ方が難しい。

 おかしな話かもしれないが、人間の状態によっては普通にありうるのだ。

 難しい球は覚悟した上で打ちにいく。

 だが簡単な球は勝手に手が出てしまう。

 純粋に反射だけで打つなら、それでも打てるのかもしれない。

 ただ大介でさえ、それに失敗することはままある。

 心理的な死角というやつだ。

 

 


 差が付いたのは確かだ。

 いや、最初からずっと、覚悟の点では負けていたのか。

 あの春の日、リリーフとしてマウンドに上がった直史は、エースの背中をしていた。

 岩崎はそう思って、ブルペンで待機しながら、試合が進んでいくのを見ている。

「今日も出番なさそうっすね……」

 現在勝ちパターンのリリーフをこなすことが多い岩崎は、当然ながらタイタンズが勝っていないと出番がない。

 もっとも今年も選手起用がぐちゃぐちゃのタイタンズでは、先発がローテから落ちると、岩崎がまたローテに入ることもある。


 一年ごとに派閥の力関係が変わる。

 本当に必要な戦力が、フロントに認識されていないように思える。

 そして監督とフロント、コーチ陣などが派閥で分かれている。

 かつては独裁とも呼ばれた時代もあったが、チームの一体化という点では、まだその時の方が良かっただろう。

(移籍も考えた方がいいか)

 在京球団という利点はあるが、そろそろ現実を見なければいけない。


 タイタンズはそもそも球団として大きいので、引退後もなんらかのポストを用意してくれる場合が多い。

 また系列の会社にも働ける場所はある。

 生え抜きでタイタンズの選手で、高卒からここまでやってきた岩崎は、引退してもなんらかのポストを用意される可能性がある。

 たとえトレードに出されたとしても、そちらなら問題はない。

 ただしFAなどで移籍するなら、話は違う。


 20代も後半になれば、自分の人生のプランも具体的になってくる。

 先発とリリーフを行き来しているが、便利に使われる存在。

 おそらくどちらかに特化した方が、選手生命は伸びる。

 ただ今のタイタンズは、中継ぎ陣は特に、他の球団からあっさりと取ってくる。

 またそのポジションはおおよそ、外国人でも埋められる。


 金払いのいい球団ではあるが、それは同時に金で選手を獲得できたら、そのポジションに今までいた選手はいらなくなるということだ。

 岩崎のように、何枚いてもいいリリーフから、先発のローテ、そしてまたリリーフというように使われるのは、なかなかに便利な存在だ。

 今年も同期でプロ入りした島が、タイタンズに移籍してきた。

 そしてここまで九勝と、かなりの実績を残している。

(ただ同じ東京の球団でも、レックスがなあ)

 最近圧倒的にファンを増やしているのが、レックスである。

 タイタンズファンから乗り換えているというわけではないが、それでも圧倒的に増えている。

 親会社のシステムなどから、単に人気が出るだけで、選手の待遇が良くなるわけではない。

 しかしスーパースターがいれば、やはり変化はあるのだ。


 画面の中ではまたタイタンズの攻撃が三者凡退で終わった。

 今日はまだ、内野の間を上手く抜けていったヒットが一本だけ。

 またも完封か、と自分の出番がなくても安心する岩崎であった。




 ピッチングに効率性を求めれば求めるほど、気になるテーマがある。

 それはゴロとフライ、どちらがいいか、というものだ。

 高校野球などではゴロ打ちが徹底されていた時代があり、今でもある系統の選手には有効だ。

 それでも基本は、ライナーを打ったほうがいい。


 ゴロは絶対にホームランにならないが、フライはその延長にホームランがある。

 実際に直史の場合も、ゴロからのヒットが重なって点を取られたことはなく、プロ入り後の失点は全て、ホームランによるものだ。

 相手の狙い球と、こちらの球種が重なってしまう。

 そんな事故は必ずどこかで起こるのだ。


 基本的にはゴロを打たせることを意識する。

 ただアッパースイングの多い選手であると、単純なムービング系だと持っていかれる。

 ならばカーブで上手く角度をつければいい。

 そしてアッパースイングには、フォーシームストレートも効果的だ。特に高めであれば。

 レベルスイング全盛であれば、完全にホームランボールだが。

 

 この日の直史もまた、内野の間を抜けていったゴロが一つと、ポテンヒット、そして送球の乱れで三人のランナーを出した。

 確率的に言えば、これが二つは一イニングのうちに起こらなければ、点には結びつかない。

 そしてもし送球の乱れが原因であれば、自責点にはならない。

(天運かな)

 直史はそう思うが、完全にそう信じてしまうほどは、宗教に期待していない。


 天から降臨した神のごとき肉体を持つ上杉も、甲子園で優勝は出来なかった。

 勝利することばかりが、運の良さとも限らない。

 そも意味で運がいいなら、武史のほうがよほど運がいい。

 高校時代から大学、そしてプロに入るところまで、全て最善に近い道を進んでいる。


 別に野球がそれほど好きでもなく、ただやらなければ気持ちが悪いというぐらいの練習。

 野球で大学に進めたし、野球をやっていて交友範囲は広がったし、野球によって富を築いている。

 そう考えるとやはり、自分が特別な人間だとは思わない。

 もっとも才能だとか努力だとかが全てでもなく、偶然の要素がとにかく多かったと思うのだ。


 八月上旬、対タイタンズ戦九回完封。

 まだシーズンを一ヶ月以上も残した状態で、直史は20勝の大台に到達した。




 MLBのスカウトたちは、激しく動揺していた。

 これまで多くの日本人選手がMLBに挑戦し、そして投手はかなりの数が成功していた。

 それでも彼らが直史を評価しづらかった理由は、まさにその体格にある。


 大介と違って上背は、平均より少し小さい程度にはある。

 また球速の152km/hというのも、技巧派ピッチャーとしてはありうる速度だ。

 ただその体格は、NPBの内部においてさえ、かなり細身だ。

 MLBで投げるには、耐久力が足りないのではないかと思われていた。


 100球以内で試合を終わらせるのはたいしたものだが、むしろそうしなければ体力がもたないのではないか。

 実際にはもっと投げても完投しているのだが。

 MLBを基準に考える人間は、他国のリーグを自然と下に見ている。

 そして今年、アメリカでは大介が暴れまわっているわけだが。


 中四日と中五日を使い分けているが、基本的には中四日で投げている。

 ほぼ一週間に一度は休みがあるNPBの日程では、どうしても中四日ではその日に休みが重なる。

 そこで中五日で投げているのだと、MLBのスカウトも分かってくる。

 ただ直史は、今年が二年目なのだ。

 もちろん二年目だろうがなんだろうが、通用するピッチャーだとは思う。

 少し以前に規約が見直されたため、直史の年齢なら問題なく通常の契約が出来る。

 昔は国外のプロリーグに六年以上いないと、待遇の面で大変に不利になったものだ。

 なにせ最低年俸近くでプレイしないといけなかったのだから。


 ただそういった条件はあったとして、直史をどう獲得するのか。

 そもそもレックスが出すはずがない。ポスティングで最高額で入札しても。

 現在のポスティングは日米間の交渉で、5000万ドルが最高となっている。

 直史のこの成績であると、当然ながらレックスもこの値段を出してくるだろう。

 それに応じられるような球団は、MLBでも決して多くはない。


 もっとも彼らは、既に裏で全てが決まっていることを知らない。

 ひどい話ではあるが、まさかこうなるとは思っていなかった。

 そもそも直史は、プロには来ないはずだったのだから。




 今日も理想どおりのピッチングをしてくれた。

 94球での完封は、今年15回目のマダックス。

 むしろ普通に投げたら、100球以内で試合が終わってしまう。


 去年は一年間で、レギュラーシーズン13回のマダックスであった。

 なお本家マダックスは、その通算MLB生活において、13回のマダックスを達成している。

 今の分業制のMLBでは、六回までを100球以内で投げられればそれでいい。

 そんな時代に直史は逆らっている。


 やっていることは革新的だが、その内容が示すのは時代に逆行するものだ。

 エースが先発し、最後まで完投する。

 当番感覚も中六日から中四日。

 それなのに当然のように100球以内で完封してしまう。


 コントロールと変化球の多様さだけで、こんなことが出来るのか。

 あるいはこれまでほとんどのピッチャーがやってきたピッチングとは、本当の意味ではエースのピッチングではなかったのではないか。

 ピッチャーの姿を、変えてしまったのかもしれない。

 だがこんなことを、他の誰が出来るのか。


 数年から十数年後、この姿を見たピッチャーは、同じようなものを目指すのか。

 もしもそれが可能になるなら、野球は新たな扉を開くことになる。

 それは新しい世界ではあるが、他に誰も生きられない世界かもしれない。


 いずれ、MLBにやってくるのだろうか。

 もしもこのスタイルのまま続けば、MLBは大きく振動する。

 ただでさえ今は、大介がMLBを、アメリカを無茶苦茶にしている。

 スーパースターの登場と言うよりは、もうスーパーマンが上陸して活躍しているようなイメージだ。

 そこに直史がいたら。

 直史ならば大介を止められる。

 だが止められるのは大介だけではない。


 より大きな舞台で、このピッチャーが投げるのを見たい。

 そもそも日本のプロ野球は、選手に対するリスペクトが少なすぎる。

 具体的には年俸が安すぎるだろう。

 もっとも日程の過酷さや、市場の大きさなどを考えれば、それは仕方のないことなのだが。

(もしもいつかポスティング申請をするなら)

 そう思った球団のスカウトは、一つや二つではなかっただろう。




 やるべきことをやる。

 直史はただ、それだけしか考えていない。

 インタビューも素っ気無い。

 今は離脱者が多い中で、エースとしてやるべきことをやるだけだ。


 中四日ということも、直史にとってはおかしなことではない。

 この八月に消耗してくるチームの中で、一番元気な人間が投げればいい。

 体重の管理もしっかりしているし、肩や肘に熱が残ることもない。

 球速を150km/h出さなければ、だいたいどうにかなるのだ。

 

 継戦能力の維持。

 直史が中四日をするにあたって、大前提としていたことである。

 今のところ何も、体に無理はかかっていないと思う。

 去年の日本シリーズや、高校時代の延長再試合を思えば、登板間隔だけなら問題はないのかもしれない。

 ただ重要なのは、これを短期間ではなく、シーズンを通じてやり通すことだが。


 試合を終えて家に戻れば、もう愛娘は眠っている。

 だが直史の場合は、朝にその娘が動き回る様子が見られる。

 寝顔を見ていたら天使であるが、どちらかというと瑞希ではなく佐藤家の顔に似ている。

 なお体重はしっかりと増え続けて、平均よりはかなり大きくなっている。

 瑞希が抱っこするのがつらくなるのは、そう遠くはないだろう。


 あと三年。

 真琴が物心つくころに、自分のピッチングの姿は映るだろうか。

 映像媒体としては、いくらでも残すことが出来る時代だ。

 しかしこの空気も一緒に感じることが出来るだろうか。

(わざわざアメリカまで行って野球をするなら、優勝ぐらいはしてみたいしな)

 多くのスーパースターが、結局成し遂げられないことも、直史にとってはその程度の感慨である。

 重要なことはそれよりも、大介と対決することだ。


 日本時代と同じように、どんどんと敬遠の数が増えている大介。

 しかし日本時代の最高数を、既に上回ってしまっている。

 力と力の対決が多いMLBでは、単純なスピードや、種類の少ない変化球では、大介には通用しない。

 それでも何人かは、しっかりと抑えているというのがすごいが。


 おそらく長かった野球と自分の関わりも、それで終わるはずだ。

 あるいはその後には、草野球などは楽しむかもしれないが。

 もっとも直史であると、左手で投げても草野球のレベルにはない。

 そう思うと限界まで投げているプロの世界は、やはり楽しむべきものなのだ。


 残り試合から数えれば、全て勝利すれば30勝。

 分かりやすい目標だな、と直史は思っている。

 まだこの時点では誰も、それが本当に現実的だとは思っていなかった。




×××



 ※ ポスティング

 日本人選手がMLBに移籍する場合、海外FA権を取るかポスティングかというのが現在では現実的になっている。中には戦力外になって海を渡る選手もいるが、さすがにこれで成功する例はほぼない。また高卒や大卒からアメリカに渡ることも一応は無理ではないが、現実的ではない。

 ポスティングの場合は所属球団が許可を出した上で、入札金額を提示する。かつてはこの金額が高騰し、5000万ドル以上にもなった。2022年の時点では上限が2000万ドルとなっているが、NPB側はこれを上げたいと思っている。ただMLB側のコミッショナーの交代などもあって、その交渉は進んでいない。

 またポスティングはあくまでも球団が選手の希望を入れるというものであるので、球団が拒否したらこの方法は取れない。ただしそれをやってしまうと海外FA権が発生するか国内FA権が発生したときに選手が出て行ってしまうので、実際には海外FA権が発生する一年か二年前にはポスティングで公示することが多い。

 作中でまた述べるが直史は契約時にポスティングを書面にしているため、このオフにこのシステムを使うことが可能。作中設定では金額上限は5000万ドルということになっている。

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