第126話 蹂躙し、撃滅し、破砕する

 中四日である。

 神奈川スタジアムに詰め掛けたスターズファンが、悲壮な顔つきで呪いをかけてくる。

 そして直史はそれに気づかず、果たして今日はどういうピッチングをするべきか考えていた。

(球数を抑えるのは難しいよなあ)

 単純に球数を抑えるのではなく、スタミナの消耗や肉体の耐久力の低下も抑える。

 総合的に一年間を通して、安定して絶対的なピッチングを続ける。

 どんな優れたピッチャーであっても、それは大変に難しいことだ。


 肉体的に頑健であっても、コントロールの定まらない日というのはあるだろう。

 メンタル的なショックを受けて、どうしても気持ちが乗らない日はあるはずだ。

 もちろん直史も、程度の差こそはあってもそういう日はある。

 だが甲子園やワールドカップなどは、その一番重要な日にピークを持っていくのだ。

 それがプロ野球の場合は、なかなか難しい。


 先発ピッチャーの場合は、まだ疲労も取れるし自分でコンディションを整えられる。

 それでも子供がいると、色々と大変ではあるのだが。

 直史はともかく瑞希の母が手伝ってくれるのでまだマシだが、樋口の家などは大変だろう。

 そう思ってたずねたら、ベビーシッターを金に任せて住み込みで雇っているのだとか。


 そんなプロ野球選手の生活事情はともかく、直史は中四日での登板に挑んでいた。

 スターズのホームであるので当然、観客はスターズファンが多い。

 今回の中四日の登板は、明らかにイレギュラー。

 ただし昨日の試合の後には、既に布施にマスコミが行っていた。


 布施は耳が遠い振りをしながらも、直史の登板であることを確認した。

 中四日などで投げさせて本当に大丈夫なのか。

「去年は連投しとろうが」

 しかもその連投の二試合目で、パーフェクトピッチングなどをしたのだ。


 直史が消耗するのは、スタミナや肩肘ではない。

 そのコンビネーションをしっかりと組み立てるために脳を動かす、メンタル的なものだ。

 単純に糖分が足りないこともある。

 だが肉体的には問題ないのだ。


 正気か、と思った者は多かったろうが、そもそもこれ以前に上杉が中四日などはしている。

 上杉が出来るのなら、佐藤直史も出来るだろう。

 このあたり上杉信者と佐藤崇拝の、絶対的な対立軸となる。

 試合の前にもマスコミには聞かれたが、直史としては現在武史が離脱していることを理由にするだけだ。

 MLBへの事前準備ではあるのだが、知らない人間から見れば、上杉の記録への挑戦とも思うだろう。

 上杉が達成した、プロ七年目の26勝0敗という記録。

 これを破るなら、中六日では試合数が足りないのだ。


 とんだ邪推であったが、仕方のないところもあるだろう。

 まさかMLBに向けて、プロ二年目の直史が準備をしているのだとは思えない。

 それよりは上杉への対抗心というほうが、まだ分かりやすい。

 しょせん凡俗の思考は、その程度に収まってしまうものなのだ。




 先頭打者から粘る小此木が塁に出て、二番緒方は進塁打。

 三番樋口は外角の球をライト線に運び、小此木は三塁まで進む。

 そして四番浅野が、もはや芸術的となっている恒例の外野フライ。

 タッチアップで一点を取るという、レックスのお決まりのパターンで先取点を得た。


 スターズの先発大滝は、この日は本来調整程度の登板になるはずであった。

 トミー・ジョン手術からの故障明けで、六月までは二軍調整。

 ようやくこの日が一軍先発復帰だったというのに、とことん巡り合わせが悪い。

 ただ元々大滝は、球速の割には打たれることが多いとは言われていた。

 速球に強い五番のモーリスがセンター前にはじき返すと、ちゃっかりこちらもタッチアップで三塁までは来ていた樋口がホームに帰って二点目。

 佐藤直史は二点以上取られた試合がないことを考えると、試合の勝敗自体はここで決まっていたのかもしれない。


 MAX156km/hと球速が完全には戻っていない。

 プロ入りしてからは最速で163km/hまでは出たのだ。

 大介には簡単に打たれたが。上杉よりも10km/h遅ければ仕方がない。

 それでも五回までを投げて、失点は初回の二点。

 復帰初戦ということで、パラパラと拍手が迎えてくれた。

 だが球場の注目の多くは、ビジターのレックスに集まっている。


 スターズも投手だけ王国と言われた頃に比べると、かなり打つほうも育っているのだ。

 特に外国人補強に成功し、今年は四番を打っている。

 だが開幕直後に直史は、ヒット六本を打たれながらも88球でスターズを完封していた。

 中四日の今日、さてどんなピッチングをするかと思われていたが、四回まではエラー一つのノーヒットノーラン。

 ぐるぐる曲がる変化球に、頼れる四番がおかしな顔になってしまっている。

「やっぱりあいつが使ってるボールは、何か仕掛けがあるんじゃないか!?」

 ボールへの粘着物質疑惑は、直史は時々言われることがある。

 だが変化球のそれぞれ一球種ごとのすごさなら、直史よりもいいボールを投げるピッチャーは多いのだ。


 コントロールはドーピングをしても粘着物質を使っても、どうにかなるものではない。

 最近では意図的にフォームを少しずつ変えていて、なぜかそれで制球が乱れないのだ。

 何か体の中心に太い金属の柱があって、その範囲内なら自由に体を動かせる。

 直史のフォームが固定していないように見えるのは、そのあたりに理由があるのか。


 六回までを投げてエラー一つの19人65球。

 なかなか90球以内ペースで投げるのは難しい。




 レックスは追加点を入れている。

 敗戦処理かと気落ちしてリリーフしたスターズから、一気に三点。

 七回の表にも一点を入れて、既に六点差である。


 そして直史はノーヒットピッチング。

 球数も充分で、またもノーヒットノーランが狙えるのか。

「リリーフを使ってもいいが」

 布施としてはそんなことを言ってしまったりする。

 なんだか他のピッチャーが完投する程度の難易度でノーヒットノーランをしているので、もう達成する必要もないのでは、という話である。

 勝ちパターンのリリーフを使うのは、休ませるためにも出来れば避けたい。

 だが六点差ともなれば、微妙な感じのピッチャーも使っていける。

「それは次もまた中四日で投げろということですか?」

 さすがにそれは、と嫌そうな顔をする直史であるが、邪推である。

「いや、普通に中四日で疲れとらんのか?」

「疲れてるのは樋口ですね。それと俺の場合はハイクオリティスタートでインセンティブがつくので、七回までは投げたいです」

 樋口は初回こそバットをしっかり振ったものの、その後の樋口は凡退続き。

 キャッチャーのリードの方に、専念しすぎているのだ。


 難儀なものである。

 ただそんな樋口に、さらに他のピッチャーをリードするという苦行を与えるのか。

「代えるなら樋口も一緒に代えてやった方がいいんじゃないですか?」

「勝手に決めるな。こっちもちゃんとインセンティブ計算してプレイしてるんだぞ」

 打率三割は余裕で突破している樋口であるが、このままだと盗塁数が少し危うい。

 とは言っても休んだ方が、疲れも抜けて他の選手にも機会があって、いいことだと思うのだが。


 布施は「忘れてくれ」と言った。

 ただ点差がこれ以上に開いて、直史がヒットを打たれたら、せっかく上げている若手を使うつもりでいる。

 現在のレックスは先発が直史、金原、佐竹、古沢、青砥の五人は固まっている。

 そして勝ちパターンの豊田、利根、鴨池も決まっている。

 ビハインドやロングリリーフでは星、越前、泊、コーエンの四人。

 お試し先発中の榎木をはじめ、若手が数人。まあ越前と泊も若手なわけだが。

 ベンチ登録されるのは、一試合でピッチャーは11~13人で回している。

 もちろん先発は毎試合登録されるわけではない。

 なお直史が先発の時は、ベンチ入りするピッチャーは少ない。そもそもブルペンでまともに準備をしない。

 ただこの日は、機会の少ないピッチャーに、せめてブルペンで準備だけはさせてみた。


 


 そういうことをすると、野球の神様は変な方向に空気を読んでしまう。

 七回の裏、二番明石の打った打球は、ふらふらと上がってライト前へのポテンヒット。

 ノーヒットノーランが途切れてしまった。


 布施は自らマウンドに向かった。

「若手にノーアウトランナーありでつなぐのは酷だから、この回はいいか?」

「分かりました」

 わざわざ監督がマウンドに向かって何かと思った観衆であるが、やり取りは短い。

 言われたその後、直史はあっさりとスリーアウトを取った。

 そして八回には、その打順で代打を出されたのである。


 七回を投げて、78球。

 球数的には余裕で、普通は完封の可能性があるため、代えるような状況ではない。

 だが直史にとって完封は、ノーヒットノーランやパーフェクトゲームのしそこないでしかないのだ。

 タイトルの一つである最多奪三振も、武史の復帰がまだ先なため、二位とは随分と差が開いている。

 ここから樋口は若手の冬原を、適当にリードしていくことになる。


 なんでナオさんの試合にリリーフが? とは思っていたものの、ちゃんと準備はしていた若手ブルペン陣。

 なるほどこうやってピッチャーは育成するんだな、とレックスのピッチャーの中では、比較的年齢が高くなっている星である。

 レックスのピッチャーは、一軍でしっかりと投げるのは、ほとんどが20代。

 30歳以上のピッチャーというのは、二人しかいない。

 このあたりレックスの投手王国時代が、しばらく続くと思われるゆえんである。

 もっとも活躍する年齢がかなり集中しているところがあるので、戦力がダウンするときは一気にダウンするだろうが。




 八回の裏、マウンドに登った冬原は、今年ドラフト二位で入団した、即戦力の大卒ピッチャー。

 ただ新人合同自主トレや、その後のキャンプやオープン戦で、プロの水に慣れることに戸惑い、なかなかピリッとしたところがなかった。

 短いイニングに全力を出すのが向いていると思われて、ようやくリリーフ的な感じで数字は良化。

 一軍に上がって、これが初めてのマウンドである。


「点差もあるしど真ん中にストレートだけ投げても、充分に打ち損じるから」

 樋口の指示はとんでもないものだったが、プロでもそういうものはあるのだ。

 そもそも冬原はパワーピッチャーなので、とにかく一軍のマウンドで全力で投げられれば、それでいいのだ。

 地方の大学リーグからプロ入りした冬原にとっては、プロの世界というのは化け物ぞろいに見えた。

 その中でも直史や樋口は化け物なのだが、そこまでを目指さなくでもいい。


 直史としては既に一勝増やすごとにインセンティブがついていくため、とりあえず勝ち星だけは消してほしくない。

 そのあたりを樋口には期待していたのだが、いきなりホームランを打たれている。

「う~ん……」

 何をやってるんだあいつは、と思うと共に念のため次もブルペンで準備したほうがいいのでは、とも思う。


 樋口はマウンドに駆け寄って、適当にまた話した後、ぽんぽんと肩を叩いてキャッチャーボックスに戻る。

 そこからはルーキーによるパワーピッチングが見られた。

 九回の裏まで投げて、ヒット三本の一失点と、微妙な成績のデビューである。

 ちなみにリードに思考を使わなくなった樋口は、九回にホームランを一発。

 足りないのは盗塁の数なのだが、そのあたりは現金に打点を稼いだのであった。




 17先発17勝0敗。

 翌日も目覚めた直史は、特に体調も悪くないのを確認した。

 とにかく一点さえ取れば、直史がなんとかしてくれるという今の構図。

 あながち間違いでもなく、直史は15完投14完封を記録している。

 

 実のところ今年直史が期待されているのは、またも記録の更新である。

 シーズン記録の19完封という記録を、塗り替えられないか。

 いや、オールスター前の調子でいけば、普通に大幅に塗り替えられたと思うのだが。

 バッティングの方は大介が、シーズン記録をどんどんと塗り替えていった。

 これは過去に130試合制だった期間があることもあったが、143試合よりも多いシーズンもあったのだ。


 直史の場合は投手運用が昔とは全然違うため、通算記録ではともかくシーズン記録は不可能。

 上杉にとってさえ、ほとんど不可能な記録が多かった。

 直史はとにかく、体にかかる負荷を減らしてピッチングを行う。

 そして調整が上手いため、多くの記録の更新の可能性が出ているのだ。


 とりあえず昨日の試合の終了時点では、2kgの体重が減っていた。

 それから色々と補給をしたが、まだ試合前に比べると500gほど少ない。

 朝からしっかりと食事をして、本日は軽く体を動かす程度。

 SBC千葉にて運動をして、そして食事と水分を摂る。


 今の時点では中四日でも、体調に問題はない。

 だがこれをずっと続けていくなら、どこかで無理が出るかもしれない。

(MLBでは連戦が多く、先発のピッチャーでも完全に休むというのは難しい)

 シーズンを送りながらも、直史はMLBの情報を仕入れている。

(基本は100球で中五日だが、チーム事情により90球中四日という場合もあったりする)

 リリーフ陣がどれだけ強いかで、そのあたりは変わってくる。

 またMLBにはどうしても、捨てる試合が多くなるのだ。


 年間162試合もやっていれば、それだけ故障のリスクは増える。

 休日すらなく20連戦など、普通の企業などから見てもブラックだ。

 NBAはその半分だし、NFLはさらにその半分をはるかに下回る。

 ただし運動量だけならば、野球というスポーツはピッチャー以外、それほどカロリーを消費しない。


 いっそのこと試合数を減らして年俸も減らせばどうなのかな、などと直史は考える。

 週に一日ぐらいは休んで、家族の時間を作りたいのだ。

 MLBの場合は移動の時間がさらに多い。

 そういった制限の代わりに、巨大な富や名声を手に入れると考えるべきなのだろうが。

 もっともMLBは子供の授業参観や、妻の出産などでちゃんと休みを取るようにはなっている。

 家族というものを大事にしているのだ。

 しかしこれは皮肉な味方をすれば、家族を大事にするシステムにしておかないと、あっさりと家庭崩壊が起こる可能性が高い。

 アメリカの離婚率の高さを見よ。

 またプロスポーツのスーパースターは、コロコロと恋人を変えていたりする。


 直史にとっては関係ないが、アメリカに行けば頼れる人間も限られる。

 東海岸ならまだ色々と知っている人間もいるが、西海岸は少ない。

 ただアナハイムから近いロスアンゼルスには、今年から本多が所属している。

 もっとも直史と本多は、代表やオールスターでチームを組んだが、そこまで親しくはない。

 坂本はいるにはいるが、直史と坂本の過去は、確執めいたものがある。


 


 次に直史が投げるのは、中五日で広島カップス戦。

 だがまたも日程の関係で、次は中四日で投げなければならなくなる。

 いっそのこと中四日で投げる生活のサイクルにして、時々中五日の方がいいのではないか。

 そんな無茶なことも、頭の片隅で考えてしまったりする。


 チームの勝率は現在、74%となっている。

 ベテランセンター西片の復帰までは、まだ二週間ほどはかかる。

 吉村はもう、今年は休ませると決められたようであるし、武史がどこで戻ってくるか。

 一応当初予定は九月の中旬であったが、回復はそこそこ早いらしい。大介ならば三日で治ったかもしれないが。


 ここからあとは、どれだけ怪我人が出るかで、チームの成績は決まる。

 既に65勝しているので、さすがにもうクライマックスシリーズまでの出場は確定したと言っていいだろう。

 ただ危険なのは去年のように、樋口が離脱してしまわないかだ。

 投手陣の防御率を1は下げる樋口は、投手王国レックスの屋台骨だ。

 直史は確かに絶対的なエースであるが、それも樋口たちキャッチャーが、空母のような役目を果たしてくれないと、本領を発揮するのは難しい。

 ただ樋口としても、インセンティブを稼ぐのには積極的だ。

 去年のポストシーズンのような怪我は、これまでしてこなかったというのもある。


(そういや今年も、もう夏の予選は始まってるのか)

 プロ入りまではちょこちょこと、母校の様子を見ていた直史である。

 今年はなかなか甲子園も、目指すのは難しいらしい。

 どうやら公立校に指導が入り、県の教育委員の方針が変わったのだとか。

 体育科がなくなれば、白富東の圧倒的な戦力はなくなる。

 ただそれでも、普通科だけで全国制覇をしたのが、白富東であったのだが。


 この季節になるともう、盆休みのことも考えておかなければいけない。

 アメリカに行くとそれも、無理になってしまうわけだが。

 三年間というのは、つまり高校生活と同じ時間だ。

 20歳を過ぎたあたりから時間は加速したような気がするが、それでも三年間は短くはない。

(今年の正月はしっかりと挨拶をしないとなあ)

 そんなことを考える佐藤家の次期当主は、世間のスーパースター像からはかけ離れているのであった。

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