第125話 魔王の授業
オールスターにはレックスから多くの選手が選出されている。
全体一位の直史以外にも、ピッチャーでは金原、佐竹、豊田、鴨池が選出されているし、野手でも樋口、緒方、浅野が選ばれている。
セ・リーグでは大介が九年連続でショートの一位であったが、今年はほんのわずかな差ではあるが緒方が第一位。
キャッチャーは樋口がトップであるが、かなり竹中が票数は詰めてきていた。
やはり今年のフェニックスの飛躍には、竹中の存在が大きいと思われているのだろう。
ただ樋口は第一戦、直史とバッテリーを組みつつも、さらに打席で二安打の四打点でMVPを獲得。
直史は九人を三振四つの無出塁で、敢闘選手賞には選ばれた。
もっとも第二戦ではパも逆襲してくる。
接戦の中わずかにリードして、最後には毒島がクローザーをして、一勝一敗という結果に終わる。
なおホームラン競争は、その前に行われている。
大介がいなくなって今年は、と思われたホームラン競争も、この時点で両リーグ合わせてもトップの西郷が優勝。
やはり力はパワーである。
「三イニング投げて一人もランナー出してないんだから、俺がMVPでも良くないか?」
「差額の200万が惜しいのか?」
「せめてお前がもうちょっと控えめな数字を出していれば」
普段は盟友であるが、こういう時には競争の相手になってしまう直史と樋口。
しかも評価基準がピッチャーとキャッチャーでは比べにくいため、こういうことにもなるわけだ。
もっとも去年は樋口が離脱したおかげで、直史は日本シリーズMVPなどを取れたわけだが。
ルーキーシーズンなのでそのあたりにインセンティブをつけられなかったのがもったいない。
それもあって二年目の年俸を、大介の二年目以上にしてくれたのだろう。
ちなみにオールスターの間には、前夜祭などもあって色々とイベントがある。
かつてはバットとして一番よく使われていた、アオダモという木の植樹式なども行われるらしい。
あとはプロ野球関連の、殿堂入りのイベントなど。
現役の中では、大介は間違いなく殿堂入りするだろう。成績を見れば、だが。
色々と不祥事や犯罪を犯していたら入れないのが野球殿堂であるので、またも双子ハーレムが問題となるかもしれない。
もっとも大介としては、そんなものは別にどうでもいいだろう。
あいつはアメリカで殿堂入りすればいい、と直史は考える。
殿堂入りの条件というのは、かなりシビアなものがある。
現在の現役であるならば、おそらく西郷がこの調子であと五年ほどもホームランを打てば、殿堂入りは出来るだろう。
アメリカで治療中で、復帰を目指している上杉も、問題はないはずだ。
そしてまだ若いのでなんとも言えないが、武史も実績を積み上げれば、殿堂入りしてもおかしくはない。
ただ現役だと他には、確定的と言えるものはなかなかいない。
西片あたりは名球会入り資格も獲得し、長年の活躍という点でも問題はないだろう。
あとはトリプルスリーに2000本安打の咲坂や、日米通算2000本安打の織田など。
ピッチャーで200勝を他に果たしそうなのは、真田でも少し厳しいかもしれない。
もしも直史がプロ入りしていなかったら、大学野球での実績で殿堂入りしていただろう。
それだけ成し遂げたことが大きすぎたからだ。
ただし人格を正確に知る人間は反対したはずだ。
しかし弁護士になるような立派な人間の、どこに問題があるのか。
問題はありまくりだが、弁護士という職業はそれだけイメージが堅い。
オールスターの一戦目で、直史は三イニングを投げた。
そこから二日間が空いて、またレギュラーシーズンに戻る。
幸いと言うべきか、アウェイのゲームではあるが、東京ドームのタイタンズ戦。
もう少し休んでもいいのでは、と布施は思ったものだが、直史としては間隔を空けずに投げていきたい。
そもそもそれを言えば、レックスのピッチャーはオールスターに選ばれすぎなのだ。
ローテから三人、リリーフから二人と、まあ実際に投げたのはごくわずかであったが、オールスターで怪我でもしたら笑えない。
しかし樋口がオールスターに参加したのは、MVP以上の副産物を得ることが出来た。
今年は去年に比べれば、打撃成績の控えめな樋口。
だがこのタイタンズ戦から、またアベレージも長打も増やし始めたのだ。
怪我をしたときの戦力ダウンを考えれば、トリプルスリーなど狙わせるべきではないな、と直史は思う。
バッティングと守備だけで、樋口の運用は充分だと思うのだ。
それこそ直史が、バッティングを放棄しているように。
西片や武史が離脱したことにより、六月の末頃からチーム成績はやや下がってきている。
ただしこれは布施が二軍との入れ替えを行い、若手の戦力を試していることも大きい。
勝率五割を維持していけば、このまま普通に逃げ切れる。
それだけの圧倒的な成績を、シーズン前半で残しているのだ。
布施はこの一年を使って、レックスを10年はAクラス入りするチームに鍛えようとしている。
フロント陣の補強が微妙なため、現場での育成が大変ではある。
とりあえず上がった先の環境を整えて、来年はまた二軍で育成をしよう。
そう思いつつも休日返上で、二軍の様子をこっそり見にいったりもしているのだが。
タイタンズ戦の直史は、ワンヒットワンエラーで、これまたマダックス達成。
ハーラーダービーダントツトップと言うか、パ・リーグの例年ならこれで最多勝を取ってもおかしくない16勝目を上げた。
セの最低ラインが20勝になったのは、全て上杉が悪い。
六月の末から七月の序盤、チームはやや低調であったが、オールスター前からこれで六連勝。
ただし本人は満足していない。
中五日、あるいはシーズン正念場の中四日となったら、90球以内で試合を終わらせるのが望ましい。
直史はだいたい100球以内に抑えることは出来るが、そこからさらに球数を削っていかなければいけないのだ。
一応やろうとおもえば、出来る案はある。
ただし確実性が低くなる。
申告敬遠とダブルプレイを合わせて使うのだ。
MLBのローテピッチャーはおおよそ200イニングから220イニング程度を投げることが多い。
これに平均的な一イニングの球数、15球をかけたら一年間の限界の3000球にほぼ並ぶ。
実際のところエースクラスのピッチャーでも炎上することはあり、その場合は球数が少なくても降板させる。
すると平均的な球数は、限度とされる100球よりも少なくなるわけだ。
直史の目標とする90球は、イニングあたりにすると10球。
全員を三者三振に抑えても、一イニング九球は必要となる。
そこから使える遊び球は一球だけ。
もちろん初球から打ってくるバッターに対しては、もっと少ない球数で済む場合もあるが。
直史と樋口が知恵を絞って、それでもこれが限界であるのだ。
調子がいいときは確かに90球ちょっとで抑える時はあるが、90球以内というのはまずない。
去年であれば100球以内は13回あったが、90球以内は二回だけだ。
やはり極めれば極めるほど、その限界を引き上げるのは難しいのか。
「球数と安易に考えるんじゃなく、スタミナで考えるべきだろうな」
樋口の提案にも、さすがにそれが妥当なところか、と考える直史である。
もっとも今の時点でも、一試合あたりに投げる本気の球は、10球から15球といったところなのだが。
オールスター明けからレックスは、やはりあまり調子が良くはない。
直史が一方的な虐殺をした後、古沢が珍しくも四回で五失点。
そこから星がマウンドに立ち、敗戦処理となる。
もっともレックスもここから、それなりに点は取っていく。
今年の星は、ビハインドや同点の場面で使われる場合が多いが、だいたいはそのままの展開で終わる。
ただし今年は二つも勝ち星がついているため、去年よりはいいかもしれない。
去年の星も二勝しているが、負けも四つついている。
今年は二勝一敗なので、悪いペースではないだろう。
続いて行われるのはスターズ戦。
投げるのは青砥に榎木、最後に直史となる。
本来なら金原や佐竹でもいいのだが、途中でオールスターを挟んでいた。
そのための調整もあって、少し休んでいる。
もっとも直史と違って、一イニングしか投げていない。
そう考えると直史は酷使されているのだ。
弱くなって、現在最下位のスターズであるが、青砥を打って先に勝利。
榎木は自分には勝ち星はつかなかったものの、チームとしては勝利した。
なおこの時点で榎木は、直史に弟子入りのようなことをしている。
元々直史と同じ千葉県の出身で、勇名館から甲子園に行ったのだ。
その年の春のセンバツで全国制覇をした白富東を、エースの故障もあったとはいえ正面から勝利。
ドラフト四位であったが、期待値は高かったらしい。
現在ローテから外れているのが、共にサウスポーの武史と吉村ということも、サウスポーの榎木が一軍に上げられた理由になるだろう。
プロ野球において師弟関係というのはあるのかどうか。
あると言えばあるし、ないと言えばない。
そもそもポジションが似通っていれば、後輩は自分の座を脅かす存在となる。
なので安易に教えたりはしない。教えるのはコーチの役割だ。
ただし直史は普通ではない。
同じ千葉県出身というだけで、郷土愛が発現してしまう。
それに自分が抜けた後のことを思うと、チーム全体に貢献はしておきたい。
「スプリットとチェンジアップか」
高校時代はそれで通用したらしいが、プロではなかなか難しい。
かといってスライダーなどは下手に教えると、故障の危険性がそこそこ上がる。
指先の感覚で投げるので、それほど故障しにくいとも思うのだが、榎木のフォームからであると負荷が大きいらしい。
「カットボールとツーシームはどうだ?」
両方共に、ファストボールのうちに入る。
ただしあまり変化はしないらしい。
「変化球にも有用なパターンは二つあるからな」
一つはその変化球自体が強力で、決め球としても使えること。
もう一つとはストレートのわずかな差で、相手のミスショットを誘うこと。
現在はNPBでもパワーでアッパースイングをするので、小さな変化でも外野までは運ばれてしまうことが多い。
だがそれはしっかりと、スイングが出来るボールであったらという前提だ。
カットボールもツーシームも、基本的にはまだコントロールしやすい変化球だ。
これを全くストレートと変わらないリリースで投げられるとしたら、武器になるのは間違いない。
直史はよく忘れられるが、今年が二年目の若手である。
もっとも年齢的には中堅となり、一軍のローテピッチャーでも自分より年下の選手は多い。
金原だけは同い年だが、他は全て年下なのだ。
なので教えてくれと言われれば、教えるのもやぶさかではない。
大サトーにおけるピッチング講座。
そんなことをしていると、選手たちだけではなくコーチまでやってくる。
まあこの中の誰一人として、直史よりもコントロールがいい人間はいないので、それも仕方がないのだろうが。
「俺は才能がないから」
と言い出した直史の言葉に「何言ってんだこいつ」という表情を浮かべた者は多かった。
「コントロールを磨いて、それでコンビネーションを豊富にするしか勝つ方法はなかったんだ」
そのコントロールの精度が常軌を逸しているわけだが。
コンビネーションの数が増えれば、それだけピッチャーの選択肢は多くなり、バッターが読まなければいけないことは多くなる。
スピード、コース、変化量、角度。
これだけでも何種類に分けられるだろうか。
ボール球を振らせたり、あるいは単打までに抑えるピッチングにしたり。
ピッチャーが考えるのは、一試合を通じた戦略であったり、あるいはシーズンを通じた戦略であったりする。
「まあその辺は監督やコーチ、キャッチャーが考えてくれるけど、どういう意図でそう選択するのか、分かっているだけでも重要だしな」
コーチ陣がうんうんと頷いていた。
榎木にたいする具体的なアドバイスは何か。
「シーズン中にやることじゃないけど、プレイオフが終わったらオフの間にフォーム改造に取り組んだらいいかもしれないな」
今のスリークォーターを、やや下げる。
そして角度をつけてからカットボールやツーシームを投げたら、果たしてどうなるのか。
直史はスリークォーターだが、実際はサイドスローとアンダースローでも投げられる。
プレートの踏む場所を変えて、サイドスローからスライダーを投げる。
普通に通じそうな、良く曲がるスライダーが投げられた。
「ホッシーは高校時代、上と下から両方投げてたよな」
大学時代にはもう、完全なアンダースローにしていたが。
「上で投げても球速の限界が見えてたし、体の柔らかさはアンダースローの方が向いてたから」
ドラフト八位で滑り込んだ星が、普通にプロに入った理由。
まあ付き合っていた彼女が、東京で就職するつもりだったというのはある。
もしも声をかけてきたのがレックスでなかったら、そのまま教員として千葉に戻っていただろう。
その意味では埼玉か千葉でも指名は受けていたかもしれない。
色々なことを教えていったが、直史が言いたいのは、ピッチャーのスタイルに正解などない、ということだ。
とにかく大事なのは投げて、バッターを打ち取ること。
必要だったら敬遠でもして、最終的にチームが勝てばいい。
そんな直史はプロ入り以来一度も、敬遠の経験などないのだが。
勝負をしても勝てる、というのが直史の前提にある。
それは傲慢に見えるかもしれないが、実績がそれを黙らせる。
直史がプロ入りして勝てなかった試合は一度だけ。
上杉と延長までパーフェクトで投げ合った試合だけだ。
あれも大概おかしかったと言うか、完全におかしかったと言うか。
なんで延長12回までお互いに投げ合って、お互いにパーフェクトなど達成したのか。
おかげであれは、参考記録にしかなっていない。
まあ樋口が完全に上杉を打つのを、諦めていたのが大きいのだが。
こんな授業をしていた直史であるが、実は今日の夜がまた先発である。
スターズ相手の三連戦の最終戦で、中四日で投げるのだ。
予告先発が発表された時は、スタンドがざわめいたものである。
中六日にすれば、普通に投げられる間隔である。
だがNPBは六日ごとに休日になることが多いため、中五日で投げようと思うと、どこかで中四日が発生してしまうのだ。
中四日で投げるのは、プロ入り後レギュラーシーズンでは初めてだ。
日本シリーズの中三日、中二日、連投と比べればマシというか常識の範囲内だ。
メジャーでは普通に中四日で投げることもある。
そして直史は球数が少ない。
スターズもまた、直史にパーフェクトをやられたチームの一つである。
だがパーフェクトはされたが、負けていないチームなのだ。
上杉が頑張って投げてくれたおかげで、延長12回までを0-0で終わらせた。
今年のレックスはまだ、延長戦が一つもない。
闘志を燃やすにしては、いきなりすぎる登板だった。
予告先発なのだから、いきなりもくそもないのだが。
それでもどこか、このカードでは対戦しなくていい。
そんな気分ではいただろう。
つまりスターズは、試合が始まる前からデバフがかかった状態であったと言える。
普通であれば中四日で、前回も完投しているピッチャーなのだから、少しはクオリティが落ちていることを期待するところだが。
直史はこれまで、その程度の逆境は逆境としてきていない。
それでもまだ、勝算はあるはずなのだ。
直史も全力で投げるつもりはない。
八分の力で投げて、どうにか100球以内で完投する。
あるいは点差がついていれば、リリーフに任してもかまわない。
ただし前日に利根と豊田は投げているので、八回までは投げて鴨池につなぐぐらいはしておきたいが。
シーズン中の実戦における実験。
本人はそのつもりはなかったが、完全に相手をバカにしているものであった。
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