第124話 絶対の柱
レックスがようやく、チーム全体が不調になっている。
七月に入ってから、勝率が五割。
金原が負けたのはともかく、鴨池が絶対的守護神のセーブに失敗して敗戦投手。
それはまあ、そういうことは誰だってあるだろうといったところだが、鴨池は去年、セーブ失敗まではしても、黒星は一つもつけていなかったのだ。
絶対的な存在が、欠けてきている。
それは打線の方もそうで、樋口を五番に持ってきたことで、確実に得点の機会が減ってきている。
なんだかんだと犠牲フライで打点を稼ぐことも多い浅野に、その機会がなくなってきているのだ。
フェニックス戦で珍しく、金原が序盤で炎上し点の取り合い。
このあたりで勝ちパターンではないリリーフ陣が、少しずつ消耗していく。
レックスはやはりピッチャーが強くないと、攻撃でも上手く計算が出来ない。
樋口の打順を戻すべきかとは、すぐに話し合うことになる。
だが全体で見れば、六月までの勝率が圧倒し、二位のライガースも大きく引き離している。
とはいえフェニックスの次が、そのライガースとの三連戦であった。
三連戦の初戦は、先発佐竹が好投したものの、リリーフが崩れて敗戦。
次は古沢が投げて、こちらはさらに好投して、昨日失敗したリリーフ陣が今度は最後まで封じた。
さて三連戦の最後はどうかなといったところで、予告先発に佐藤直史である。
中五日だ。
前回炎上した榎木か、それでなければリリーフ組をつないで投げさせるかという場面で、エースを登板間隔を詰めさせて投入。
確かに二位のライガースが相手であるので、確実に勝っておきたいと考えるのは分かる。
ライガースはローテの弱いところで当たるので、これでほぼ勝ちは確定。
だが直史を使うのは逆に、もったいないのではとも思われた。
だからといって金原や佐竹を使うには、間隔が短すぎるのも確かだが。
この不意打ちめいたローテ変更は、逆にライガースを燃え上がらせた。
勝負をかけてきたレックスを打ったなら、その影響は大きい。
不屈の闘志を胸に秘め、直史を打ち砕かんと作戦を立てる。
一方の直史は、単純に間隔を短くしただけであったので、何の感慨もなかった。
ただこれまでとは違う間隔なだけに、調整が本当に上手くいっているか、実地で試してみないといけない。
幸いと言うべきか、舞台はホームの神宮球場。
味方でもホームランの出やすい神宮は、ピッチャーとしての立場ならば避けたいと思う者が多い。
だが直史にとっては、間隔を縮めた分だけ、他の条件は出来るだけ変わらないものであってほしい。
ライガースの先頭打者、毛利に向かって投げた一球目。
大きく曲がるシンカーを確認して、直史は頷いた。
(まあ、普通になんとかなるか)
少なくとも序盤、何も違和感は抱かない。
大介を失った今年のライガースは、確実に打線の厚みは失われている。
一人でホームランを70本も打つようなバッターがいなくなったのだから、それも当たり前のことだ。
オープン戦から打順がいまいち決まらなかったが、去年までは代打で出ることが多かった山本が、スタメンを勝ち取っている。
元々大学からドラ二で入ってきており、期待値は高かったのだ。
それが外国人補強との兼ね合いもあり、一軍にまでは定着しても、スタメンを奪うまでには至らない。
試合勘を鈍らせないために、二軍でしばらくやらせたり、国外のリーグに出したりもした。
トレードで出すのが、本人のためには良かったのだろう。
だが選手事情もあって、いつかは必ず必要になると思われていた。
そんな苦労人と言うか不遇な選手に対しても、ツーアウトから直史は容赦しない。
ストレートに振り遅れて三振。
直史が確認すると、球速は149km/hを記録している。
(出力はこの程度で充分か)
直史がMLBに渡るにあたって、一番注意すべきもの。
それは球速の絶対値がそれほどでもないということだ。
現在少しコントロールが怪しくなるなら、154km/hが出せる。
だが現実的には152km/hのMAXでバッターの裏を書いて勝負する。
MLBのバッターもある程度は読むはずだが、より反射で打つバッターは多いと聞く。
そのために単純に、速いボールは有効である。
とは言っても単に速いだけなら、3Aや2A、あるいはルーキーリーグにも山ほどいるのだが。
MLBに限らず日本とアメリカとのスポーツとの違い、あるいは文化の違いと言おうか。
アメリカはまずとにかくやってみて、そのスポーツだけに限らない、全般的な能力の向上を求める。
技術の向上はおおよそ、その肉体的な素養を見てから、スポーツをするかどうかの選択が分けられる。
なのでアマチュアレベルであると、日本の野球があっさりと勝ってしまうことは多い。
特にU-15ぐらいまでならば、既にある程度の技術をしっかり身に着けている、日本の方が強いのだ。
あえて誤解を恐れずに言えば、日本の方がスポーツ競技では、才能に乏しくてもそれなりに成功する。
少なくとも直史は、そう思っている。
レックスもまた、打順の試行錯誤は繰り返されている。
西片が離脱し今、センターは守備型センターとなっている。
山中も打撃がそこまで悪くはないはずなのだが、一軍レベルだと守備力重視になってしまうわけだ。
八番を打っていた小此木は、俊足と選球眼を活かして一番に、そして緒方を二番、三番には樋口を戻している。
全力でキャッチャーに専念し、ピッチャーをリードするよりも、ある程度の点を取って援護したほうが、楽だというのがその判断だ。
今日の場合はとにかく、一点さえ先に取ってしまえば、それであとは楽が出来るのだが。
樋口にもまた、かなりのインセンティブが契約についている。
ただそれは彼のアベレージにとっては、それほど難しいものではない。
もっとも10試合ほど欠場してしまったため、あまり楽観は出来ないが、とりあえず打率には問題がない。
銭ゲバであることは直史と同程度である樋口は、打点とホームラン、盗塁数が少し怪しい。
五番であるよりも三番の方が、そのあたりは達成しやすくなる。
具体的にはトリプルスリーが、インセンティブの条件に入っている。
去年も盗塁数が足りず、トリプルスリーには達しなかった。
三割は簡単に打つ樋口であるが、100打点はけっこう厳しい。
少しでも前の打順にいるのは、インセンティブ達成のために重要なことなのだ。
よって初回、ツーベースヒットで先取点。
今日の最低限の仕事は果たしたが、あとはインセンティブを稼ぎにいく時間である。
その樋口のリードに従って投げる直史は、とりあえずこの試合では問題はなさそうだ。
初回に続いて二回も、西郷をしっかりと三振に打ち取った。
西郷のような巨漢は、やはり膝元へのボールに弱い。
直史の遅いシンカーが、上手く弱点となっている。
その弱点も、安易に攻めれば打ってしまうあたり、西郷も油断は出来ないのだが。
季節的にもう夏だということもあるが、直史はそこそこ汗をかいている。
水分やミネラルを補給しながら、ゆったりとライガース打線を封じていく。
(多分、この試合は問題ないだろうな)
そう判断するが、この先が問題だ。
ここからもうオールスターまで、直史の登板予定はない。
そしてオールスターをはさんでいるため、次の登板までには少し間が空く。
既に夏ではあるが、本格的な夏に入る。
夏場に投げるのは高校野球で経験しているが、あれからもう10年にもなる。
去年は無事に過ごせたが、登板間隔を短くしたら、どういう結果になるだろうか。
六回までを投げ終えて、三振の数も10個。
そして出したランナーはいまだに一人もなし。
神宮球場でなんとも達成したパーフェクトまで、あと九人である。
ライガースベンチがまだ戦意を失わずにいられるのは、大方西郷のおかげであろう。
質実剛健でリーダーシップがあるという点では、スターズの上杉に似たところがある。
ただ上杉のように、圧倒的なパフォーマンスで、チームメイトを鼓舞するということは出来ていない。
(悔しか)
高校時代からの因縁と、一方的に思っていた。
大学時代はむしろ、あの常識外の存在を、庇う側でもあったりした。
周囲に与える影響は、ある意味上杉や大介以上。
野球という領域を超えて、ピッチャーの常識的な姿を、変えてしまうかもしれない存在。
弟の方もまた、奔放な人間ではある。
だがそれでもこの世界の中での、分かりやすい才能だ。
直史は片足を他の世界に突っ込んで、こちらの世界に片足の半分ほどしか踏み入っていない。
視点が野球の常識からでないからこそ、その思考の飛躍にはついていけない。
大学時代、最強のバッテリーと言われていたこの二人。
プロに入ってから二年目、西郷は一本のホームランを打っている。
だが平然とした顔を野まま、崩れることもなく試合は勝利した。
一度でも負けたら、そこで終わりのトーナメントを、プロの世界でも延々と続けているような感覚。
完全な意味での去年の完封数は、18回となる。
年に18勝すれば、だいたいは最多勝も狙える時代。
上杉がまた、その常識を戻してしまった。
あるいはピッチャーのパワーの基準を、引き上げてしまったのか。
完投数はやはり、年々減って行っている。
ただピッチャーの球速は確実に上がっている。
本来のフィジカルの要素が実は上がっておらず、それでもスピードとパワーが上がっているとはどういうことなのか。
効率よく体を使っているのだろうが、それに耐えるだけの肉体の強度はあるのか。
メジャーにしてもずっと、トミー・ジョンにまで壊れるピッチャーは毎年見られる。
なので人間の肉体的には、上杉が壊れたあたりが上限値なのではないだろうか。
その中で、直史という存在がいる。
パワーではなく、テクニックとインテリジェンスで勝負するピッチャー。
もちろんその技術を身につけることは、単純なフィジカル強化よりも簡単なはずはない。
上杉に憧れて、本格的にボールを投げる者はいる。
だが直史の真似など、どんなピッチャーも出来ない。
八回の表、先頭打者は四番の西郷。
つまりここまで21人が、塁に出ることもなく倒れている。
中五日で投げてきて、ここまでの精度。
確実にライガースの息の根を止めに来ている、と西郷は判断した。
無理もないが、考えすぎである。
西郷に対しては、直史のコンビネーションもかなり複雑だ。
基本的にストレートは、まず投げてくることがない。
投げるとしても速球系のツーシームが多く、それで打球を詰まらせてくる。
あるいはあのカーブかチェンジアップで、緩急差をつけてくる。
速球系ならまだしも、西郷は打てる。
大学時代は変化球打ちの練習に付き合ってもらったが、フリーで打ってまともに当たったことは数少ない。
上杉と大介がいない今、直史を擁するレックスは一強になってしまっている。
絶対強者のいる世界も、それはそれで面白い。
だが樋口がピッチャーの底上げをして、そして誰にも打てないピッチャーが一人いる。
この状態はいつまで続くのだろうか。
シンカーとスルーを使ったあと、高めにストレートが投げられた。
そのストレートを空振りして、西郷の三打席目は終わった。
いったい何が不安だったのだろう。
不安ではなく、不確定要素であったということなのだろうか。
樋口は最終回、九回の表のマウンドに登った直史を見る。
残り三人、片付けてしまえばパーフェクトゲーム成立だ。
(なんなんだろうな、こいつは)
バッテリーを長く組んでいる樋口でさえ、戸惑うことは少なくない。
今年は四月から六月まで、連続でノーヒットノーランかパーフェクトを達成している。
高校時代から既に、確かにその傾向はあったのだ。
圧倒的なまでの完璧主義。
しかしそれを、どこまでも続けられるのか。
むしろ大学時代の方が、フォアボールで歩かせることは多かった。
しかしプロに入ってからは、頑なにフォアボールを嫌っている。
理屈の上ではそれは分かる。無駄に球数を増やして、そしてランナーを出したくはない。
だがその理屈を通してしまうほどの力量が、完全に人間離れしているのだ。
直史がプロの世界に来たのは、本当に正しかったのか。
確かにレベルの高いプレイヤーがいた方が、リーグ全体の実力も上がる。
だが誰も、直史の真似は出来ない。
そしてスタープレイヤーの真似をして野球を始めても、上杉のようなピッチャーを目標にすることは理解できても、直史は不可能だ。周りが止める。
変化球をここまで使い分けるというのは、それだけ肩肘に負担がかかるのだ。
筋肉だけではなく、骨や腱、靭帯にまで。
少なくとも指導者は、ここまで無茶なことはさせない。
ピッチングの基本はストレートだと、いまだに日本では言われている。
いや、他の国であっても、最初に投げるフォームは教えられるのだが。
送球をするのなら、まっすぐに投げるにこしたことはない。
だがピッチングとなると、少し話は変わる。
そもそもストレートを投げさせることを考える指導者は、ストレートが変化球だということを忘れている。
綺麗なストレートは通常、わすかにシュート回転がかかっているのだ。
それもプレートの位置を正しく使えば、修正は出来る。
ただそれでも、回転をかけるということ自体が、ボールを変化させるということではないか。
MLBのピッチャーなどを見ると、ピッチングの球種の割合が、ストレートよりツーシームやカットボールであるピッチャーが、それなりにいる。
その選手のピッチングの特徴を見抜けば、本当に効果的なボールはそれぞれ違うのだ。
直史の場合は、単純に速い球を投げるよりも、球に回転をかけることが上手かっただけ。
それでも150km/hを超えてくるのだから、やはり球速もあって困るものではない。
最後のバッターには代打が出てきた。
もちろんそんなことをしても、ここまでのピッチングを見れば、すぐに対応出来るものではないと分かっている。
ただ樋口にもあまりデータのないバッターなので、不用意なリードは出来ない。
(まあそういう時は、これを使えばいいんだけどな)
直史の投げたボールは、バッターの手前で伸びながら沈む。
その変化を見て、バッターの表情が厳しくなる。
そして次に投げさせるのは、スピードのあるタイプのツーシーム。
軌道からわずかに逃げていったボールを、空振りしてツーストライク。
(どうするかな。カーブを投げても打ち取れると思うが)
ストレートを投げて、まぐれ当たりがあれば怖い。
ただここまで二球、沈む球を投げてきたのだ。
アウトハイへのボール球を振らせよう。
そのサインに普通に直史は頷き、その通りのボールを投げた。
スイングしたバットは振り遅れながらもボールに当たった。
左方向、サードのファールグラウンド、特に難しくはない内野フライ。
サード村岡が手を上げて、周囲から謎の期待がかかるが、特に問題もなくアウト。
ゲームセットでパーフェクトが成立した。
九回27人92球14奪三振。
文句のつけようのないパーフェクトで、これで七月度も一度の、ノーヒットノーラン以上を達成となる。
この調子で投げていけば、間違いなく投手のタイトルは独占。
あるいは無敗の武史が、直史が一度でも負ければ勝率などで上回るが、まだ武史は規定投球回に達していない。
神宮にまたも、その足跡が刻まれる。
確実に見ている世界が、他のピッチャーとは違うのだ。
あるいは上杉や大介とさえ。
あの二人は完全に、パワー型の選手であったのだから。
ライガースに敗北の傷跡を刻み付けて、そこから直史は少し体を緩ませる。
ここから三連戦ののち、オールスターがあって後半戦が始まる。
もちろんオールスターでは、さほど目立つことをするつもりはない。
だが大介も上杉もいない今年、直史に集まったファン投票の数がすさまじすぎる。
武史もいないのだから、それも当たり前のことと言えようか。
オールスターがあるため、一応ここで中六日以上は空く。
本格的な中五日運用が始まるのは、それが始まってからになる。
今季はこれで15勝0敗。
もう既に頭のおかしな成績になってきていた。
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