第127話 登板過多
『レックスは佐藤を壊す気か!?』
『いや、一試合100球軽く下回ってるんだから壊れないだろ』
昨今のSNSなどでは盛り上がっている話題である。
スターズを相手に七回を投げた直史は、中五日でカップス相手に投げる。
この起用を見てレックスが、直史を中四日と中五日で使おうとしていることに気づいたらしい。
実のところそこまでに、金原が珍しく炎上したり、佐竹が八回までノーヒットノーランをしかけたりと、それなりの話題はあった。
他にはリリーフの越前が、今季初勝利の資格を得たり。
だがそれら全てが持っていかれるのが、スーパースターの宿命であろう。
レックスはともかく他の球団よりも、海の向こうの大介の扱いのほうが大きい。
日本人野手として初めての三冠王と言うか、ひょっとしたら今後二度と出てこないかもしれない三冠王が、現実的になってきているからだ。
まだ七月も終わっていないのに、大介は規定打席に到達しつつある。
残りを全て凡退したとしても、打率は0.380となり、これはほぼ確実に首位打者。
ホームラン54本と143打点も、ここから追いつかれる可能性は少ない。
現時点で残りの試合を全て欠場しても、三冠王が確定する。
なんでこんな化け物が今まで、日本でおとなしくしていたのだと、あちらの国では大騒ぎ。
単にもっとすごい化け物が他にいたから、それで満足していたというだけだ。
野球選手はそのモチベーションを、それぞれの方法で保っている。
直史などはチームの勝利を優先するが、そのために自分が完封するというのを、具体的な目の前のモチベーションとしている。
大介も勝利には貪欲だが、それ以上に勝負を求めた。
上杉との勝負、そして直史との勝負。
その中には記録との対決というものも、優先事項はやや低めであるが存在したのだ。
これが求道者になると、己の理想のプレイを求めていったりする。
あるいはファンのために、と華やかにプレイする選手もいる。
直史は優先順位を間違えない。
本当は大介との対決を、何よりも優先する。
だが大介のいない今は、チームの勝利に貢献する。
もっともその姿を見ていると、ピッチングで相手を封じることに、職人的な趣味や信念を感じるが。
カップスとの第一戦は、リリーフ陣を使っているため、この第二戦は完投してもいいよと布施は言った。
そこは完投をお願いする立場じゃないかと樋口は思ったが、直史が気にしていないので自分も記憶から消した。
直史のピッチングはコンビネーション主体で、多分に趣味的だ。
本日の課題は、ツーシームを使うこと。
あとはゴロを打たせずに、出来るだけフライを打たせることである。
ただこれはたいそう難しい。
ゴロはどれだけ強烈に打たせても、ゴロにしかならない。
だがフライを強烈に打たせると、ホームランになってしまう。
かつて昭和の大投手江川卓の弱点の一つに、一発病というものがあった。
とにかくバッターを三振に取る能力に優れたピッチャーであったが、その浮き上がるようなストレートはわずかにホップ成分が少なければ、スピン量もあって当たれば飛んでしまう。
実際に江川のプロにおけるホームラン率は、けっこう悪いものなのだ。
直史のフォーシームストレートも、スピン量に優れたものだ。
しかし直史が他のピッチャーと違うのは、その球種の豊富さにある。
伸びながら沈むという、魔球スルー。
ジャイロボールの回転はライフル回転であり、バックスピンのフォーシームよりも、むしろ減速はしにくい。
この球をホームランにするのは、特に低めに入った場合は、かなりのアッパースイングをするしかない。
それも軌道が独特であるために、脳がピッチャーの投げるボールという常識に反してしまう。
これだけを打つならともかく、コンビネーションの中で使われるとまさに魔球だ。
フライボール革命で復権したのが、カーブという変化球だ。
アッパースイングでも比較的、ホームランにしにくい。
あとはこれまでの常識から外れるが、高めのストレートの価値が高まっている。
もちろん今でもホームランにされやすいボールではあるのだが、球威の乗った高めのストレートは、アッパースイングで空振りしやすい。
ホームランも増えたが三振も増えたというのが、このあたりの事情にある。
もっとも日本は今でも、巧打を重視する傾向が強い。
フィジカルだけのスポーツではないのだから、今後も長く配球は低めを意識されるだろう。
特に高校野球は、フライを打つにはまだ筋力が足りていない。
カップスも必死で、育成には励んでいる。
スターズ、ライガース、レックス、フェニックスとチームが再建されてきた中で、最も暗黒期が長いのがカップスだ。
この五年で三度の最下位。
今年はスターズが最下位であるが、これは上杉の離脱ショックが大きいからだろう。
それだけ一人の選手が、能力的にも精神的のも、突出しすぎていた。
スターズに泥沼のタイタンズと合わせて、Bクラスを構成している。
基本的にFA戦線には参加しない球団であるので、まだ育成をしていくしか仕方がない。
そのためにはドラフトで、しっかりと素質のある選手を取っていかないといけない。
今のレックスの強さなどは、間違いなくドラフトの成功がある。
もっともそのドラフトも、樋口というキャッチャーを引けたことが大きい。
さらに武史が、次の年に入ったということがあるが。
上杉を引いたスターズ、大介を引いたライガース、樋口を引いたレックス。
もちろん他にもいい選手は育っていたが、ライガース以外は中核選手が抜けると弱かった。
上杉などはまさにチームの柱であったため、ほぼ士気が崩壊している。
アメリカでリハビリに励んでいるというが、復帰できるかは微妙なところだろう。
またレックスは樋口が負傷離脱したとき、投手陣がやや機能不全に陥りかけ、直史一人でどうにかすることとなった。
おおよそ安定して強いチームというのは、キャッチャーが決まっている。
レックスの樋口、フェニックスの竹中などは、その具体例であろう。
ただそれを言うと、代表にまで選ばれる山下のいるウォリアーズは、どうしてずっとBクラスなのかという話にもなるが。
スターズは福沢を正捕手固定したのに、成績は安定していない。
これは正捕手よりもさらに、上杉の影響力があったということなのだろうか。
暗黒期は最盛期のすぐ後に訪れる。
今のスターズは、おおよそこの言葉が合った状態にある。
そんな必死のカップスを相手に、直史は全く情け容赦なかった。
九回完封で、ヒット一本のエラー一つ。
三振13個の91球で18勝目である。
「あ……ありのまま今、起こった事を話すぜ! 俺はレックスとの試合をしていたと思ったら、いつの間にか終わっていた」
そんな頭がポルナレフしているカップスの選手もいるが、今日のピッチングはかなり直史の理想に近い。
出たランナーを上手くダブルプレイにしていたら、90球以内で勝利することは出来た。
そのあたりはまら、研鑽が必要だろう。
レックスの監督布施は、もう呆れるしかない。
自分の知っている常識的な野球は、おそらくこの男がプロ入りした時に崩壊したのだ。
もちろんそれは、直史の責任ではないが。
27歳のシーズンから投げ始めた、オールドルーキー。
落合ではないがこの調子で投げていけば、もしや200勝に到達するのではないか。
この調子で投げればおそらく今年で、通算50勝に到達するのだから。
難しいかもしれないが、元々パワーピッチャーではなく技巧派だ。
あるいは45歳ぐらいまで、現役を続けられるかもしれない。
そしたら300勝には軽く到達する。
日本のピッチャーの最高年齢を考えれば、あるいはそれ以上に投げられるのか。
そんなことをしたら上杉ではなく、こいつが400勝という記録を更新してしまう。
さすがにそれはないか、と思う布施であったが、恐ろしい計算が脳内でなされた。
次の直史の登板は中五日だ。
そこから、あくまでも単に仮定の話だが、中四日を続けたらどうなるか。
(途中で中五日になる日程はあるが……)
こんなこと、想像するだに無茶ではあると思う。
ただ上杉はやっていたことだ。
登板翌日、布施は直史に話してみた。
「お前、30勝目指してみるか?」
そう言われた直史は、複雑な表情となった。
直史はオールスター前の前半戦で、既に15勝をしていた。
だがその時点で既に、試合は82試合を消化していたのだ。
布施の言ったことを実現させるには、残りの61試合で15勝することが必要になる。
四分の一を直史が投げて、そして勝利する。
おかしいですよ、それは。
ただ今日の試合で残りは52試合。
そこから12勝すればいいわけだ。
なんだか出来るような気もする。いやいや。
ついに呆けたのかな、と悲しい目で直史は布施を見たが、どうやら呆けても冗談でもないらしい。
30勝投手。
21世紀になってからどころか、平成の時代でも既に絶滅していた存在だ。
近年一番惜しかったのは、31先発で26勝した上杉であろうか。
その後も年間32登板して、それぞれ23勝、24勝としている。
スターズの打線がそこまで強力でなかったこともあるが、さすがの上杉もその全てを完投してはいない。
なので後続のリリーフ陣が打たれて、そこまでは到達しなかった。
「ここから出来るところは全て中四日で回していったら、30先発にはなる。それを全部勝つというのは難しいが」
別にそこまでしなくても、普通にリーグ優勝は出来るだろう。
ただ直史にはメリットがある話だ。
インセンティブに直結している。
ただ30勝投手というのは、日本でもアメリカでも、1960年代に絶滅している。
ここで重要なのは直史のインセンティブが、勝利数11勝目以降は、1勝ごとに100万円、ハイクオリティスタート一度ごとに100万円というものがあることだ。
30勝を目指すつもりはないが、出来るだけ投げて勝ち星を稼いだ方が、直史の収入には直結する。
ただ日本記録の42勝は稲尾和久とヴィクトル・スタルヒンの二人なのだが、スタリヒンは記録のミスで本来は40勝になる。
もっともコミッショナー裁定により、42勝と記録はされているが。
稲尾は30先発で78登板と、リリーフなどでの勝ち星が多い。
スタルヒンは68登板41先発で、そこから42勝となっている。
先発30試合で30勝など、100%無理だ。無理のはずだ。
無理のはず、なのだが。
直史は記録にはこだわっていない。
そもそも既に色々とおかしなことをしでかしているので、これ以上記録を作る必要はないだろうと思っている。
野球殿堂などは、大学野球時代の成績だけで、殿堂入りは決まったようなものであった。
ただ勝ち星を積み重ねるのには、ちゃんとしてインセンティブのメリットはある。
「次の中五日の試合が終わってから、調子を見て返事をしていいですか?」
直史がそう言うと、自分から言い出したことであるのに、布施は驚いた顔をした。
普通ではない。おかしい。異常だ。
直史はそう言われることに慣れているし、周囲にそう言われる人間がたくさんいる。
そもそもプロ野球の世界は、プロであるというだけで一般人から見たらモンスターだ。
ただ主にフィジカル面でそう言われる選手が多い中、直史は完全に異質だ。
なんだか違う感覚器官を持っている生き物が、人間のフリをして投げているような。
そんな違和感が試合の中である。
驚くぐらいなら、そんな提案は最初からしないでほしい。
直史はそう思ったが、さすがにこれは完投を続けるのはしんどいかな、と思った。
ただMLBでも先発がそろわなかったチームなどは、先発90球制限で中四日運用をしていたりする。
それに考えてみれば去年の日本シリーズよりは、ちゃんと間隔を空けて投げることが出来るのだ。
問題はこれから季節が、八月に入るということ。
去年も直史は、七月から九月にかけては、少しだけ被安打が多くなったりした。
一試合ごとに減る体重が、ちゃんと次の試合にまで戻るのか。
そこのところが心配ではある。
リーグ戦を終えてから、クライマックスシリーズまで、ちゃんと間隔は空いている。
もちろんこれはリーグ戦で、優勝したらという前提があるが。
試合の中では自分は壊れないだろうな、と直史は思っていた。
あとは体力がもつかどうかだけが、心配である。
夏の高校野球は灼熱の中で行っていたが、大学時代は完全に休みを取っていたのが直史であるのだ。
秋のリーグ戦はまだ暑いうちから始まってはいたが。
能力や技術ではなく、消耗戦。
甲子園においても、他の頼れるピッチャーにある程度任せて、直史は調整していた。
一番無茶をしたのは、やはり去年の日本シリーズだろう。
中三日、中二日、連投というのは、もう二度としたくないものだ。
やってしまえている時点で、かなりおかしいのだが。
ところでそれとは別に、直史は七月の登板機会を終えていた。
五先発で五勝。そして四完封。
当然ながらこれも、月間MVPに選ばれるのだろう。
他のチームでは先発ピッチャーでは、これを上回る選手はいない。
何よりこの月も一点も取られていないため、防御率が0であったのだ。
先月ほどではないが奪三振も多く、既に奪三振王が確定していてもおかしくない合計232個。
去年も300個を超えていたので、まだまだ先は長い。
なお色々と記録を見てみると、様々な記録達成未遂があったりする。
完封した四試合の中の一つはパーフェクトであったが、二つはヒット一本を打たれただけのものだった。
エラーもそれぞれ一つずつあったが、準ノーヒットノーランと呼ぶべきものであったのだ。
チームの状態も主戦力がそこそこ欠けた状態の中、今月も六割の勝率を維持。
広島での三試合目が終われば、神宮にフェニックスを招いて一試合。それで七月は終わる。
(佐藤一人のおかげで、リリーフ陣の負担が減少している)
だいたい直史の投げる試合は、他の試合よりも援護は少ない。
だが一点も取られないのだから、一点取ればそれで勝てるのだ。
大学時代には歌われていたものだ。
佐藤が投げるなら、一点あれば大丈夫。
去年もシーズン中、1-0で勝った試合が三回。
プレイオフでも三試合、1-0で勝利しているのだ。
布施は直史を、二軍で育てたことはない。
最初から一軍のキャンプに合流して、そのままずっと一軍にいる。
ただ先発なのでローテのない日は、去年は二軍のグラウンドで練習をすることもあった。
ブルペンキャッチャー相手には、とんでもない精度で変化球を投げていたものだが。
ペナントレースも残り52試合。
レックス一強のつまらないシーズンかと思ったが、強すぎて逆に面白いというのは、かなり不思議な現象だ。
直史がどこまでのパフォーマンスを発揮するのか、正直に言うと客観的に見てみたい。
フィジカルではなく、テクニックによる人間の限界。
上杉と大介、そして武史も離脱した今年は、佐藤直史のためのシーズンと呼ばれるのかもしれない。
×××
※ 本日群雄伝に投下があります。海の向こうの話です。
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