七章 当たり前の成績で

第102話 期待を裏切るスタイル

 佐藤直史は期待されている。

 前年のプロ初登板から、ことごとく常識を打ち破るピッチングを繰り返す直史。

 プロ入り一年目で既に、将来の殿堂入り確実と言われるのは、それほど多くない。

 もっとも本人は長くMPBでやるつもりはないので、さすがにそれは大げさだなと思う。

 ちなみに直史はあと少しプロに入るのが遅れていたら、アマチュア枠で特別表彰を受けていた可能性もある。

 直史一人のために、大学野球の六大学人気は拡大し、大学野球への世間の関心が高まったからである。


 いくら傑出したプレイヤーであっても、そんな短い期間で評価していいものか。

 だがおそらく上杉は、このまま復帰できなくてもここに入ることになるだろう。

 そして直史はともかく、大介は選ばれない可能性が大きい。

 なぜなら殿堂入り不可の理由の一つに、不祥事を起こしたことが挙げられる。

 大介のやったことは犯罪ではないが、不祥事と思いたがる人間がいるのは否めない。


 今年の直史は初戦から何をやってくれるか。

 期待していたファンは、おそらく大勢いただろう。

 だが直史はある意味、それらの期待を裏切る。

 優先順位が違うのだ。


 初回からヒットでランナーが出塁した。

 だが後続がつづかなかった。

 二回にもヒットでランナーが出た。

 点は入らないが、味方の打線が慌てだした。

 そして試合が動き出す。


 今年から加入した助っ人外国人のモーリスが、スリーランホームランを打つ。

 負けじとばかりに浅野がホームランを打つ。

 じゃあ俺はさぼるかと、樋口は犠牲フライを打つ。

 そしてそろそろ、直史の球数が圧倒的に少ないことと、なんだかんだ言いながら失点していないことに気づく。


 ベンチの中の監督布施は、ピッチングコーチの方を向く。

「今何球かな?」

「78球ですね」

「そうか」

 残り一イニングで八点差。

 さすがに安全圏の点差であろう。

 疲れているようなら他のピッチャーにリリーフさせるが、そんな様子は見せない。

 息も切らしていないし、汗もかいていない。

 まだ春先の寒い季節とは言っても、だ。


 7-0と圧勝している試合だし、勝ちパターンでない時のリリーフに経験を積ませてもいいかもしれない。

 そんなことをかすかに思った布施であったが、直史の圧倒的な球数の少なさから、交代という選択肢を取りにくい。

 それに開幕のフェニックス戦もそうであったが、勝ちパターンでないピッチャーの起用も、それなりに考えないといけない。

 余裕で完投出来るなら、完投してもらう方がいいだろう。


 スターズの監督も、今シーズンからは新しくなっている。

 新監督海老原は、今年の課題はとにかくチームの再建だと理解している。

 上杉がいなくなったことで、スターズは完全にメンタルが崩壊している。

 カリスマ性の高いリーダーを失った組織がそうなるように、せっかく上昇していた打撃力も含め、全体的に弱くなっているのだ。

(今年は下の人間も試していく年か)

 二年契約で本当に良かったと思う海老原であった。




 九回の投げ切って、レックスの勝利。

 直史の成績は打者32人に対し被安打6の6奪三振、そして球数は88球であった。

 ごく平凡な完投勝利に、見えるわけがない。

 エラーも一つ出ているのに、ダブルプレイ二つでその分を消している。

 それでも五人のランナーは残塁していたのに、三塁ベースを踏めた者は一人もいなかった。


 本日の課題は、いかに速いストレートを投げず、変化球の変化を少なくし、消耗なく投げきるかということ。

 来年のMLBを考えて、既にその準備を始めている。

 MLBにおいてはピッチャーの球数は、先発は100球前後に制限されている。

 なので最多勝を取るようなピッチャーも、年間に一度か二度ぐらいしか完投をしないのも普通だ。

 六回までを三失点で抑えれば、七回からは一イニングに強いピッチャーを投げさせる。

 これが様式美と言うか、常識になっているのがMLBの現在である。ただノーヒットノーランを継続中であったりすると、さすがにこの制限もなくなる。


 それが時代の流れである。

 だが直史はそれに逆らう。

 NPBの中六日の登板間隔でも、武史はほとんど完投をしている。

 そして上杉などは中五日で半分以上は完投している。

 これらは肉体の頑健さに頼ったものだ。


 直史は違う。

 野球の常識、ピッチャーの常識、新しいスタイルを、たった一人で否定しにかかる。

 MLB移籍の一年目、当然ながら先発として使われるだろう。

 アナハイムは先発陣が弱いのは、ある程度調べて知っている。

 そっしてMLBは球数制限を徹底していることもあるし、試合数が多いことも関係しているが、先発のローテをしっかりと守れば、30登板以上先発で投げることは少なくない。

 30勝を目標とするのだ。

 長く活躍するには無茶かもしれないが、直史は三年で完全燃焼するつもりだ。

 オールドルーキーとしてプロ入りしたからには、通算記録に残るつもりはない。

 だがシーズン記録は大きく更新してみせる。

 そう思いながら、パーフェクトとノーヒットノーランの数だけで、既に殿堂入りクラスなのだが。




 スターズとの対戦は、この直史の完全な技巧派ピッチングの後に、武史のパワーピッチングもあり、勢いで金原の登板した三戦目もレックスが制する。

 はっきり言って直史の、完全に打たせて取るピッチングは、ファンの期待していたものではなかった。

 だが結果的には完投完封し、勝利には貢献している。

 むしろ見る分には、翌日の14奪三振を果たした武史のピッチングの方が、面白かったかもしれない。

 だが現地で見た者も、中継で見た者も、同じように思ったことは一つある。

 直史の投げる試合は、守備の時間が短いと。


 試合時間の長時間化は、地味にNPBも頭を悩ませるところである。

 さっさと試合が展開し、しかも一日四試合も見られる甲子園の方が、面白いと思う人間がいるのも無理はない。

 直史は別にそこを気にしていたわけではないが、単純な話さっさと試合を終わらせれば、休める時間もそれだけ多くなる。

 今年のシーズンはおそらく、戦力的に見る限り、レックスが優勝するだろう。

 だからその中で直史は、体をMLB用に調整していく。


 NPBはともかくMLBでは、実は年々観客数は落ちてきている。

 その理由の一つには、時間の長さというのが挙げられている。

 あとは消化試合の多さや、最初から優勝を全く目指していないチームがあるなど、様々な要因が挙げられる。

 まあNPBの場合、上杉のスターズと、何より大介のライガースが、ものすごい観客動員数を誇ったということがある。

 これは敵地においても同じことで、だから大介の年俸はあそこまで上がったのである。


 野球の最大の華は、やはりホームランなのだろう。

 これに対抗するのは、やはり奪三振だ。

 ただ直史の場合、去年など特に、試合の途中のどこまでノーヒットノーランが継続するかなど、試合時間の攻撃ではなく守備の時間が、視聴率が高かったという傾向もある。

 大介の打席に観客が期待するのと、直史のピッチングに観客が期待するのは、同じようなものだ。

 即ち、個人のパフォーマンスである。


 日本でならばともかく、アメリカでは年俸査定は数字が基本になる。

 ただそれにおよそ過去三年の成績も参考とされる。

 MLBでは年俸調停という、要するに選手が年俸に文句を言うシステムが、実働三年目かもしくは年齢によって発生する。

 このあたりがMLBでは最初は年俸が上がらない理由になっている。

 選手もこの期間に無理をするのは馬鹿らしいと思うわけでもないだろうが、MLBではハイスクールを出てすぐの選手が、マイナーから上がって活躍するというのが本当に少ない。

 そのあたりの、雇用する球団にとってのボーナス期間も使って、色々と工夫して戦っていくわけだが。


 インセンティブにノーヒットノーランの達成などは含めるはずもない。

 奪三振が含まれることはあるが、それよりはイニング数が重視される。

 そのあたりのことを考えて、今年の直史は投げている。


 タイトル争いをしたら、奪三振は武史に勝つのが難しい。

 直史の能力では打たせる組み立てよりも、三振を奪う組み立ての方が、球数は増えやすいのだ。

 勝ち星を多くするためには、リリーフを必要としないピッチングが望ましい。

 その中でヒットは打たれても、点を取らせないことが重要だ。

 よってこんなピッチングスタイルとなった。


 球数は少なく、特に全力投球の球数は少なく、ランナーを出しても点は取られない。

 至高の技巧派として、直史はおそらくこの年に君臨する。




 スターズとの対決を終えたレックスの次の対戦相手は、アウェイでのタイタンズである。

 本多と井口、投打の要である二人が抜けて、ボロボロの状態になるかと思われたタイタンズだが、むしろオープン戦では星を五分にして戦っていた。

 開き直って若手の、ここまであまり結果が出せていない者を使ったのも良かった。

 それにタイタンズはベテランがこれまでの主力であったため、WBCには主力を出せていない。

 色々な偶然も重なって、開幕を迎えてからもそれなりに勝っている。


 直史は練習はするが、試合には出ない。

 次の先発は神宮での、カップスを迎えた三連戦の初戦だ。

 カップスはごく一部の選手は頑張っているが、まだ育成が上手くいっていない。

 おそらく直史が投げる試合は、捨てて弱めのピッチャーを当ててくるだろう。

 直史の大学の先輩細田などのピッチャーや、打線にもいい選手がいないわけではないのだが。


 タイタンズの試合をソファに座ってテレビで見ていると、おもちゃで遊んでいた真琴がてくてくと歩いてきて、直史と瑞希の間に挟まってくる。

 子供というのはなんだか、こういう狭いところが好きな傾向があったりする。

 もちっとした手をぺたぺたとふとももに叩きつけてきて、直史は試合をそっちのけで娘のつむじを眺めたりする。

「生まれたときは分からなかったけど、どちらかというと俺に似てるかな?」

「まだ分からないけど、目の辺りはそんな感じ」

 瑞希もまた夫の投げていない試合よりは、娘のつむじを見るのが大切であったりする。


 この間の長めに仲良くしたよるに、二人目計画などは考えた。

 佐藤家的には男の子がほしいだろうが、今から作るとアメリカでの生活が大変になりすぎる。

 よって三年ほどするか、もしくはアメリカでの生活が安定したら、もう一人。

 そこから直史が引退したあたりで、三人目というのが家族計画になっている。

 ただ男の子が生まれなかったら、四人目に挑戦してもいいかもしれない。

 佐藤兄弟も四人なのだから、佐藤家は日本の少子化に、頑張って対応していると言えよう。




 娘を挟んでいちゃいちゃしていた二人だが、試合はちゃんと進んでいる。

 先発は開幕戦も好投して勝利投手となった佐竹だが、珍しくも早い展開で点を取られている。

 これがタイタンズか? と言いたくなるぐらいに積極的な攻撃だ。

 ただ粗いところもあるため、チャンスを潰していることも多い。


 樋口がしっかりと守備を引き締めて、また盗塁を殺している。

 こういうところでチャンスを潰すと、攻撃の勢いを封じられるのだ。

 序盤はタイタンズが勢いづいていたが、中盤からはレックスの泰然自若とした守備に、点が取れなくなってくる。

 少し早めにレックスは継投を開始して、そしてそこからは勝利の方程式。

 利根が打たれて点差が縮まるが、そこからまたレックスも点を取って追いつかせない。

 投手力が自慢でロースコアゲームが得意なはずのレックスが、9-8で勝利した。


 勝ったことは勝ったが、課題と言うか問題が残る試合であった。

 佐竹が珍しく連打でポンポンと点を取られたし、利根が逆転されかけた。

 両チームの打線に勢いがついたところで、しっかりと抑えた鴨池は立派なクローザーである。

 だが直史は投手運用について考える。

「直史君と武史君、離して使った方がよくない?」

 瑞希の意見は直史も考えたことだ。


 レックスの佐藤兄弟の完投能力は、まさに今のNPBでは群を抜いている。

 この二人が投げれば完投するか、そうでなくても相手の攻撃をロースコアに抑えて、勝利の方程式以外でのリリーフ起用も考えられる。

 日程的なことを考えると、二人が連続して投げないほうが、完投によってリリーフ陣が休める可能性が高い。

 豊田などは七戦目で、もう三試合目の登板だ。

 去年は52登板で46セーブという、まさに最優秀救援投手の鴨池であるが、今年は七試合で2セーブ。

 豊田もセットアッパーではなく、クローザーの使われ方を一度している。


 去年ははっきり言って勝ちすぎた。

 ポストシーズンでは豊田が軽い故障を起こしたし、何より上手く出番が回ってこなかった。

 今年は出来るだけ点差をつけた上で、試合の終盤に入ってほしい。

 そしたら勝利の方程式以外のピッチャーでもリリーフに使っていける。

 その中で一番便利に使われているのが星だが、他のピッチャーもしっかり使って、来年以降に直史が抜ける穴をどうにかしないといけないだろう。




 去年のレックスのリリーフ陣の中で、一番登板回数が多かったのは、クローザーの鴨池であった。

 だがその次に多かったのは、便利屋扱いされている星である。

 イニング数を考えれば、鴨池よりも酷使されているといった方がいい。


 確かに星は便利な存在だが、代えの利かない存在ではないのだ。

 アンダースローでそれなりのイニングを投げて、なかなか壊れることもない。

 本人も回復力には自信があると、大学時代には言っていた。

 なんだかんだ言って、そのうち勝ち星やホールドやセーブなど、全部あわせて100ぐらいにはなるのではないか。

 直史はそう考えている。

 もしも故障して引退となっても、星なら普通にコネや伝手を使って、高校の教師になるだろう。

 そして指導者になるのだろうが、あまり自己主張しない星が、監督となるのは考えにくいこともある。


 タイタンズ相手には、三連戦で二勝一敗と勝ち越した。

 ただその中で、吉村がまた五回まで投げられなかったのが心配である。

 直史よりも一歳年上なだけなのだから、吉村は今年で29歳となる。

 本来ならここからが円熟期なのだろうが、レックスが弱い時代に吉村は投げすぎた。


 毎年二桁前後の勝ち星は上げていた。

 プロの世界で100勝するのが、どれだけ難しいかは、実際に中に入ってみないと分からない。

 吉村はその100勝に間もなく達する。

 だが慢性的に、肘や肩の痛みがある。

 それでも貴重なサウスポーなので、レックスとしては投手に、特に左腕に余裕がある今は、ゆっくりと治してもいいと思うのだ。

 ただ靭帯をやっているわけではないので、トミー・ジョンで治しましょう、という安易な手段が取れるわけでもない。


 もっと投球術を学んで、全力投球を少ない球数で抑えていくべきだろう。

 直史などはそう思うのだが、樋口がリードしてもこれなのだから、コンビネーションで翻弄するには技術か球種が足りない。

 直史が抜けたら、豊田あたりが先発に回るのだろうか。

 確かに馬力があるので、それも一つの手ではある。

 だが七回以降のリリーフは、そう簡単に崩したくもないだろう。


 直史は今年で、レックスを去る。

 だが大学時代から続いて使う神宮に、全く愛着がないというわけでもないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る