第103話 どっちかにしろ!

 WBCの決勝、圧倒的に少ない球数で勝利した直史。

 しかし帰国からオープン戦はもうなく、プロ野球のシーズンが開幕した。

 そしてスターズとの三連戦で今季初先発し、ヒットは六本打たれたものの完封勝利。

 調子がいいのか悪いのか、よく分からないというのが一般の見方であった。


 レックス自体は3カードを終えて6勝3敗と、去年ほどではないがいいスタートダッシュ。

 そして神宮における、直史の今季初の先発となる。


 無条件に信じきっていいのだろうか。

 老将布施は前の試合において、一試合投げた後とは思えない、汗一つかいていなかった直史を思い出す。

 球速のMAXは144km/hと、明らかに本調子ではなかった。

 だが結局は完投し完封している。

 そして球数は少なかった。


 とにかく直史をどう考えるべきか、長年この世界にいた布施にも想像がつかない。

 なにしろこれまで存在しなかったタイプのピッチャーなのだ。

 それに外付け増幅器とでも言うような、樋口もいる。

 布施は樋口に、次の試合のプランについて確認してみる。


 WBCから戻ってきてから、樋口はチーム全体の強化にかかっている。

 さすがに打線全てはともかく、投手陣と守備陣に関しては、ほとんどその意見を通している。

 また、前年のように、自分が負傷したときのことも考えて。

 その樋口としては、特に問題とは思わない。

「本人の気分次第でしょ」

 言葉が足りない。


 樋口は性格に難がある。

 特に言えるのは、馬鹿が嫌いということだ。

 馬鹿であっても指示に従える馬鹿ならいいのだ。

 だが勝手に考えて、計算をひっくり返す馬鹿は嫌いだ。


 それすらも許容する器の大きさを身に付ければ、監督も出来るようになるだろう。

 特にデータの活用からは、名将となる素養すらある。

 本人には全くそのつもりはないだろうが。

「神宮での今年最初の先発ですから、それなりにやる気はあるでしょう」

 それなりでは困るのだが。




 海の向こうから、大介の活躍が聞こえてくる。

 MLBの歴史を塗り替えるようなペースで、ホームランを量産する。

 まだまだ広いアメリカには、対戦していない大投手がいるだろう。

 だがとりあえず大介は、あちらの基準でもホームランバッターという確認が出来た。


 もしも大介が、海の向こうで満足してしまったら。

 直史はそう考えたこともある。

 MLBについて厳しいことを言った直史だが、実際のところはそのトップレベルは認めている。

 それにあそこは、なんだかんだ言って世界中からトップレベルが集まるのだ。

 柳本や東条、そして本多といったあたりが、MLBに行った。

 柳本も東条も、先発ローテに入ったが、それぞれのチームの絶対的なエースとまでは言えなかった。


 上杉がアメリカに行っていれば、と直史は考えないでもない。

 それと似たような感じで、武史ならばどの程度通用するかな、とも思う。

 真田はどうやらボールが合わないらしいが、それを別にしても耐久力が足りないと思う。

 もっとも耐久力は、直史もあまり自信はない。


 上杉のように中五日で試してみてはどうか、とも考えた。

 だが単純に登板間隔を空けるのと、NPBの特に在京球団のことを考えれば、移動による疲労も考えないといけない。

 MLBはNPBと違って、先発を先に次の球場に送りだしたりといったことはしない。

 飛行機を丸々一機使って、全員を運ぶのだから。


 直史が所属する球団をアナハイムで了解したのは、そのあたりの理由もある。

 東海岸ほどではないが西海岸のチームも、比較的移動などによる疲労の蓄積が少ないからだ。

 なんだかんだ言ってNPBの中でもレックスは、かなり融通が利いた。

 これに近いのは本当ならやはり東海岸のチームなのだが、西海岸は住みやすさまで考えて選んだチームだ。

 それに交流戦ではトローリーズ相手に、ロスアンゼルスまで短い距離を移動することになる。


 直史は基本的に保守的で、アウトドア趣味もそれなりに持つが社交的ではない。

 田舎の人間の根性か、身近な人間に対してと、それ以外とでかなりの温度差がある。

 いっそのこと直史は、ラッキーズにはいった方が良かったのではないかとも思うが、そちらにはセイバーの伝手がない。

 動かされているという気はするが、それは同時に守られているというわけでもある。

 直史は基本的に猜疑心が強いのだが、セイバーとはお互いが利益を得る関係にあるので、そこは信用している。




 カップスを神宮に迎えて、直史はマウンドに登った。

 とりあえず気をつけるべきは、去年の一年で唯一直史から点を奪った、三番の初柴である。

 高校時代は強打者と言うよりは、チャンスで打点を稼ぐ巧打者といった雰囲気であった。

 だが三年目以降は毎年二桁の本塁打を記録し、なんともやりにくい相手となっている。


 投球練習が終わり、試合が始まる。

 マウンドに近寄ってきた樋口は、改めて今日のプランの確認をする。

「制圧型でいいんだな?」

「ああ。安定型をやっていても、それだけだとピッチングの幅が狭まる」

 たやすく言う直史に、樋口としても呆れた思いである。


 レギュラーシーズンを戦うときと、プレイオフや優勝を決める試合で戦うときでは、ピッチングの内容を変えるべきだ。

 同じ野球の試合であっても、一試合の価値が違う。

 この間の神奈川戦は、どれだけ体力を残して投げられるかを考えた。

 だがこのカップス戦は、いかに完全に勝つかを考える。

(色々理由はそれらしくくっつけてるけど、結局去年打たれたのを根に持ってるだけなんだろうな)

 樋口はそう理解していた。




 二者連続三振、という直史としては珍しい入り方をする。

 神宮初戦のそのピッチングに、観客席からは盛大な歓声が上がる。

 それぞれ三球ずつでしとめた次が、三番の初柴だ。

 去年は直史から一本のホームランを打ち、防御率が0になるのをかろうじて防いだ。


 そんな初柴も二球で追い込まれて、そこから外角をかすめるスライダー。

 ボールかどうかのぎりぎりを見極めたが、審判の宣告はストライク。

 見逃し三振で、これで三者連続三振である。


 球速は152km/hも出ているし、変化球は多彩に扱ってくる。

 前の試合はなんだったのか、と思うぐらいの好調ぶりだ。

 カップスナインはこの時点で、かなり心が折れかかっている。

 もっともこの試合、カップスはあまり強力なピッチャーを先発させていない。

 普通にローテがそうなっているということもあるが、エースクラスを直史と投げ合わせて、消耗するのは防ぎたいからだ。


 糖分と水分を補給して、直史は味方の攻撃を見守る。

「今日は三振の記録でも狙ってるのか?」

 村岡が声をかけてくるが、直史としてはそこまでのことは考えていない。

 九回で終わった試合では、直史が奪った三振は16個が最高である。

 ただしプレイオフを含むなら、一試合に22個が最大となる。


 直史のストレートの球速は、上杉や武史と比べれば遅い。

 だがこの二人に比べれば、変化球は圧倒的に多い。

 その組み合わせで、遅い球で空振りを取れることを、村岡は知っている。

「まあ確かに奪三振のタイトルを取れれば、インセンティブもつくんですけどね」

 直史としても、取れればいいなとは思うタイトルだ。

 だがこのタイトルに関しては、弟である武史が最大のライバルになる。

 今年の初戦も、しれっと14奪三振で完封。

 去年にしてもかなり、奪三振では直史を上回っていた。


 最多勝、最高勝率、最優秀防御率に、最多奪三振。

 これに最多完封を入れて、投手五冠などと呼ばれたりする。

 去年の直史は沢村賞を得たが、最多奪三振だけは届かなかった。

 おそらく今年も、楽に勝つことを考えていては、このタイトルだけは取れないだろう。

 だが直史にとって三振は、取るべきときに取ればいいもの。

 単純に数を積み上げていくものではないのだ。




 今日の直史は好調なのか、とは思うがレックス打線もしっかりと仕事をする。

 初回から新外国人のモーリスがスリーランホームランなどを打って、レックスが先制。

 去年の調子の直史であれば、これで勝負は決まったようなものである。


 ただ、初戦に打たれたことがまずかった。

 いや、この場合は幸いであったと言うべきか。

 二回の表には内野フライ二つに、内野ゴロが一つでスリーアウト。

 そしてその裏のレックスは、下位打線でしっかりと点を取っていった。


 三回の表、カップスは少しでも揺さぶろうと、セーフティバントなどを仕掛けてくる。

 だがこれはピッチャーの直史が処理して、悠々と一塁でアウト。

 そして下位打線であると、なかなか直史の球は打てない。

 キャッチャーフライと三振で、ここまで三回をパーフェクトである。


 このあたりから、さほど勘の鋭くないものも、おおよそ理解してきた。

 今日の直史は本気であると。


 レックスの守備陣、特に内野は自分のポジションの周りで、イレギュラーが起きないように土をならす。

 その動きを目の端で捉えながら、直史はバッターに対する。

 四回は先頭打者をスローカーブで空振り三振。

 そこから内野ゴロと内野フライを、一つずつ打たせる。

 また三人で終わらせた。

 

 このあたりから、ああ、と諦念と絶望が、そして静寂に似た快楽が、ベンチにもスタンドにも広がっていく。

 去年の直史は、ルーキーの大当たりではなかった。

 最初の先発でそれなりにヒットを打たれはしたが、あれはまだ調整が完全ではなかったのだろう。

 天才には二年目のジンクスなど存在しないらしい。




 試合は淡々と進んでいく。

 いや、カップスの攻撃が淡々と終わっていく。

 ベンチの中で布施は、これはいったいなんなのだろう、とオープン戦や前の直史の登板ではなかった感覚を覚えている。

(これはピッチングなのか)

 静かな水面の中に、小石を放り込む。

 だがその波紋は遠くまで広がらず、すぐに収まってしまう。

 カップスの打線は、どうにかして揺らぎを大きくしようとする。

 だがその動きの全てを、直史は吸収してしまう。


 実際にベンチの中から見て、これの異常さがやっと分かる。

 直史のやっていることは、野球のルールの中での動きだが、おそらく本人には野球をしているという意識はない。

 この静けさは、いったいなんなのだろうか。

 もちろん実際には、ベンチからは声が出ているし、スタンドは騒がしい。

 しかしマウンドの直史の周りだけ、ぽっかりと台風の目のように、静寂に支配されている。


 打つのだ、とカップスの選手たちは四苦八苦している。

 だがそのもがいている様は、泳げない人間が溺れている様子にも似ている。

 何か、決定的な何かがないと、直史を打つことは出来ない。

 そして最終回の攻撃が終わった。

 この裏に、レックスの攻撃はもうない。


 スコアは9-0と完勝。

 だがそれ以上に直史のピッチングが完璧であった。

 9回27人14奪三振98球。

 0安打0四球0失策。

 二年連続、レギュラーシーズンでは三度目のパーフェクト達成である。


 インタビューも終えて、ベンチに戻ってきた直史に、さすがに布施は尋ねる。

「この間のピッチングと今日で、出来が違いすぎるだろう」

 そう言われると直史は、ああ、と頷く。

「今日みたいなピッチングをすると、疲れるんですよ」

 疲れるだけで、狙ってこんなピッチングが出来るというのか。


 信じられないが、信じたい。

 野球人生ももう終わりに差し掛かった頃に、こんな奇跡を間近に見ることになる。

 アマチュアからずっと遠回りして、やっとプロに入ってきた才能。

 これは明らかに、違う次元で野球をしている。


 この日直史はまた、己の信者を数人増やした。

 なお本人は、基本的には仏教徒である。

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