第101話 開幕

 今さら言うまでもないが、佐藤直史は国際戦無敗のピッチャーである。

 無敗どころか失点さえもがこれまではなかった。

 会見での挑戦的な発言は、全てが実力に裏づけられたもの。

 そしてそんな騒動はあっても、大会後のパーティーなどは開かれる。


 筋肉が生地を持ち上げるスーツの中に一人、やたらと普通にスーツが似合うのが直史である。

 大会が終わって既に、意識はシーズンに向けられている。

 今年は開幕、調整が上手く行けば直史になるはずなのだ。

 ただし決勝で完投してしまったこともあり、上手く調整がつかないか。

 ここは先発四本柱の中で一人日本に残った、佐竹あたりが適当かもしれない。


 セイバーが近くで通訳もしてくれて、瑞希も傍にいると、変な女性からの誘いはない。

 武史はどうかと心配してみたが、イリヤが珍しくそこはガードしてくれている。

 ただ代わりに、音楽界の大御所などが、こちらにもあちらにも交互にやってきたりする。

(タケも準決勝はいいピッチングをしてたからな)

 上杉と直史が異常なだけで、武史も一般的に考えて、10年に一人レベルのピッチャーである。

 この数年、100年に一人レベルのピッチャーがそろってしまっているのが、悩みどころと言えば悩みどころか。


 セイバーが紹介してくれた人物の中には、MLBの球団オーナーという者もいた。

 どこの球団かまでは言っていないが、アナハイムはロスアンゼルスから車で一時間もかからない。

 おそらくこの人か、と予想するぐらいは簡単であった。


 その後にはもっと砕けた場所に行って、武史が酔っ払ったりもしていた。

 酒に強い佐藤家の男が、どれだけ飲んでしまったのやら。

 節度を保つ直史は、嫁が一緒にいるためハメを外すこともない。

 この後には禁欲生活を解放し、そしてまた一年のシーズンが始まるのだ。

 日本における最後のシーズンになるはずなのだ。




 翌朝にはアメリカを発ち、日本へ。

 武史をはじめ、二日酔いのメンバーも何人かいる。

 全くもって珍しいが、武史は自分のローテまでに復調するのだろうか。

 

 来年の直史の住処はアナハイム。

 このロスからも近い場所にある。

 ロスのチームと言えば、東のラッキーズと並ぶ西のトローリーズ。

 大介もそうだが自分も、一番有名なところには縁がないらしい。

 もっともアナハイムはロスに近いが、治安などはずっといいので、家族連れにはいい街だとも言われている。


 日本に着いてもいまだにダウンしている武史は恵美理が迎えに来ていたが、果たしてあれで大丈夫なのか。

 それにここから選手団は、また記者会見を開く。

 直史に対しての質問が最も多かったが、主張することは変わらない。

「実質的に日本代表が世界一なのは確かなのだから、せめて優勝チームをアメリカに移動させてエキシビジョンマッチをするぐらいはいいと思います」

 向こうがこちらにやってくるのが嫌なら、こちらから行けばいい。

 アメリカは国土が広いので、シーズン終了後も使える球場は多いのだ。

 もっとも北方の球団が優勝していた場合などは、かなり困ることになる。

 アメリカのスタジアムは基本的に、全てが野天型なのだから。


 東京で解散した日本代表だが、ここからはオープン戦を行っているチームに合流する。

 レックスの場合は当然、神宮か対戦している相手の球場に向かう。

 だが直史は今年はもう寮を出ている。

 瑞希と一緒にタクシーを拾って、そこからマンションに戻る。

 武史はさすがに回復していたが、恵美理が迎えにきてくれたりしていた。

 基本的に武史は、恵美理の実家に世話になることが多い。

 やはり次男ということがあってか、直史とは感覚が違う。


 預かっていてもらっていた真琴の寝顔で癒し成分を補充し、日本に戻ってきたことを実感する。

 考えてみれば短期間であったが、やはり日本はいいなと感じる。

 大介はこんな心情で、アメリカに渡ったのか。

 あちらは家族関係がある程度離れていたとか、そもそもツインズも一緒だったとか、そのあたりの条件は違うが。

「アメリカに三年ってのは、なんだか出張みたいだな」

「エリートサラリーマンみたい」

 かすかに笑った瑞希が可愛らしくて、キスをする直史。

「え、するの?」

「しない?」

「だって今日は時差ぼけもあるからって」

「だから運動してから眠ろうと思うんだけど」

 瑞希は手を回して、直史の首を抱え込む。

「じゃあ、仲良くしよっか」

 この後めちゃくちゃ仲良くした。




 NPBは開幕まで残り四日となっていた。

 レックスは本拠地神宮に戻り、開幕までの最終調整を行う。

 開幕投手を誰にするか。

 単に実績だけを見れば直史なのだが、WBCから戻ってきたばかりである。

 ブルペンには入らず、軽いランニングから柔軟体操、ストレッチと行って、そこからキャッチボールを始める。


 今年一年、次の監督までのつなぎであるはずの布施は、直史だけではなく先発陣の様子を見ていた。

 武史の調子がまだ完全には戻っていない。

 祝勝会で潰れたことは聞いているが、それでも時間は経過している。

 飛行機での移動も問題だったのかと思うが、往路では特に問題もなかったのだ。

 本人も不調なことを理解してか、ゆっくりと体を動かしている。


 レックスの今年の開幕戦の相手は、フェニックスである。

 神宮に迎えての三連戦だ。

(竹中がいるか……)

 布施はそのあたりのことも考える。


 フェニックスの正捕手竹中は、WBCにおいても樋口と同じく出場していた。

 打撃力が必要になるかもしれない試合では、樋口がマスクを被ることが多かったが、当然出場した直史たちともブルペンでバッテリーは組んでいる。

 つまりそれなりの実感を、つかんでいると考えた方がいい。

 直史はフォームなどにクセはないが、武史と金原は微妙なところだ。

 やはり予定通り、佐竹で開幕は行くべきだろう。


 樋口の様子も見ているが、あまり変わった様子は見せない。

 ただ本人が自覚してなくても、アメリカのグラウンドとの間に違和感があるかもしれない。

 樋口のいない間、正捕手は岸和田が務めてきた。

 オープン戦でかなり感触をつかんだようで、この調子だと来年あたりには、控えとして持っておくのは贅沢と言われるようになる気がする。

(今年のオフあたりにトレードに出してやらんといかんか)

 出来れば打撃力のある若手と、引き換えにしたい。

 もっとも布施は今年一年の、中継ぎ監督なのだが。


 やはり今年は、佐竹で行くべきだ。

 そして古沢に吉村と、WBC非参加組が上手く調整できている。

 もちろん開幕戦には直史に投げてほしかったのだが、それよりは調整の方が大切だ。

 ライバルがおおよそ戦力ダウンしているのだから、当然ながら日本一を狙う。

 また樋口が長期離脱でもしない限り、レックスの連覇は堅いだろう。

 そう思って負けてしまうかもしれないので、なかなか監督のなり手がなかったのだが。


 予告先発の名前が新聞に発表される。

 まだ桜も咲かない、三月のやや肌寒い日。

 プロ野球の開幕がやってきた。




 今年のレックスは強い。はずである。

 確かに長打力はあるが、いまいちチャンスに弱いというか、打ってほしい時に打ってくれない外国人の代わりに、新外国人が入っている。

 他の外国人枠は、主にリリーフに使用した。

 もちろん先発ローテが離脱したら、そこに入れるような選手も取ってある。


 直史の初先発は、二カード目の初戦。

 神奈川スタジアムでのスターズ相手の試合となる。

 上杉はアメリカにおいて、リハビリを始めているという。

 治療自体は順調のようだが、本当に全盛期の力が回復するかどうかは分からない。

 むしろさすがにそれは無理だと考えた方が自然だろう。


 直史は寮を出て、千葉との県境に近い場所で暮らしている。

 もちろん賃貸であり、今年の末ぐらいまでしか利用しないはずだ。

 来年はアメリカ西海岸。

 もうすぐで二歳になる真琴の教育に、どんな影響が出てくるか。

 もちろん一家は離れて暮らすなどという選択肢はない。

 だが物心がつくころには、父親はあまり家にいないという経験をさせてしまうのか。

 辛い。


 調整を終えた直史はマンションに戻ってきて、事務所から戻ってきた瑞希と共に、真琴の世話をしながらテレビをつける。

 開幕戦はレックスの佐竹に対して、フェニックスは諏訪。

 ピッチャーの実力的には、やや佐竹が上かなという対戦だ。


 去年のオフには、ライガースから真田が流出するのでは、という話が出ていた。

 しかし大介のFAの中で、その話は立ち消えになっていた。

 莫大な年俸を払っていた、大介の契約がなくなったのだ。

 そのためその分の金銭を、ある程度は他の選手に使うことが出来る。

 だが大介がいたからこそ望めた観客動員を、今年はさすがに望めそうにない。

 真田が残ったのは、徐々に戦力が整っているとはいえ、まだライガースの方がフェニックスより強いと判断したからだろう。

 そして優勝を目指し、もう一人の借りを返さなければいけない相手と対戦する。


 シーズン中に直史と対戦する機会が、果たしてどれだけあるか。

 そのライガースは甲子園にてセンバツが開催中のため、開幕戦をアウェイで迎えるわけだが。




 NPBの特にセ・リーグにおいては、今年注目されているのは、打撃のタイトルである。

 去年まで大介が完全に独占していた打撃タイトルを、誰が取るか。

 ホームランや打点で大介を追いかけていた選手のうち、井口もまたMLBに移籍してしまった。

 単純な長打力であると、実績からして西郷が取るのが妥当なところか。


 そして首位打者となると、樋口が有力候補である。

 もっとも樋口の場合は単打を打っても意味のないところでは、打てるボールも打たないでいる。

 あとは去年直史から打ってから、急激に打率を上げてきた初柴か。

 それまでもそこそこは打っていたのだが、あの一本が自信につながってしまったのかもしれない。


 直史はそのあたりは、あまり興味はない。

 興味があるのは、自分の成績だけである。

 上杉がいないおかげで、競争者は一人減った。

 武史と競い合う必要があるのかとも思うが、打線の援護の大きな真田も、注意しなければいけないだろう。


 直史の金銭感覚は、極めて俗物的である。

 改めて提示された、今年のインセンティブを確認する。


・勝利数は11勝目からは、1勝ごとに100万円

・ハイクオリティスタート(七回二失点)ごとに100万円

・臨時にリリーフをした場合、ホールドもセーブも一つで100万円

・タイトル各種は主要四大タイトルはそれぞれ1000万円

・シーズンMVPと日本シリーズMVPと沢村賞はそれぞれ3000万円

・他の表彰はGGとB9がそれぞれ1000万円

・20登板以上で3000万円


 現実的な数字はどこだろうか。

 おそらく今年は先発に専念できるので、20登板以上は確実だ。

 そしてたとえ負けたり勝ちがつかなくても、ハイクオリティスタートは充分に考えられる。つまり2000万円。

 20試合を投げたとして、3000万円。

 勝利数は20勝したとして、1000万円。

 タイトルのうち最優秀防御率は取れるだろうから1000万円。

 ただ沢村賞やシーズンMVPなどは、武史と分け合ってしまって取れない可能性が高い。

 また大介がいなくなったことによって樋口の打撃成績が注目されるようになれば、樋口はキャッチャーなのでシーズンMVPは譲ることになるかもしれない。

 ゴールデングラブとベスト9は、どちらかは取れるとしよう。

 すると一億ほどのインセンティブは発生するのだろうか。


 去年と同じ成績を残せれば、それよりもずっと多くなる。

 だが二年目のジンクスという言葉があるとおり、他のチームも直史のことは、散々に分析してくるはずだ。

 大学時代もまた、確かにリーグ戦を行っていた。

 だが年間を数えてみれば、何試合同じチームと当たるというのか。

 春に五試合、秋に五試合。

 さらに違うリーグの相手であれば、年に二度の全国大会ぐらいでしか当たらない。


 プロはリーグが同じであれば、年間に25試合当たる。

 そして直接対決はもっと少なくても、映像は多く残る。

 直史の場合は登板したレギュラーシーズンの試合は25試合だが、本気で投げる必要があったポストシーズンで、六試合も投げている。

 そこから直史の能力の最大値を引き出すことが出来るのではないか。


 また新しいコンビネーションを考えていかないといけない。

 日本でののんびりした一年間を、直史は漠然と過ごすつもりはなかった。




 開幕三連戦、レックスは開幕戦こそ勝利したものの、その後の二試合を落とした。

 古沢と吉村の失敗と言うよりは、まだ打線が上手くつながらないと言うべきだろう。

 あとは樋口が、何か試行錯誤しながらバッティングをしている。

 そのあたりがロースコアの理由となり、フェニックスは思いもよらない勝ち越しスタートとなったわけである。


 開幕二カード目、スターズとの三連戦。

 レックスの先発が直史と発表されたことで、神奈川スタジアムは当日券もあっさりと売り切れ、観客が満員となっている。

「スターズも負け越しスタートだったか」

「まあ勝也さんがいなければそういうことにもなる」

 スターズは上杉のチームだ、という意識が強い。

 これはたとえば大介がいたころでも、ライガースは大介のチームだ、とはなっていなかった。


 選手としての価値はともかくとして、チームを象徴するような選手は、やはりカリスマ性も求められる。

 大介は大介で人気者ではあったが、上杉のようにチームを率いるようなイメージは持っていない。

 その上杉が離脱している今季、スターズはやや観客動員が落ちているのだ。

 それが今日は直史が投げるので、こうやって満員になっている。


 かつてはタイタンズが、弱小球団と対決する場合、観客が入って助かっていたという。

 人気であればタイタンズ一強の時代が続いたのだ。

 パ・リーグなどはテレビ中継も少なく、本当に不憫な時代が続いたのだ。

 今からはもう信じられない、昭和、あるいは平成に入ってもしばらくはそうであった。


(結局俺は、開幕投手にはなれなかったな)

 直史は嘆くほどではないが、少し感傷的になった。

 来年にはもうメジャーに行っている以上、今年が最後のチャンスだったのだ。

 布施はそれを知らないだろうし、知っていても直史に投げさせたかどうかは分からない。

 ただ、直史からも何も言わなかったのは確かだ。


 過ぎてしまってから思っても、何も意味はない。

 自分でも最初の先発を迎えて、こんな気分になるとは思わなかった。

 スターズのホーム神奈川スタジアム。

 フランチャイズであるので当然、レックスからの攻撃となる。


 スターズもまた、WBCに参加した福永を先発に持ってきていた。

 最初の開幕三連戦は、開幕戦が玉縄であった。

 福永は年齢では直史の三歳下だが、プロとしての実績は今年が六年目。

 もっとも直史と投げ合うとなると、ついていないとは思うぐらいには現実が見えていた。

(先制点を取ってほしいな)

 そう考えている直史だが、西片に緒方と先頭の二人が凡退する。

 西片などもう、40歳のシーズンなのだから、それも仕方がないのかもしれないが。


 そしてランナーがいない状況では、あまり打たないのが樋口である。

 どのみち今日は直史が先発なのだから、という甘ったれた考えも持っている。

 結局は三者凡退で、一回の裏のスターズの攻撃。

 この年最初の、公式戦のマウンドに登る直史であった。

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