第99話 微妙な試合
アメリカの先発はドラフト指名から二年目、2Aに所属するロバーツ。
3Aではないのかという声もあるだろうが、本当に有望な若手というのは、むしろ3Aを一瞬で通り過ぎてしまう場合が多い。
もちろん3Aに意味がないのかというと、メジャーで調子を落としたベテランが、調整のために降りてくるにはちょうどいいぐらいではあるらしい。
長年マイナーでやっている選手で、3Aで止まってしまっている選手もいる。
混沌の3Aではなく、二年目には無事にルーキーリーグから上がってきたロバーツの方が、能力は上である。
球速は100マイルオーバーを叩き出す。
だが、それだけだ。
日本人打者はメジャーの速球に弱い。
そう言われたのはもう、一昔は前のことである。
素質だけでルーキーリーグを突破し、一瞬でAも突破し、2Aに上がってまたすぐに3Aに上がると思われていたロバーツ。
その甘く入った高めを、見逃すような悟ではない。
(MLBは確かにトップはすごいレベルなのかもしれないけど、若手はただのフィジカルモンスターが多いのか?)
初球から打ったボールは、そのままライトスタンドへ。
トロールスタジアムは日本では一般的な、左右対称型の球場だ。
そしてホームランは比較的出にくいのに、いきなり悟が打ってしまった。
続く芥は強烈な打球ではあったが二遊間に阻まれる内野ゴロ。
そして三番の実城の打球が、またも外野の頭を越えて、センターの深いフェンスを直撃する。
急速表示は100マイルオーバーを計測している。
だがとにかくストレートだけとなれば、タイミングさえ合えばいくらでも打てるのだ。
「まあ適度に荒れてるところが、むしろ打ちにくいみたいだが」
四番西郷に対しては、ストライクが入らない。
確かに日本の打線を見れば、西郷が一番のパワーヒッターに見えるのだろう。
結局西郷は歩かされた。
確かに足の遅い西郷は、ダブルプレイが取りやすいランナーになるだろう。
五番の後藤もまた、パワーヒッターであるのだが。
日本人で通用するのはピッチャーだけ。
日本人で通用するのはアベレージヒッターだけ。
日本人の内野手は通用しない。
いくつもの統計ではなく「単にまだこれまではなかった」ということは更新されていく。
後藤の打った球は、またも外野の頭を越えた。
160km/h、つまり100マイルの球をポンポンと打たれて、実城もまた帰っていた。
西郷が三塁で、後藤が二塁でまだワンナウト。
「俺だけアウトになったのが目立つなあ」
「でも当たりはヒット性でしたよ」
今日の六番打者は、樋口ではなく柿谷だ。
樋口にはリードに専念してもらおうと、ラストバッターになっている。
DH制のこの試合、ピッチャーの直史をデッドボールで退場させることが出来ない。
だから勝てると樋口は思っている。
柿谷もまた、100マイルのボールを弾き返した。
だがこれはかなり深く守っていた外野が追いつく。
いくら西郷の足が遅くても、これはさすがにタッチアップが間に合う。
三点目が入った。
ツーアウト三塁、日本はまだチャンスがある。
七番の谷もまた、スラッガータイプのバッターである。
日本のパワーを、アメリカは舐めすぎていたと言えるのか。
ここでようやくピッチャーを交代させる。
楽な試合になってきたな、と直史は考える。
一点ぐらいは取られてもいいから、完投するのがいいだろうか。
だが完投するためには、球数制限内で投げる必要がある。
出会い頭のソロホームラン以外は、ランナーを出すというのは球数の増加につながるのだ。
直史は樋口に話しかけ、この試合のプランを変更する。
勝てばそれでいいと考える直史だが、このアメリカチームの選手の中には、来年にもメジャーに上がる選手もいるだろう。
そういう人間には、恐怖を植え付けておいた方がいい。
直史の来年の立場、あるいは今年のポスティングのために。
ただ直史の考える恐怖の与え方は、かなり凝ったものである。
物事は基本的に、シンプルである方がいい。
だがたまには直史の提案のように、考え込んだコンビネーションを使ってみるか。
あくまでも至上命題は勝利だ。
そのためには完投が望ましい。
「そもそもシーガー、今日は二番なんだよな」
大介も注意をと言ってきた、マックス・シーガーは22歳の若手最有力選手。
ここまで六本のホームランを打っていて、西郷と並ぶホームラン王争いをしている。
この試合を完全に抑えて、西郷がホームランを打てば、それで最多本塁打になる。
それぐらいなら抑えてみるか、という気にもなる直史だ。
谷の打球が内野ゴロになって、ようやくのスリーアウト。
この時点で日本代表の関係者は、ほとんどが優勝を確信していた。
あながち間違いではない。
アメリカのマイナーと、NPB。
どちらがよりデータを集めるのが楽かと言えば、当然日本のNPBである。
もちろんNPBのスカウトは、3Aなどを見ては日本で安く使えるような選手を見つけたりもしている。
マイナーよりはNPBの平均的な年収の方が、はるかに高いことは確かだ。
そしてアメリカはさすがに、日本のトッププロの情報を知っている。
強力なプレイヤーが多い。ピッチャーはやはり投手王国日本であるし、かなり打てるキャッチャーがいる。
また内野も外野も、若手から中堅までが多く、まさに全盛期といって選手をそろえている。
その中でも、今年が二年目となるオールドルーキーの成績は常軌を逸していた。
「サトーか……」
この大会では一イニングしか投げていないため、故障なのかなとも思っていた。
だが単に、決勝でしっかりと投げてもらうために、休んでいただけなのだ。
若手の選手の中には、WBCに興味がないか、あっても二つ前の大会のことなど、知らない者もいる。
アメリカだけならかなりの人間が知っているだろうが、他の国であるとそもそもメジャーリーガーのみが目標であり、他の国のことなど全く知らない者もいる。
もちろん日本選手がいるのは知っていて、それもかなりの活躍をしていることは知っているだろうが。
それでも直史のことは、既にミーティングで知らされていた。
前の登板のことを考えれば、クローザーとしてマウンドに登る前に、なんとかリードしておきたかった。
(以前は100球投げさせずに負けてるんだよな……)
メンバーもコーチも変わっているが、根本的な戦力の総合力は、前と変わっていない気がする。
ならば当然勝てないだろう。
一回の表で、いきなり三点を失った。
WBCというのはMLBとは舞台が違うため、客層も少しは変わっているかもしれない。
だがやはり、アメリカが勝つことを期待しているだろう。
それが日本はアウトにこそなっているが、三振も取れていない。
100マイルの速球というだけなら、普通に簡単に打ってきている。
(日本、さらに強くなってないか?)
単なるスピードボールなら、上杉や武史だけではなく、100マイルオーバーはもうかなりいるNPBである。
日本でもいまだに、150km/hも出ないピッチャーが活躍はしている。
だがそれには、ピッチャーとしての武器があるのだ。
単純にポテンシャルだけで集めた今のアメリカチームは、そもそも持っていたフィジカル面でのリードさえ、今の日本には負けている。
(それでもこちらにも、切り札はいるんだが)
ベンチの中には、103マイルを出すピッチャーがいる。
ただチームに言われて参加しているだけで、戻ればメジャー昇格が決まっているのだが。
「おい、こいつもダメなら俺が行くぞ」
やる気のなかった目に、確かな火が灯っていた。
「アメリカでジャパニーズに好き勝手にやられるわけにはいかねえ」
次代のスーパースター候補が、挑戦的な気分になっていた。
三点も初回に点が入ったことで、直史はプランの修正をしている。
そしてそれに、樋口も呆れながら承諾した。
一回の裏、マウンドに登った直史は、軽く投球練習はした。
マウンドの固さはそこそこだ。悪くはない。
一番バッターにはチェンジアップを投げてあっさり内野ゴロにしとめた。
そして最大の危険なバッターと言われる、シーガーとの対決である。
中学生の時に150km/hを投げていたとか、場外ホームランを連発していたとか。
直史が中学生の時は、せいぜい120km/hが最高であった。
だがシーガーが中学生の時、既に直史はWBCで誰もが認めるMVPとなっていた。
左バッターに対して、直史はまずスライダーから入る。
アメリカのストライクゾーンはやや外に大きいから、内角のゾーンを確認するためのボールであった。
その、おそらくボール球になるであろう球を、シーガーは振りぬいた。
(あちゃあ)
(これはまた)
打たれた直史も、そしてコースを決めた樋口も、一瞬で失敗だったなと納得する打球。
ライトスタンドに突き刺さったホームランは、直史にとっておおよそ七ヶ月ぶりの失点であった。
直史が打たれた。
むしろ日本ベンチの方が、唖然と口を開けている。
「あいつ……失敗することもあるんだな」
「そりゃ人間だもの」
「じゃあなんで去年は失敗しなかったんだ?」
「一応ホームラン一本打ってましたよね、初柴さんが」
散々直史に封じられてきたセのバッターや、またその背中を守ってきた緒方など。
一回からいきなり打たれる直史は、見たことがなかった。
大振りしてきた三番と四番をあっさり内野ゴロで打ち取り、直史はベンチに戻ってくる。
精神的な動揺はないか、コーチも控えメンバーも、心配そうな顔をする。
だが直史としては、少しだけ不機嫌に見えなくもないが、冷静さを保った様子である。
「すみません、内側のゾーンを計りたかったんですけど、それを打たれました」
確かに、あそこはボールゾーンだったかもしれない。
だが大きく変化するスライダーを、いきなり初球から打っていった。
普通ならそれでも、ファールになるコースだった。
対応力の高さは、確かに才能なのだろう。
そしてあのコースでもスタンドまで持っていくパワーがあるのだ。
内角攻めにしても、初球からは不用意であったか。
ベンチに座った直史は、色々と考えなければいけない。
相談相手の樋口は、ネクストバッターズサークルに入っている。
(出会い頭っぽいから、いまいち実力が分からないな)
少なくとも大介が相手であれば、あんな安易なピッチングはしなかっただろうが。
二回の表、日本代表に追加点はなし。
そして勢いをつけたいアメリカの攻撃がまた始まる。
思ったよりも打てるのではないか。
事前のミーティングから聞いていたのとは、印象の違う直史のピッチング。
球数を増やしてマウンドから降ろすというのが作戦であったが、クリーンナップは積極的に打っていった。
空振り三振はなく、ボールはいくらでもバットに当たる。
球速も92マイル程度であるし、今日は調整に失敗したのではないか。
そう思っていたアメリカの二回の攻撃は、五番が大きなセンターフライ。
六番がレフトフライに、七番がピッチャーゴロ。
本当に、いくらでも当たる。
「思ったほどじゃない。力んじまったが、いくらでも打てるぞ」
その言葉に頷いて、アメリカ代表のナインも力強い足取りで守備に散っていく。
直史は技巧派だが、空振りなども取れるピッチャーだ。
それが今日はストレートでもコンビネーションでも、三振が取れていない。
不調かどうかはともかく、かつてのようなピッチングではないのだ。
去年のシーズン中に、投げすぎた影響もあるのかもしれない。
向こうに追加点を許さなければ、確かに逆転のチャンスはある。
だが三回の表、先頭の芥がフォアボールで出塁。
現在のアメリカ代表のピッチャーの弱点は、このあたりにある。
100マイルを投げるピッチャーはそれなりにいるのだが、それをしっかりとコントロールはしてこないのだ。
ここでコントロールを身につければ、メジャーに上がれるのだ。
だが若手のうちは、パワーとスピードに憧れていてもいい。
三番実城の打球はライトフライに終わり、そして西郷。
大会ホームラン王は、シーガーが今一本差でリードしている。
西郷に対して、アメリカの二番手ピッチャーは変化球主体で攻めてくる。
カウントはストライクが先行したものの、そこからファールを打たれて粘られる。
フルカウントからは、もう投げる球がない。
歩かせてしまっても構わないのだろうが、またスコアリングポジションにランナーを置くことになる。
ならばここはピッチャーの、一番力の入る球で勝負させよう。
MLBにももちろん、配球という概念はある。
だがWBCのお祭り騒ぎの中では、レギュラーシーズンほど数字にこだわる気にはなれない。
そして投げた、高めの走る球を、西郷は振りぬいた。
レフトスタンドにボールが突き刺さり、日本は二点を追加した。
球数制限が努力目標ではなく、ルールとして存在するために、WBCはエースピッチャーを酷使するということがない。
なのでそれなりの点の取り合いというのは起こるのだ。
アメリカも四点差ぐらいなら、普通に逆転できる。
特に今日の直史の様子を見ていれば、そう思えても仕方がない。
三人目のピッチャーが、ホームランでランナーのいなくなったマウンドに立つ。
「全然データがないな」
「トライアウトから入団した選手で、今年が二年目ですね。ただ一年目でいきなりメジャーに一度昇格していますが」
その時は一試合二イニングで五個のフォアボールを出し、すぐにまた落とされている。
コントロールの悪いピッチャーは、当ててきそうで怖い。
だがさほどの投げ込みもしてこなかったであろうフランシスというピッチャーは、初球に102マイルという数字を出した。
後藤が三振するほどのスピードボールだ。
最後は103マイルという数字であった。
「マイル表示だと分かりにくいな」
「100マイルがおおよそ161km/hだろ? そこから計算すればいいだろ」
「すると103マイルだと、およそ166km/hってとこか?」
確かにそれは速い。
「なら打てるな」
確実ではないが打てる。それが日本選手団の反応だ。
上杉は普通に170km/hは出してくるのだ。
MAXでは175km/hになり、一試合に何度かは173km/hぐらいまでは投げてくる。
それに比べればさほどの難敵ではない。
そう思う日本代表選手団の感覚は麻痺している。
三回の裏は、一人出ればまたシーガーに回る。
そして先頭の八番は、直史のツーシームをジャストミートする。
本日サードに入っている初柴が、それをしっかりとキャッチ。
さらにラストバッターをショートゴロにしとめて、回ってきた一番に、直史はカーブを投げる。
横に曲がるカーブと、縦に落ちるカーブ。
二つを見せた後に、ストレートを一球。
打ちにいったバッターはの打球は、平凡なキャッチャーフライ。
三者凡退で、次のイニングは先頭がシーガーとなる。
粗い野球だな、と直史は思うだけだ。
確かにいきなりホームランを打たれたのは驚いたが、驚いただけだ。
怖くもないし、脅威とも思わない。
プランは狂ったものの、修正は可能な範囲内だ。
ただアメリカも、フランシスのストレートはいい感じでゾーン内で散らばり、なかなか狙いを絞ることが出来ない。
ツーアウトから、バッターボックスに立つ樋口。
この試合での自分の役割は、怪我をせずに最後までキャッチャーをすること。
だがこの速球派投手は、さっさと自滅してもらいたい。
もちろん自分に害がないところで。
初球から、来れば狙う。
甘い球も充分にあるから、それを打てばいいだけなのだ。
そう思っていた樋口に投げられた初球は、ほぼど真ん中のストレート。
(力むな)
打ちゴロすぎる球は、むしろ引っ掛けてしまうことが多い。
樋口はバットのヘッドを走らせるイメージで、そのボールを叩いた。
ボールは平和な弾道を描いて、またもレフトスタンドに入った。
ガッツポーズもせずに、ダイヤモンドを一周する樋口であった。
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