第97話 退屈する男
直史はモチベーションの維持に苦労している。
WBCで優勝したところで、それはもう既に大学時代に通り過ぎた道だ。
強い相手と戦いたいという大介のようなメンタリティも、直史は持ちようがない。
仕事として考えるにも、別にこれは仕事ではない。
名誉などはもう、前回の大会で手に入れた。
あとは普段は対戦している選手と、海外の強豪を相手に戦うという、日の丸を背負った一体感ぐらいか。
だがメジャーリーガーがあまり出場していないということで、その目的は微妙になってしまう。
(大介もいないしな)
そして上杉もいない。
プロに入った今、あの人とはもう一度同じベンチに入って、投手論などを語り合ってみたかった。
一応オールスターでは話したが、それで満足できるほどではない。
日本一は既に経験した。
甲子園制覇や神宮優勝、ワールドカップにWBCと達成してきたから、日本一も狙ってみるかと思ってちょっと無理をした。いや、だいぶ無理をした。
ただそれも無事に達成したわけで、あとは来年からのMLBのことを考えてもいい。
レギュラーシーズンはインセンティブ獲得のために頑張れるだろうが、この大会では何を考えて戦えばいいのか。
日の丸が泣いている。
そもそもトップレベルの選手が出てこない世界大会で、優勝しても自慢になるのか。
今回日本が優勝したら、三連覇となる。
日本が強いと認められるというのはいいのだが、それにもかかわらずメジャーリーガーのトップクラスは出ていないという言い訳が立つ。
それが直史には腹立たしいのだ。
そのあたりのことをブルペンで話していると、周囲のピッチャーがものすごく疲れた視線を送ってくる。
なんだか可哀想な子扱いをされているようで、不本意な直史である。
「考え方のレベルが違う……」
「佐藤は……うん、もうそのままで行ってくれ」
この中では年長の峠や、変態裸族として名高い山下もそう言って、言われんでもこのままだ、と直史は決心する。
ただモチベーションの維持は問題である。
準々決勝、日本とキューバの対戦は、日本有利のままに進んでいる。
前の登板ではリリーフとして投げた金原が、今日は先発だ。
ピッチャーの中には先発タイプとリリーフタイプ、そしてクローザータイプがおおよそ存在する。
クローザーをリリーフに含める場合もあれば、リリーフとワンポイントを分ける場合もある。
レックスでは普段先発としてローテを回している金原だが、実際のところはリリーフとしての適性もあった。
だがこの試合では本来やっている先発として、かなり安心できるピッチングをしている。
またそれに応えるように、打線も一回から点を取った。
先頭打者として塁に出た悟を、進塁打進塁打で進めて西郷がホームラン。
進塁打ではなく出塁を意識した方が良かったのかな、と思わせるものである。
その後も点を追加して、キューバもある程度の反撃をして、3-1で金原は降板。
ここからは福永が投げていく。
七回まで投げれば、あとは若松と峠の出番だ。
あるいはクローザーとして直史を使うか。
ただ、今日の直史は緩んでいる。
思わず人生観を語ってしまうぐらい、緩みきっている。
順番的に今日の出番はないと言ってしまったコーチであるが、クローザーは誰かが炎上したところを火消しできなければいけない。
峠の信頼感は相当に高いが、それでもセーブに失敗することはある。
リーグ戦と違い、負けたら終わりのトーナメントなのだ。
それがこんな調子では、示しがつかない。
調子に乗るな、と普通ならば怒声を浴びせる場面なのだろう。
だが直史にはそれは通じない。
まず何より、野球人としての能力が、コーチ陣とは違いすぎる。
それに変に言質を取られれば、そこから厄介なことになりかねない。
法律と言葉での殴り合いを、得意とするのが直史である。
ある意味、野球の世界の変遷の、最先端を行っている男だ。
せめて弟がどうにか止めてほしいと思うが、武史は先発ではないと知って、完全に気を抜いている。
先発じゃないと役に立たないので、それは仕方がない。
だが単純にピッチャーとしてではなく弟として、兄の行動や言動を掣肘できないのか。
出来ない。
福永は七回までを投げて一失点。
残りの八回と九回を、若松と峠で逃げ切るのか。
一点差は厳しいなと思ったところで、ランナー三塁に置いて実城が犠牲フライ。
俊足の悟が帰って、これで二点差。
二点あれば大丈夫かな、と思っていたところへ、また西郷のソロホームラン。
三点差となって八回のイニングを迎えることになる。
直史はスタッフに調べてもらって、当たりそうなチームの情報は知っている。
だがメジャーリーガーならともかくマイナーでは、数字の成績ぐらいしか出てこない。
投手の力量を表す数値はあるが、それは全てのシチュエーションをカバーしているわけではない。
またキューバは基本的にメジャーリーガーどころか3Aの選手さえ出さない。
国内のリーグの選手で、そのメンバーは構成している。
おそらくMLBのスカウトならば色々なことを知っているだろうが、さすがに日本にまでは届かない情報だ。
だからこそ今日のキューバ戦、自分の出番はないと分かっている。
直史はコンビネーションで勝負するから、データは多ければ多いほどいい。
もちろん一般的な配球で勝負することもできるが、それでは球数も増えてしまう。
だから直史が投げるのは、次の準決勝だ。
若松は一点を失ったが、峠が最後に0で〆て試合終了。
かくして日本はベスト4に進出し、アメリカへと海を渡ることになる。
前回のWBCは、直史は他のことに忙しくてあまり記憶にない。
どうせ優勝するだろうと思っていて、実際に優勝した。
前々回のWBCは名声のためだけに戦っていた。
国際戦で一番面白かったのは、WBCではなくワールドカップだ。
今まで一度も日本が優勝したことがなかった、U-18の年代。
理由としては甲子園で燃え尽きた選手が、もう一度全力を出すのが無理だったからだが。
あの時のチームは、ほとんどの選手が公式戦で戦った相手であった。
若者に特有の、謎の連帯感があった。
ついでに言えばほとんどは、年上だが叩きのめした相手だったので、遠慮する必要もなかった。
(思えば若かった)
大学時代もWBCもそしてプロに入ってからも、ずっと尖りっぱなしだという自覚のない直史。
だから天才と言われてしまうのだと、いい加減に認識したほうがいい。
日本代表は海を渡ってロスアンゼルスへ。
アメリカを代表する年であり、西海岸でそこそこ暖かい。
いっそのことマイアミやフロリダでやった方がより暖かくていいのだろうが、そこは集客の問題もあるのだろう。
ここで準決勝と決勝を、MLBのトロールスタジアムにて行う。
なおここから南下すると、直史が来年所属する予定のアナハイムに至る。
一応アナハイムもロスアンゼルスの商業圏ではあるのだ。
ホテルに到着した日本選手団を待っていたのは、今季からMLBに移籍した本多であった。
オープン戦の最中であるが、開幕ロースター入りしたため、こちらにやってきたらしい。
さすがに東海岸の大介や井口は、野手ということもありそう簡単には来れないだろう。
だがMLBはそのキャンプにしても、しめつけは相当にゆるい。
なのでおそらく試合を見に来ることはあるのでは、と本多は予想していた。
そう言われて直史はメールを送ってみると、ツインズと共に観戦に来るとメールが戻ってきた。
本多と違ってよくそんなに余裕があるなと思うが、日本でも話題になるオープン戦の成績だと、さもあらんという気にもなる。
MLBは結果が全てであって、NPBと違って経過はそれほど重視されない。
オープン戦で調子が良ければ、そのまま無駄に消耗しないように、開幕まではのんびりしたりもするらしい。
もっともそのあたりの裁量は監督に任されている。
大介が見に来るのか、と思うと不思議な気分になる。
大学時代は大介が東京遠征に来ると、それを見に行くこともあった。
だが大学の自分の試合を、大介が見に来たということはほとんどなかった気がする。
グラウンドの中で一緒にプレイすることはなくとも、スタジアムの中にはいる。
それは不思議な感覚になりそうだ。
現在準決勝までに残っているのは、日本、台湾、ドミニカ、アメリカの四国である。
日本と台湾が準決勝を行うのだが、これなら本当に東京ドームでやった方がよかったと思う。
ただこの対戦でも、どうやらチケットは売れているらしい。
なにしろ日本は二連覇をしている強豪である。
またロスアンゼルスは野茂英雄の時代から、日本人選手をよく知っている。
前回大会でも日本は、上杉と大介を中心に優勝している。
前々回は直史は一人で完封した。
メジャーリーガーの一流どころが出場していないという心理的な余裕があるため、日本の野球を楽しむことが出来ると思うのはうがちすぎか。
そして選手はともかくスタッフは、台湾との試合を考える。
だがこれはかなり、日本が優位に戦えそうである。
台湾もまた国内のリーグから、プロの選手を出してきている。
その中には確かに優れた選手もいるが、ベネズエラやキューバと違い、技術的には優れていてもフィジカルでは劣るという逆のパターンになっている。
今の日本代表は、160km/hオーバーの投げられるピッチャーが五人もいる。
対して台湾は一人もいない。
もちろん球速が全てでないのは分かっている。
ただそれでも、選手層の違いがはっきりしているのだ。
本多もはっきりと言っていた。
この日本代表のメンバーであれば、アメリカの代表にはまず勝てるだろうと。
首脳陣としては、色々と考えることがある。
ドミニカも情報は出回っているが、おそらくこれも勝てる。
もっとも誰を先発にし、どうリリーフにつないでいくかだが。
メジャーリーガーの一線級を出してきていないとは言え、やはり決勝はアメリカと考えた方がいいだろう。
そして準決勝の相手は台湾。
チームに対して、ピッチャーの相性というのはある。
台湾チームは剛速球には慣れていない。
「佐藤兄を決勝の先発に回しましょうか」
誰もがその選択を頭には入れていた。
そしておそらくそれで、日本は優勝出来るだろうと。
決勝戦は球数制限が100球にまで緩和される。
直史ならばアメリカのここまでのデータと、樋口のリードをあわせれば、100球以内で完封してくれるのではないか。
都合の良すぎる想定であるが、これが直史にとっては現実的な想定なのだ。
前々回の大会では、アメリカを相手に29人ヒット二本92球での完封勝利。
ついでに言うならば去年の日本シリーズの最終戦、連投の二日目で80球でパーフェクト。
一つ一つの要素を見れば、かろうじて納得の行くスペックを持っている。
だがそれがまとまると、人間をやめた数字が残っている。
台湾相手には、武史を先発に回せばいいだろう。
球数制限で六回ほどで交代するとして、毒島と峠で最後まで投げてもらう。
ただ直史には、クローザーとしての起用だと言ってある。
そのあたりの心構えを、ちゃんと切り替えることが出来るのだろうが。
呼び出して確認してみると、本人は軽く頷いた。
「構いません」
無感動にそう言う姿に、どこか畏怖してしまう首脳陣ですらあった。
いっそのこと、契約の内容を変えておいたほうが良かったか、と今さらながら直史は思う。
いやいや、日程的に考えて、それは不可能なのだ。
大介のいない、そして上杉もいない、今年のシーズン。
別に甘く見ているわけではないが、直史は何を重視してプレイをすればいいのか分からない。
既にアナハイムとの密約は、セイバーが決めている。
球団とも契約の合意は取れているので、今年のシーズン後にはこのアメリカに来ることは決定事項だ。
だからなすべきは数字を残して、インセンティブを取ること。
金という明白な目的のために仕事をすることを、直史は嫌ってはいない。
人はその仕事の価値に見合う対価を得るべきだと、直史は考えている。
その直史の考えによれば、弁護士という仕事は確かに、必要とされる仕事だ。
プロ野球選手という仕事を卑下するつもりはない。
だが実力次第でいくらでもというイメージの強いこの仕事は、実際は実績に対する信用に年俸を払ってくる。
今年の直史の年俸は、一億1000万。
武史や樋口はおろか、金原や佐竹、浅野や緒方よりも安く、吉村と同じぐらいだ。
吉村は去年18登板の16先発で9勝2敗1ホールド。
それとほぼ同じなのである。
少しずつしか上がっていかない。
もちろん来年も直史がレックスにいるなら、倍増以上にはなるだろう。
しかしどれだけの成績を残していても、一気には上がらないのだ。
これが過去の実績に対する、信用として年俸が決められるというものである。
MLBでも実はそうだ。
FA権を持つまでには、安い年俸で使われなければいけない。
もっともそれでも、メジャーの最低年俸は現在、年間60万ドルを超えるぐらいにはなっている。
年俸調停やFA権など、三年実績を残してようやく、MLBではまともな報酬を受け取ることになると言ってもいい。
だから直史はインセンティブをつけるのだ。
それでも樋口や武史には遠く及ばないだろうが。
MLBの現在の設定だと、直史の初年度はおそらく1000万ドルぐらいになるだろう。
10億も稼げばさすがに充分だと思うし、それを三年続けるわけだ。
だが成果報酬という点では、やはり直史の満足するものではない。
そのあたりをはっきりさせるために、決勝でアメリカ相手に投げるのはいいだろう。
これで日本が台湾に負けたり、アメリカがドミニカに負けたりしたら、ちょっと笑えるところであるが。
武史が最初から飛ばして投げて、毒島と峠で終盤を〆る。
まず投手陣は心配がないだろう。
あとは打線であるが、台湾チームがどれだけ日本を分析してくるか。
どう分析しようと、樋口の方がその上を行くとは思う。
(今年の契約にWBC査定も入れておいてもらったら良かったかな)
もちろんWBCで日本が優勝しようと、レックスの勝利に貢献したことにはならない。
だがレックスは12球団最多の、五人を日本代表に出しているのだ。
つまりレックスの選手がWBCで宣伝されるということで、その中で直史がまた以前のようなことをしたら、それはもうレックスの宣伝になると言ってもいいだろう。
広告効果は確かに、レックスの利益になるはずなのだ。
失敗したな、と今さらながら直史は思う。
あとは来年、アナハイムとの契約で足元を見られないよう、ここで実績を残しておくか。
一応はモチベーションを設定し、ブルペンで待機する直史であった。
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